第20話 ちびエルフと月に行く船

 みんながあれほど大騒ぎしているのに「ちいちゃい」とはどういうことだろうとブレダは訝しんだ。

「じゃあ先生の研究の目的って……」

「他の連中は私のことをいろいろ手を出す浮気者だと決めつけるが、私の目的は若いころから全く変わっておらん。ぶれたことなどない。目的地はあそこだ」

 ペルトリは虚空を指さした。

 何か比喩的なジェスチャーなのだろうかと、ブレダは思い、きょろきょろしてしまった。大志を抱け的な?

「見えんのか?あそこだ。この星から一番近い天体だ」

「え?」

 ペルトリが指さす方をきちんと見ると、そこにはお月様が浮かんでいた。

「この惑星からたったの38万エルキ。我々はすべてを手に入れたような気になっているが、たったこれだけの距離を超える手段をまだ持っておらん」

 エルキとはエルフの距離単位である。それはたまたまだいたい1kmに相当した。そして、このエルフたちが住む惑星には衛星が一つだけ存在し、それまでの距離も大きさ、質量の比率も大体我々の地球と月と同じくらいだった。

「お月様に?」

 ブレダは混乱した。月にエルフが行けるなんて考えたことすらなかったのだ。

 ペルトリは腕を下ろすと言った。

「私が君くらいだったころ、私はこのことに気が付いた。そして生涯をかけて月に行く手段を研究しようと誓ったのだ」

 それが先生の「出会い」だったのかしら。と、ブレダは進路相談所でのペルトリの話を思い出していた。

「しかし、これは一つの学問を極めるだけで達成できることではなかったのだ。様々な分野の知識、技術を結集してやっとできる大事業だ。しかし、頭の固い連中は鼻で笑うだけで協力すらしてくれない。だから、自分でいろんな分野に手を出すことになってしまったのだよ。ずいぶん嫌われたものだ」

 ペルトリは寂し気にため息をつくと続けた。

「まあしかし、到底一人でできるようなことではない。空回りするうちにこんな年になってしまった。あのエンジンは私の研究が生み出した最良の成果の一つだ。宇宙空間にも空間エネルギーが満ちていることは、私が証明したが、大気はないので、宇宙で使おうと思ったら、増進材となる何らかの流体を別に持っていく必要があるがな」


 と、ペルトリは突然激昂し始めた。

「その間もずっとあの月のくそ野郎は、『どうした?まだこれないのか?お前らは所詮その程度の存在か?』と笑いながら夜な夜な現れやがる!あいつは何万年も何億年も地上の生き物を笑い飛ばしてこの星を回ってやがるんだ!くそ!」

 地団駄を踏み始めた。

 気が済むまで罪のない地面を蹴り飛ばした後、ペルトリはしばらく肩で息をしていたが、やがて落ち着いたのか元の口調でしゃべりだした。

「おそらく、今回の仕事が私の最後の大仕事ということにもなろう。だが、この星の住人はまた空に目を向けたのだ。それが魔族でもエルフでもかまわんが、こうなったら私のこの手で作ってやろうじゃないか。月に行く船は無理でも、せめてなるべく高みにあがれる機体を。そうすれば、誰かが同じ思いを継いでくれるかもしれん」


 月に行く船か。とブレダは考えた。

「すごいな」と思った。それってものすごいことだ。

 すっかり暗くなった空には、星も瞬き始めている。月に行ければ、その先はあの星々にもいけるんだろうか。

 くらくらしてきた。エルフってそこまでできる生き物なんだろうか。このちいちゃな惑星の住人は、いったいどこまで行けるんだろう。

 ブレダは心の奥から湧き出てくるなにかが抑えきれなくなっていた。ああ、めちゃくちゃわくわくする!


