2 遭遇

 アスルデア鉱山跡地は王都から見て東方。数時間でたどり着く距離にある。

 鉱石の採掘場としての役目は終えたが、山に実る木の実、果物。山菜。それを求めてやってくる動物など、近隣住民にとって貴重な食糧源である。

 そんな場所にヴァンパイアが現れたとなれば、周囲に住む人間が不安に思うのも仕方ない。そうカリムは思う。


 ヴァンパイアの多くは王都内にあるテリトリーから外に出ない。エミリアーノのように外を中心に動いている者は、ヴァンパイア内では「野良」とさげすまれる。

 何らかの理由でヴァンパイアのテリトリーから追い出された、または出ていった者。そういった者は何かしらの犯罪によって追放されたケースが少なくなく、一言でいうならば柄が悪い。

 ただでさえ上位種のヴァンパイアだ。対抗手段を持たない人間にとっては恐怖対象でしかなく、何かしらの問題が起こる前にと近隣住人はヴァンパイアに苦情を入れたのだと推測できた。


「どんな奴か、目星はついてんの?」


 採掘場の入口へと歩きながら、ラルスは横を歩くエミリアーノに話開けた。

 前を無言で歩くヴェイセルに話しかける度胸はなかったらしい。それも仕方ないかと、不機嫌なオーラを垂れ流し続けているヴェイセルをみてカリムは思う。

 エミリアーノには、あれが通常だから慣れて。と申し訳なさそうにいわれたが、慣れるにはかなり時間がかかりそうだ。


「それがさあ、全く分からないんだよね」

「んなことあんの?」


 エミリアーノの言葉にラルスは驚いた顔をした。

 というのも、上位種というのは下位種、中位種に比べて全体数が少ない。

 長寿であること、一個体が強いことから繁殖に関しての重要度が低い。という研究結果を残した学者がいたが、カリムもこの見解は間違っていないと思う。

 とくにヴァンパイアは血統重視であり、純血でなければ子孫を残す意味はない。という風潮まであると聞く。そういった要素が重なった結果、種族数が少ない上位種は全体数が多い人間や下位種に比べると個人の特定が簡単だ。

 とくに野良という、ヴァンパイアにとっては珍しい存在であればすぐに分かる。

 はずなのだが……。


「追放されたヴァンパイアっていうのは、リストにまとめられてヴァンパイア中に知れ渡るんだけど、ここ何十年で野良になったのは僕を含めて数人だけ。そのうち王都にいるのは僕だけなんだよね」


 さらりと野良である。と告げるエミリアーノに、前を歩くヴェイセルの歩調が一瞬乱れた。何か言いたげにエミリアーノに視線を向けるが、エミリアーノは気付いていないのか、あえての無視なのか何の反応もしない。


「戻ってきた。って話も聞かないし、何より報告を受けている特徴と一致しないんだよ。鉱山跡地で目撃されたヴァンパイアっていうのはハニーブロンドらしい」

「ハニーブロンドって……ヴァンパイアらしくない色だなあ……」


 ラルスのつぶやきに内心でカリムも同意した。

 ヴァンパイアの一般的な色合いはヴェイセルのような黒。エミリアーノのようなミントグリーンは異端といえるものである。理由は夜よりも真昼を連想させるから。

 カリムからすると馬鹿らしい理由だが、太陽光が毒となるヴァンパイアには死を連想させる。そう言われると納得できなくもない。

 そんな種にハニーブロンドなんて、まさに太陽を連想させる色味をもつ者が生まれたら話題に上がらないはずがない。


「一応、数百年単位で調べてみたけどさ、ハニーブロンドのヴァンパイアが生まれた。なんて記録は見つからなかった」

「……大戦前は?」

「いたかもしれないけど、今さらになって王都付近。しかも鉱山に現れる理由が全く思い浮かばないね……」


 ヴァンパイアは長寿種であり、記録に残っている最高寿命は千年。その記録も「たしか、そのくらいは生きたはず?」と非常にあいまいな証言に基づくものなため、さらに長く生きている可能性もある。

