閑話 とある王子様の葛藤(前)

 運命なんてもんがあるというなら、俺はそいつに感謝などしていなかった。


 別に王子なんてもんに生まれてきたかったわけじゃない。たしかに飢えることは無い。だが自由もない。死の危険と隣り合わせと引き換えに自由に生きる冒険者の英雄譚に何度も心を動かされたものだ。


 子供の頃は文字を覚えると、書庫に籠り物語の本を読みふけっていた。いつか旅に出たいと、その時は本気で思っていたんだ。


 今となっては子供のわがままだったと自嘲できる程度の話だがね。




 さて、俺もある程度の年になって、学友というのが付くことになった。そして俺の前に現れたのは……クッソ生意気な女だった。


「わたくしはヒルダ、レンオアム公爵家の者です。殿下にはお初にお目にかかります」


「ああ、シグルドだ。よろしく頼む」


「うふふ、手加減は致しませんわよ?」


「ほう……?」


 見目麗しいと言ってよい少女の一言に思わず眉をひそめる。


 これでも王太子候補としてそれなりに厳しい鍛錬をこなしてきたとの自負がある。だがこやつはそれを鼻で笑っているようだった。


 そして、勉学や武術などで……コテンパンにされた。




「隙だらけですわ!」


 レイピアを片手に繰り出される刺突を避けきれず剣を弾き飛ばされた。


「ふふ、まだまだですわね」


 自信のあった知識では、ことごとく上を行かれた。


「油断大敵ですわね」


 盤上の模擬戦では、九割勝利を掴んだと思ったところから逆転された。




 王子としてのプライドとか、色々なものが粉みじんになったのだ。


 さらには……「まあ、あれですわ。王と言うものはわたくしのような真価を使いこなすのが役目。王が誰よりも強い必要はないのです」と情けをかけられた。


 涙目になっている俺に情けをかけやがった。


「くっ、返す言葉もない……」


「ふふ、悔しそうにしているのであれば、次にお会いになるときが楽しみですわね」


 こうして、言いたい放題を言い残してヒルダはレンオアムに帰っていったのである。




 そこからの日々はこれまでと一変した。あいつを見返す。その一心でどこか手を抜きがちであった鍛錬に励み、兵法書、政略指南書など、流し読みだった書物も熟読した。


 近衛騎士団で頭角を現しつつあるシリウスという見習い騎士を引っこ抜いた。騎士団長からは恨みがましい目つきで見られたが、そこはガンスルーだ。




 後日聞いたが、レンオアムのヒルダは天才と名高い才媛であった。剣をとれば年長の兄たちをまとめてなぎ倒し、騎士団の訓練にも参加するという。


 その知識はお抱えの学者もうならせ、父の公爵に従って視察に出た際に、長年いがみ合っていた寄り子を和解させた。


 さらに、そこの領内での問題も解決して見せたという。


 王宮でぬくぬくと暮らす自分が、なぜだか恥ずかしくなった。だからシリウスを説き伏せてお忍びで王都をうろついた。


 王宮から見えるものとはまた違った景色があった。


 にぎわう市場や、乱雑な声が飛び交う冒険者ギルド。そこの受付嬢にいきなり身分を見抜かれた時は声を押し殺すのに必死だった。


 彼女は人を見る目があり、これまで出色の人材を多く見出したという。たしかチコとか言ったか。


「王子様、お付きの騎士を大事になさい。その筋肉は必ず大成します! というかちょっと撫でてもいいですか?」


 うん、少し変わり者ではあったけども。彼女に迫られたシリウスが少し涙目になっていたのは、俺の胸に中にしまっておこう。




 そして、貧民街。大きな都市になればどうしてもそのような場所ができる。その惨状は目を覆わんばかりだった。倒れ伏す老人に誰も手を差し伸べようとしない。子供はうつろな目をして、座り込む。


 大人も安酒を食らい、世を呪うことしかしていない。


 ここに入る前に、シリウスが何度も念を押した理由が分かった。声をあげてはいけない。個々の人間と関わってはいけない。


 今の俺は無力だ。王子の身分もただ生まれつきあったに過ぎない。ただの子供だった。しかし、身分には力が付属する。そして同時に大きな責任も付いて回る。


 おそらく、貧民街を何とかしろと命じれば、それこそなんとかなるのだろう。


 ただし、その解決方法はおそらく、彼らを王都から追い出すことになるのだろうとおぼろげながら悟った。




「殿下。貴方様のお志はとても尊い。しかし、ただ慈悲を垂れて、彼らに食を与えたとしても、一時しのぎにしかなりません」


「……そう、だな。彼らが自立して生活できるようにせねばならん」


「常に最善を目指しましょう。そして、常に最悪の事態を考えましょう」


「シリウスよ、お前がいてくれてよかった」


「わたしはただの騎士です。平民出身のため多少は世を知っている。それだけのことです」




 この国を少しでも良くしよう。そう思えたのはヒルダのおかげなのだろう。


 訓練で倒れそうなとき、俺を打ち倒した後の見下ろすような目線を思い出した。少しゾクゾクした。


 難しい問題にぶち当たったとき。彼女のエピソードを思い出し、奮起した。


 こうして、半年ほどが過ぎ、再び彼女が王都にやってきた。




「殿下、お久しぶりです」


「ああ、そうだな」


「……相当な鍛錬をおつみになられた様子ですわね」


「いざというとき自分の身一つ守れないでは、な」


「ふふ、そういうところ、わたくしは好ましく思いますわ」


 そう言ってほほ笑んだヒルダに、なにかを掴まれた気がした。寝ても覚めても彼女のことを考えていたことを思い出し、顔が熱くなる。


 そうして、久しぶりの模擬戦は……惨憺たる結果に終わった。


 要するに俺は手加減されていたようだ。




「ふう、久しぶりに本気を出せましたわ」


 そう晴れ晴れと笑う彼女に、次は絶対に勝つと心を決めた。


 ちなみに、シリウスもその戦いを見ていたが、「今の私ではいいところ互角ですね……」と呆れたようにつぶやいた。




 盤上模擬戦では何とか引き分けに持ち込んだ。知識についても議論を戦わせるところまでは行けた。


「ふふ、お見事ですわ。文字だけではない、地に足のついた知識になっております」


「そなたに思い知らされたのだ。私はただの子供であったとな」


「そうなのですか?」


「わたしが勝手に思っておるだけではあるがな」


「士、三日会わざれば刮目して相対せよ、ですわね」


「ほう、お褒めに預かり光栄至極、だな」


 そう答えると、ころころと笑うヒルダに、なぜか再び顔が熱くなるし、走ってもいないのに胸が強く脈打つのを感じるのだった。

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