第5話 疑惑
「連続女性殺人事件が起きた町でまた凄惨な殺人事件が起きました。公園に住むホームレスの男性が刃物で胸を刺されて殺害され、土に埋められていました。そして稲荷神社では男性が撲殺され、同じく土に埋められていました。どちらも死後に埋められており、警察は二つの事件の関連性を捜査しています。また死後まもないにも関わらず死体が既に白骨化しており、白骨化が進んだ理由についても調べています。以上現場でした」
殺人事件のニュースが終わると芸能のニュースが始まったが、凛は興味無さそうにリモコンでテレビを消した。彼女は仕事用の鞄を肩に担ぐと部屋を出た。彼女がエレベーターホールに繋がる廊下を歩いていると、清掃係の女性がおはようございますと声をかけてきた。凛も小さく挨拶を返した。
凛は圭一と暮らしていた家を出てから、既に一週間経過した。彼女は会社近くの安いビジネスホテルに泊まっている。家を出た後は実家に帰ることも考えた。しかし実家は都内とはいえ、実家と会社は片道でも二時間近くかかる。そして何より両親は圭一と同棲していることを知っており、帰省をしたらなぜ帰ってきたのか根掘り葉掘り聞かれることを考えると憂鬱になった。エマの家に上がり込むことも考えたが、結婚式の準備で忙しいらしく、彼女の邪魔は出来なかった。
安いビジネスホテルに泊まっているとはいえ、連続で宿泊していると金銭的な負担が重くなる。そろそろ新しい家を探す時期なのかもしれない。凛は必要最低限のものしか持って来ておらず、引っ越すとなると一度はあの家に帰らなければならない。宇宙人に寄生された圭一と鉢合わせする可能性もあり、彼女は中々引越しをするという決断が出来ずにいた。
凛は仕事が終わり、会社から出て少し歩いた辺りで声をかけられた。
「松本凛さんですよね? 」
その声は前に事件を聞いてきた刑事の桜井だった。
「刑事さんですよね? どうしてここに? 」
桜井は相変わらず笑顔の仮面を張り付けているような顔で、相変わらず目の奥は笑っておらず、不気味だった。
「たまたまですよ。会社はここの近くですか? 」
「ええ」
「実はね事件のことでお話ししたいことがあるんですよ。時間はそんなに取りませんから、お話しいいですか? 」
凛は桜井と話す気分ではなかったが、断ればそれ以上に面倒なことが起こりそうだったので仕方なく了承した。
二人は凛が宿泊しているビジネスホテル近くの喫茶店に行った。二人ともホットコーヒーを頼んだ。店員がホットコーヒーをテーブルに置いていなくなったのをきっかけに桜井は口を開いた。
「最近丸川さんと一緒にいないですよね。喧嘩でもしたんですか? 」
「ええ。そういうところです」
凛は桜井が事件に関係ないことを話し始めたのを不思議に思ったが、戸惑いながらも一応答えた。ふと凛はなぜ桜井が自分と圭一の名前を知っているのかと思った。事件のことを聞かれた際には名前を言っていない。なのに桜井は凛と圭一の名前を把握しており、凛の務めている会社の近くに現れた。桜井は「たまたま」だと言っていたが、それは本当だろうか。凛は桜井が次に何を言うのかと警戒した。
「実はね松本さんの近所で起きた連続女性殺人事件の容疑者が見つかったんですよ。ずっとマークしてて後は裁判所からの逮捕状が出るのを待ってたんですけどね。その容疑者が急にいなくなってしまったんですよ。その容疑者は神社に埋められている状態で死体として見つかりました」
神社に埋められた死体は凛に襲いかかり、宇宙人の圭一に返り討ちにされた男だろう。彼はあの男を殺した後に神社に埋めたのだと凛は推測した。凛は些か驚いた様子を見せた。
「そうですか……。その事件と私に何の関係があるんですか? 」
「容疑者が殺された神社にこれが落ちていたんですよ」
桜井はビニールの袋に入った血の付いたペンを凛の顔に近づけて見せてきた。凛は思わずそのビニール袋を手に取った。そのペンは凛が男に襲われた時に逃げるために男の腕に刺した物だった。凛は神社から離れる時に落ちた物を全て鞄にしまったはずだったが、このペンだけは見過ごしていたらしい。
「このペンに会社名が入っていますよね。それでその会社を調べたら、松本さんがこの会社に勤めていることが分かったんですよ。このペンはあなたのものじゃないですか? 」
凛が男の腕に刺したペンは会社で配られているノベルティグッズで、会社名が刻印されている。だから桜井は彼女の勤める会社が分かったのだ。凛はあっと声が出そうになったが、それを抑えて、冷静な口調で答えた。
「そうですか……。確かにこのペンは会社で配っている物です。ですが色々な方にこのペンを配っているので、このペンが私の物かどうかはちょっと分かりませんね」
