第24話 ちびエルフに忍び寄る影
魔王国において、「ニンジャ」とは、職業名ではなく、種族名を表す。
我々の知る……というか考える忍者と同じように、彼らもまた、時の権力者たちの走狗となって、極秘裏に破壊工作や暗殺、諜報活動などを行う影の一族であったが、呼称が似ているのは例によってたまたまであり、ただの偶然に過ぎない。
彼らは文字通り闇から生まれ、闇に滅する本物の魔物であり、死しても屍すら残さなかった。
戦いによって死ぬことを何よりも名誉と考え、念願かなって敵の手にかかって死ねれば、彼らの信仰する神「ヤラ=レヤク」が約束する極楽浄土に行けると固く信じていた。
アルガスの一族は、大昔からこのニンジャ軍団を使役しており、歴史には決して残らない様々なイリーガルな工作に使ってきた。その中には時の魔王ですら把握していなかった事案も少なくない。
極秘魔法通信によって召喚……魔方陣によってとかではなく文字通り呼び出されたニンジャの首領は、どこにあるのか誰も知らないニンジャの里から数日かけて魔王城にやってくると、執務室のアルガスの机の前できちんと正座し、首を垂れた。傍らに立派なソファもあるのだが。
「お呼びにより、参上仕りました」
全身黒ずくめで、顔も真っ黒なマスクで覆っている。いかにもいかにもな風体であった。
「うむ、久しいな。この前会ったのはまだ
「ご活躍は里でも噂になっております。先代様も、今頃ヤラ=レヤクの浄土で、お悦びになっていることでしょう」
「ああ、ごめん、うちその宗派じゃないんで……」
あのくそおやじが自分の今の窮状を知ったら、なんと言うだろうか。アルガスは想像してみて少し震えた。
「とにかくだ。呼んだのはほかでもない。ターゲットはこいつだ」
アルガスは魔法スクリーンに、ブレダの映像を出した。
「こども……でございますか?」
「おいおい」とアルガスは心の中で突っ込んだ。このところ魔力メディアで見かけない日はなくなりつつあるこの顔を知らないのか。大丈夫なのかこのニンジャは。
「子供ではない。小さなエルフだ。お前も知っていると思うが、魔王様とレースをしようという不届きものである」
「おお、なるほど」
「所在は知れている。エルフ国の聖都だ」
「ほう、聖都でございますか!」
なぜか嬉しそうにニンジャの首領は膝をたたいた。
「聖都となりますと、侵入にはそれなりの時間がかかり、多くの犠牲が出ることでしょう。あ、いや犠牲のほうは全然よいのですが、期限はいつまでに……?」
「レース開催までに片づけてくれればよい。まだ半年ある。ああ、なるべくレース直前のほうがいいな。あまり早いとエルフが代わりの操縦士を立ててこないとも限らん」
「それは、抹殺ということでよろしいのですな?」
アルガスはニヤリと笑うと言った。
「そうだ。少なくとも飛行機を操縦できない体にしてほしい」
「御意」
ニンジャ首領は一度下げた頭を上げると、胸を張って言った。
「われら一族、いかなる犠牲を払おうとも、たとえこの命に代えましても、怨敵……ちっちゃいエルフ?を打ち滅ぼしてご覧に入れましょう」
この命に代えてってところが一番信用できないんだけどな、とアルガスは思った。
「ブレダだ。ブレダ・ブレゲー。後で詳しい資料を送ろう」
「はっ」
「では頼んだぞ!」
「しからば!ごめん!」
と、言い残し、去り際はニンジャらしく、どろんと消えて見せた。まあ、その辺に隠れているのだろうが。
こいつら本当に大丈夫なんだろうか……。とアルガスは思った。ニンジャたちは確かに昔は真に恐るべき暗殺集団であったが、最近は例の宗教がなんだかおかしなことになっているらしく、不穏な噂も少なくない。
「まあいい。打つ手は一つではない」
物陰から物陰へと伝い、だれにも気が付かれずに魔王城を出たニンジャ族の首領は、今回の任務で予想される犠牲者の数を考え、これは殺到する志願者を絞るのが大変そうだわいとか考えつつ、軽い足取りで里へと帰って行った。
