仮面舞踏会(連載中)

1 来訪者

 その日、ラルスはいつも通り日課の散歩に出ていた。

 家の中でじっとしていることが向かないラルスは毎日一度は外に出る。家の周辺、時にはもっと遠くまで足を延ばして街の様子を見て回ったり、お世話になった人に挨拶したり。仲介した相手のその後の様子を見て回ったり。

 近所の奥さんたちと世間話をして終わることもあるが、ラルスにとって楽しい事には違いない。

 今日はいつもよりも遠くに足を延ばして、ちょっとのぞいた露店の店主と世間話をした。面白い噂話を聞いたラルスはカリムに教えてやろうと、足取り軽く家へと向かう。


 カリムとラルスが暮らす仲介屋は大通りから路地に一つ入った、オルレーヌ通りに建っている。王都でも中級層が暮らす区域。民家であったりひっそりと商売をする店があったりと、大通りに比べれは静かで落ち着いた生活感のある通りだ。


 その一角に知る人ぞ知る二階建ての建物が異種仲介屋。カリムとラルスが暮らす家兼事務所である。一階が事務所。二階が自宅。定休日は気まぐれ。どちらか片方が事務所に待機するようにはしているが、副業の方で両方いないこともある。

 それでも特に困っていないのは、現在それほど流行っていないからだ。たまに訪れる客は噂を聞いてきたごく少数と、カリムかラルスの知り合いのそのまた知り合い。といったところだ。


 そんな状況なので、ラルスものんびりと子供達と遊ぶことができたのだ。仕事はたまにしか来ないし、店にはカリムがいる。問題ないだろうと思ってのことだが、事務所のドアには珍しく、閉店のプレートがかかっていた。

 今日はカリムが店番だったはずだから、急遽しめるとは思えない。ラルスは飽きたら閉めて出掛けてしまったりするが、カリムは真面目。というか、店番は読書の時間。そう思っている節があるので客が来なくても困らないのだ。


 となれば急用の用事が出来たか、来客があったかの二択。

 どちらだろうとラルスは人よりも敏感な鼻を動かした。馴染んだカリムの匂いのほかに、3つの匂い。来客者のものだろうとラルスは思いつつも首をかしげた。

 3つとも馴染みのある匂いだったのだ。

 誰だろう? そう思ったラルスがもう一度鼻をひくつかせた瞬間、


「ふざけるな!!」


 カリムの怒鳴り声が聞えてきた。思わずビクリと肩を震わせたラルスは、慌ててドアを開けた。

 カリムは滅多なことでは怒鳴らない。ラルスと仲が悪かった頃ですら、成長するにつれて声を荒げるのが減った。近所迷惑も考えずに怒鳴るなんて異常事態としか思えない。


「カリム! どうした!」


 勢いよくドアを開けたことにより、ドアが激しい音を出す。それによって中にいた人物たちがこちらを振り返ったのが分かった。

 玄関をあけてすぐにある事務所。来客用のソファが2組とテーブル。整理棚にちょっとした観葉植物などが置かれた広いとは言えない部屋の中には4つの影。

 ラルスの目に真っ先に飛び込んできたのは、来客用のソファから立ち上がり、怒りで顔を真っ赤にしたカリムの姿だった。

 何があったんだ。とラルスが焦ると場にそぐわぬ、のんびりとした声が耳に入る。


「ワンちゃんおかえりー」


 カリムと向き合うようにソファに座っていた人物が、にこやかな笑みを浮かべてひらひらと手をふった。のん気な姿にラルスの体から力が抜けた。安堵というよりは脱力だ。


「私は納得してないぞ!」

「はいはい、分かった、分かった。でもワンちゃん帰ってきたし、とりあえず挨拶させてよ」


 カリムが声を荒げると相手は気にした様子もなく、肩をすくめる。空気が読めない性格ではないので、単純にカリムに対して気を遣うつもりがないのだろう。それもどうなんだとラルスは呆れるが、学生の頃からこんな感じだったような気もする。

 最近は仲良くやっていたので忘れていたが、そもそもカリムと目の前の相手は相性が悪かった。仲が悪い。そう言われていた学生時代のカリムとラルスよりもよほど。


 このままでは話が進まないと気付いたラルスは、カリムの隣に移動する。それから落ち着けという気持ちを込めてカリムの背を撫で、改めて事の元凶に視線を向けた。


「挨拶も大事だけどよ、その前にこの状況は何なのか説明してくんねえ……」


 視線を向けると事の元凶――セツナはにこやかに笑う。

 紫がかった黒髪に、宝石のように美しく怪しく光る赤い瞳。ヴァンパイアと間違われそうなほどに整った容姿だが、美しいよりも胡散臭いが先に立つのは目に光が見えないからか。それでも楽し気な表情を浮かべる姿は陰鬱な空気はなく、容姿も言動もつかみどころのない相手。