凛はペンが入った袋を桜井に返した。
「そうですか……。それなら指紋ならどうですか? 指紋は世界に一つだけの物です。このペンとあなたがこのペンに入ったビニール袋を調べたらどうなるでしょうね? 」
だからビニール袋を私の顔に突きつけたのか。
凛はやられたと思った。彼女の目の前にいるこの男はかなり優秀な刑事らしい。凛は精一杯頭を回転させ、桜井が納得のいく言い訳を考えた。
「一致するでしょうね……。そのペンは私の物なので」
桜井は目を細めた。
「なぜあなたのペンに殺人事件の容疑者の血痕が付いているんですか? 」
「あの日私はその男に襲われました。それでなんとか逃げようとして手を伸ばしたら、そのペンに触れたんです。それでその男の腕にペンを刺しました」
「なるほど……。ではなぜ警察に言わなかったんですか? それにどうしてペンを見せた時あなたは知らないと言ったんですか? 」
「すいません。怖くて言い出せませんでした……。ペンを見せた時に何も言わなかったのは関わりたくなかったからです。逃げた後は男がどうなったのか知りません」
「そうですか……。男がどうなったか知らないんですね? 」
「ええ。知りません」
「本当に知らないんですか? 」
「知らないと言ってますよね」
凛の声に棘があった。しかし桜井は職業柄こういった場面に慣れているのだろう。畳み掛けるかのように彼女に質問を続けた。
「いいえ。あなたは何かを知ってます。だけど何か言えない事情がある。それはなんですか? 誰かを庇っているんですか? それとも脅されているんですか? 」
「もういい加減にしてください! 」
凛は大声を出して立ち上がった。喫茶店にいる客や店員たちが彼女に目を向けた。
「もう私の前に現れないでください。それでは失礼します」
凛は鞄を持って足早に喫茶店を出た。彼女が喫茶店から出て彼女の姿が見えなくなると、桜井はテーブルを思いきり叩いた。そして彼は先程の笑顔の仮面を投げ捨て、忌々しそうな顔で凛が使っていたコーヒーカップを睨んでいた。
桜井徹は高校卒業後、警察学校に入学した。警察学校を卒業すると数年間交番で勤務した後に所轄の刑事になった。そこで桜井は捜査のいろはを叩き込まれ、家にはほとんど帰れず徹夜続きの日々だった。
桜井は元々勘が鋭く、桜井の発言がきっかけで事件が解決に進んだことが何度もあった。その勘の鋭さ見込まれて上司の推薦で警視庁捜査一課に配属され、それ以来二十年近く捜査一課に勤務している。桜井は捜査員として働いている内に更に勘の鋭さが開花させ、ある特別な力を手に入れた。それは現場を見れば、犯人がどんな心理状態で犯行に及んだのかが分かるようになったのだ。いわゆる「刑事の勘」のようなものだ。殺人を犯すには犯人が余程の強い思いがないと起こせない。その感情は怨恨、憎悪、悲哀、快楽など様々だ。
その日桜井は公園でホームレスの男性が殺害されたという一報を聞きつけ、現場に駆けつけた。桜井が公園に到着すると、公園の奥には青いビニールシートが張り巡らされていた。彼は青いビニールシートの中に入り、現場に一歩踏み入れると違和感に気づいた。桜井は現場に入っても何も感じなかったのだ。どんなに冷静沈着な犯人だったとしても少なからず動揺であったり、罪悪感を抱くものだが桜井はこの現場には何も感じられなかった。まるで犯人は一切の感情を持たず殺人を犯したようだ。桜井はこんなことは初めてで困惑した。彼は冷静を取り戻すために、鑑識係や他の刑事たちが動き回ってるのを尻目にビニールシートから出た。
現場を見ても何も感じなかった。今回の犯人はどんな奴でどんな顔をしているんだ。まるで犯人には感情がないみたいじゃないか。
桜井が辺りを見渡すと立ち入り禁止のテープの近くに人だかりがあった。恐らく近所の人間だろう。女性が生きたまま食べられるというショッキングな事件が起きたばっかりで、未だに犯人が捕まっていないので多くの人間は不安そうに心配な顔をしている。桜井は現場に戻ろうとしたらある男に目が止まった。ほとんどの人間が心配そうな顔をしているのに、その男だけはそんな顔をしていなかった。その男の表情は「無」だった。目には光がなく、死んだ魚の方がまだ感情豊かだろう。桜井はその男から目が離せなくなった。その男の隣にいる女性は妻だろうか。女性は不安そうな顔をしており、男はその女性の肩を抱いて去っていた。桜井はその男の顔を見て、こいつが犯人だと確信した。
