第16話 もうひとつの小さな椅子
さてさて。
前回出番がとうとうなかった主役たち、ブレダとノムちゃんは、のんきな故郷の村にもどり、休暇を満喫していた。
それほど長い間離れていたわけでもないのに、戻ってきたときは懐かしいとまで感じたのどかな村の風情は、いろいろ経験してきたふたりには大きな癒しとなっていた。
各職業コースの入試は初秋からだったので、進学する若者にとってこのシーズンは長い休暇となり、受験勉強のかたわら、旅行に行ったりするものも少なくなかったが、すでに内定をこっそりいただき、人間の町にまで出かけていたブレダたちは、この村でだらんこだらんこ過ごすことに決めていた。
実際、休暇を過ごすのには、自然豊かで気候も穏やかなこの村は、ある意味最適な環境とも言えた。
季節は初夏から本格的な夏にさしかかっており、だんだん暑くなり始めていた。
今日は、ブレダとノムちゃんは村のはずれにある大きな楡の木にお弁当と冷たい飲み物を入れた水筒をもって出かけて、木陰で草原に並んで寝転んでふにゃあっとなっていた。
「そういえば」とノムちゃんは思う。
暑くなってきたけど、海とか行かなくていいのかしら。海。そう、海と言えば水着よね。水着。水着よ。ブレダちゃんの水着。そうね水着回は大事だわ。うん。かわいいだろうなあブレダちゃんの水着。やっぱワンピかな。ワンピだなあ。ビキニは似合わないわ。っていうか、ブレダちゃんのビキニとか私には刺激が強すぎる。うわ!だめ!想像しちゃダメ!「ノムちゃん後ろの紐結んで」とか言われて、もうあれよ、震える指でこう後ろ手で髪の毛をかきあげてるブレダちゃんのかわいい背中にこう……いや、まって、ビキニって言ったら、あれじゃない?あれ。泳いでたら急にブレダちゃんったらもじもじ私つついてきたりしてさ、「上だけ流されちゃった」とか言うのよ。うわ!大変!大変だ!急いで探してあげないと!あった!あそこにあった!早く回収してブレダちゃんのもとに……あれ?なに?ブレダちゃんおぼれてるの!?何おぼれてるのブレダちゃん!やばい!やばいわよ!大急ぎで砂浜にブレダちゃんを運んで……あ、ちょっとまってね、その前にちゃんとビキニの上はつけてあげてっと……それから、そう、人工呼吸を、人工呼吸をしないと……ブレダちゃんのかわいい唇に……。
ブレダは地鳴りを感じたように思って起き上がったが、見回しても特に何も起きていなかった。
が、ノムちゃんの様子がただ事ではなかったので、心配してつついた。
「ノムちゃん?」
「うひゃっほう!」
ノムちゃんはあおむけに寝た姿勢から1mくらい飛びあがってみせた。
そのまま落下して後頭部を打ったらしく、悶絶している。
「だいじょうぶ?」
「だいじょぶ!だいじょぶだから!」
ノムちゃんは例の治魔師適性検査からこっち、妄想癖に拍車がかかっているように感じて、少し震えた。
ブレダはぶつけた後頭部を撫でてくれている。本当に優しいいい子だな。でも……でも、もうすぐ……。
「こぶとかにはなってないみたいだけど」
と、ブレダはノムちゃんが涙をいっぱいためたうるうるとした瞳でこちらを見ているのに気がついた。
「どうしたの?やっぱ痛い?」
「ん?あああ、ちがう、ちがうの。なんでもない、なんでもないから!」
ぐしぐしと目を両手でこすると、にっこりと笑って見せた。
しかし、笑顔とは裏腹に「こうして一緒にいられるのもあとちょっとなんだな」と、心の中ではノムちゃんはまだ考えていた。
「ブレダちゃん、で、結局進路は決まったの?」
「んー」
ブレダは両足をのばしてぺたんと草原に座りながら、ちいちゃなつま先を片方ずつ、曲げたり伸ばしたりとかしながら答えた。
「じつはまだ決めかねてる」
「あら」
