第3話 確信

 凛は物音で目が覚めた。凛は隣を確認すると隣で寝ていたはずの圭一は既におらず、彼女はベッドを抜け出して音のするキッチンへ行った。

 キッチンにはエプロンを着けてフライパンを振っている圭一がいて、凛は後ろ姿の彼に話しかけた。

「おはよう……。何してるの? 」

「おはよう! 朝ご飯作ってるの。一昨日も昨日も凛にご飯を作ってもらったから今日は僕が作ろうと思って」

「そうなんだ……。ありがとう」

「料理できるまでもう少し時間がかかるから顔でも洗ってきなよ」

「分かった。洗ってくるね」

 圭一は笑顔で返事をしたが、凛はどこかぎこちない笑みを彼に返した。凛は洗面台に向かおうとすると、洗濯物がベランダで気持ちよさそうに風に吹かれていることに気づいた。凛は料理中の圭一に呼びかけた。

「洗濯物干してくれたんだ」

「うん。暇だったしここ最近は凛に家事をお願いすることが多かったからさ」

「やってくれてありがとう」

 圭一は凛の声に元気がないことに気づき、後ろを向いて彼女の顔を見ると、彼女の眉と目が少し下がりどこか不安げな顔をしていることに気づいた。圭一は着けていた火を消して彼女に近づいた。そして圭一は凛の頬を両手で包むと優しく彼女の顔を上げさせた。

「そんな顔をしてどうしたの? 」

 凛は下を向いて口籠った。しかし圭一が下を向いた凛と目を合わせて話を促すと、彼女はずっと抱いていた思いを吐露した。

「圭一がこの三日間、いつもと違う気がして不安だったの。まるで違う人になっちゃったみたいで…」

 圭一は凛の言葉を聞き、ゆっくりと口を開いた。

「そっか……。不安な思いをさせてごめんね。でも僕は変わってないよ」

 圭一は凛と目を合わせた。圭一の目は慈愛に満ちているような目だった。

「ほら変わってないでしょ? 」

「そうだね……。変なこと言ってごめんね」

「全然いいよ。それより顔を洗ってきなよ」

 圭一は包んでいた凛の頬をそっと離すと、彼女は洗面所へ向かった。凛は洗顔フォームで泡立たせ、その泡を顔にまんべんなく乗せると冷たい水で顔を洗った。濡れた顔をタオルで拭いていると、少しだけ晴れやかな顔になっていた。

 凛が洗面所を出ると既に朝食が出来上がっていた。テーブルにはトースト一枚とコーンスープそしてウインナーが置かれていた。しかしそれらは凛の所だけにしか置かれておらず、圭一の前にはコーヒーしか置かれていない。

「朝ご飯食べないの? 」

「実は凛が起きる前に食べちゃったんだよね」

「そうだったんだ。圭一は食いしん坊だな」

「ごめんね」

 二人は話しながら自然と笑みが零れた。この三日間なんとなくぎこちない空気が流れていたが、今は穏やかな空気が流れている。すると圭一が何かを思い出したかのように口を開いた。

「話が変わるんだけど包丁はどうやって捨てればいい? 刃こぼれしたみたいなんだけど」

「嘘? どの包丁? 」

 圭一はキッチンの上に置いてある包丁を指さした。凛はテーブルから立ち上がり包丁を手に取り確認した。

「昨日までは刃こぼれしてなかったのになんでだろう? 」

 この包丁は昨日料理を作る際に凛が使っていたもので、昨日まではスパスパと野菜が切れていたが、今は刃が欠け野菜が切れる状態ではない。

「昔に買った包丁だし仕方ないのかな? 包丁は厚紙に包んで厚紙の上に刃物って書いて燃えないゴミの日に出せば持っていってくれるよ。ちょうど明日が燃えないゴミの日だから出そうか? 」