 アメルディ学院の同級生であり、仲介屋の出資者であり、仕事を持ってきてくれるお得意様でもある。

 普通であれば無視どころか丁重にもてなさなければいけない相手なのだが、本人を目の前にするそういう気にならない。セツナ自身もラルスにもてなされるなんて鳥肌が立つ。と笑うだろうが、それにしてももう少し敬いたくなるような態度は出来ないのか。とラルスは思う。


「んー、この状況を端的に表すならチビちゃんが怒ってるかな」

「それは見れば分かる」


 だよねー。とケラケラ笑うセツナ。その姿にカリムの青筋が増えたのが分かる。

 これだから敬意を払う気になれないんだよな。とラルスは眉を寄せ、セツナよりも事情に詳しそうな相手へと視線を動かす。


 セツナを語るには欠かせない人物は2人いる。双子の妹であるナルセ。そして最愛だと豪語してやまない恋人であり従者である青嵐だ。

 セツナがいるならば当然青嵐もいる。覚えのある匂い一つが青嵐だと確信しているラルスはソファのセツナの斜め後ろに控えるように立っている存在へと視線を向けた。


 青い髪に一見鋭く見える瞳。顔の右半分に入れ墨。身長が高くガタイがよく、正規のものではないが軍服にも見える堅苦しい服装をした青嵐は、鬼という種族もあって怖い存在だと勘違いされやすい。しかし実際に話してみると、鬼とは思えないほどに大人しく気弱な性格をしており、見た目とのギャップが激しい。そう言われている。

 セツナの自由奔放な言動に、焦っておろおろしているだろう。そう思ったラルスだったが、目に入った青嵐の表情に目を丸くした。


 青嵐はいつになく不機嫌な顔をしていた。カリムよりももしかしたら機嫌が悪いかもしれない。一度気づいてしまえば、何故気付かなかったのか分からないほどの怒気が全身から漏れ出ている。

 上位種である鬼の威圧に、思わずラルスはしっぽと耳が飛び出て、すぐさま下を向く。


 上位種の怒気ということ以上に、滅多に怒らない青嵐が怒っている。その事実がとてつもなく恐ろしい。

 こんな恐ろしい怒気を背後から受けても、涼しい顔で笑っているセツナも怖い。何考えてるんだお前、というかその態度からいって青嵐の不機嫌の理由お前だろ。などと文句を言いたいが、青嵐が怖すぎて言葉が出てこない。


 ラルスは帰ってきたばかりだが逃げたくなった。カリムを連れて今すぐこの場から逃げ出してもいいだろうか。そう本気で考えた。


「……セツナ様、説明は私からしても?」


 にこやかなセツナと怒っている青嵐に怯えていると、第三者の声が響く。そういえば気配はカリムを除いて3つだった。そう思い出したラルスが声の方を見ると、意外な人物がそこにたっていた。


 居心地悪そうな顔で青嵐の斜め後ろに立っていたのは、オレンジかかった髪を片側だけ三つ編みに結い上げた青年。この中では一番年上だと分かる落ち着いた雰囲気。ラルスにとって馴染みのある顔立ちは、未だにセツナを威嚇しているカリムにそっくりだ。


「なんでクラウ兄ちゃんが!?」


 カリムの兄、クラウがいる事実にラルスは驚いた。

 それから慌ててセツナへと視線を向ける。セツナはラルスの視線を受けると、にこりと真意の読めない笑みを浮かべた。笑ってないで説明しろ。面白がるな。とラルスが顔をしかめてもどこ吹く風だ。


 クラウは学生時代からラルスの事を何かと気遣ってくれたし、仲介屋を開くにあたってお祝いしてくれた。こうして仕事を始めてからも時たま依頼主を紹介してくれる。繋ぎの仕事である副業に関しても世話になっている。

 ラルスからすれば公私ともに頼れる兄貴分。息抜きと評して様子を見に来ることも多いため、ここにいること事態はおかしなことではない。

 しかし、セツナと青嵐と一緒。というのは違和感がある。カリムの実家は代々軍家系であり、セツナは貴族。全く接点がないというわけでもないが、今まで交流があったという話は聞いたことがない。


「心配しなくても、説明はちゃんと俺がするよ。ちょっとチビちゃんからかうの楽しくて」


 楽し気なセツナの様子にクラウが苦笑を浮かべた。セツナ様がそうおっしゃるなら。と引き下がる姿を見て、ラルスはセツナの家の方がカリムの家よりも位が上。という話を思い出す。