「先生」とブレダはペルトリに話しかけた。

「私、出会っちゃったのかもしれません」

「ん?なんのことだ?さ、暗くなったし、帰るぞ」

 進路相談所での演説など、もうすっかり忘れているペルトリは、辻馬車をつかまえようとすたすたと歩きだしていた。



 2か月後。

 エンジンテストが行われた同じ練兵場で、科学アカデミーが完成させた最初の対空兵器の公試が行われていた。

 それは巨大で、お世辞にも洗練されてはいなかったが、とりあえず機能はしていた。アカデミーの科学者は、必要以上に頻繁に開かれる会議でマウントを取り合うことばかりに時間を費やしていたので、この短期間で完成したこと自体が奇跡だった。

 部外秘となっていたが、実は現場の技術者がとりあえずでっちあげて、科学者たちに慎重に根回ししてお許しをいただくと言う、実に回りくどい手段で完成したものであった。そうでもしないとアカデミーが宮廷からおしかりを受け、そのとばっちりが下々までまわってきそうだったからである。


 視察に来ていたファルマンが見るかぎり、標的用に急遽過去の設計図から再現された軟式ガス気球の群には、その巨大な装置から打ち出される小さな火の玉はまるで当たっていないように見えた。あるいは当たっても風船一つ割れない威力しかないのかもしれない。

 だが、高度はほぼ届いているようだ。標的は魔導士が撃つ攻撃魔法の平均的射程距離よりはるかに高くあげられていたため、これなら照準装置などに改良を加え、威力を上げていけば、あるいは使い物にはなるかもしれないな、とファルマンは思った。

「しかし……」

 同じく視察に来ていたリオレが耳をふさぎながら、大声で言ってきた。

「ブレダちゃんじゃないけど、こんなのバンバン撃たれたら、味方のでも僕怖くて動けなくなっちゃうかも」

 確かにそれは発射のたびにものすごい音を発していた。地響きと土ぼこりまでやってくる。ファルマンが知っている戦場音楽にこんなものは含まれていない。少なくともいままでは。

「本当に、戦争そのものが変わっちまったのかもしれないなあ」と自分も耳をふさぎながらファルマンは思った。



 同じようなことを、魔王国でハインケル将軍も考えることになった。

 その日、とりあえず揃っただけの新兵器を配備したアルガスの新しい編成による大隊が、大規模な実弾訓練を行っていた。ハインケルは魔王軍の幕僚たちとともにそれを観戦していた。ヒルデはいなかったがアルガスも真剣に見ている。

 シュツーカの群れが、標的におそろしい鳴き声を立てながら急降下し、魔法爆弾を投下した。地鳴りのような連続した爆発音とともに標的は粉々に吹っ飛び、炎と煙に包まれていく。あの恐ろしい鳴き声は、わざと出すように調教したとも聞いていた。

 エルフ軍には防御魔法をつかった強固な防衛用陣形が存在したが、あんなもので反復攻撃されたらひとたまりもないだろう。

「前進ッ!」

 シュツーカが飛び去ると、今度は指揮官の命令で魔界に生息する八本足の馬に引かれた戦闘用馬車が敵陣めがけて動き出した。二頭立てだが、馬自体も魔物の一種で、しかも全身を鎧で覆っていた。馬車もぶあつい装甲版で護られている。そして、屋根にはクルップの開発した「弾丸」を打ち出す装置、「銃」が搭載されていた。

 それはまだ数両しか完成していなかったが、その効力はうたがうべくもなかった。銃から放たれた弾丸はすでに粉々になった標的のあった地点に吸い込まれていき、そこをずたずたに引き裂いていた。

 戦闘用馬車が作る弾幕に隠れ、歩兵たちも前進していく。彼らは軽装でその動きも軽かった。さすがに歩兵たちの装備は依然として剣や槍、弩級などだったが、こんな攻撃を受けた後敵にまともな反撃ができるとも思えず、それで充分のようにも思える。

 とどめのように、残敵掃討の任務を帯びた、ガンポッド搭載のシュツーカまでが現れた。

 歩兵部隊が仮想敵陣に届いたところで訓練終了となった。

 ハインケルは懐中時計を確認した。それは30分ほどしかかからなかったことを示していた。


「まさに電撃だ」とハインケルは思った。

 今は1大隊にすぎないが、アルガスの考えるこの軍隊が計画通り完全に充足されたとき、それは恐ろしいものになるだろう。失地回復どころか、世界征服もできそうな気がしてくる。

