『憎』

露草 はつよ

第1話『憎』

 その人物は左手の中の写真を握り潰すと、ナイフを持つ右手に震えるほどの力を込め歯を噛み締めた。そして、全てを込めて震える声で吐き出す。


「お前が憎い」


 ナイフの切っ先をゆっくりと上げると、そこにいる人物に向けた。

 自身の体から立ち昇る怒気は、それを発している本人が自覚するほど熱く空気を焦がす。

 それほどの怒気と憎悪を向けられている方はといえば、椅子に荒縄で何重にも縛られているのにも関わらず、だらしなく口を緩ませ心の底から嬉しそうに微笑みを浮かべていた。


「は、はははっ! 嬉しいっ、僕は嬉しいよっ!」


 心の底からの歓喜を言葉に出すその姿は、まさに狂人というに相応しい。


「もっと! もっとだっ! 僕を憎んで、僕を見て!」


 そう叫ぶように言葉を吐き出した狂人は、ふ、と真顔になりナイフを向ける相手に虚空の瞳を向けた。


「僕を、忘れないで」


 その瞳を向けられた相手はそんな狂人に感情を動かすことなく、ただただ怒気と憎悪をマグマのように煮詰めた瞳で見返すだけだ。

 その瞳を見返す狂人はまたすぐに笑い声をあげる。


「はははははっ、あはははははっははははははっ! 本当にアイツらを殺して正解だったよ、そう思わないかい?」


 同意を問いかける狂人に、ごうっとその人物のマグマが噴き出す。


「貴様あっ!!」


 そう叫ぶとナイフを構え大股で狂人に近付くとナイフを振り上げた。

 振り上げられた方はそれでも笑いを絶やさない。


「あああああああっ!!!


 振り下ろしたナイフはそのまま狂人の頭の真横に刺さる。


「くそっ! くそおおおおおっ!! ああああああああああああああっ」


 叫ぶ人物は狂人の顔のすぐ前に自身の顔を寄せ目を固く閉じたまま、に苦しみの叫び声を上げ続ける。

 若い頃より格段に増えた白髪、顔の皺が狂人の目の前に無防備に晒される。その顔に狂人も自らの顔を寄せると、頰を寄せ愛しげにすり寄せた。

 そして嬉しげに、小さく呟く。


「馬鹿で本当に愛おしいよ、兄さん」


 最後に響くのは、男二人の叫びと笑い声だけだった。

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『憎』 露草 はつよ @Tresh

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