魔王国からかはともかく、有名人となったブレダに危害を加えるものが現れるかもしれないと言う懸念はエルフ国でも当然検討されており、そうでなくても
このことはノムちゃんの不興を買っていた。警備にかこつけて、ファルマンやリオレがよく顔を出すようになったからである。
本来、エルフ城に近いこの辺りでの取材活動は全面的に禁止されており、突撃取材を試みる人間族の記者たちは見つかると即つまみ出されていたが、ファルマンやリオレはやってくるとなかなか帰らず、いちおう公務で来ている……らしいので、追い返すわけにもいかなかった。ノムちゃんにしてみれば、余計にたちが悪い。
今日もなんだか二人揃って現れて、ずうずうしくも食堂でお茶などをいただきながら帰ろうともしない。ブレダは基地で訓練に明け暮れており、今日も遅くなりそうだと言うのに。
「っていうかなんで歩兵第一師団の参謀がこんなところにいんのよ。ここは近衛師団の官舎なんだよ?」
リオレが紅茶をすすりながらファルマンを牽制する。
「宮殿以外の聖都防衛は
ファルマンがノムちゃんに手を振ってきた。
「ブレダちゃん以外が『ノムちゃん』って呼ぶんじゃないわよ」とノムちゃんは心の中で鬼の形相になったが、訓練を積んだエルフ女子らしく、表情はにっこりと笑ったまま「おかげさまで~」とか言いながら、お茶請けのお菓子を運んできた。
「そういえば、ブレダちゃんの進路問題ってどうなったんだろう。何か聞いてる?」
リオレの問いに、ノムちゃんは「そういえばどうなってるんだろう」と考え込んだ。というか、すっかり忘れていた。
「最近は話題にも上ってませんね」とノムちゃんは答える。
「まあ、仕方がないだろうな。あれからずっとそれどころじゃなかったから。っていうかこれうまいな」
ファルマンがうまそうに食べているのはノムちゃんお手製のクッキーだった。
「本来はあんたたちに食わすために焼いたもんじゃないんだからね!食ったらとっとと帰れ!」と心の中で呪詛を送ってみる。残念ながら、ノムちゃんは呪い系魔法の勉強はほとんどしておらず、二人には何の効果もないようだった。
「それで、どうなんだ?お前はまだブレダ君を狙っているのか?」
「うーん……そっちこそどうなのよ?」
リオレに質問を返されてしまったファルマンはうなった。
「あれからうちもごたごたしていてなあ……それは、
「うん……まあそうだねえ……」
諜報部の必死の努力により、少しずつその全容が明らかとなってきたアルガスの新軍隊は、新型ドラゴン登場の時以上に、エルフ国軍部には大変な脅威として受け止められていた。
大慌てでそれに対処すべく、軍の近代化が図られていたが、科学アカデミーが約束した新兵器の開発は遅々として進まず、軍内部でも編成などについて意見が割れに割れており、ほとんど何も進んでいなかった。
何か新しいことを始めようとした場合、エルフは大体こうなるのが常で、ペルトリのプロジェクトチームがどちらかというと異常だったのだ。
それでも、その国力は他国を圧倒しており、魔法技術においても優越していたためこれまでは何とかなってきたが、この先もそううまくいくのかどうかはファルマンたちにも確信が持てなくなってきていた。
二人とも、ブレダを引き抜いても、彼女に明るい未来を提供する自信がなくなっていたのだ。
ドラゴン生産ラインの事故についてはまだエルフ国は察知していなかったので、なるべくなら、今戦争になるのは避けたいというのがファルマンたちの共通認識だった。
しばらくして、官舎の前に辻馬車が止まり、ブレダが降りてきた。
「ただいまー」
「よお」
玄関でファルマンとリオレに出迎えられたが、ブレダは少しも驚いた様子はなかった。いつものことだったからだ。
「あ、こんばんわ!」
「どうだい?
