第29話 竜

「これは……」


 吹き荒れる風に思わず手で顔を覆う。砂が舞うのが非常に鬱陶しいがこれは仕方がないと分かっていた。文句を言ったところで直すことができるとは思っていない。


「聞いてないぞっ!」

「言ってないからな」


 コラッドとラングウェイの言い合いは予想できたことだった。アイリもミルティーレアもいつもは見せない表情で賢者エイジを見上げている。口が開いたまま塞がらないというのはこの光景のことだろう。おそらくは最初に賢者エイジに出会った時の僕も同じような表情をしていたのかもしれない。口は開けていなかったが。



『久しいな、いや、そうでもないか。時間の感覚がよく分からなくてな』



 賢者エイジが声を発した。いつも思うのだが、どこから声が出ているのだろうか。


「竜、だと?」


 そこには巨大な両翼を羽ばたかせて着地したばかりの黒色の竜が佇んでいた。大きさは人の数倍はあるだろう。その首は僕らを見るために地へと向いているにも関わらず、ミルティーレアが背伸びしたとしても顔に届きそうにもない。


 賢者エイジは悠久の時を生きる竜だった。人の言葉を解し、人の言葉を話すこの竜はおそらくは人が生まれる前の時代から生きている。もしかしたらこの言葉は人特有のものではないのかもしれないと、賢者エイジと話していると思いたくなる。


『さて、人の子よ。何用で参った』

「賢者エイジ、あなたの知恵と知識を借りたくて来た」

しゃくだが、お前なら知ってるかもしれないと思ってな」


 僕とラングウェイはある程度賢者エイジと話し合った経験があるためになんとか会話が成立する。だが、コラッドたちはまだこの竜と会話をするという事に勇気が持てないようだった。気持ちは分かる。前回来たときは僕らもリヒトに任せきりだった。最終的に僕らの疑問にも答えてくれる賢者エイジと会話が成立するまでに至ったが、用件が簡単なものだったならば未来永劫にこの竜と会話しようなどとは思わなかったはずである。

 そもそも竜という時点でおとぎ話の中にしか出てこないものだ。実際に竜を見たことがある人間というのはほとんどいない。帝国も、ミルザーム国も、ルーオル共和国も、どの国もこの軍事力のほとんどないフジテ国を本格的に攻めようとしないのは賢者エイジがいるからだとか。各国の中枢にのみその存在を知られている賢者エイジには誰も手を出そうとせず、またその知識と見識と智謀を頼って相談に来ることもある。


 その思考回路はラングウェイがうなるほどに聡く、単純である。賢者エイジに向かって状況を説明すれば、簡単な質問が帰ってくる。最終的に、質問を返されているはずなのに僕らは自分たちで答えにたどり着くように誘導される。



『また、迷っているのか』

「異界からの侵攻をどうにかして止めたい。異界の入り口はどこにあるのか。もしくはどうやって探せばよいか」


 だから、こちらも質問は簡便なものである。賢者エイジの知識にそれがあれば答えはすぐに見つかるし、なければ見つけ方を探す。



『かつて異界には王がいた』



 しかし、僕の予想を裏切り、賢者エイジはこんな事を話し始めた。


『異界の王は異界だけでは満足しなかった。王はこの世界にも興味を持ったのだ。王は世界を歪めて引き裂くと、その隙間から軍を送った。そして自身もその世界に降り立った』


 初めて聞く内容である。異界の王はこの世界をいたく気に入った。特にこの空の明るさを、海の広さを、大地の豊かさを。王は異界に未練がないかのように振る舞った。

 そしてこの世界は異界からの侵攻に精一杯あらがった。


 当初、異界からの侵攻に押され気味だった世界は結束した。そしてその力に対抗できるものが現れ始めた。


 だが、この時に王は悟っていた。世界は、その世界に住むものがいなければ均衡を保つことなどできないということを。現に異界の侵攻でこの世界の生き物がいなくなった地域は異界と同じように様変わりしていた。

 王が気に入り、愛したものはそこにはなかった。


 嘆いた王は世界を侵略することをやめた。歪んだ世界のひずみは何者かによって埋められ、正され、いつしか異界からこちらの世界に来ることのできる者はいなくなった。


「ではまた、異界の王とやらが世界を歪めたというのか」

 ラングウェイですら聞いたことがないという顔をしている。他の者は言うまでもないだろう。そして賢者エイジはそんな昔話をして、僕らに何を言いたいというのだろうか。


『この世界に住む者がいなければ、この世界は均衡を保つことができない』

「では、世界が歪んだ場所をたどればよいのだな。もっとも歪んでいる場所が異界との隙間ということか」



 賢者エイジは頷いた。


 世界が歪む場所。それはおそらくミルザーム国に入れば分かるというのだろう。十中八九、帝のおわす王都にそれはあるに違いないと僕は思っている。確証を得るためにここに来た。そして、その数日の遅れが致命的なものにならないだろうかという思いがある。


『人の子よ、まだ間に合う』


 賢者エイジは僕を見透かしたかのように言った。



 ***



「聞いてないぞっ!」

「言ってないからな」


 コラッドとラングウェイが先ほどのやり取りをやり直し始めた。


「だいたい、誰だって竜と言われて信じるわけないだろう。俺もそうだったんだからな」

「しかし、心構えというものがあるだろうっ!?」


 当の本人、いや、本竜を前に繰り広げられるこの言い合いというのはどうなんだろうかと僕が思っていると賢者エイジは笑ったようだった。


『誰しもが我の存在というのを信じようとしない』


「それは当たり前だ」

『だが、すでにお前はその存在を認めているどころか、自分に関係づけている』

「ふんっ、お前が知っていることが回りまわってカスミのためになるから、聞いてやっているのだ」


 ラングウェイの原動力。それがぶれることは全くない。


『どれだけ我の言葉に耳を傾けようとも、最後に決めるのはお前自身だ。そしてそれはお前がもっともよく分かっている』


 苦虫を噛み潰したようにラングウェイはうめく。


「くそ、これだから賢いやつは嫌いだ」

 すかさず、ミルティーレアが呟いた。

「お前がそれを言うなよ…………」


 僕も少しだけそれを感じた。しかし言葉には出さなかった。アイリが少しだけため息をついている。


「…………賢いと頭が良いと記憶力が良いを全て同じだと考えてるお前は嫌いじゃないぞ。むしろ好きなくらいだ」

「ん? どういう事だ? まあ、いいけどよ」

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