11話 龍王との契約

「アレク! アレク! 死なないで!」


 ナージャは深紅の瞳を潤ませて俺にすがり付いてくる。


「ばか……にげ……ろ」


「アレクを置いて行くなんて嫌だ!」


「俺は、お前を死なせたくないんだ、わかって……くれ」


「いや、いや! いやあああああああああああああああああああ!」


 ナージャの絶叫が森に響く。彼女の涙が零れ落ち、俺の頬で弾けた。俺をかばうかのように身を投げ出し、覆いかぶさる。


 追いついてきたゴブリンが醜悪な笑みを浮かべて、こん棒を振り上げた。




 その瞬間、世界の様相が変わった。色は全て反転し時が止まったようだ。


 ゴブリンがナージャにこん棒を振り下ろそうとしている。今にもそれは彼女の頭を砕こうとしていた。




 ふと気づくと、全身を黒い衣服に身を包み、ナージャと同じ黒髪、紅い眼の男がこちらを見ていた。


「助けてくれ! 俺はどうなってもいい! ナージャを、ナージャを助けてくれ!」


 すがるかのように絶叫する。男はふっと口元をゆがめた。


「力がほしいか?」


「欲しい!」


 その問いに即答する。


「なぜ力を欲する?」


「大事な人を守るためだ!」


「それは、そこの娘か?」


「そうだ!」


「血がつながらぬ娘をなぜそこまで大事にする?」


「わからない! けど、俺はナージャがいるとホッとする。笑顔を見ると暖かい気持ちになる。


 それに、最初は爺ちゃんに言われてだったけど、今は俺自身がナージャを守りたいんだ!」


 俺が一気に宣言すると、男は目を見開いて驚いたような表情を浮かべていた。




「……ククク、面白い。小僧、それはな、愛と言うのだ。お前はその娘を愛しておる。そういうことか?」


「よくわからんけど、そうだ! 俺はナージャを失うくらいなら、世界が滅んでもいい!」


 それこそよくわからないままに宣言した一言が男の琴線に触れたのだろう。その仏頂面にはじめて笑みを浮かべた。


「よかろう、小僧、お前の命をそこな娘に捧げる。その覚悟はあるんだな?」


「小僧じゃない。アレクだ! 後な、最初に何でもするって言ってるだろ!」


「いや、どうなってもいいとは言っておったがな……まあ、よかろう」


 そう告げると男は左目に手を当てた。


「ぬうううううううううううん!!」




 苦悶の声を漏らしつつ手を顔に押し当て、その手が顔を離れたとき、その掌には深紅の宝玉のようなものが載っていた。


 そして、男の左目のあったところは空洞がぽっかりと開いている。




「我が左目を捧げん。彼の者アレクに龍王たる我の祝福を。いざ! 騎士の誓いを立てよ!」


「え……俺は命の限りこのナージャを守り抜く! 龍王様に誓う!」




 よくわからないが目の前の男は龍王と名乗った。だからナージャの騎士であることをその龍王とやらに誓った。


「ふん、良かろう。この力を受け入れれば貴様は人ではなくなる。わかったな?」


「かまわない!」


「なれば龍王の眼を受け入れる試練、見事乗り越えて見せよ!」




 紅い宝玉はすっと浮かんで、俺の胸に吸い込まれた。その瞬間……全身をバラバラに引き裂かんばかりの激痛が襲う。


「貴様が龍の力をねじ伏せるまでその痛みは続く。時は我が力にて止めておる。永劫に続く苦しみを味わうことになろう。無理だと思ったら力を吐き出せ。貴様の叫びに免じて、娘は我が必ず救ってやろう」


「ぐああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」




「ふん、もはや思考もかなわぬか。ただの子供ゆえにな。仕方あるまい」


 何か言っているけどよくわからない。全身をすさまじい力が暴れまわっている。それだけはよくわかった。


 この力に負けても、こいつがナージャを救ってくれると約束してくれた。そこは何となく理解した。


 そしてこの存在は決して嘘はつかないだろうということも、なぜか理解できた。




 そして、一つ思い至った。ナージャは、俺がいなくなったらどうなるんだろう?