「順調ですよ。私は座学ばっかりですけど。ああ、そうだ、今度新しい練習機ができるみたいなんで、よかったら見に来てください」
「おお、それは是非」
とかなんとか、和やかに話しているブレダとファルマンたちを見ながら、ノムちゃんは、こいつらが夕食も食べていくとか言い出した場合、材料が足りるか計算していた。ブレダちゃんのことだからきっと……。
「そうだ!ご夕食がまだならうちで食べていきません?ノムちゃんの料理、すごくおいしいですよ?いいよね?ノムちゃん?」
ほらきたー。だが、大丈夫だ。なんとかなりそうだ。ノムちゃんはブレダにサムズアップして頷いて見せた。
「いや、今日はこれでお暇しよう。またゆっくり寄らせてもらうよ」
「じゃあまたね!」
あれ?意外とあっさり帰ったな。とノムちゃんは思った。さっきの呪いが効いたのかしら……。
官舎から少し離れたところまで歩いて、二人は立ち止まった。
「やはりまだいるな」とファルマン。
「官舎の周りに2人……いや3人かな?増えてるね」
リオレも真剣な顔で言った。
「ブレダを付け回してるのもいるようだな。しかもかなりの手練ればかりだ」
「なんだろう……今のところ動く気配はないようだけど。新手の取材かな?」
「それにしては殺気が半端ないが……」
昨今の取材合戦の過熱ぶりを考えれば、ファルマンたちが殺気を察知するような特殊部隊の傭兵みたいな連中が駆り出されてくる可能性も否定はできなかったが、やはり、これはどうにもきな臭い事態だった。
「ブレダの官舎と研究所、航空基地の警備を増員しておこう。行き帰りの護衛も考えなきゃならん。上にも報告を入れておく」
「僕はなるべくこのへんに立ち寄ってみることにする。近衛師団本部から近いからね。あいつらへの牽制にもなるだろうし」
「ノムちゃんに嫌われないようにしろよ」
「わかってるよ。一番殺気が強かったの、あの子だもの」
「まあ、何も起こらないといいのだが……」
ブレダの官舎をとりまく謎の影……もちろんその正体はアルガスのニンジャ軍団の先遣部隊だったが、彼らとエルフ軍警備陣とのにらみ合いはその後も続いた。
ファルマンたちは、なんどもつかまえて尋問しようと試みたが、いざ捕らえようとすると煙のように消えてしまい、しっぽをつかむことができなかった。これでは、さらに大規模な摘発を行う理由が作れず、にらみ合うしかなかった。
ニンジャの方も、監視以上の行動を起こすことができずにいたが、暗殺決行はもっとレースが近づいてからと定められており、もとより、しばらくは監視とエルフ国内での拠点構築だけの予定であった。その日が来れば、里から厳選された実行部隊が聖都に侵入することになっており、その手はずも整えなければならない。
こうした水面下での戦いは、だが、ブレダたちには知るべくもないことであり、警備強化も通常の手順であると告げられていた。
ブレダは警備の兵隊たちとすっかり仲良しになり、ノムちゃんもやがてこの状況を日常として受け入れて行った。
その一方で、セイバーの改良は着々と進んでいた。
「新しいセイバー……セイバーⅡは、操縦のための流体制御魔法が以前より大幅に採用されてる。なんなら動翼をひとつも動かさないでも機体を操れるよ。加速に使うことだってできる。これらは魔力動力装置で駆動し、魔力コンピュータで制御されるから、操縦者はこれに魔力をとられることもない」
リリエンの説明を聞きながら、ブレダはスイッチやレバーが以前より大量に増えたコックピットと格闘していた。
「機体は軽量化されたけど、強度はさらにあがっている。エンジンもあんたからもっと魔力を搾り取れるように改造されたらしい。最高速も加速も機動性も、以前からかなり上がったはずだ。試してみな」
ブレダはスロットルを開き、加速すると、操縦桿を軽く倒してみた。
流体制御魔法のおかげか、たしかに応答性は格段に上がっていた。ここまで反応すると思っていなかったブレダは機体の制御を一旦失ってしまった。
「すごい……じゃじゃ馬に……」
「慌てなさんな。すぐにコントロールを取り戻せるはずさ」
リリエンの言う通り、機体はすぐに安定した。魔力コンピュータが操縦系の流体魔法装置を操り、自動的に行った動作だった。
「すごい!」
「機体自体の安定性はほとんどないと言っていいけど、これのおかげで操縦不能になることはまずないだろう。レースに必要な機動で相手に負けることもないだろうね。あとは慣れだ」
