第9話 策謀

「前線を広げるのです」


 リヒトの言葉を正確に理解できるものは皆無だった。何故、この劣勢に立たされた状態で前線を広げなければならないのか。兵の常道にももとる行為であると反対がでるが、この二カ月の間で一度も勝利をもぎとっていない作戦参謀本部の言葉には説得力がなかった。


「こちらは本国、相手は遠征。補給が伸びているというのは分かりますか?」

 作戦参謀に説明する振りをして、リヒトは大将軍を始めとする軍上層部に語り掛けている。その中にはリヒトの父親の宰相アルバート=アンデグラードも含まれていた。

「さらに言えば個々の力で、我がラバナスタン帝国と戦うことのできる国というのはミルザーム国のソードマンを含む部隊くらいのものでしょう」

 その通りなのである。兵の精鋭具合というのはどれだけ訓練を課して兵を鍛えあげ軍規を守らせるかにかかっている。集団での行動において、参謀の思い通りに軍が動くということはほとんどない。むしろ、参謀の思い通りに動く軍は非常に精強であることの証明となる。


「そのため連合軍はそれぞれの軍を密集させることでその個々の力を補っています」

 先日リヒトが魔獣大隊を率いて占領した町というのは、こちらにとっては一つの拠点に過ぎないが、連合国軍にとっては守備隊を配置する拠点を三つほど増やさなければならない土地である。兵力の分散に成功したために連合国軍はそれぞれの連携が取れない限りは攻勢にも出てこられないだろう。


「敵は連合軍なのです。連携の取りにくさが命とりになると教えてやりましょう」

 不敵に笑うリヒトの後ろには常に仏頂面の僕が佇んでいる。棒と刀で戦場を蹂躙する僕は敵にも味方にも恐れられている。リヒトに付き従い、リヒトのために敵将を討ち取る。護衛としてリヒトの傍にいる僕の前で堂々とリヒトに文句を言える人間は少ない。



 結局、リヒトに反対意見を言う作戦参謀の言葉は完全に無視された。あれはこちらで聞いていても説得力に欠ける。こんな奴らにともがらはやられたのかと思うと、腹立たしさが募るが、僕にはその権利はない。これから僕は祖国と戦うこととなるからだ。


「リヒト」

 作戦会議が終わり、リヒトは父親である宰相アルバートーアンデグラードに声をかけられた。年老いた皇帝に代わって実質的にこの帝国を治めているのは宰相である。


「宰相閣下」

「ここでは父でよい」

「はい、父上」


 ちらっとアルバートが僕を見る。

「まさかとは思うが、本当にミルザーム国のソードマンだったとはな」

 僕の素性を調べたのだろうか。いや、刀の意匠を確認したみたいだった。確認方法は間違っているが、事実としては正解である。

 たしかに自分の息子に得体の知れない護衛が付き始めたとなると気になるのも仕方ない。それに、先日の戦いでルーオル共和国の召喚部隊の指揮官の首を上げたのは僕だ。

 しかし、宰相に声をかけられたとしても僕の主はリヒトだ。リヒトの命がなければ頭を下げるつもりは毛頭ない。


「ふむ、そして帝国に属しているのではなくお前に付き従っているというのも本当のようだな」

 帝国のものではなく黒い軍服に身を包んだ僕が頭を下げず、反応もしないのをみてアルバートの顔には一瞬だけ不快感がよぎった。だが、それもすぐに霧散する。



「それで、その先はどうするのだ?」

「講和はなりませんか?」

「なるような状況であれば、こうはなっておらん」

 リヒトと宰相との間で繰り広げられている会話は言葉が少なすぎて僕には理解しがたいが、おそらくは帝国内の事情もあり戦争をやめることはできないという事だろう。リヒトにとっては戦争は外交の手段の一つであるという認識から、これ以上の戦争が帝国に利をもたらさないのは明らかであり、早めに収束に持っていきたい気があるようだ。

 だが、帝国内の貴族を始めとする有権者のなかには不利益を被った、その前に帝国が他国を侵略し始めておいて、この状態が気に食わないと思う者が過半数なのだろう。


 宰相も頭の痛いところである。だが、僕はリヒトの話を聞いているうちに、連合国には帝国を侵略しつくす力がないという事が分かり始めていた。どれだけ侵攻しようとも、先細りとなり現在のそれぞれの国力では占領統治まではいかないのである。それほどに周辺国家と帝国の間には差があった。


 逆に帝国側はミルザーム国侵攻からいままでの戦闘で多くの兵が死んだ。それは権力を持った貴族たちの力が削がれたということでもあり、自然と己たちのみであれば食っていける国力と消費のバランスがとれた状態になってきたのである。


「で、あるならば道は一つです」

「どこの国だ?」

「もちろん、ミルザーム国」


 親子の会話と言えども、ここまで言葉が少ないのはおかしいと僕でも思う。しかし、あまり興味もわかなかった。聞いたところで僕にいい案が浮かぶわけでもなければ、やる事も変わらない。


「ふむ」

 リヒトが頭を下げている間に宰相アルバート=アンデグラードは去っていった。


「相変わらずこういう話に興味がないんだな」

「僕には関係ない」

「少しあるよ。ダンはミルザーム国と戦わなくて済むかもしれない」


 それはそれで僕の覚悟というか諦めをどうしてくれるんだろうか。少しだけ、興味が沸いたので、後でリヒトを問い詰めることにしようと思ったが、聞きたがっているリヒトの顔を見てから放っておくことにした。どうせ、すぐにしゃべり始める。




 翌週にミルザーム国との停戦が成立した。連合国の中で先に抜ける形で撤退を始めたミルザーム国の殿には強靭なソードマンの部隊に守られた軍師が指揮を執っていたという。最終的に多くの犠牲を出したミルザーム国であったが、一つの帝国の町と多額の賠償金で身を引いた。

 他の連合国軍の反応はそれぞれであったが、弱った獣に群がるハイエナの如く、競争相手がいなくなった事を歓迎こそすれ連合脱退に強く反対する国はいなかったのである。



 ミルザーム国の天才軍師アノー、その生涯のライバルとして歴史に名を遺すこととなる将軍リヒト=アンデグラード。彼らはこの時点では申し合わせたかのように戦う事をしなかった。歴史にもしを持ち込むことは意味がないとされておきながらも、それをしてしまうのが人間である。この時両者が戦っていたならば……。後に両者は同じ回答としている。



 おそらく、リヒトが勝っていただろうと。だからこそアノーはすぐさま引いたのだ。

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