体感幸福
ラルスは昔から人の体温を感じることが好きだった。
嗅覚のするどいワーウルフ故なのか、いい匂いがするとさらに安心した。
だから気に入った相手にはくっつきたがり、距離が近い。そう言われることもも多かった。
それはラルス特有の癖というわけではなく、ワーウルフの種族的特性だ。
そう説明すると注意してきた相手も渋々ながら納得してくれるのだが、そのたびに種族差を感じて寂しい気持ちになった。
人や他の種族との交流を通して、ワーウルフの距離感は他の種族に比べてずいぶん近い。時には勘違いされる。ということをラルスは学生生活において学んでいたが、頭で理解しても本能で理解しているかと言われれば話は別だ。
学校で仲が良かったヴィオも他人との距離が近い部類で、ラルスがいくらくっつこうが匂いを嗅ごうが好きにさせてくれた。
あまりにやると片割であるクレアが、表情には出さないまでも不穏な気配をまとうのでラルスとしてはかなり気を使ったつもりだった。
それでもセツナに十分近い。といわれ、ここまで感覚が違うのかとラルスは驚いた。
トゥインズにはワーウルフが多かったため、ラルスのくっつきたい欲求に関して理解してくれる者はいた。だが、それだけだ。
理解は得られても、ラルスの欲求を満たしてくれるわけではない。
人の体温を感じるのが好き。といっても当たり前だが誰でもいいわけではない。好んだ相手であればあるほど、安心する。
一番仲がいいヴィオは片割がいるため独占できない。
じゃあ他にと言われても、そもそもラルスが通っていたのはトゥインズの学校だ。生まれた瞬間から、運命の相手が決まっているといってもいい。
じゃあ、ラルスの片割であるカリムにすればいいじゃないか。と言われるのだが、そうもいかなかった。
何しろ学生時代のラルスとカリムは、とにかく仲が悪かった。トゥインズだからという理由で隣の席、寮も同室にされていたが、数年の月日を共にしても全くと言っていいほど仲は改善されなかった。
その理由はほとんどカリムにあるといっていい。カリムはとにかくラルスを片割と認めなかったのだ。
理由に関しては分からない。聞いて理解できるとも思わなかったので聞かなかった。聞くことで溝がさらに深まるのを本能的に回避したのかもしれない。
とにかくラルスはカリムと仲良くなる。という可能性は、かなり早い段階で捨て去った。
カリムが自分と相性がいい。というのはワーウルフの本能で分かっていたが、どんなに相性がよかろうと本人が拒否しているのではどうしようもない。
とくに満月の夜は一人が寂しく辛かったが、どうにもできないことなのだ。とラルスはとにかく耐え続けた。
そんな現状が変わったのは突然で、カリムはいきなり距離を詰めてきた。どういった心境の変化なのかラルスには分からず、ずいぶん戸惑ったのを覚えている。
同時に、カリムとは相性がいい。そう感じていた本能は正しかったのだと実感した。
とにかく落ち着くのだ。
カリムにくっついていると安心するし、気分がいい。誰かと体温を分け合いたい。という本能的な欲求がやっと発散できるようになり、ラルスは満足した。
最初のころは満月の日だけだったが、それでもラルスにとっては十分だった。
ところが、意外なことに戸惑いを見せたのはカリムの方だった。だんだんラルスと一緒にいると落ち着かない様子を見せ始めたのだ。
自分のペースを一切乱さなかったカリムらしからぬ様子に、ラルスは密かに心配したが口を出せる立場でもなかった。
ラルスは分かっていた。この不調はきっと自分のせいなのだと。
カリムがラルスと一緒にいてくれるようになったのは、満月の日になると魔力循環が悪く、体調が悪くなるラルスを見ていられない。同情からの行動だとラルスは気付いていた。
カリムは不愛想だが酷い人間ではない。人が困っていたら当たり前に助けられる人間だ。人間関係が不器用な上に、表情が乏しいために伝わっていないことも多いが、それでも手を差し伸べようとはする。
代々軍人を輩出してきた家系がそうさせるのか、カリム自身の性格かは分からない。とにかくそういう性分のカリムにとって、嫌いな相手だろうが苦しんでいたら放っておけなかったのだろう。
そうカリムの様子をみて理解したラルスは、満月の日以外はくっつかないように極力気を付けた。前と同じ距離感を意識した。
それでも、満月の日は本能的欲求が抑えきれなかった。
ヴィオいわく、満月の日のラルスは高熱に浮かされている状態なのだという。意識もないため、自分の欲求が正直に行動に出てしまうのだろう。そう言われた。
実際、満月の日のことをラルスは何一覚えていなかった。
それでも数少ない情報から、おそらくはヴィオに対するようにカリムにもすり寄ったのだ。そう予想したラルスはカリムの不自然な行動に納得した。
そりゃ、同情で付き合っている相手に甘えられたら気持ち悪いよな。と。
ラルスは自分の容姿が劣っていると自覚があった。目つきも悪いし、身長だってカリムに比べて大きい。そんな男にくっつかれて甘えられたら、さぞ気持ち悪いだろう。
ラルスはカリムに同情すら覚えていた。ごめんな。と心の中で何度も謝ってはみたものの、やっぱり本能的な欲求はどうにもできず日に日に罪悪感がつのった。