リリエンはシミュレータを停止させた。
「どうだい?乗りこなせそうかい?」
「まだ、わかんないですけど……」
ブレダは魔力タブレットにマニュアルを表示させ、熱心に読み始めた。
「これ、すごい面白いかも!かもです!」
「そうかい、面白いかい」
リリエンは声を上げて笑い出した。
「実機の方もあと2か月以内には完成させる。それまでは思いっきりシミュレータで遊びな。アナトラ、後は頼んだよ」
「はい、おばさん」
リリエンはセイバーⅡが組み立てられている格納庫に去って行った。
「じゃあ、はじめようかブレダちゃん」
「はい!」
アナトラはシミュレータを再起動させた。
半年はあっというまに過ぎた。
リリエンは今度は2か月かからずに機体を完成させ、ペルトリのエンジンも無事搭載された。二度目の初飛行は基地でひっそりと行われ、ブレダはそのまま実機による慣熟訓練を開始した。
同時に、別ラインで製造されていた高速練習機も完成し、その1号機と2号機を使って、模擬レースも連日行われた。この機体はセイバーほどの性能はもちろん持っていなかったが、ブレダと、後席にエンジン駆動用の気の毒なエルフ魔導士をのっけたリリエンによって、レースの具体的なノウハウが積み上げられていった。
ヒルデもまた、更なる改造を受けたリピッシュを駆って、毎日飛び続けていた。
アルガスの企みを知る由もなかった彼女は、実力でねじ伏せる気満々であり、やはり模擬レースを繰り返してレースの感覚をつかみ、さらなる細かい調整をリピッシュに行うことに夢中になっていた。
この間、魔王としての職務はおざなりにされ続けたが、どうしたわけか支持率は下がらなかった。それどころか、魔王様応援団が組織され、訓練を行っている魔王様に手を振るためだけに人々が殺到した。
声援を受け、ヒルデのモチベーションは否が応でも上がって行った。
レース会場の整備も順調に進んだ。
ただの砂漠だった中立地帯に、滑走路や格納庫、巨大な観覧席が建造され、周辺にも急造の宿泊設備などがぽこぽこと建ち上がっていった。
作業用の大型荷馬車などが走っていた砂利道もやがて舗装が施され、エルフ国の高速道路とも接続された。
審判用のタワーがそびえたつゴール近くの観覧席はプラチナチケットとなり、大変な高額で取引された。
巨額となった放送権を手に入れたとある魔力メディアは、中継画像などを小売することにしたため、他のどのメディアでもこのレースにむけた番組が放送された。
人間国のブックメーカーのオッズは、セイバーが微妙に有利と判定していたが、巷の予想は真っ二つに割れていた。しかし、もう仮定に仮定を重ねて論ずることはない。あとちょっとすれば、実際にこのドラゴンと飛行機械は戦うのだ。
世界が、かたずを飲んでレース開始を待っていた。
レースを数日後に控え、官舎で休養することになっていたブレダは、この機会にいろいろお世話になった人を家に招いて、ささやかなパーティーを開くことにした。
ペルトリとリリエンはすでに現地入りしており、ブレダの両親も間に合わなかったが、あの日、進路相談所にむけて村を出発してから出会った人々が、招待に応じて集まってきた。
ファルマン、リオレ、イスパノはもちろん参加しており、小さな庭に置かれたテーブルに座って、ノムちゃんから飲み物などを受け取りながらすでにくつろいでいる。
アナトラもまだ研究所にいたドワーフやエルフ技術者を連れてやってきた。
やがて、二台の辻馬車が止まり、小さな人影がそれぞれから降りてきた。
「よう!ブレダ!もう忘れられてるかと思ったぜ。くっそ高いレースのチケットまで送ってくれるなんて、どいう風の吹き回しだ」
ひとりはアグスタであった。
「ちっちゃい同士、なんかあったら呼ぶっていったじゃない」
「そういう意味だったっけかなあ……まあ、いいか!しかし出世しやがって」
ブレダとアグスタはこぶしを合わせて笑いあった。
「お招きありがとうね。でも、なんで私なんか呼んでくれたのかしら」
もう一人はマリエッタだった。
「飴ちゃんのお礼ですよ」
「あら、まあ……」
「おお、ちっちゃいーずそろい踏みだ!」
ノムちゃんは、笑いあう小さな三人組を目を細めて見て、いろいろあったなあ……とかおばさんチックに考えながら、一人うんうんと頷いていた。
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