「進路相談所からの返事もまだだし。もうめんどくさいから、返事が来たらそのコースにしちゃおうかな」
「えー?それでいいの?」
「ほんとはうそ。まだ締め切りまではちょっとあるし、ぎりぎりまで悩んでみるよー」
そう言うと、ブレダはころりんと大の字に寝転んだ。
「そっかー」
ノムちゃんもそのよこに寝転んだ。
だったら、一緒に治魔師コースでもいいのに。とノムちゃんは思ったが、この件についてブレダにそれとなく振っても、ブレダは一流治魔師を目指すノムちゃんを外から応援するというポジションを崩す気はないらしく、もうあきらめていた。
と言って、今からノムちゃんがブレダと同じコースを選ぶのは、あのこわいイスパノ先生が許してくれそうにない。
各専門教育機関は基本全寮制で、エルフ国のあちらこちらに設置されていたので、ブレダが選ぶコースによっては、秋からは離れて暮らすことになってしまう。
しばらくお別れかも知れないな。
そう考えると、ノムちゃんはまたすっかり悲しくなってきてしまった。
やがてひっくひっくとすすり上げ始める。
「ど、どうしたのノムちゃん!だいじょうぶ?」
「だ、だいじょぶ!なんでもない……なんでもないから……」
「ん?」
ブレダの耳がぴくっと動き、遠くから聞こえる何かの音をとらえた。ぴょいっと起き上がる。
「んー?どうしたの?」
ノムちゃんも涙をぬぐいながら起き上がった。
「あれ」
ブレダがが指さす方に、ノムちゃんが目を凝らすと、街道を土ぼこりを巻き上げながら何かがこちらに向かってきている。
「馬車かな?でもなんかすごい速い」
近づいてきてみると、それは、以前ブレダたちが乗ったような、6頭立ての軍用高速馬車だった。同じ馬車かどうかはブレダには見分けはつかない。
馬車は村のスタシオンに停まり、御者が村人を招いて何か聞いている。
集まってきた村人のひとりがこちらの方を指し示すと、馬車はそのまま草原に乗り込むと、こちらの方に向かってきた。
「な、なにごと?」とノムちゃんは慌てた。
「わかんない」
ブレダは立ち上がって馬車の方を見た。
楡の木の下まで来ると、馬車はドリフトしながら横滑りに急停止した。草がとびちってブレダたちにもかかる。
「うわあああ!ぺっぺ」
草が口に入ったノムちゃんがぺっぺしていると、馬車の扉が開き、ペルトリが姿を現した。
「おおおお!おったあああ!」
踊るようにしてこっちに走ってくる。
「ナニモノ?」とノムちゃんが聞いた
「あ、研究者コースの先生だ」
まだその手が増えるのかよ!とノムちゃんはブレダをかばって立ちふさがった。
そんなノムちゃんを簡単に押しのけて、ペルトリはブレダの目前に座り込むと、メジャーでその身長を測りだす。
「おお、データ通りじゃな。うむ」
満足げに立ち上がると、嬉しそうに大声で言った。
「ちっちゃいのおぉ!」
「ごと」という音がした。
ノムちゃんが振り向くと、何事かとやってきたらしい村のエルフ主婦が、蒼白になって手に持った手桶を落としているところだった。
そうだった。忘れかけていたけど、ブレダをちっちゃいっていうのはこの村では禁句だった。
「あの、あの、先生、その言葉はこの村では言っちゃいけないことになってまして」
とノムちゃんはペルトリに話しかけたが、それは耳に入らなかったようだった。
ペルトリはそのままブレダをひょいっと抱き上げると、高い高いをするように掲げた。
「おおお!ちっちゃくて軽いのおぉ!」
「ごと」「ぽて」「ぴしゃ」
ノムちゃんが見回すと、集まってきた村人がみな唖然として手に持っていたものを落としている。
「先生!ああ、先生!おやめください!先生!」
「よう!」
高い高いされたままのブレダが声をする方を見ると、馬車から見覚えのある男が降りてきた。
「リオレさん!」