そんなことが何度か繰り返されたある日、カリムはラルスにこういった。
好きだと。
それを聞いた瞬間ラルスは思ったのだ。
ついに頭がいかれた。と。
極度のストレスに耐え切れずに、脳がいかれて、気持ち悪さや嫌悪感を好きと誤認しはじめたのだと。
ここまで追い詰めてしまった事実に、ラルスは悩んだ。
セツナに相談したところ「ワンちゃんの脳内どうなってるの!?」と心底驚かれたが、ラルスには意味が分からなかった。
ナルセは「すれ違いは王道ですわ!」と目を輝かせていたが、こちらはいつも通りなので特に気にしなかった。
その後、カリムは毎日のように「好きだ」というようになった。
そんなになるほど深刻なダメージが。とラルスは心底カリムを可哀想に思ったので、好きにさせることにした。ほっといたらそのうち元に戻るだろう。と楽天家のラルスは軽く思っていたこともある。
さらに本音を言えば、満月の日以外でもカリムと接触する機会が増えて、ラルスとしては嬉しかったのだ。
しかし、たまにカリムは妙な触り方をするのは、どうにも落ち着かなかった。
腰とか、しっぽの付け根とか耳とか。普通なら触らないようなところをなでるのだ。
そのたびにラルスは落ち着かない、逃げ出したいような気持ちになった。嫌ではないのだが、知らない感覚になれず、本能に従って逃げていた。
そんなことが何度も繰り返されて、いつの間にか日常になり、それどころか信じられないことにカリムと恋人。という立ち位置に落ち着いたのはつい最近のことである。
ラルスは未だに何でこうなったのか? と不思議に思い続けている。
「ほんとさあ、何でこうなったわけ? 俺はお前とくっついてれば、それで十分なんだけど」
ラルスの話をなぜか正座で聞いていたカリムは、そう語り終えたラルスに対して何の反応もしなかった。男にしては大き目を見開いて、じっとラルスを見つめている。
どういう反応だそれは。とラルスは不安になり、語るうちに熱がはいって出てしまった耳としっぽを不安げに揺らす。
「……ってことは、お前、最初から私のことは嫌いじゃなかったと?」
「初対面は最悪だと思ってたけど、その後はな。相性いいな。ってのに気づいてからは別にそれほどでも」
でも、お前は俺の事嫌いだっただろ? と続けると、カリムは両手で顔をおおった。
「……なんて私は勿体ないことを」
「は?」
「もっと早く押しとけば、いけたんじゃ……いや、さらにこじれてた可能性も?」
「カリム?」
ブツブツと真顔でつぶやいているカリムがラルスは恐ろしくなる。
たまにカリムはこうやってラルスの意味の分からない発言をする。カリムに聞いても答えてくれないし、セツナに聞いても「病気だからほっといていいよ」と生暖かい視線を向けられる。
ナルセにいたっては「すれ違いは王道ですわ」と前に聞いたことを繰り返すので、ラルスは混乱するばかりだ。
「……ようするに、お前は私にくっつきたかったが、嫌われてたから我慢したと」
「昔はなあ」
今はべつにくっついてもいいだろ。と思いながらラルスはカリムに身をすりよせる。
とたんに何故かビクッと体を硬直させるカリムだったが、振りほどかれないからいいか。とラルスはカリムにくっついて、すんすんと匂いを嗅いだ。
「お前の匂い落ち着くんだよなあ」
さらに体を密着させて匂いをかぐと、カリムはさらに身を固くする。
お前は石か。どうした。息できてるか。と心配になるほどだったので、視線を上げると、顔を手で覆ったカリムが歯を食いしばっていた。
「……お前大丈夫?」
「……大丈夫じゃない……」
そう言いながら今度はカリムの方が、ラルスをぎゅっと抱きしめる。ラルスとしては嬉しいことなので、そのままにさせてふうっと息を吐き出す。そのままカリムの肩にぐりぐりと頭をこすりつけると、体を硬直させていたカリムの手がゆっくりと腰のあたりに触れてきた。
「それ、ぞわぞわするから嫌なんだけど」
「でも嫌じゃないって言ってただろ」
「嫌じゃないけど、ぞわぞわするからヤなんだって」
せっかくいい気分なのに邪魔するな。と不機嫌にカリムを見つめると、御馳走を前にお預けをくらった犬のような顔をしていた。
なぜだ。
「お前の感覚が分からない……」
「俺もお前のことよくわからない……」
わりと近づいた気がするんだけど、まだ遠いな。と思いつつラルスは再びカリムの体を抱きしめる。カリムの体が再び硬直したが、まあいいやと待ち望んだ体温をラルスは堪能した。
「やっぱりお前落ち着くなあ……」
「……………それは良かったな………」
何かを必死でこらえながら、なんとか絞り出したような固い声でカリムはいった。
どうした? と疑問に思わないでもないが、わりとよくあることなのでラルスは気にせず、カリムの体に頬ずりする。
ずっと欲しかった体温を感じられて、とにかくラルスは幸せだった。
だから、カリムが幸福と絶望を同時に味わっているような、複雑な顔でラルスを見つめていることなど全く気付かなかったのである。
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