 大戦前後は全種族が混乱したという。その混乱の中、テリトリー区分に従わず隠れすむことを選んだヴァンパイアいても不思議ではない。

 しかし、そうであるならば今更になって目立つ行動をとる意味があるだろうか。


「それとさあ、ヴァンパイアと一緒に不気味な影を見た。って噂もあってね……」

「不気味な影?」


 初めての情報にカリムは顔をしかめた。そういうことは先に言ってほしいとにらみつけると、エミリアーノはごめん。と謝った。


「ヴァンパイアに比べると信憑性が薄いって言うか、曖昧っていうか……。唸り声を聞いたとか、巨大な影を見たとか。ヴァンパイアが巨大な岩のような何かを撫でていたとか……」

「ヴァンパイアが……?」


 唸り声や陰に関しては野生動物を見間違えた。で話は済むが、巨大な岩と見間違えるような動物などいるだろうか。

 カリムよりもラルスの方が動物には詳しい。動物、あるいは異種族にそういったものはいるかと視線を向けると、顔をしかめて首を左右に振る。

 それらしい種族は思い浮かばなかったらしい。


「全く忌々しい……どこの誰が、誇り高き我が一族に泥を塗るような噂を……」


 忌々し気に舌打ちして、ヴェイセルは荒々しい動きで進んでいく。誇り高きヴァンパイアにしては動きが荒っぽい。とカリムは思ったが、口に出さないのが賢明だと黙って後に続いた。

 それにカリムとしても噂の真相は気になる。本当にヴァンパイアなのか、それともただの噂なのか。ただの噂だとして、どうしてそんな噂が広まったのか。


 カリムが情報を整理していると、突然ラルスが立ち止まった。

 クンクンと匂いを嗅ぐような動作をして、首をかしげている。

 この中では一番鼻が利くのがラルスだ。何か気になる匂いでもあったのか。そう聞こうとしたとき、「エミリアーノ!」と前方から声が響いた。

 先に進んでいたヴェイセルが何か見つけたようだ。

 呼ばれたエミリアーノが先に、次に動きが俊敏なラルスが続く。最後にカリムが走っていくと、山に大きな横穴が開いていた。


 自然に作られたとは思えない、あきらかに人の手が入った穴だ。崩れることを防ぐために木材で補強され、出入り口にはランプがかけられている。夜になったらこれで灯りをともすのだというのは分かるが、何かが引っかかる。


「なあ……採掘場ってこんな広くつくるもんなの?」


 採掘場をしげしげと眺めていたラルスが、カリムに問いかける。どうにも落ち着かない様子で、きょろきょろとあたりを見回す姿は何かに怯えているようにも見えた。

 その様子と質問で、ラルスが感じている恐怖の一端をカリムも感じ取る。


 穴が大きすぎるのである。

 採掘場を実際に見るのは初めてだが、山に穴を掘る。ということもあり、人が数人。採掘用の道具が入るような最低限。そういったイメージだったが、目の前にある穴は明らかに大きい。高さはおおよそ10メートル。横穴も同じくらいの大きさがある。

 いくら何でもここまで巨大な穴は必要ないだろう。そうカリムは思ったと同時に「巨大な岩のような何かを撫でていた」という噂を思い出す。

 思い出すと同時にゾッとした。巨大な何かがこの穴を広げたのだとすれば、大穴はそのまま謎の生命体の大きさを示すものとなる。


「……間違いなく誰かの手が加えられている」


 ヴェイセルは大穴をにらみつけながら腕を組む。忌々しいと隠さない態度は変わらないが、先ほどに比べると警戒しているようで空気がピリついている。


「そんなのわかんの?」

「ずいぶん前に放置されたにしてはランプが新しい。採掘した鉱山を運び出すために使ってただろうレールも撤去されてる。崩れないように補強した後もるし……何より魔力が残ってる」


 穴のすぐ近くでランプを眺めていたエミリアーノが険しい表情で告げた。

 魔力が残っている。という言葉にラルスがビクリと体を震わせて、ソワソワと周囲を見渡す。警戒しているためか飛び出した耳やしっぽが、せわしなく動いている。明らかに自分より大きな存在に怯える姿に、カリムはだんだんと不安になってきた。