「なんか、その先生がブレダちゃんに急用だっていうから、ついてきちゃった。その……関係者として?」
「と、こいつが馬車に乗り込んだから俺も来た」
ファルマンが馬車から現れた。
「ファルマンさん!」
「ったく忙しいのに仕事増やしやがって」
「えー?だったらついてこなくてもよかったのに」
「んだと?」
「はーい!それまで」
イスパノまでがにらみ合う二人の間を割って、馬車から降りてきた。
「イスパノさんまで!」
「なんか引っ張り込まれちゃって」
「その場にいたから勢いでなんとなく。いいじゃん。治魔師今回の件絡んでないから暇でしょ?」
「そんなわけないじゃないの!」
「あのー」
「あ!進路相談所の……」
「タレスです。いや、ペルトリ先生の件が進路と関わっておりまして……」
ノムちゃんは大混乱に陥っていた。
「なに?いったい何なのこれ!っていうか先生!ちっちゃいちっちゃいってブレダちゃん持ち上げたまま踊って、村人次々と凍らせるのやめて!ブレダちゃんも抱き上げられたままなんで平然とにこにこしてるの?なに?なんなのこの状況?」
ペルトリは、会議が終わるとすぐに、進路相談所で会ったあの「ちっちゃいエルフ」の情報を集めるべく走り回り、リオレが例の事件でブレダたちと一緒にいたことを突き止めると、つかまえて詰問した。
リオレは魔力については保証したが、身体測定結果などは持っていなかったので、流れでファルマンとイスパノもつれて馬車を飛ばし、より詳細なデータを求めて進路相談所に向かった。
タレスは、個人情報の取り扱いについて丁重にペルトリに説明したが、まるで取り合ってもらえず、軍のお偉いさんまでひき連れた状態で「緊急事態なのだ」と詰め寄られてやがて折れ、「オフレコで」という条件でブレダのデータを渡した。
ペルトリはブレダのサイズ、重さ、魔力、体力や反射神経などを確認し、驚喜した。それはまさに彼の飛行機械にぴったりとはまったからだ。操縦士としての適性もある。
だが、タレスは話を聞くと、ペルトリが自分の都合でブレダの進路を無理やり決めようとしていると判断し激怒した。あの事件の余波で、ただでさえ遅れている進路決定調整をさらにややこしくされるのもたまらなかったし、データを渡してしまった負い目もある。
そこに、話をさらにさらに混迷へと導くリオレとファルマンの「いやうちのとこだろ」という横やりも入って、喧々囂々の大論争になった。
というところで「本人にまず聞くべきなんじゃないの?」というイスパノの冷静な突込みが入り、それではと全員馬車に跳び乗って飛んできたという次第だった。
そして、今、ブレダの家でペルトリがブレダとその両親に
「だから、わからんかなあ!これは国家の最優先研究対象なんだぞ」
「いや、それは横暴です。すべての若者は自分で進路を選ぶ権利があります!そのお手伝いができるのは我々だけであって」
「うちなんか、歩兵師団にブレダ専用のポストをつくる根回しまで終わってるんだぞ?」
「えー?絶対おもしろいのにぃ!ちっちゃい大魔導士!」
ブレダの両親はひきつった社交スマイルをたたえてその光景を唖然と見ている。
「はーい!ストップ!」
イスパノが大声でその終わらない論争に待ったをかけた。
「まずはご両親とブレダちゃんの意向を聞いてからにしましょう。いいですね?」
「いやそれは」とかなんとか男どもは抗議しようとしたが、イスパノのメガネをギラリと光らせた「いいわね!」の怒号で黙った。
「ご両親」
それでも食い下がってペルトリは言った。
「これは国難……緊急事態なのです。ああいうものは実際に飛ばさないと、いろいろわからないものなんです。3年……いや1年でいい。ブレダ君の協力があればきっと完成します。そうしたら、そのまま残るもよし、好きなコースに転科するもよし、ブレダ君を縛ることはしません。これは約束します」
