ワーウルフ式冬支度

 冷たい風が吹き抜ける。湿った匂いにくんくんと鼻を鳴らす。ああ、もうそんな季節かと買い物袋をかかえながらラルスは空を見上げた。


「もう秋だな……」

「通りで肌寒くなってきたわけだ」


 独り言に返事が返ってきた。同じく買い物袋を持って隣を歩いていたカリムが目を細める。ラルスと同じく空を見上げるけれど、なにを見ているのかは分からない。ワーウルフは匂いで季節の変化を感じとるが、人間はどうやって変化を知るのだろう。そういう話をしたことがなかったなとラルスは思う。出会ってからの時間はそれなりに長いが、まだまだ知らないことがたくさんあった。


「ワーウルフの冬支度はなにがいるんだ? 今年からは自分たちで用意しないといけない」

「あーそうだな……」


 まだテリトリーにいた頃、姉たちと一緒に冬支度を手伝った記憶を掘り返す。保存がきく干し肉や穀物。暖をとるための薪や防寒具の用意。

 クレアに聞いた人間の冬支度とワーウルフのものはそれほど変わらない。


「冬場でも市場はやってるから食料の備蓄もそんなにいらないだろ。念のため用意しといてもいいと思うけど」

「魔力補給食はいらないのか?」


 じっとこちらを見上げるカリムを見て、そんなものもあったなとラルスは思った。


 ルディヴィア様が世界に残したとされる魔力は水、風、地面にとけていると言われている。特に地面に溶け込んでいる量が多いとされ、直接水、地面から魔力を得る植物は豊富な魔力を含んでいる。それらを小動物が食し、その小動物を中型動物が食し、最後に中型動物たちを各種族が捕食する。そうして異種族は魔力を得ているわけだが、冬になるとそうもいかなくなる。

 植物は枯れ、動物は冬眠にはいり数を減らす。地面は雪に覆われるために外に出る魔力量が減る。水や風からも魔力は吸収できるものの、春や夏に比べるとその差は大きい。


 不足した魔力を補うため異種族は魔力補給食を用意する。魔力を豊富に含んだ魔花を砂糖漬けにしたり酒にしたり。魔力を備蓄する習性がある魔物などといった生き物を捕獲したり。テリトリーが定まる前は冬でも魔力が豊富にある地の奪い合いが起こったという話も聞く。


 しかし、そういった事情は人間には関係がない。魔力を感知できない、備蓄も出来ない人間は飢えと寒さにだけ気にかけていれば冬を越すことが出来る。だからカリムが魔力補給食などと言い出したのはラルスを心配してのことだ。

 むずがゆい気持ちになってラルスは頬をかいた。


「ワーウルフはそんなに魔力を必要とする種じゃないから、いつも通り肉とか食っとけば大丈夫」

「そうか。だが万が一もあるし、リノに在庫があるか聞いてみよう」


 カリムはそういうと買い物袋を抱え直す。ラルスのことを心配して自分には必要がないものを用意してくれようとする姿にラルスは叫び出したい気持ちになった。


 そんなラルスの気持ちを知らず、カリムは少し固い表情で前を見続けている。今後の予定を頭の中で組み立てているのだろう。カリムと仲が悪かった頃はよく見ていた顔だ。学院を卒業してからというもの緩みきった顔をみる機会の方が多かったので新鮮だった。

 じっと見つめればカリムの容姿は整っているのが分かる。女性にも間違われる幼い顔立ちは真剣な顔をすると引き締まり、愛らしさよりも凜々しさを感じさせる。遠目で眺めている時は気に食わなかった表情なのに、間近で見られるようになった今は好きなのだから不思議なものだ。


 カリムの姿をぼんやり見ていたラルスはふと思う。細いなと。

 もともカリムは小柄だ。見た目に反して鍛えているのは知っている。そこら辺の人間と比べて武芸に秀でているのも知っている。それでもやはり小さいし、薄い。

 片手でカリムの腰のあたりを触る。考え事をしていたカリムはびくりと体を震わせた。


「な、なんだ!」

「……カリム、細すぎねえ?」


 ラルスの言葉にカリムは目を見開いた。驚いた顔は珍しいものだったがラルスはそれよりもカリムの体が薄っぺらいのが気になった。


「お前、大丈夫? 冬越せる?」

「……今まで普通に越してきただろ」


 ラルスがなにを心配しているのか理解したらしいカリムが顔をしかめた。とても不服そうだ。それが分かってもラルスは心配が止まらない。


「だって、学院じゃないし、お前の家でもない。粗末な作りってほどじゃないけど、お前が育ってきた環境に比べると微妙だろ、今の家」


 卒業後にカリムと暮らし始めた家兼事務所は中級層が暮らす地域に建っている。粗末な造りではないがお坊ちゃまのカリムからすれば狭いし、壁も薄い。初めて家に入った時、セツナとカリムがおもちゃを見るような目で家の中を眺め回していたことをラルスは覚えていた。暮らし始めた当初は隣の家の生活音が聞こえるたびに驚いた顔をしていたカリムのこともしっかり覚えている。


