星泣きの夜に

正方形

空一面に散らばる星がとてもきれいな夜だった。

 ゆっくりとテントを開けると、指先一つ動かせないはずの彼女が、上体を起こして微笑みながらこちらを見ていた。

 驚きはなかった。何となく、今日あたりなんだろうなと、思っていたから。

 彼女が口を開く。初めて聞いたその声は、想像していたのとは少し違って、ずっと良かった。


「やあ、おはよう」

「……もう、夜だよ」

「そっか。じゃあ、星、見えるかな」

「うん。満天だよ」

「手、貸してくれるかな。一人じゃ立てないんだ」


 差し出された手を取ったとき、まるで生気を感じない硬さと冷たさに背筋が凍った。

 それでも努めて顔には出さず、いつものような気安さで僕は彼女を抱き起こした。


 標高の高い山特有の澄んだ空気が肺を満たし、吐く息は白く霞んで宙に溶けた。

 僕と彼女は山の一番高いところに座って、空を見ていた。


「……変だね」

「え?」

「話せるようになったらきっと話そうと思ってたこと、いっぱいあったはずなんだけど」

「うん」

「へへ……なんか、全部忘れちゃった」

「……うん」

「……きみはさ、これで良かった?」

「うん?」

「ただちょっと呪われてるだけの村娘だった私なんか連れてさ、旅なんかして。大事な目的もあるのに。全然戦力になんてならなかったでしょ」

「まあね。戦闘は倍以上大変だし、荷物は増えるし、嫌なことがあるときみはすぐ僕のお尻を蹴るし」

「なによう。蹴るのはだいたいきみが悪いからだったでしょう」

「ふふ。でもね、それ以上に良いことばっかりだったよ」

「……そっか」

「……うん」


 心地良い沈黙が二人だけの山頂に広がる。

 彼女が、こちらに預ける体重を少しだけ増やしたのがわかった。


「……ねえ」

「うん?」

「ちゃんと、お役目……果たすんだよ」

「……うん」

「お金は、ちゃんと、管理しないと……すぐ、なくなっちゃうんだから、ね」

「……うん」

「お酒は、ほどほどに、しないと……もう、介抱、してあげないから、ね」

「……うん」

「あと……」

「……うるさいなあ、しっかりやるよ、これからも」

「……」

「本当にきみは、最初からそうだったよな。細かいことばかりぐちぐちとさ」

「僕がいるからよかったようなものの、そうじゃなかったら嫁の貰い手に苦労したと思うよ」

「……あと、そうだ、すぐに手が出る癖も直した方が良いと思うね。喋らなくたって目を見てくれれば大体伝わるんだからさ」

「そうだよ、言いたいことなんか、いくらでも……いくらでもあるんだった」

「そう、そうだな、もうこの際だからはっきり言わせてもらうけどね。僕はさ」

「……僕は……僕はさ……」


「こんな世界なんかより、きみのことを救いたかったんだぁ……」


 星屑が一つ、空から零れた。

 それを追うように、二つ、三つ。

 やがて空は、僕の頬を伝う数だけ星を流し始めた。

 彼女のいない世界はあまりにも綺麗で、僕はただいつまでも、その空を見つめ続けていた。

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