 悲しんでくれるかな? それともうるさいのがいなくなってせいせいするのだろうか?


 俺がいなければ、ほかの奴がナージャを守ってくれるのだろう。……ほかのやつ?




 ここで様々な光景が頭をよぎった。ナージャが俺以外の男に笑いかける。ナージャの結婚式、俺じゃない男が彼女の手を取っている。


 子供を抱くナージャ。父親は俺じゃない。と言うあたりで、何かが切れた。




「ふっざけんなああああああああああああああああああ!!!」


 気合で痛みをねじ伏せる。心臓のあたりに脈打つ力を感じ取る。胸をわしづかみにするように拳を握り、全身に放出される力を玉に戻すようにイメージする。




「なんたることだ。嫉妬で我が力をねじ伏せるか。傑作だな。わはははははははははははは!!」


 男は大笑いしていた。


「いいだろう。貴様に我が娘を託そうではないか! 龍の娘は嫉妬深いぞ! だがな、心を許した相手には地獄の底であろうと付き従うであろうよ!」


「ってあんた……じゃない、あなたはナージャの?」


「父親である。くっくっく。アクセルめ。我を封じた憎き相手ではあるが、我が願いをこうして叶えてくれておったか。このような愉快な思いは久々じゃ」


「えっと……お義父さん! ナージャを俺にください!」


「よかろう。と言うかだな、先ほど貴様に託すと伝えたであろうが。祖父譲りじゃな。その人の話を聞いておらんところは」


「え……?」


「よい、話はあとじゃ。ほれ、時間が動き出す。あの不埒な亜人どもを塵に帰せ!」


「おう!」




 ふっと意識が戻った。ナージャの身体をかき抱くと、左手を伸ばしこん棒を受け止める。


 どくどくと脈打つように力が溢れてくる。その力がほとばしるままに棒を握りつぶした。


 それと同時に、額に目が開いたような感覚がある。頭上から見下ろすかのようにゴブリンどもの配置がわかる。


 エナジーボルトを放って、その魔力を分け、それぞれのゴブリンに向けて飛ばした。


 急所を貫かれ、悲鳴すら上げる暇もなく息絶える。


 俺は力に酔っていたのだろう。ひたすら笑い続けていた。




「お父様?」


 ナージャが俺の体内に脈打つ魔力に気付いたようだ。再びナージャの顔が曇る。


「お父様、助けていただいたことには感謝いたします。けど、アレクを、アレクを人に戻して!」




 黒い靄のようなものが現れ、ナージャの目の前で止まった。


「ナージャ、我が娘よ。これはこやつが望んだ結果じゃ」


「それでもです。わたしはアレクが龍の騎士になることを望みません。龍の敵を滅ぼすだけの殺戮の為だけの存在にしたくありません……」


「そうか、なれば一度は猶予を与えよう。しかしな、我が左目はすでにこやつと共にある。故に、いつの日か力が目覚めることもあろうよ」


「その時、アレクが力を使いこなせれば……?」


「その時はこいつは史上初であるな。人の身として龍の力を御しうるというのは」


「わかりました。わたしはアレクの心を強くします。そしていつか、アレクと子を成します」


「血を繋ぐか。いいだろう。そなたはすでにこやつと名を取り交わしておる」


「ええ、ただの龍の子から「ナージャ」になったのはアレクのおかげです」


「アクセルがこやつに我の封印の一端を預けたのは故あってか。まあ、よい。我はこやつの中で眠りにつこう」


「ええ、お父様、どうか安らかに」


「ふん、心臓はアクセルに奪われておる故な。婿殿の左目を通じて人の世に触れるも悪くあるまいよ」




 俺の中で脈打つ力が止まる。そしてそのまま俺は意識を失ったのだった。


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