法は人殺しを否定してくれるか


 冒頭で書いた「人を殺すことはなぜいけないのか」という質問であるが、これを恐らく原理的に説明できる者はいない。だがこれを認めない人々は一定数存在する。


 まず断っておかなければならないのは「法律でダメだと決まっているから」という法家の論者の意見は間違っているという事である。韓非の思想を脈々と受け継ぐ法至上主義者達の考えは一見論理が通っているように感じる。

 だが、法というものの性質を考えればこの論法は首を傾げざるを得ない。

 まずもって法とは法ありきではない。犯罪行為が規定されて初めて法によって定義され、それが違法行為となるのだ。それは比較的新しい法律を見れば分かりやすい。



 環境基本法という法律は比較的に新しい。この法の成立背景を学校で習ったり、あるいはリアルタイムで報道を見ていた人も多いのではないだろうか。高度経済成長によってもたらされた環境問題が顕在化し、その対策として制定されたのが環境基本法である。ここで大事なのは環境問題が顕在化して実際に人々が実害を被ってから泥縄式に環境基本法が制定されているという点である。多くの人々の中で、カドミウムを大量に川に流したり有毒な物質を空気中に放出したりする事は悪い事である、という意識が定着したから法律はそれに罰則を設けたのである。罪を罪であると人々が定義する事で初めてその罪は違法行為となり得るのだ。


 法によって定義されているから殺人は悪である、という意見はこれによって本質的に否定されている。つまり「人殺しは罪である」という多くの人々の前提があって初めて殺人罪が定義されて殺人が違法行為になるのである。

 法は人殺しがなぜいけないことなのかという質問に答えてはくれない。悪い事だからやっちゃいけないよ、と言うばかりなのだ。これではなんの解決にもならない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る