「文字通り悪魔の軍隊だな」と、自分も悪魔族の一類であることを忘れてハインケルはつぶやいた。

 しかし、実戦がこううまくいく訳がないこともハインケルは承知していた。

「遠からず、敵はこれへの防御手段を編み出し、そして同じような攻撃手段を手に入れることだろう」

 戦争は変わった。あっというまに、どんどん効率的なものになって行っていた。戦争における効率とは、すなわち、迅速に簡単に大量に人を殺すことに他ならない。

 次の戦争は悲惨なものになるだろう。とハインケルは予想した。そして、その後はどうなるのだろう。魔王軍はさらにもっと強い武器を作るのだろうか。そして敵も。

「我々は双方絶滅するまで殺し合いを続けるのかもしれないな」

 そう考えて、ハインケルはまことに悪魔らしい恐ろしい笑みを浮かべた。



 さて。

 さすがに練兵場で飛行訓練はできなかったので、リリエンたちとともにペルトリはエルフ国初の航空基地を作る場所をさがした。

 リリエンがここがよいとしたのは、聖都から高速馬車で数時間行ったところだった。なだらかな丘くらいしかない平地で、まだ開発は行われておらず、町も村もなかった。研究所からもそれほど遠くない。

 高速道路からほど近い所を切り開き、航空基地の各施設や格納庫、滑走路などが急いで作られた。そのほとんどはまだ仮設で、ぶっちゃけ掘っ立て小屋に近かったが、充分に機能はした。


 リリエンはブレダの訓練用に、手持ちの中で最も安定性の高いグライダーの設計を少し改造し、それに小型流体制御エンジンを取り付けた初の動力付き飛行機を作成した。

 それは木製羽布張り、タンデム複座の単葉機で、鳥のような美しい翼をもっていた。空では大変に優雅に飛んだが、降着装置は橇だったため、地上では移動にもたもたと手間がかかり、やがてアホウドリアルバトロスという名前をもらうことになった。

 スピードはたいして出ず、機動性もお世辞にもよくなかったが、安定性は抜群に仕上がり、初等練習機にはちょうどよかった。

 後席のリリエンの操縦で数度飛んで、ブレダはすっかりこの飛行機を気に入っていた。開放型の操縦席で感じる風が素晴らしく気持ちがよかった。


「よし、じゃあそろそろ操縦してみようか」

 魔力インカム通じていきなりそう後席のリリエンに言われて、ブレダは慌てた。簡易シミュレータで操縦桿やペダルの操作は一応頭に入れていたが、実際にやるのは初めてだったのだ。

 もっとも、アルバトロスは手を離してもまっすぐ飛ぶような機体だったため、慌てる必要はなにもなかったのだが。

「それじゃわたすよ」

「もらいました!」

 操縦桿から翼の振動が伝わってくるようだった。すごい。なんだろう本当に自分で飛んでいるって気がする。ブレダはちょっとうれしくなった。

「びびってないようだね」とリリエンは思った。見込みはありそうかも。

「よし、じゃあゆっくり左旋回してみようか」

「はい!」


 何度も飛んで、アルバトロスに可能な機動を一通り覚え、そろそろ慣れてきたかな?とブレダが思った頃に、それを見透かしたかのようにリリエンは言った。

「空って言うのは全く同じってことは絶対にないんだ。いつも気まぐれにころころ変わっちまう。もう慣れたという慢心が一番よくない。空はすぐそこに付け入ってくる。私の旦那たちはみんな腕のいい操縦者だったが、3人中2人までそれにやられた」