「そうだね。そうしよう」

 凛は包丁が刃こぼれしていることに疑問を抱いたが、すぐに包丁をキッチンに戻し、また朝食を食べ始めた。


 凛が朝食を食べ終わると二人は出かける準備を始めた。公園に持っていく弁当を二人でキッチンに並んで、いつものように話をしながら作った。包丁が一本刃が欠けてしまったが、あと二本包丁があったので料理を作るのに困ることはなかった。凛はおにぎりと圭一のもう一つの好物である唐揚げを作った。圭一は京都にいた時によく食べていた京都のだし巻き玉子を作り、朝食の時に作ったコーンスープをスープジャーに注いだ。

 二人はTシャツにジーンズという動きやすい服装に着替えると、圭一は弁当やスープジャーなどの重い荷物を持ち、凛はレジャーシートを持って家を出た。家を出ると圭一は凛に手を差し出した。凛もそれに応えるかのように圭一の手を取った。

 二人が今行こうとしている公園はこの町で一番大きい公園であり、面積は約八万平方km程の大きさがある。遊具や噴水が設置されており、休日には家族連れやペットを散歩させる飼い主や凛と圭一のような恋人など大勢の人間の憩いの場所になっている。凛は公園に向かっている途中で辺りが騒がしいことに気づいた。多くのパトカーが道路を走っているのだ。凛は不安になり、圭一に話しかけた。

「この辺りでまた何かあったのかな? 」

「どうしたんだろうね? 」

 二人が歩いている途中で多くの人間が立ち止まっていた。そこは二人が行こうとしている大きい公園より比べると、とても小さく遊具も滑り台と砂場しかない小さな公園だった。そんな公園なので遊ぶ子供はおらず、ホームレスがダンボールやブルーシートで家を作るための場所を提供しているようなものだった。ほとんど特徴のない公園に人だかりが出来ていることに凛は不思議に思った。凛が公園に目を向けると公園には入れないようにテープが張られ、制服警官が関係者以外入れないように見張っている。公園の奥には大きなブルーシートがテントのように設置されている。そのブルーシートの中にスーツを着た刑事らしき人間や青いつなぎのようなものを着た鑑識課らしき人間がブルーシートの中に入っていく。凛が何が起こったのか辺りを見回していると、二人の主婦らしき女性たちが話している声が耳に入ってきた。

「何があったの? 」

「また殺人だって……」

「ええっ! また起きたの? 今度は誰が殺されたの? 」

「今度はここの公園に住んでるホームレスだって」

「この前も女の人が殺されてたばっかりじゃないの! この町は静かで平和なのが取り柄なのにね。この町で何が起きてるのかしら」

 二人の女性の声からは恐怖と不安が滲み出ており、凛も不安そうに公園を見ているとブルーシートから一人の男性が出てきた。その男性はくたびれたスーツとくたびれたワイシャツを着ており、一見しただけでは冴えない中年男性にしか見えない。しかし目だけが異なっていた。獲物を探すかのような鋭い目つきで、この男性の前では嘘を突き通せないような目だ。そしてその目つきが相まってそこまで大きな体格ではないのに、威圧感で男性が大きく思える。その男性がなぜか凛と圭一のことを鋭い目つきでじっと見つめており、凛はそのことに気づいた。後ろめたいことがあるわけではないが、じっと見つめられるのは気味が悪い。凛は不快感から圭一の手をぎゅっと握ると、彼は彼女の肩を抱きその場から離れた。


 二人が事件が起きた公園から十分ほど歩くと、目的地である公園に着いた。公園は家族連れで賑わっており、子供たちの楽しげな明るい声が公園中に響いている。凛は圭一にレジャーシートを渡した。圭一はレジャーシートを受け取ると、レジャーシートを芝生の上に敷くとそこに座り、凛も彼の隣に座った。

「いい天気だね」

 圭一が隣に座った凛に話しかけた。

「本当だね」

 雲一つない綺麗な青空が二人の上に広がっているが、凛の顔はどこか曇っている。

「どうしたの? 」

「まだ犯人が捕まっていないのに、また事件なんて……」

「怖い? 」

「うん……。ちょっとね」

 圭一は凛の手を取り彼女と目を合わせたまま話し始めた。

「大丈夫。何かあったら僕が凛のことを守るから。僕にとって凛は大事な存在だから……」

 圭一の真っ直ぐな言葉に凛は少しだけ、くすぐったいような気持ちになった。

「ありがとう……。少し怖くなくなった」

「本当? ならよかった。早くお弁当食べよう」

 圭一は凛の言葉を聞くと弁当の箱を開けて、二人は作った弁当を開き食べ始めた。弁当を食べている間、二人は父親が吹いたシャボン玉をよちよちと追いかける子供を見たり、すごい力で飼い主を引っ張る犬を見て笑ったりして過ごした。弁当を食べ終えると、圭一は自分の腕を枕にして仰向けで昼寝を始めた。

