第4話

「おはよう」


 ヒカルは良に声をかけた。


「あぁ、おはよう!」


 良も、明るくそう返してきた。すると良がヒカルに、


「なぁ、昨日あの人と何か話したのか?」


 ときいてくるので、ヒカルは少し躊躇った。黒岩から聞いたことを、昨日はあんなに教えるつもりでいたはずだが、今日になって本当に言っていいものなのか、わからなくなっていた。黒岩の話が、ヒカルの頭の中でまた繰り返される。


『三つのうち、一つでも規則を破れば、元の世界へ強制送還されます。もちろん、その時に記憶はすべて消去いたします』


 そしてヒカルには、実はもう一つわからないことがあった。何故、良もヒカルと同様に被験者に選ばれたのだろう。ヒカルの方は、彼女がほしいと願うあまり、黒岩が所属する組織の手の平に乗せられてしまったようなものだ。それならば何故、良も同じようなことになっているのか皆無だった。良も恋愛経験はゼロだが、彼自身、すでに彼女を作ることは諦めている。今は怪しげなサークル、通称「リア充駆逐隊」の主軸となって動いている。サークル自体も、彼の発案のもと承諾されたらしい。何故、良が女になる必要があるのかヒカルには理解不能だった。確かに、黒岩は良についても色々と調べているような発言をしていた。


(一体、何が目的なんだ……?)


 ヒカルは休み時間、良を誰もいない屋上へ誘った。そこであれば、誰に聞かれることもない。ヒカルは思いきって、黒岩から聞かされたことすべてを良に話すことにした。



 一、この世界にいる間、他人に自分が別の世界から来て、しかも男だということを口外してはいけないこと。

 一、自殺を図ってはならないこと。

 一、結婚してはいけないこと。



 そして、これら三箇条を一つでも破ってしまったら、記憶を消され、元の世界に強制送還されてしまうこと。そうなった場合は、この話は最初からなかったことになり、結果的に無駄な時間を過ごすことになってしまうということ。

 ヒカルはそれらを伝えた後、良の顔色を窺った。しかし、良は至って平然としている。


「そうなんだ……。で、あの人が言ってたことって、それだけか?」


 良の発言に、ヒカルは違和感を覚えた。


「なぁ、なんでお前、そんなに冷静なわけ? 俺、絶対に何かあると思うんだよな。アイツの言い方も結構怪しかったしさ。俺らを、何かに利用しようとしてるんじゃないかな」


 ヒカルが心配そうに言うと、良は笑った。


「ヒカルはちょっと考えすぎなんじゃないか? 別にいいじゃん。命まで取られるわけじゃないんだし~」

「そうだけど、やっぱ何か引っかかるっていうか……」

「じゃあ今度、二人で直接きいてみねえ?」

「でも、もしも何か隠してるんだとしたら、そう簡単に教えてくれるとは思えねえけど」

「じゃあどうしようもねーじゃん」


 良が、不安そうな顔をしているヒカルの肩に手を乗せ、そしてこう話す。


「大丈夫。生活にそんな大きな支障はないわけだから、今まで通りやっていけばいいって」


 そう言い終えると、良は建物の中に入っていくのだった。


(いや、いっぱいあるわ!)


 そう思いながら、ヒカルも次の授業に向かった。



 その日の授業が終わり、ヒカルは部室で時間を潰すことにした。自分の部屋にいても、落ち着かない。あまり大きくは変わっていないが、どうしても女子の部屋に一人でいると気が狂いそうになるのだ。部室には他に良と隼しかおらず、中原と山田は卒業論文の資料集めに行っているため、今日は来ていなかった。

 三人はいつものように、くだらない話をしていた。アニメやゲーム、今ネットで話題となっている政治ネタなど、それぞれの意見を持ち合って話していた。そうしているうちに、日が暮れてきた。このように、このサークルの主な活動は、「ただ話すだけ」なのである。だが、そのようなくだらない集団でも、ヒカルにとっては楽しい時間だった。高校の時は、恋愛はおろか、友情すらもろくに作れなかったのだから。



