閑話 とある龍の昔話

(ふむ、もう少しかかるか、なれば昔話をしてやろう)


 唐突に俺の中でお義父さんが語り始めた)




 とあるところに黒い龍がいた。もともとは穏やかな性質で、人の近寄らない山の中で、わずかな眷属と共に日々を送っていたそうだ。


 その鱗はあらゆる攻撃を弾き返し、そのブレスはあらゆるものを焼き払うと言われた。だが、彼自身はその力をむやみに振るうことをよしとせず、龍の姿でいれば身じろぎ一つするたびに木々をなぎ倒すと、あえて人の姿で過ごしていたという。




 彼には愛した龍がいた。同じ血を分けた妹と、同じ黒い鱗を持つ妻。好奇心の強かった妹は、人の姿で人の街に入り込み、人と交わった。


「兄さま、人間て凄いのよ!」


 笑顔で帰ってきて、街であったあれやこれやの話をする妹を、龍とその妻は笑顔で迎えていたという。




「妹よ。お前が龍であると悟られてはならぬ。人は数が多い。それは良き者も悪しき者も内包する」


「そうなんだ……けどみんないい人だよ? 宿屋のおばさんもギルドのおじさんも……」


「人からすれば、我らの血の一滴がその短き生涯を贖うほどの価値を持つ。それを忘れてはならん」


 妹は首をかしげている。我らは生きるのに天地の精を吸い込み魔力の源たる眼と心臓によって糧を得る。そもそも龍と人は別の生き物であった。


 だが妹龍はそれを理解しない。それが悲劇の始まりだった。




 ある日、魔物に襲われた人間を助けた。兄から止められていたにもかかわらず。助けられた人間の中に悪しき心を持つものがいた。


 彼は言葉巧みに心優しき龍に近づき、その秘密を聞き出す。


 そしてのちに、妹龍は人間の冒険者の手によって倒された。酒を飲まされ、前後不覚になったところに竜の牙を削り出して作られた槍によって全身を貫かれた。


 彼女の最後の言葉は「兄さま、ごめんなさい」であったという。


 その言葉に彼らは色めき立った。さらに龍がいる。彼らには龍の身体が素材であり、宝の山に見えていたのであろう。


 眼をくりぬき、心臓をえぐった。鱗が、牙が、骨が加工され武具になった。


 彼らは徒党を組み、彼の龍の住む山に向かったのである。




 黒の龍は嘆いていた。妹の死を知ったからだ。末期の一言は念話となり、兄のもとに届いていた。彼は数百年ぶりに龍の力を開放する。長きにわたって使われずため込まれたその力は、龍王と呼ばれるにふさわしいほどになっていた。




 黒き竜王の咆哮は天地を震わせ、その爪は山を砕き、翼は暴風を吹き起こした。吐息は多くの人間を焼き払ったが、倒すことはできなかった。そう、皮肉にも彼らを守ったのは彼の妹の身体で作られた武具であった。


 龍王の怒りと嘆きは天地に満ちた。憤怒に任せて放つブレスは、黒麟の盾に阻まれる。白銀の牙から鍛え上げた剣が、槍が、矢が、黒い鱗を貫く。だが人間たちも無傷ではいられず、また一人と倒れて行った。


 しかし、とある人間が放った矢が龍王の右目を貫いた。それにより、龍王は無念と怨嗟を身にまといながら撤退したのであった。




 これが、100年続く、黒龍王と人間との戦争の始まりであったという。




 彼は傷ついた身体を住処にて癒した。傍らには悲しみを秘めながらそれでも笑みを浮かべる妻がいた。


 そして、1年後、彼女は卵を産み落とした。黒龍王は妹の死から初めて笑みをこぼしたという。




 だが幸せなときは長くは続かない。更なる武装に身を固めた人間たちは、黒龍王の住処を強襲し、彼の妻もその戦いの中で討たれた。


 だが人間側も旗頭となっていた戦士が倒される。


 龍王の怒りと嘆きは最高潮に達した。彼の翼に追いつく術は人間にはなく、龍王は無差別に人の街を襲った。


 多くの村や町が焦土と化し、人に苦しめられていた竜たちがここぞとばかりに龍王のもとに集った。


 龍の眷属と人間の争いは長きに渡り、血みどろの様相を呈し始めたのだ。




 しかし一進一退を繰り返し、戦いは容易に決着が付かない。業を煮やした彼の龍王はついに最後の手段に手を出した。


 自らに名をつけたのである。龍の名はその者の性質を現すとされる。そして彼の龍王が名乗った名前は「ニーズヘッグ」であった。その意味は怒りにうずくまる者である。


 自ら憤怒の化身を名乗った龍王ニーズヘッグは更なる力を得た。同時に憤怒に我を忘れた。


 人間を見ればただ荒れ狂うだけの魔物と同様の状態であった。その姿を見て、心あるほかの龍は何とかせねばと考えた。


 そして、白き羽をまとう者、フレースヴェルグが一人の人間の若者に力を貸した。




 ニーズヘッグ誕生からすでに100年が過ぎたころ、一人の王が立った。彼は残った人間の勢力を一つに糾合し、高い城壁を築いてそこに立て籠もり、龍の攻撃をしのいでいた。


 そして、勇者を派遣し、ニーズヘッグを討つよう命じた。フレースヴェルグの加護を得た勇者は、彼の爪を槍に替え、風を操り空を飛んだ。


 城壁に向け、その爪を振るうニーズヘッグに戦いを挑み、見事その右目をえぐったのである。


 ニーズヘッグの右目は、100年前の戦いで矢を受けていた。そのため、力が半減しており、そこを突かれた形になったのだ。


 地に落ちたニーズヘッグは、彼の勇者によって心臓を貫かれ、その生涯を終えた。ここに、黒龍戦争が終結したのである。






 俺はただ涙を流していた。人間の欲望は誰も幸せにしなかった。


 もしナージャを失ったらと思うと身震いがする。それも、寿命や病などではなく、人の欲望で一方的に奪われたら……?


 心臓のあたりがドクンとうずいた。龍の左目が俺に同調したようだ。


(だからな、貴様は我の過ちを繰り返すでない。守るべきものを守り抜くのじゃ)


 すやすやと眠るナージャの寝顔に誓った。何があっても守り抜くと。

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