 人間の階級付けに関しては、ワーウルフであるラルスは疎い。ただ面倒くさいということだけは理解しているので特に突っ込まず、セツナへと視線を向けた。


「クラウさんに協力してもらったのは、その方が都合がいいから。チビちゃんとワンちゃんだけだと、ちょっと力不足かなと思って」

「……お前、どんな仕事持ってきたんだよ」


 軍の中でもそれなりの地位にいるクラウを引っ張りださなければいけない案件。そう語るセツナにラルスは引きつった笑みを浮かべた。

 カリムとラルスの仕事は仲介。時たま荒っぽい仕事もするが、荒事専門というわけではない。全く鍛えていないわけではないが、会話で解決するならばそれが一番だ。

 軽快の色を見せたラルスを見て、セツナは大丈夫。と笑う。その笑顔が余計に胡散臭いと思ったのはラルスだけではないだろう。


「とある貴族の舞踏会に参加してもらいたい。それだけの話だよ」

「舞踏会?」


 どんな無茶ぶりが来るのかと警戒していたラルスは、セツナの言葉に目を丸くした。それだけ聞いたら、面倒な仕事とは思えない。しかしセツナの含みのある言い方と、後ろで渋面を浮かべるクラウ。不機嫌な青嵐。鋭さをましたカリムの視線から、それだけではないのだと嫌でもラルスは理解した。


「そんな警戒しないでよ。着飾って美味しいご飯食べて、踊って、ちょっと人と話してくれればいいだけなんだから」

「ほんとか?」

「ほんと、ほんと。ただ、チビちゃんには女装してもらわないといけないけど」

「は?」


 ラルスはセツナの言葉に固まって、それからカリムを見た。苦虫をかみつぶしたを通り越して、親の仇でも見たような顔でセツナを見るカリムを見て、それから苦笑を浮かべるクラウへと視線を移す。


「なんで、私が女装なんてしなければいけないんだ! お前が一人で勝手にやれ!」


 我慢の限界を超えたのか怒鳴り声をあげるカリムを見て、ラルスは悟った。そりゃカリム怒るだろうなと。

 カリムは自分の外見が男にしては可愛いと言われる部類なことにコンプレックスがある。身長が伸びないことに関しても不満があり、未だに身長が伸びるという効能がある食品を買いあさっているくらいだ。


「俺だけだと数が足りないからチビちゃんにも頼んでるんでしょうが。大丈夫だって、クラウさんにも協力してもらうし」


 ねーと同意を求められてクラウは苦笑いを浮かべた。その態度にカリムの怒りがあがっていることにセツナは気付いているはずである。気付いたうえでからかって遊んでいる姿を見ると、相変わらずいい性格をしているとラルスは思った。

 そして、クラウまで巻き込むとなればカリムが余計に嫌がるのはよく分かる。

 カリムはクラウに尊敬と憧れの念を抱いている。三つ編みは兄のマネだと言っていたし、定期的に会いに行っては助言をもらっている。そんな兄の目の前で女装。嫌に決まっているだろう。


「私は絶対に嫌だからな! 私以外の誰かに頼めばいいだろう!」


 カリムは腕を組み、そっぽを向いた。いかにも子供っぽい態度だが、気持ちは分からないでもない。ラルスだっていきなり女装しろ。しかも身内の前でと言われたら、全力で嫌がる。

 しかし、本音をいえばカリムの女装はちょっと見てみたい。たぶん、というか間違いなく似合うに違いない。何しろ黙っていればそこら辺の女よりも整った顔をしている。


「チビちゃんさあ……自分の立場わきまえてる?」


 カリムの女装姿を想像していると、今までとは違う低い声が聞こえた。

 温度を感じさせない冷たい声。視線を向ければセツナが先ほどと同じく笑みを浮かべてこちらを見ている。しかしながら瞳には一切の色がない。表情だけが笑顔を張り付けているために、何とも不気味な姿にラルスは思わず後ずさる。


「ここは誰のお金で成り立ってると思ってるわけ? 俺は君たちのパトロンなわけなんだけど? わかってる? 今すぐ出てけって追い出してもいいんだよ?」


 にこりと、表情だけ見たらとても綺麗な笑顔を浮かべて笑うセツナ。

 ああ、これはまずい。とラルスは思った。本気だ。本気で断ったら追い出される。セツナはやるとなったらやる男であるし、いざとなったら徹底的だ。この家どころか、王都から追い出される可能性だってある。


「そもそも断る権利があるかどうか、胸によぉーく手をあてて考えてごらんよ」


 セツナの表面だけはにこやかで優雅な態度にカリムはうなだれた。

 本気のセツナからの依頼を断る権利などカリムとラルスは持っていない。何しろ出資者様である。この家だって大家はセツナだ。


「大丈夫、カリムだったら似合うって」


 断れないと悟って歯噛みするカリム。何とか気持ちを軽く出来ないかと思ってラルスはそういって、カリムの肩を軽くたたいた。

 するとカリムのまとう空気が一層暗くなった。


 あれ? 間違った? とラルスが首をかしげていると、「さすがワンちゃん!」とセツナの笑い声が部屋の中にこだまする。

 先ほどまでの恐ろしい空気が消え去ったことに喜べばいいのか、一層落ち込むカリムを慰めればいいのか。しばしラルスは本気で悩んだ。

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