ペルトリはファルマンとリオレを見ると言った。
「お前たちもそれならいいだろう?」
科学界の重鎮にそういわれてしまえば、ファルマンたちも「ま、まあ」とか言うしかなかった。
「いいえ!この時期は非常に大事です!たとえ1年でも出遅れれば、それは一生ついて回るかもしれないんですよ?」
と、タレスだけはまだ食いついてきた。
「400年はあるエルフの寿命のたった1年がなんだというんだ」
「いいや、あなたはお分かりになっていない。というか、まさしくそれであなたは今もご苦労なさっているのではないのですか?」
「先生、そしてみなさま」
再開しそうな論争に、イスパノがまた制止をかけようとした時、父親と小声で話し合っていたブレダの母親が声を上げた。
「お話は分かりました。お気を遣っていただいてありがとうございます。……ですが、これはあくまでブレダの問題です。私たちはブレダの判断を尊重しようと思います。これまでずっとそうしてきましたので」
全員の目がブレダに注がれる。
「ブレダ」
母親がブレダに話しかけた。
「誰に気を遣う必要もありません。自分が好きなように選びなさい。あるがままに。それがどんな選択でも、私たちは受け入れますよ」
ブレダはノムちゃんを見た。
ノムちゃんも大きくうなずいて見せた。
ブレダはうんっと腕を組むと考えた。
結局、進路が決まらないのは、私はまた怖がっているからなんだ。とブレダは思った。
自尊心と知らない世界への不安。もし、その道に進んで全然使い物にならなかったらどうしよう。まだそんなことを恐れているにちがいない。
恐れを受け入れろ、そして考えろ。すると、何かがささやいてくるのが分かった。
「結局のところさ」そいつは軽い口調で言う。
「そんなものはやってみないとわからないのさ」
そりゃそうだ。とブレダは思った。
あるがままに。じゃあ私はどう進みたい?今の私の本当の気持ちは……。
「空飛ぶ機械か……」
ブレダはにこっとした。
「それってすごい面白そう!」
「先生、私お話を受けます!」
ブレダはペルトリの顔をまっすぐ見ながら言った。
ペルトリの顔に喜びが広がっていく。
「ありがとう!ブレダ君!これでエルフ国は救われる!」
小躍りしそうな勢いでペルトリはブレダの手を取るとぶんぶんと振った。
「そうと決まれば、善は急げだ!すぐに聖都に来てくれ!ああ、来れるかな?」
「いや、まだ休暇期間中で……」とタレスが突っ込む。
「めんどくさいことをいちいち言うな!開始が早ければ、終わるのも早くなる。そのほうが、君のいう、その、キャリアのロスも少なくなって好都合じゃないか」
ブレダは両親の方を見た。
ふたりともにっこり笑ってくれている。
「はい!行きます!」
「そうか!来てくれるか!」
ペルトリは実際に踊り始めた。
「やったね!ブレダちゃん!」
ノムちゃんが抱き着いてきた。
「進路決まったよ!」
「まだほら実質1年後に先延ばししただけだし」
「あー、まあでも、とりあえずおめでとう!」
なぜだか泣いてるノムちゃんを見ながら、イスパノは「とりあえず、一件落着なのかな?」と考えたが、ちょっと首を傾げた。
ファルマンとリオレは、両親とほとんど同じ表情になって、4人して喜び合うブレダとノムちゃんを目を細めてみていた。
その場の空気に酔って、感極まったペルトリは、窓を開け放つと叫んだ。
「ちっちゃいのばんざあああああい!」
村中から、何かを落とす音が聞こえた気がした。
ノムちゃんは、この先生もたいがいだけど、やっぱり村のこの習慣はもうやめたほうがいいんじゃないかしらと思った。
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