『白』
露草 はつよ
第1話『白』
涙が止まらない。
あれから一ヶ月。時間として七百二十時間。
数を見るだけなら、失恋の気持ちが癒えるのに十分に見えるかもしれない。でも私はそうはできなかった。
「バカヤロー」
酔っ払いながら恨み言やら後悔を口に出す私に話しかけるのは
「おい、またお前か。あと五、いや四分で閉店だ。さっさと会計しろ」
この男だけだ。
「なによー。客は神様だぞお」
カウンターに突っ伏しながら、モゴモゴ言うとため息をつかれた。
「お前はせいぜい、貧乏神にしかならん。……またこんなに飲みやがって」
「うるさーい! もっと注げー!」
「もう閉店だっつてんだろ。……しょうがねーな、これが最後だぞ」
渋々ながらも最後の一杯を注いでくれる男は意外と優しい。
「あと、お前顔」
雑によこすのはお絞り。
それを受け取り握りしめる。
「あ゛―……私の何がダメだったのかなぁ……。他の女のところに行きやがって、あの男―っ!」
「あー、うるせーうるせー。一ヶ月前から同じ事言いやがって」
閉店準備のグラス磨きをしながら、男は適当そうに返事を返す。
男の言葉にまたもや涙が溢れる。
「そう言う事ないじゃん! クソやろー! 四年間通ってる常連になんてこと言うんだー!」
「面倒くせーなー」
そう言って男は急に手を止めると、おい、と私を呼ぶ声がして思わず顔を上げて男を見る。
「お客様、大丈夫ですか?」
見たこともない心配そうな顔を見せて男はカウンターから出てくると私の横の席に座る。
雰囲気が違いすぎて、口を開けたまま行動を目でたどることしかできない。
「ほらこんなに目を真っ赤にして……」
男は私が握っていたお絞りを取ると、優しく目元を叩く。
「え……なに、どうしたの、急に」
「何もありませんよ? 何かおかしいですか?」
「全てがおかしいけど」
「はは、面白いことを言うお客様だ」
わざとらしく笑う男が手に力を入れて擦り始める。
「あ、いたっ! ちょ、本当にどうしたのよ」
ちょっと心配になって男の手を自分の手で止める。
「どうしたって……あー、やめだやめだ。性に合わねーことした」
グイッと引き寄せられたかと思うと、私はいつの間にか男の広い胸の中に収まっていた。
「え? は? ちょ」
「ちょっと大人しくしろ」
そう言って男は腕に力を入れて私を抱きしめた。
ちょっと息苦しい。
「俺はお前が四年間、男と付き合ったり別れたりすんの見てたけどな……ずっとイライラの繰り返しだった」
「……え? ちょっと、ま」
男の胸を押しのけると案外簡単に男から離れることができた。真正面から男の顔を見る。
「俺、お前のこと好きだわ」
「……はぁ!?」
え? どういうこと!? 今までそんなそぶり、え!?
混乱のまま口を開こうとすると、男が私の腰を左手で掴み右手で頬を押しつぶした。唇が前に押し出されてタコのようになる。
「うるせー、黙ってろ」
男は顔を傾けると、存外優しく唇を合わせた。
その時、混乱やら元彼のことやらはなぜか頭から吹っ飛んで全てが真っ白になった。
『白』 露草 はつよ @Tresh
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