最後の5分な訳がない

たまごかけまんま

→スタート

「あと5分——」


 その言葉が嫌いだった。

 中学生の時、陸上部だった私は短距離選手なのにもかかわらず、走り込みをよくさせられた。しかも30分間。最後の5分になると顧問が「あと五分」とそう告げる。走り続けている間はその5分が待ち遠しいのだが、いざ残り5分になるとこれがまた長い。5分ではなく7分、いや8分は間違いなくあった。もう顧問の言うことが信用できないからと、私は一度走ることから逃げた。


「あと10分——」


 高校生の時。この言葉が嫌いで勉学から逃げた。テストの最後10分を私はどうしても耐えられなくて、私は走ることにした。

 高校からは短距離の練習に専念でき、嫌な練習は全て回避できた。実にいい。

 特にゴムチューブを繋いだ相手に引っ張ってもらって、トップスピード以上の速さではしる練習。あれは良かった。さほど頑張ることなく風を切る感覚を楽しめる。

 大会直前までその練習をたくさんやって、大会直前に肉離れを起こし、選手として終わった。


「あと30分——」


 こんな屑みたいな私でもなんとか大学生になった。ついでに彼氏もできた。中学高校と実は彼氏がいなかった私にとって初めての彼氏だった。

 ——正直に言おう。アイツは私以上にクズだった。まず時間を全く守れない。その上見栄をはる。デートに遅れる時、LINEには「ごめん、遅れる。あと30待って」と書いて、実際は1時間の遅刻。それが茶飯事。叱った回数は多すぎてもはや覚えていない。

 私以上の屑がこの世にいる。そのことがただただ驚きだった。

 ただ……アイツとの関係が終わらなかったことは一層驚きだった。


「あともう少し——」


 つい先ほど、世界で一番嫌いな言葉になった。

 あと少しだってわかっているなら時間で言え。2、3分の誤魔化しぐらい気にしないから。無駄な励ましよりもっと身のあるものが欲しい。そうすればこの長い苦しみから逃れられる気がする。逃げて、逃げて、逃げて、逃げ続けて……。


 そして逃げた先に何があるか。


 嫌いな事から逃げて殻に籠もっていれば幸せか。

 一本のチューブで繋がりを保ち、楽しているのは楽しいか。


 ……違う。そんなの間違ってるって、まだスタートラインに立っていないあの子ですら分かってる。だから今あの子は必死にもがいてる。

 逃げ続けた先には何もない。それがわかっていたから中学の顧問は私に苦手を押しつけた。高校の時の肉離れも準備運動をサボっていた私のせい。

 唯一逃げずに向き合って、嫌な事を嫌だと声に出し、たくさん喧嘩して、泣いたからアイツと一緒になれた。

 ちゃんと向き合えばいつか道は開くって知ったから、私はこの苦しみとちゃんと向き合う。受け入れる。抱きしめる。


 今旅立とうとする君のため。

 そして屑な私でも母親としてスタートラインに立つため。

 一緒にスタートしよう。


「もうすぐだね」


 ハッピーバースデー。今日が君の0歳の誕生日。

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