「……残っている魔力で、何の種か見当はつくんですか?」

「……普通なら分からないけど……、ここまで特徴的っていったら……」


 エミリアーノが次の言葉を続けようとした瞬間、地面が大きく揺れた。

 倒れないようにとっさにカリムは踏ん張るが、それよりも先に獣の唸り声が聞こえる。カリムからすると聞き馴染んだラルスの、獣型の時の声。人型の方が便利だからと、滅多にさらさない獣の姿は狼に似ている。

 普通の狼よりは一回り大きい、漆黒の毛皮をまとったラルスはカリムをかばうように低い唸り声をあげる。

 状況の変化についていけず、戸惑うカリムの前で、エミリアーノとヴェイセルも臨戦態勢にはいっていた。


 人間は魔力を感知できない。しかしながら、異種双子は例外だ。異種族に比べれば微量ではあるものの、魔力を感じ取ることが出来る。

 大穴から距離をとり、いつでも攻撃できるように構えたエミリアーノとヴェイセルが高濃度の魔力をまとっている。そのくらいはカリムにだって分かるのだ。

 人間のカリムにわかるということは、それだけ強い魔力を発している。そういうことでもある。

 先ほどから牙をむき出し、唸り声を上げ続けるラルスの存在もあって、カリムの心臓は早鐘のようになっていた。


 ズシン。と再び地面が揺れる。

 今度は揺れの正体が分かった。これは何か、巨大なものが動いている振動によるものだ。そういやでも分かってしまった。

 穴の奥。おそらく振動の発生源がいる場所を、恐る恐るカリムが見つめると赤い光が見えた。


 カリムたちからするとずいぶん高い位置。灯りにしてはずいぶん小さい。足元を照らすにしては弱々しすぎるうえ、そもそもどうやって取り付けたのか。そう悩んでしまうほどに中途半端な位置についた赤い光の正体。それにカリムが気付いた瞬間、背筋が凍り付く。

 赤い光がランプなどではなく、巨大な生命体の瞳だ。そう気づいたときには既に遅く、開かれた真っ赤な口。続いて白い牙が暗闇の中に浮かび上がり、空気を振るわす咆哮が轟いた。

 

 咆哮はビリビリと空気を震わして、それだけで体が裂けそうなほどの衝撃が通り抜ける。

 腰が抜けてしまいそうなほどに絶対的な、恐ろしい声にカリムは一歩も動けなかった。

 大地を再び震わせながら、大穴の中から声の主が巨体を表す。太陽の光を飲み込みそうな黒い鱗。一歩進むたびに振り下ろされる前足は人の倍ほどの大きさがある。体の表面にはキラキラと輝く鉱石。頭には長く太い角が2本、天を向いている。

 大穴から半身を出しただけで、あたり一面に影をつくったソレは真っ赤な瞳をギラギラと光らせて、カリムたちを見下ろした。


「何で地竜がこんなところに!」


 エミリアーノが悲鳴にも怒声にもにた声をあげる。

 知るか! とカリムは叫び返したくなったが、声が出ない。


 目の前にいるのは幻の種。そういわれる種族の一角。地竜に他ならない。

 太い4本脚で大地を踏みしめ、竜種の中でも特に巨大な体で洞窟に住まう地底の王様。うっかり「人の国」しかも王都の付近で遭遇するような相手ではない。


「ち、地竜は温厚な性格じゃ……!」


 混乱した状態でも、なんとか学院で習った知識を絞り出す。

 竜種は最強種。と言われるわりには性格は温厚でマイペース。

 同学年のヴィオもそうだ。滅多に怒ることがなく、何事にも動じない。

 だから、きっと大丈夫。そう思いたかったのだが、カリムの希望は険しい顔をしたヴェイセルに打ち砕かれた。


「どう見たってキレてるやつに、温厚もくそもあるか!」


 ヴェイセルの言う通り、赤い瞳には敵意が満ちていた。

 セリーヌの赤い髪はサラマンダーという種も合わせて、炎のようだ。そう表現されたが、セリーヌの炎なんて生ぬるいものだった。そう思うほどに、灼熱の炎が瞳の中で揺れている。

