第30話 罪

「戦え」


 納得のいかないこの状況にもかかわらず、自分の魂はそれでも戦う事を欲している。左手が刀の柄に触れるといつもは心が落ち着くはずなのに、この時ばかりは自分もそれを抜きはらって輩とともに駆けだしたくなる衝動に襲われた。

 仕方がないために煙草と呼ばれる乾燥させた薬草を刻んで紙で巻いたものに魔法で火をつけて口にくわえた。軍服のポケットに残りを突っ込む。身だしなみなど気にしたことはなく、短く切られた髪であっても軍服を着ればそれなりに見えると言われてから、アノーはこの服しか着ていない。

 煙を吸って心が落ち着くのを待つ。指揮を執る自分が駆けだすわけにはいかない。


 アノーの指揮の通りに突撃したミルザーム軍は、敵を壊滅させていく。



「見事ナモノダナ」


 拙い発音で発せられた言葉がその高揚感を台無しにした。貴様らのためにやっているわけではないと目でものを言うように睨み返した。それを気にも留めていないのか、自死しようとした輩に寄生したミオルはこちらを向いた。すでに表情が分からないほど変形してしまっている輩に昔の面影はない。


「アノー、裏切ルナヨ」


 思わずくわえていた煙草を噛みつぶした。苦みが口の中に広がる。吸い始めたばかりのそれを唾ごと吐き出して踏みつけることで火を消した。平民が手を出せないほどの高級品であるのだが、仕方ない。


「帝に少しでも危害を加えてみろ。貴様らを一匹残らずこの世界から排除したあとに異界を滅ぼしてやる」

「我々ノ力ヲ望ンダノハソノ帝ダ」


 奥歯が割れるのかと思うほどに、力が入ったのが分かった。この異形のものの表情などは皆目見当もつかないが、今この時は自分たちをあざけ笑っているのは理解できる。


 異界の入り口を開いたのは帝だった。

 帝国に攻め入れられ、風前の灯火とも言えるミルザーム国を救うために、アノーは一つの策を献じた。それ以外に道があれば己の心の中にしまっておいたはずの策。多数の輩を死に兵として、帝国の主力を壊滅させる策だった。


 賢者エイジの許で学んだ思考能力は、それ以外にミルザーム国が生き永らえる道はないと示していた。そして、その策が成功するか否かは敵味方全てにその策が気づかれていない必要があった。


 多くの輩を騙すことになる策。きっと輩の多くはこの策を提示したところで、喜んで死ににいくのだろう。だが、全ての輩がそうかと言われれば、現実的には違う。もし少しでも作戦を察知され、警戒しつつ退路を確保したままラハドの町に進軍されたら、国が滅ぶしかなかった。


 言い訳にもならないが、共にラハドの町で戦い、死にたかった。だが、ラハドの町で帝国軍を破ったあとも指揮を執る人間が必要で、戦争が終わるまで任せられる人間はいなかった。


 帝は、アノーの策を受け入れた。帝もアノー同様に悩み苦しんだのだろう。心を病んだのかもしれない。



 帝国と休戦をした時、帝は最後まで反対していた。その心中がどのようなものだったか、痛いほどに分かりすぎていた。だが、これしかないと皆で帝を説得したのだ。あれ以上戦う余力がミルザーム国にはない上に、帝国にはリヒトが参戦していた節があった。帝国を最後まで滅ぼさない限り、あの時点で有利な条件を突きつけることはできず、その力が連合にはないというのがアノーの判断だった。


 国は、ミルザーム国の上層部はそれを肌で感じていたためにアノーの提示した休戦協定を帝に飲ませた。それが、帝の心を壊すことになるとは思わずに。怒りで支配されていた帝が、帝国の亡ぶのを見ることができると思った矢先に、絶望を味わわされたと感じたのだろう。


 気づいた時には遅かった。異界の入り口は開かれていた。



 戦闘中に考え事をする余裕があった。異界の魔獣で編成した部隊を含めて、ミルザーム国軍は帝国軍の守備隊を突き破りつつある。

 戦力、士気、作戦、そして指揮能力の全てにおいて負ける要素がなかった。奇襲に近いこの状況で、リヒトがこの守備群にいるとも思えない。帝都からの援軍がどの程度の神速なのかは分からないが、それまでに全てを終わらせる自信があった。


 拮抗した戦力でもなければ、リヒトには負けない。だから、帝国全軍をいかに集めさせずに各個撃破していくかがこの戦争の焦点となるだろう。ただし、それはリヒトも分かっているはずで、アノーであれば帝都より東は全て切り捨てる。そうなったら勝負は分からないと思っていた。


 この戦いは所詮前哨戦に過ぎない。そして、アノー自身は別の場所で戦うつもりである。それはすなわち、異界の知能をもったミオルなどの魔物たちをいかに欺き、最終的にミルザーム国に残った輩たちと排除するための布石、罠を準備することだった。


 帝国と戦いながら、そしてそれを準備する余裕があるのだろうか。監視についているかのようなミオルの目をかいくぐり、リヒトとも戦う。アノーは何かを犠牲にする必要があると考えた。それは国なのか、己の命なのか、帝か、それとも世界なのか。


「アノー殿、我が軍の勝利です」


 高台で戦況を把握していた将校が戻ってきた。自分でも戦場の多くを見に行くつもりだったが、一部を見下ろしただけで戦闘はすでに終了してしまったようだ。


「追撃は不要だ。陣を築け」

「はっ」


 思った以上に巧くいった。だがそれを喜べない自分がいる。もう少し時間がかかるはずだった。考える時間も含めて何もかもが足りない。そして、異界の魔物たちの情報はさらに足りなかった。


 師の許に行けば何か分かるだろうか。だが、すでに帝国の使者に刺客を差し向けるほどに異界のものたちはこの世界に根を張っている。いつからこちらへ来ていたのだろうか。明らかに異界の入り口が開く前から準備が始まっていたと思わざるを得ない状況が続いている。



「リヒト……」


 アノーの心に何かが広がっていった。それは諦めのようであり、強い決心のようであり、それでいて信頼である。

 自分は死ぬべきだったのだろう。それは自分が正しいという思いからした行動だったが、間違っていたようだ。


 友がいる。


 彼ならば、自分を打ち破った上で異界の入り口を塞ぐくらいはしてくれるだろう。だが、その友に負けたくない自分もいる。できる事ならば、自分が全てを救いたい。

 もう、間違いは犯したくない。もう二度と輩を裏切る事はできない。そしてこの間違いの結末は友が正してくれるかもしれないが、自分が貫いてもいいはずだ。


「リヒト、勝負だ」


 自分が勝てば自分がこの異形の者たちを葬る。帝も救い出そう。だが、友が勝てば帝を含めて自分は罪を償うことができるのではないか。

 持つべきものは友だ。アノーは独り言つ。自分は迷う必要がない。最期にアノーを包んだのは感謝の感情だった。



 全力でリヒトと戦えばよい。その結果が、すべてを示してくれる。願わくば、全力の自分をその罪ごと滅ぼしてくれることを願って。



 数日後、帝都から東の部隊が全て引き上げを開始したという報せを受けて、アノーは笑った。

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