人殺しの論理

茶屋四郎次郎

序章 人を殺すということ


 なぜ人を殺すのはいけないことなのか



 これほど平凡で原理的でタブー視されてきた質問はあるだろうか。恐らくこんな質問を広く一般に投げかけたなら、多くの人は質問者の正気を疑うだろう。潜在犯的な扱いを受けるかもしれない。だがこの質問に明確な答えを提示できる者はいるだろうか。


 昨今はメディアや科学捜査が発達し、昔なら話題にならないような異国で起きた異常犯罪や明るみにならなかったような特殊な事件がリアルタイムで報道されるようになった。メディアが科学的に異常とされた犯罪者の過去や思想を殊更に強調してキャスターや専門家がそれに対して意見を述べる姿はもはや珍しいものではない。それを見て、犯人に対して「なんでこんな酷い事をするのだろう」「考えられない」「犯人は特別悪い人なんだろう」「私なら絶対こんなことはしない」と思った視聴者も少なくないだろう。

 だが、本当にそうなのだろうか。自分の理解を超えた犯罪は、自分とは完全に異なる他人が常人の常軌を逸した思考を経ることで起こるのだろうか。あくまで自分が理解しようとしていない、あるいは理解できないふりをしているのではないか。


 人々は人殺しを忌避し、それに対する根源的な質問をも避ける傾向にある。理解の範疇を超えた犯罪を厭悪し、それには物理的にも精神的にも関わらずになくなる事をただ祈っている。要は関わりたくないのだ。無関係でいたい。


 この読み物はそんな平和的傍観者に著者の暴論と偏見を投げつけて「平和的」という無責任な3文字を奪い取ってやろうという試みである。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る