 凛はその隣で、公園で幸せそうに過ごす家族を眺めていた。凛の友人たちの多くは結婚しており、幸せそうな友人の姿を見ると凛も結婚に憧れがない訳ではなかった。凛はこれからも一緒に暮らしていくなら圭一だと決めていた。もし凛が子供を産んだら、圭一は子煩悩で優しい父親になるだろう。子供がいなかったとしても、今まで通り二人で食事を作りながら穏やかに暮らしていける気がした。二人は動物が好きだったので、犬や猫を飼って暮らしていくのも悪くない気がした。凛はどんな形だったとしても二人なら平凡で穏やかな日々を暮らせると感じた。そんなことを考えながら、公園で過ごしている人々を眺めていると、凛の元に小さなボールが転がってきた。凛は転がってきたボールを拾い、どこから来たのか辺りを見渡していると、柴犬と遠くから飼い主らしき女性がこっちに走ってきた。

「ごめんなさい! ボールを遠くまで投げすぎてしまって」

 女性は凛たちに向かって叫んでいる。

「大丈夫ですよ! 」

 凛は女性に聞こえるように大きな声で返した。凛の元に走ってきた柴犬は茶色い尻尾をバタバタと振って遊んで欲しそうにしている。凛はボールを犬の口元に持っていったが、突然犬の様子が変わった。先程まで遊んで欲しそうだったのに唸り声を挙げ、警戒心を剥き出しにしている。凛はボールを早く返して欲しいのかと思い、ボールを犬の口元にさらに近づけた。しかし犬はボールには意識が向いていないらしく、凛の隣に向かって唸り続けている。凛が隣を見ると、先程まで昼寝をしていた圭一が既に起きており、その犬のことをじっと見ていた。凛は圭一の目を見ると背筋が凍った。圭一は犬に軽蔑と忌々しそうな視線を注いでいたのだ。凛は今の彼なら容赦なく犬の命を奪うことができる気がした。弁当を食べている時に見せていた先程の笑顔とは全く異なっている。そして凛は朝の優しい圭一の声と温もりのある手、愛情に満ちた目も全て偽りであり、犬に向けている顔が彼の本当の姿だということを理解した。

 今まで私に見せてきた顔や優しさはなんだったの? 三年間付き合ってきたけど、これが圭一の本当の姿なの? 

 凛は圭一との過ごした歳月が走馬灯のように脳裏に駆け巡った。初めて出会った時のこと。初めてデートした時のこと。付き合ってほしいと圭一に告白された時のこと。一緒に住む家を探して、引っ越した時のこと。

 違う。私に見せてきた優しい目も暖かい声も笑顔も全て本物だった。なのになぜ? どうして急に変わってしまったの? 

 凛はある一つの考えが思い浮かんだ。凛の脳裏にはその考えがこびりつき、それをずっと考えていた。すると飼い主の女性がようやく犬に追いつき、犬が唸りいつ凛と圭一に襲いかかってもおかしくないことに気づいた。飼い主は犬の首輪を引っ張り凛たちから柴犬を引き離したが、未だに吠え続けている。

「すいません! 普段は大人しい子なんですけど……」

 凛は女性の声で我に返った。

「いいえ大丈夫ですよ……。ボール返しますね」

 凛は転がってきたボールを女性に返した。女性はボールを受け取ると、犬の首輪を掴んで引きずって帰っていた。引きずられながらも犬は凛たちが見えなくなるまでずっと吠えていた。