 一歩でも動いたら、巨大な足で無残に踏みしめられるだろう。そう嫌でも悟るほかない状況にカリムは焦る。この状況からどうしたら逃げられるのか。そう必死に頭を働かせるが、全くいい案が思い浮かばない。

 初めて間近で感じる死の恐怖に体が動かず、思考は定まらない。勝てないと分かっていながらも懸命にカリムを守ろうとし、唸り声をあげるラルスがどうしようもなく健気に見えた。

 あきらめてはいけない。どうにかしなければ。その一心で周囲を見回したカリムは、ありえないものを見た。


 大穴の暗がり。怒り狂う地竜の足元から平然と、人が現れたのだ。

 恐怖のあまりに幻覚を見ているのでは。そうカリムが思うほどに、その光景は場違いであり、その人物は俗世を離れした容姿をしていた。


 太陽も、暗闇さえもはねのけるようなハニーブロンド。遠目に見ても長いと分かる睫毛に縁どられた瞳は、澄み渡る空をそのまま閉じ込めたようなライトブルー。彫刻のように完成された、この世の生き物とは思えない存在が巨大な地竜の足を撫で、優雅にたたずんでいる。


「アル。怖がっているだろう」


 空気を震わす甘いテノール。声だけで酔ってしまいそうな美声に、カリムは状況も忘れて固まった。

 実はとっくに地竜に丸のみされていて、天から使いが現れたのだろうか。そんなことを真剣に考えてしまうほどに、目の前の存在は自分と同じ生き物だと思うには美しすぎた。


 今にも踏みつぶさんとこちらを見下ろしていた地竜のぎらついた瞳が、蜜を垂らしたようにとろける。先ほど空気を震わす咆哮を発したとは思えない甘えるような声を上げ、巨大な頭を小さな存在へと近づける。

 丸のみするのでは。とカリムは焦ったが、地竜は小さな存在に対して甘えるようにすり寄った。頭をたれる姿は、最強種。と評される威厳など何もなく、子犬が母犬に甘えているようにすら見える。

 美しすぎる存在は困った奴だ。というような慈愛に満ちた微笑を浮かべて、地竜の頭を撫でた。そのたびに地竜が嬉しそうな声を上げ、ドンッ、ドンッと大地が振動する。

 

 もしかしたら、大穴の奥に未だおさまったままのしっぽが歓喜のあまりに大地をうちつけているのかもしれない。そう思った瞬間に、どうしようもない脱力感がカリムをおそう。


「えっと、何、どういうこと?」


 エミリアーノがポカンとした顔で地竜と、小さな存在を見つめて、目を瞬かせた。

 獣の姿をしたままのラルスも、どうしよう? という顔でカリムを見上げているが、カリムはそれに答えられない。カリムだってどうしていいか分からない。

 とりあえず、命の危機は何とかなった。それだけは辛うじて分かった。


「せっかく来てくれたんだ、話はお茶でも飲みながらにしよう」


 小さな存在はそういうと、地竜の頭を一撫でして大穴の奥へと踵を返した。

 その姿を目で追って、他のものなど眼中にない。そういった様子で地竜が後に続く。ズシン、ズシンと振動が響くが、先ほどに比べると浮かれているように感じるのはカリムの気のせいだろうか。


「お茶……?」


 エミリアーノが困惑を浮かべて首をかしげるが、ヴェイセルは眉間にしわを寄せたまま何も答えない。カリムも何も言えずにとりあえず、ラルスを見た。


「……服、どっかいった……」


 獣姿のまま耳をぺたんと下げたラルスがしょぼくれた声を出す。おそらくは振動や咆哮で吹っ飛ばされたのだろう。

 服を探して周囲をきょろきょろと見回している獣の姿は愛らしい。

 今日もうちの嫁は可愛い。そうカリムは思うことで、考えることを放棄した。

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