第5話
「ホントに来た」と言われ、ヒカルは怪訝そうにメイド服の女性を見た。すると良が、何の躊躇いもなくきいた。
「あの~、ここって喫茶店ですよね?」
「じゃあやっぱり、ポスター見て来たのね!」
その女性は、嬉しそうに言った。しかし広告を見る限り、やはり「メイドカフェ」などどこにも書かれていない。ヒカルは、女性に言った。
「でも、メイド喫茶なんてどこにも書いてなかったんですけど……」
「だって、そう書いたら誰も来ないもん。で、面接受けんの? でもごめんなさい、今日はてっきり誰も来ないと思ってて、何も用意してなかったの」
「あ、はい」
「じゃあ。君たちの名前を教えてくれる? 身分証明できるものとか持ってないの?」
そう言うので、ヒカルはポケットから財布を取り出すと、中から自分の学生証を出した。ヒカルはどこに行くにしても部屋を空ける時、財布とティッシュは必ずポケットに入れる癖がある。それが幸いし、忘れることはなかった。それを女性に渡すと、女性はヒカルの名前を読み上げた。
「まみや、きぼう?」
「
ヒカルは名前を読み間違えられて少し気を悪くし、女性から学生証を取り上げ言った。普通に読んだら読めない名前のため、小学校にいた頃は先生などから読み間違えられることは、しばしばあった。それでも学校で生活していくうちに慣れてきて、間違えられてもあまり気にならなくなったが、今でも少し凹むことがある。
(振り仮名振ってあるだろーが)
口には出さないものの、この時もそう思った。そうしている間に、良も同じように自分の学生証を見せ、返してもらっていた。二人の身分を一通り把握した女性は、
「私、吉田真理子といいます。それじゃ、始めましょうか」
と言って、椅子から立ち上がった。ヒカルは少し後悔した気分になり、やっぱり無理だという気持ちになった。今までバイトもしてこなかったので、経験でいうと皆無なのだ。たとえ面接で受かったとしても、業務中は他人の足を引っ張ることは目に見えている。
「あの。でも俺、やっぱりここで働くのはちょっと……」
「いいじゃん、楽しそうだしさ」
良の方はやけに楽しそうに言いながら、ヒカルの腕を引っ張った。ヒカルは、良のそのノー天気な行動に呆れつつも、何気に店の中を見渡した。テーブルや椅子はボロボロで、床には所々に穴が開き、今にも潰れそうな匂いがする。ここは一体、何年前からあるのだろうとヒカルは考えていた。真理子がそれを察したのか、説明を始める。
「ちょっと前までは、結構客来てたんだけど。最近はメイドカフェなんてどこにでもあるでしょ? それにここ、ちょっとわかりにくい立地だから」
真理子は、奥の部屋の戸を開ける。そこで、二人は面接を受けた。面接といっても、簡単な質問に答えるだけだった。
「なんで、
「リア充になりたかったからです」
良が答えるのを聞いて、真理子は少し困惑した表情を見せた。受けに来た動機を尋ねられて、いきなり「リア充になりたい」なんて言われても困ってしまうのは当然である。良の隣にいたヒカルは、我事のように恥ずかしい思いをした。こんな奴が友達なんて思われたら……と思うだけで、神経が狂いそうだった。
「え~と……、じゃあ君は?」
真理子は、今度はヒカルに質問した。
「あ、その、自分を変えようかなと思って。新しいこと始めたら、見える世界も変わるんじゃないかって思ったんです」
「ふーん。まあ、人少ないから採用するんだけどね。明日から、来てくれる?」
「あ、はい(……じゃあ面接すんなよ)」
それでも、ヒカルは内心ホッとした。自分でも恥ずかしいことを言ってしまったので、これでもし不採用だったら後悔してもしきれなかっただろう。その時、真理子が有らぬ事を口にした。
「あ、そうそう。うちは給料不定制だからね」
「は?」
「つまり、職務を多く
(え、何? ここ、キャバクラなの? バカなの?)