「急に吠えてきたからびっくりしたね。あれさっきまで天気がよかったのに曇ってきたね」

 圭一はさっきまでの顔とはうってかわり笑顔で凛に話しかけてきた。凛は思い浮かんだ考えを口に出した。

「あなたは誰? 」

 凛は震えそうになる声を懸命に抑えて口を開いた。

「えっ? 何言ってるの? 」

「あなたは圭一じゃない」

「僕は丸川圭一だよ。僕は広告会社で働いていて、京都出身で料理を作るのも食べるのも大好きで凛の彼氏の丸山圭一だよ」

 圭一が笑顔で凛に訴えかけるが、彼女はそんな彼の姿に作為的なものを感じ嫌悪感を抱いた。凛は思わず声が大きくなった。

「違う! あなたは圭一じゃない。圭一の姿をした違う人よ」

 雲が太陽の光を遮り圭一の顔に影が出来、表情を読み取ることが出来ない。

「どうしてそう思ったの? 」

「なんかおかしいなってずっと感じてた。だけど圭一は疲れてるからだと思ってた。でもあなたの目を見たら、圭一じゃないって思った。圭一の目は優しくていつも暖かい目をしてたけどあなたの目を冷たい。あなたは圭一じゃない。あなたは誰なの? 」

 今まで凛に向けていた笑顔が急に失せ、彼の目の色が変わった。その代わりに先程の犬に向けていた視線を凛に向けた。

「昨日は上手く模倣出来なかったから、今日は上手くやろうと思ったんだけど、気づかれちゃったか。本当は話すつもりはなかったんだけど、気づかれちゃったなら仕方ないね……。僕は本当は宇宙人なんだ。僕は丸川圭一の体に寄生している」

 突拍子もない告白に凛はまごついた。

「寄生? 宇宙人? 意味わかんないよ。ちゃんと説明して! 」

 彼は自分の話している内容を理解出来ずにいる凛に呆れたかのようにため息を一つ吐いた。

「僕たちは地球を侵略しに来た。地球人の生態を詳しく調査するために、地球人の体に寄生して調査している」

 彼の予想外の告白を全て信じられる訳では無い。ただ今目の前にいる彼と圭一が同一人物だとも思えない。そうすると凛にはある疑問が浮かんだ。

「寄生されるとどうなるの? なんで私と圭一しか知らないようなことをあなたが知ってるの 本当の圭一はどこにいるの? 」

「質問が多いね」

 圭一の姿をした男は嘲笑を浮かべながら、凛の質問に答え始めた。

「寄生をすると寄生主の記憶は僕たちに継承される。だから寄生主のように振る舞い、地球人の生態調査をすることが出来る。だから君たちしか知らないことを僕が把握してたんだ。僕の寄生主の丸川圭一は死んだよ」

 彼は圭一が死んだことをどうでもよさそうに言った。凛は圭一が死んだという衝撃の一言に懸命に抑えていた声が震えた。

「死んだ……? どういう意味? 」

「そのままの意味だよ。僕が丸川圭一に寄生した時点で彼の人格は消滅したんだ」

「嘘だ……。嘘だ嘘だ嘘だ! そんなの信じない! 」

 凛は彼に掴みかかったが、彼は動揺もせず彼女にされるがままになっていた。

「別に信じなくてもいいよ。でもこれが事実だよ。丸川圭一は死んだ」

 凛は信じ難い内容にそのまま動けなくなったが、鞄からスマートフォンを取り出し電話を掛けようとした。しかし彼は凛の手首を掴み止めさせた。

「何するの? 離して!」

「警察に連絡するの? やめといたほうがいいと思うよ。彼氏が宇宙人に乗っ取られましたなんて話を誰が信じると思う? 誰も信じないよ」

 彼の正論に凛は操作していた手を止めた。

「あなたが宇宙人だということを知ってしまったけどどうするの? 私を殺す? 」

 凛は圭一の姿をした違う生物をキッと睨みながら言った。しかし彼は太陽のような笑顔を浮かべた。

「大丈夫。凛は殺さないよ。僕にとって凛は大事なデータサンプルだからね」

 それは彼にとって心からの笑顔だった。しかし凛にとってその笑顔はとても恐ろしいものに感じた。


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