 日が完全に暮れ、キャンパス内でも人が少なくなってきた頃。三人は別れ、それぞれの帰路に着いた。ヒカルと良は、使っている駅が同じなため、いつも一緒に帰るのだった。


「あ~ぁ、帰ったら何しようかなぁ」


 良が呟くのを、横でヒカルも聞いていた。すると良が突然、


「そういやヒカルはさぁ、バイトとかやらないの?」


 と、きいてくるのだった。


「俺? 俺は、やったことないからな~。第一、人と話すのとか苦手だし」

「べつに接客業じゃなくてもいいじゃん! 一緒に何かやらね?」

「いや、でも他にやること色々あるし。俺、あんま両立とか上手じゃなくてさ、沢山のこと一遍にできないんだよ」

「ふーん……、あぁっ!」


 良は、何かを見つけたように指さした。指された方を見てみると、学内の掲示板に広告が貼ってある。そこには、こう書かれていた。


『喫茶店 店員募集中!』


 良はその広告に駆け寄ると、目を輝かせながら言った。


「一回こういうのやってみたかったんだよなぁ、ヒカル、お前も一緒にやってみない?」

「いやお前、俺の話聞いてたか? それ、接客業だろ?」


 良が誘ってくるので、ヒカルは拒むようにして言った。


「でも、自分を変えるいい機会だと思うけどなぁ」

「そうかな……」


 ヒカルは、首を傾げる。良は前々から、気まぐれでものを言う癖があった。ある時ふと思いつきで実行した後、すぐに冷めるという厄介な癖だ。良は、先程よりも積極的にヒカルを勧誘してくる。


「なぁ、ヒカル。今度、ここ行ってみね? 新しいこと始めようぜ!」

「だから無理だって! 俺が人とコミュニケーションとるの下手だって知ってんだろ?」


 ヒカルが即拒絶する。


「でもさ、もしかしたら好きになるかもしれないぜ? なぁ、いいだろ? ちょっとだけだから! 本当にやるかどうかは、行ってから決めるってことでさ」


 良が言うので、ヒカルは行くだけならいいかと思って頷いた。良の言うように、これが自分を変えるチャンスになるかもしれない。ひょっとしたら、この世界に来た意味を見つけられるかもしれない。



 そして二人は次の週末、広告に書いてあったアクセス方法をもとに、その店を探した。すると良が立ち止まり、


「ここじゃね?」


 と言いながら、店の看板を指さした。ヒカルは上を見上げ、看板を読んでみると、そこには「メイドカフェfirststar」と書かれてあった。それを見て、


「いや、違くね? メイドカフェって出てんぞ?」


 と、ヒカルは広告と見比べながら言った。確かに、広告には「喫茶店」としか書かれていない。メイドカフェと喫茶店は、まるで別ものだろうとヒカルは思ったが、良は言うのだった。


「でも、この近辺にそれらしい店なんてないぞ? 絶対ここだって!」


 ヒカルの話を聞かず、良はその店の扉を開けた。しかし、中は誰もおらず、寂れたテーブルや椅子が並んでいるだけだった。ヒカルは、良に声をかける。


「なぁ、もう帰らね?」

「ごめんくださーい」


 しかし良は、中に向かって声をかけている。しかし、返事はない。ヒカルは、少々気味が悪くなった。それでも良は恐れることなく、中に進んだ。ヒカルも仕方なく、その後に続く。中は静かで、聞こえてくるのは怪しく鳴り響く時計の秒針音、そして外から漏れる僅かな音だけであった。


「休みなのかな?」


 流石の良もようやく諦めたらしい。店自体も、非常にわかりにくい路地の中央にあった。昼間でも、人通りの少なそうな道だったことを思い出し、


「別の店、探そうか」


 と、ヒカルは良に言った。それを聞いて、良も納得したのか頷いた。

 そして二人が店を出ようとした時、どこからか足音が聞こえてきた。二人はそれを聞き、恐る恐るふり返ってみた。すると、その足音は奥の扉の方から確実に近くなっているのがわかった。ヒカルは、本気で怖くなった。もしかしたら、ここは魔物が住んでいるのではないか。足音が止むと、ゆっくりと扉が開く。そして、メイド服を着たショートカットの女性が顔を出した。


「あら、いらっしゃい」

「あ、あの……、ここで店員募集してるって聞いて来たんですけど……」


 すると、良が答えるのを聞くなり、その女性は声を上げる。


「えぇっ? うっそ、ほんとに来た!」


 女性は、とても意外そうな顔をしている。この出会いが、ヒカルにとっての大きな転機となるのである。

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