滴る

 豪快に川に飛び込むラルスにカリムは目を見張った。

 川ってもっと静かに入るところじゃないのか。川底は石や砂利だろ。怪我しないのか。とか、色々言いたいことはあったのだが、ラルスは元気にはしゃいでいるので心配することをやめる。


 そもそも野山を駆け回って生活しているワーウルフのことをひ弱な人間が心配する方がおかしいのだ。体のつくりからして違う。人間よりも足の皮だって厚いなのかもしれない。


 ラルスは川辺で所在なさげに立っているカリムの存在など忘れたようで、普段は隠している狼の耳と尻尾をピンと張り、川を泳ぐ魚へと意識を集中している。今晩の食事なのだから真剣になるのも分かるが、少しは自分のことも思い出してほしいとカリムは肩を落とした。


 ふだんは王都で生活しているカリムとラルスが自然あふれる森の中にいるのは、遠方での依頼の帰り道だからだ。

 王都を中心に活動している仲介屋だが、依頼によっては出張することもある。未だ駆け出しのカリムたちに豪勢にグリフォン便を使えるわけもなく、移動は徒歩になる。


 「人の国」は王都から遠ざかれば遠ざかるほど、整備されていない道が増す。今回の依頼は西方の境界線近くまで移動したため、移動に数週間もの時間を必要とした。途中に宿がない場合は当然野宿。

 王都生まれ、王都育ち。由緒ある貴族の出である自分が野宿にすっかり慣れてしまった現状。二番目の兄に「野生に帰るつもりか?」と引かれたのを思い出し、カリムは複雑な気持ちになった。


 そんなカリムの葛藤に気づくこともなくラルスはバシャバシャと水音をたてながら魚を追いかけている。そんなに音をたてたら逃げるんじゃないかとカリムは思ったが、魚を素手で捕まえた経験などない。やったことがない自分が心配することじゃないかとカリムはため息をつく。


 学問に関して負ける気はしないが、サバイバルに関してはラルスの方が優れている。生まれた時から自然の中で生きてきた相手と張り合う方がバカらしい。それは分かっているのだが、一緒に行動していると自分の不甲斐なさに落ち込んでくる。


 一番最初の旅よりは慣れた。テントもはれるようになったし、火起こしだって覚えた。小動物だったらさばけるようにもなった。

 それでもラルスがいないと出来ないことは多い。そもそも今日は暑いから休もうという判断だってラルスがしたものだ。王都までまだ距離がある。無理に動いても体力を消耗するだけだと、比較的涼しいだろう森に入り、水遊びができる川を見つけてその付近にテントを張ったのである。


 その川を見つけたのだってラルスの鋭い嗅覚で、カリムはラルスの後ろをついて歩いてきただけだ。

 私っているか? とカリムは眉間にシワを寄せた。


「カリム、お前は水浴びしないの」


 カリムが唸っていることにやっと気づいたラルスが振り返る。誰もいないからと堂々とさらした上半身。形の良い筋肉にカリムの眉間のシワが深くなる。

 鍛えているのに、カリムはラルスのように筋肉がつかない。種族差といえばそれまでだが、上の兄二人だってカリムよりは筋肉質だ。ということは生まれ持った体質。なんという悲劇だとカリムは額に手を当てた。


「どうした? もしかして体調悪いか? 気持ち悪い?」


 慌てた様子でラルスが川からあがってくる。調子が悪いわけではない。そう答えようと顔をあげると、鍛え上げられたラルスの筋肉が目に飛び込んできた。川で遊んでいたためにしっとりと濡れた体。見上げれば水に濡れてさがった髪から水が滴り落ち、カリムの頬を濡らす。心配そうにカリムを見下ろす瞳にはあるのは慈愛。それにカリムはものすごぉーくイラッとした。


「今に見ていろ! 絶対にラルスよりも筋肉質になってやる! 背も抜いてやる! 狩りだってうまくなってやるからな!!」

「なんで急にキレてんの……。狩りがうまくなってくれるのは嬉しいけどさあ……。俺より背が高くて筋肉隆々なカリムとか違和感がすごい。いや、夢にみる。怖いからやめて」


 ラルスがぞっとした顔でカリムから視線をそらす。そこまでかとカリムはさらに怒った。


「背が伸びて筋肉質になった私は絶対にかっこいい!! きっとクラウ兄上みたいな感じになる! 絶対に惚れ直す!」

「クラウさんみたいなカリム……。それってカリム? クラウさんじゃね?」


 困ったようにラルスはそういうと、カリムの服の裾を引っ張った。私は怒っているのだから、その可愛い仕草をやめろとカリムは理不尽なことを思う。


「まーそんなこといいから、水浴びしようぜ。こんな暑い中、厚着してたら倒れるって」


 言葉でいっても駄目だと思ったのか無理やり脱がせようとするので、カリムはなけなしの男の意地で逃げ出した。ただでさえ男として色々負けているのに、服まで子供のように脱がされたとあってはプライドが粉々だ。


 涼し気な川のせせらぎと、木々のおかげで日差しは防げているが、暑いのは確か。いつまでも意地をはっているのも子供っぽいとカリムはラルスと同じく上半身裸になる。

 筋肉がないわけではないのだがラルスに比べると薄く、細い体。あらためて突きつけられる現実にカリムは眉を寄せる。隣にラルスがいるからその差がハッキリわかり、服は自分で脱いだのに結局プライドが粉々になった。


「……魚だけじゃなく、肉もとってこような。いっぱい食べて大きくなってくれ」

「私はもう成人している!!」


 貧相な子供を憐れむ顔をしたラルスにカリムは力いっぱい叫んだ。

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