 カリムは正真正銘のお坊ちゃまだ。カリムの家は大きく、床は絨毯が引かれてふかふかだったし、風が入り込む余地がないくらいしっかりした造りをしていた。暖炉などの防寒施設も充実していたし、冬はさぞ快適に暮らしていたに違いない。

 それはアメルディ学院も同じだ。様々な種族をテリトリーを越えて集めた学院は国の威厳を見せつける意味もあり、多くの金と手間暇をかけて造られたといわれている。

 ようするに庶民が暮らす家とはまるでレベルが違うのである。


「冬ってな、寒いんだぞ。ドアと窓しめたって風が吹き込んでくるし、カリムの家とか学院みたいにすごい暖かいってわけじゃない」

「……知ってるが?」


 なにを言っているんだ。と怪訝な顔をされたがラルスは納得いかなかった。知っていると言ったって、知識で聞いているのと体感するのとではまるで違う。カリムの小さくて薄い体が体験したことがない冬の寒さにさらされる。その姿を想像してラルスは身震いした。


「……毛皮……そうだ、毛皮を用意しよう」

「は?」

「熊か? 毛皮にもなるし食料にもなる。そうだ、熊。立派な熊……」

「おい、ラルス?」


 ブツブツいいはじめたラルスにカリムは不安そうな顔をした。首をかしげて上目遣いで心配そうにラルスを見つめるカリム。その姿は同い年の男とは思えないほど愛らしく、弱々しく見えた。


「お前のために暖かい毛皮用意してやるからな!!」


 荷物をもっていたので片手でカリムの肩をつかむ。つかんだ肩はやはり薄くてラルスはますます守らねば! という意識を強くした。


「いや、まて! ラルス落ち着け!」


 善は急げだと走りだしたラルスの背後にカリムの焦った声が届く。それでもラルスは立ち止まらずに走り続けた。とりあえず買い物袋を家において、それから毛皮の調達だ。テリトリーにおいてきた狩猟本能が湧き上がり、早く早くという衝動にラルスは一層足を速めた。


「ラルスー!! お願いだから、落ち着け! 話を聞け!!」

 後ろからカリムの絶叫が聞こえた。ラルスは足を止めると振り返り、大きく手を振る。


「カリムのことは俺が守るからな!」


 それだけいって再び走り出したラルスの後ろに、いいから止まれ! というカリムの声が聞こえたが、もはやラルスの意識には残らなかった。





 その場に残されたカリムは買い物袋を抱えながら走りさったラルスを見送った。一体なにが起こったのかが分からない。とりあえず後を追うべきなのかと考えたが本気を出したワーウルフにかなうはずもない。本気でラルスは毛皮を用意するつもりなのか。熊は一体どこにいったら狩れるのか……。


 立ち尽くすラルスの耳にクスクスという笑い声が届いた。見れば見知らぬ男がカリムの方を見て笑っている。おそらくはラルスとカリムのやりとりの一部始終を見ていたのだろう。見られていたことへの羞恥と笑われたことへの不快さでカリムは男をにらみつけた。


「あーごめんな、あんたを笑ったわけじゃなくてさ、あまりにも走って行ったワーウルフが若いから」


 そういうと男は笑いながら耳と尻尾を出した。ラルスで見慣れた狼の耳。ラルスの耳に比べると薄いがワーウルフのものに違いない。

 驚くカリムを見て男は笑いすぎて浮かんだ目尻の涙をぬぐった。


「ワーウルフっていうのはさ、冬前になると番に贈り物したくて仕方なくなるんだよな。寒いから不安になるのかな? 俺ら自身よくわかんないんだけど、大事であればあるほどなにかせずにはいられなくなるんだよ」

 男はそういうとにやりと笑った。


「ようするに兄ちゃんはものすごぉーく愛されてるってことだな」


 ポンッと肩をたたいて男は去って行く。気づけば耳と尻尾は綺麗にしまわれていた。ラルスよりもよほど制御が上手い。きっと長年王都にいたワーウルフなのだろう。


 じわじわと男が言ったことが頭に浸透してくる。

 番に贈り物をしたくて仕方がなくなる。愛されている。

 実感がわけばわくほど熱が上がる。気づけば指先まで熱くなり、顔は沸騰しそうなほどだ。買い物袋で顔を隠しながらカリムはうめいた。この羞恥をラルスにぶつけたいのに、ラルスは近くにいない。なんで自分を置いていったんだとブツブツ文句をいいながらカリムは熱がひくのをまった。


 帰ったらラルスを抱きしめて、男に言われたことをそのまま伝えてやろう。そうしたらラルスは恥ずかしがるに違いない。自分と同じくらい羞恥に襲われればいい。

 真っ赤になったラルスを想像してカリムは少しだけ気持ちが落ち着いた。早く家に帰ろう。帰ってラルスに文句をいってやるのだ。そう足取り軽く歩き出す。


 そんなカリムが家について目にしたのは、もぬけのからになった我が家と、熊狩ってくる! と元気いっぱいに書かれたメモ用紙。カリムの今日一番の絶叫が響いたが、近所の住人たちはすっかり慣れていたので今日も元気ねえ。と微笑ましく見守った。


 ラルスが熊を抱えて帰ってきたのはそれから一週間後だった。

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