ヒカルは思ったが、敢えてここは口に出さなかった。もしここで異論を述べたところで、上司との関係性が悪くなってしまったら、冷たい視線の中業務を行うことになってしまうかもしれない。そうなれば、せっかくの自分を変えるチャンスをまた失ってしまうからだ。
帰り道、ヒカルはどっと疲れたのか溜息が漏れる。
「どうしたんだ?」
「べつに……」
良が尋ねてくるので、ヒカルは向こうを向いて答えた。それにしても、メイドを喫茶でバイトをすることと、女心を学習するというのでは、果たして共通点はあるのだろうか。ヒカルは、根本的に何かが間違っているような気がした。
(何やってんだ、俺……)
マンションに帰ってくると、その前に誰かが立っている。ヒカルは不審に思い、そっと近づいた。それはあの黒ずくめの男、黒岩であった。まさか、今までヒカルの行動を透視していたのだろうか。
「新しいことを始めるのですね、大したものです」
「なんでいるんだよ、つーかなんで知ってんだよ」
「いえいえ。そのような気がしただけなので。頑張ってください、応援してますよ」
黒岩はそれだけ言うと、去っていこうとした。それだけではないと感じたヒカルは、それを呼び止めた。
「……待てよ」
「何ですか? まだ何かありますか? 詳しい話は以前、お話いたしましたよ。ですので今のところ、あなたに話すことはないと思うのですが」
「……じゃあ一つだけ言っておくか」
「何でしょう?」
「お前は、俺にこの世界に来て女の気持ちを理解しろって言ったよな?」
「はい、申しました。それが何か?」
「でも、俺はお前らに協力するつもりはない」
「それは、どういう意味でしょう」
案の定、黒岩がきいてきた。ヒカルは、ずっと疑問に思っていたことを言ってやろうと思った。黒岩を、蔑んだような眼差しで強く見つめた。
「確かに、お前らにとって俺は実験台かもしれない。だけど、勘違いするなよ。俺がこの世界に来たのは、お前らのためじゃない。女になったってだけで、男だった時とは見える景色が全く違う。人から受ける扱い、立場、それら全部を脳に叩き入れて、元の世界に戻って、やり直すんだ!」
「それはそれは、楽しみですね」
それを聞いて、黒岩は笑いながら言った。そして、ヒカルの前から去っていった。ヒカルは部屋に戻ると、ソファーに横になった。これは夢ではない、それだけは確かなのだ。自分のためだと言いきったヒカルに対し、黒岩が何か思ったかもしれない。相手に、ただ被験者としていいように利用されるだけなら、規則を破ってでも強制送還されることも考えた。でも、それをしてしまうと無事に生還できるという保証はない。黒岩によれば記憶を消されるだけらしいが、ヒカルはそれを信じようとはしなかった。
翌日、授業が終わるとヒカルはまたいつものようにサークルの部室へ行った。その途中、ヒカルは歩いていると、急に正面から二名の男子学生が現れた。
「ねぇ、君々。演劇とか興味ない?」
「すみません、興味ないです」
ヒカルはまたかと思ってスルーしようとすると、一人に腕を掴まれた。
「君可愛いんだしさぁ、入ってみない? きっと、みんなも歓迎すると思うよ」
「でも、これから行くところがあるので……」
しかし演劇部員たちは、執拗に諦めようとはしない。それどころか、ヒカルにぐいぐい迫ってくる。目の前には男が二人、初めてのシチュエーションに戸惑った。逃げ道もなく、後退りするしかない。
「いいでしょ? 俺たちは、どうしても君みたいな子に入ってもらいたいんだ」
「そうそう。べつに悪いようにしないから」
ヒカルは掴まれている手を振り解こうとしたが、女の体では如何せんまだ体力をコントロールできなかった。強制的に連れて行かれそうになった時、警報ブザーが鳴り響いた。
「おい、ヤバいぞ。逃げろ」
一人がヒカルの手を離し、二人は急いで走り去っていった。どこかで火事でも起きたのだろうか。ヒカルも逃げようとした時、後ろから声が聞こえた。
「やっぱり、彼らは自分のことだけしか考えてなかったみたいだね」
ヒカルはふり返ってみると、そこには違う男子学生が立っていた。背は高く、笑顔でこちらを見ている。
「つくづく嫌になるよ。人って結構自分勝手な生き物だからさ。まあ、僕も人間だけど」
「あの……」
「あ、大丈夫だった? 何かされたんでしょ?」
「いや、大丈夫です」
「それならよかった」
ヒカルが答えると、その男は笑った。この男は、火事でもないのにわざと警報ボタンを押して、ヒカルを助けてくれたのだ。すると、その男は思わぬことを口にした。
「君ってさ、リア充駆逐隊の人でしょ?」
「なんで知ってるんですか?」
「あぁ、ごめんごめん。同じ学科の中原からよく話聞くから。すごいよね~」
そのことを聞いたヒカルは、少し疑問に思った。
「あの、何とも思わないんですか?」
「何が?」
「えっ、酷い奴らだなとか。だって、人の幸せを奪ってるんですから」
「じゃあ君は、どうしてあのサークルに入ったの?」
不意にその男から質問され、どう答えればよいのかと迷った。
「誘われたんです。でもその時はまだ、主な活動内容とか知らなくて。知った時は、正直引いてしまって。何度も辞めようと思ったんですが、それすらも出来なくて……」
「そうなんだ……。でも、俺も実はその話聞いて、少し興味を持ったんだ」
その男の意外な反応だった。バカかと、ヒカルはその男を見上げた。しかし、その男は真面目な顔をしている。そして、こう続けるのだ。
「でも、好きなことを出来るっていいことだと思う。それが人から見てどうとか、あまり気にしないでいいんじゃないかな」
「……気にしますよ」
ヒカルが答えると、二人の間に沈黙が流れた。そして、またヒカルの口が開く。
「あまり気にしないでいようって思ったけど、どうしても気にしちゃうんです。他人からどんな風に見られてるかとか、どう思われてるとか、ずっと気にしながら生きてきたんで。バカだよな……俺」
ヒカルは俯いたまま、思わずそう言ってしまった。それと同時に、何故、初めて会った人にそのような話をしてしまったのだろうと自分を責めた。一向に顔を上げようとしないヒカルの目には、一粒の涙があった。
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