桜井は公園で見たあの男についてすぐに調べた。彼が公園で見たあの男は丸川圭一という名前で、求人に関する広告代理店に勤務し、前科はなし。そして松本凛という女性と同棲していることが分かった。桜井は二人の住む家を探し出して、偶然を装い彼らに接触をした。彼は凶器のことを話をしたが、圭一は全く動揺を見せなかった。桜井は圭一が動揺しなかったことをむしろ怪しく思った。大抵の人間は警察官から声をかけられることに慣れていない。だから警察官に声をかけられれば、何もやましい気持ちがなかったとしても少しは緊張するはずだ。桜井は圭一への疑惑が更に深まった。
桜井は助手席にフライドチキンの入った箱を乗せて、検死報告書をもらうために大学に向かっていた。都内で発見された他殺体と思われる死体は法医学教室のある大学に運ばれて、法医学者によって司法解剖が行われる。
今回の解剖は法医学教室の教授である津村弥彦の手によって行われた。津村と桜井は、桜井が所轄の刑事だった頃から交友があった。桜井はいつも検死報告書をもらう時には甘党である津村のために必ずスイーツを渡していた。しかし今回は津村の好物であるスイーツではなくフライドチキンだったので、桜井は疑問に思いながらも車を走らせた。
桜井は津村のいる研究室をノックして入ると、津村はにこやかに手を振って彼を向かい入れた。津村は白い髭を蓄え、下っ腹が突き出ており、まるで和製のサンタクロースのような容貌をしている。そして性格も絵本に出てくるサンタクロースのように穏やかな性格で、桜井は津村が大きな声を挙げた所を見たことはない。
「来たね。待ってたよ」
「これ例のブツ」
桜井は机にフライドチキンが入った箱を乗せた。津村は嬉しそうな顔をして箱に手を伸ばそうとしたが、桜井がその箱を彼の手から遠ざけた。
「食べる前に説明をしてくれ」
「分かったよ。これが検死報告書」
津村は不満そうに頬を膨らませた。
「神社で見つかった死体の身元は分かったのか? 」
「ああ。あの御遺体は泉達也という男性だったよ。泉は確か連続女性殺人事件の容疑者だったんだろう? 」
「あとは逮捕状を請求して逮捕するだけだったんだけどな。一足遅かったか……」
桜井は唇を強く噛んだ。
「惜しかったね……。泉の死因は殴られたことによる脳内出血だったよ。公園で起きたホームレスの男性が殺害された事件と今回の事件の手口は全く異なっているけど、共通点がある」
「それは死亡推定時刻が釣り合わないことだろう? 」
「そうだ。遺体の置かれた環境や個体差にもよるけど、地中なら三年から五年かかる。なのにホームレスの男性も泉も完全に白骨化していた」
「何か薬物でも使ったのか? 」
「調べたけどそういったものは検出できなかった」
「それじゃあなんで死体の白骨化がここまで早く進んだんだ? 」
津村は得意げな顔をした。
「それで僕は大胆な仮説を思い浮かんだ」
「仮説? それはなんだ? 先生教えてくれ」
「もちろん教えるよ。ただその前にそれを食べてもいいかな? お腹が減ってしまって」
桜井は呆れた顔をしたが、箱を津村に差し出した。津村は嬉しそうに手をすり合わせて箱を開けて、フライドチキンをかぶりついた。
「先生、この前健康診断で引っかかってましたよね? お医者さんに何を言われても知りませんよ」
臨床検査技師の相原が咎めたが、津村は相原の声を無視してフライドチキンを黙々と食べ進めていた。桜井は津村が食べている姿を黙って見ていた。津村はフライドチキンチキンにしゃぶりつき、肉は彼の胃に納まっていく。津村がフライドチキンを食べ終えると、残ったのは骨だけだった。
「先生、そろそろ教えてくれませんか? どうして死体が白骨化したんですか? 」
「桜井くん。これを見てごらん」
津村は食べ終わった骨だけのフライドチキンを指さした。
「ただの骨でしょ……。まさか! 」
津村はニンマリと笑った。
「そのまさかだよ。肉にしゃぶりついたから骨しか残らなかったんだよ」
「待ってくれ。刃物で肉を骨から削いだことも考えられないか? 」
「確かに。それも有り得るけど、骨には人間の噛み跡が付いていた」
「つまり。殺した後に食べたというのか……? DNAは検出できたのか?」
「残念ながら無理だった」
桜井は頭を抱えた。
「人間を食べるなんて……。そんな人間いるのか? まるで化け物だ」
「考えたくないよね……。そんな人間がいるなんて。でも僕はこの仮説に自信がある。犯人は殺害した後に御遺体にしゃぶりついたんだよ。だから御遺体が完全に白骨化していたんだ」
桜井は丸川圭一のことを頭に浮かべた。あの男ならやりかねないと、桜井は圭一の犯行を確信した。しかし桜井はどこかで彼が犯人だとは思えなかった。今まで犯罪を犯したことのない人間がここまで残酷なことができるのか。そのことだけが桜井の頭の中で引っかかっていた。
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