 後になっても、残りの一人の事故原因について、リリエンはどうしても教えてくれなかった。

「常になんでも注意してみるんだ。天候や地形、木々の葉っぱや遠くの雲の動きなんかもいろんなことを教えてくれる。これは経験で覚えていくしかないね」


 その他様々なことをリリエンから教わりながら、ブレダは飛行機操縦者としての腕を着実に上げて行った。


 そして、今日も午前中の練習を終え、滑走路に降りてきてみると、アナトラと、そしてノムちゃんが待っていた。

 ノムちゃんはバスケットを下げており、機体が静止すると駆け寄ってきた。

「おべんと作ってきたよー」とノムちゃんはブレダに向かってバスケットを掲げた。

「わーい!」

 ブレダは操縦席で両手を上げて見せた。

「どう?だいぶ慣れた?」とノムちゃんは聞いた。

「慣れた……と思うんだけど、思っちゃいけないんだって」

「なんだそら」

 よいこらしょっとブレダは操縦席から降りると、ノムちゃんと二人で滑走路わきの草原に行き、そこでお弁当を広げて食べ始めた。

 ノムちゃんはブレダと暮らすようになってますます主婦力を上昇させており、今日のお弁当のサンドイッチもいろいろ具がこっていてとてもおいしかった。水筒のお茶もいい茶葉を使っている。

「なんかうれしそうだねノムちゃん」

「えへへーわかるー?」と本当にうれしそうにノムちゃんは言った。

「今朝もイスパノ先生のとこに顔を出したんだけど、治魔師学校合格間違いなしって言われちゃった」

「えーすごい!がんばったね!ノムちゃん」

 そういえばもう試験も近かった。いつのまにか季節は夏を過ぎ、秋になりかけている。


 いかにもその年頃の娘たちと言った感じで笑いあいながら、お弁当を頬張る二人を少し離れたところで椅子に座りながらリリエンは見ていた。

 その手にもノムちゃんから渡されたサンドイッチがあった。

「どうです?ブレダちゃんの調子は」

 アナトラが、お茶を入れて持ってきた。カップをリリエンに渡す。

「呑み込みは早いね。エルフにしては機敏だし目もいい。あれで経験を積めば、いい操縦者になると思うよ」

「リリエンおばさんの教え方がいいんですよ」

「おいおい、忘れてるかもしれないけど、私だって動力付きは初めてなんだよ。まあ、おかげでずいぶん楽しませてももらったけどね。なにせ、何十年も夢見てきた機体だ」

 ここに至るまでの間に失ってきた仲間の姿が浮かんでくる。事故で死んだだけではなく、これを見ることなく、病死したり寿命を迎えたものもいる。

「しかし、こっちのデータ収集は大体終わったし、そろそろ潮時かね。おい!ブレダ!」

 急に呼ばれてブレダは慌てて立ち上がると、「はい!」と答えた。

「午後から単独操縦飛行を許可する。以降は一人で飛びな!」

「ええええええ」

「アナトラ、あんたが付いていておやり。なんなら後席に座ってもいいぞ」

 アナトラは困ったような顔になった。

「そりゃ乗りたいのはやまやまなんですけど」

 リリエンがアナトラの視線を追うとアルバトロスの後部操縦席があった。

 それは完全に標準的な「ドワーフサイズ」に設計されている。

「ああ、座席から作り直さないと無理か……まあそれもおいおい考えよう!」

 リリエンはすっくと立ち上がるとノムちゃんのサンドイッチを一口で食べ、お茶を飲みほした。そのまま立ち去って行こうとする。

「じゃあ、おばさんいよいよ」

「ああ、そろそろ本格的にとりかかることにする。にな」

 リリエンは自分の頬を両手でぴしゃりと叩いた。気合入ってるなあとアナトラは思った。

「がんばってくださいね!おばさんかっこいいですよ」

「そらそうよ。役どころとしてはドラゴンを倒す最強の剣を鍛える伝説の鍛冶屋だ。ドワーフの本懐ってやつだろ!」

 リリエンはのっしのっしと掘っ立て小屋にしか見えない本部棟のほうへ歩み去ってしまった。

「伝説の鍛冶屋が作った伝説の剣か……」と、それを見送りながらアナトラは思った。

「じゃあブレダちゃんの役どころは……」


 見ると、不安でいっぱいで、「どうしようノムちゃん!」とか言ってるブレダの頭をノムちゃんがいいこいいこしてあげていた。

「なまらちっちゃな勇者様だこと」

 アナトラはおもわず笑い出した。

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