第5話 ちびオークはとてもがんばった

 うっかり口を滑らしてしまったことで、「ただでは済まない」という覚悟はしたものの、実際に何をされるのかについては想像することすらできず、ただ気を失うまいと頑張りながら震えていたノムちゃんであったが、ブレダが前に出て、小さな女オークと対峙したことで状況は変わった。


 言葉こそ交わされなかったが、お互いを嘗め回すように見て、それからちっちゃい同士だけに通じるテレパシーでも交わしたのか、突如、女オークは「ふん!」と鼻を鳴らし、一気にその場の緊張が解けた。

 やだ、ブレダちゃんかっこいい。



 そんなことがあってからしばらく経っていた。

 やっぱりちっちゃいテレパシーでも使ったのではないかというくらい、ブレダとちっちゃい女オークは打ち解け、双方夕食がまだということで、女オークおすすめのお店に来ていた。

 ノムちゃんや、ちっちゃい女オークとともにいた、こちらは普通にでっかいオークたちも一緒である。

 オークたちは席に着くやいなや、酒を発注し、料理が届く前にはもう出来上がっているようだった。

 エルフ族は成人するまで飲酒は禁止されていたため、ブレダとノムちゃんはお茶を飲んでいた。お酒は40を過ぎてから。

 というか、このちっちゃい女オークは成人しているのだろうか。

 いい飲みっぷりでつぎつぎとジョッキを空にしていくのを見ながら、ノムちゃんは心配になったが、いくら規則にうるさいエルフとはいえ、とてもではないが、仮にも女性にそれを問いただすことはできなかった。子供扱いと取られたら何をされるかわからないし。

 出された料理は一見粗野な感じの焼いた肉料理だったが、程よくスパイスが効いており、焼き加減も絶妙で、エルフの口にも充分あった。というかおいしい。


 女オークはアグスタと名乗った。名乗りの後に「ちっちゃいからって舐めんなよ」と続いたが、別に苗字というわけではないだろう。

 ブレダが主として身長に起因する問題で進路が決まらず、相談所に行くところだというような話をすると、「そっかあ、やっぱちっせえとエルフも大変なんだな」とため息をつき、ジョッキの酒をあおった。

 ブレダが面と向かって小さいって言われる光景に慣れていくのが怖い。ノムちゃんは思った。これに慣れて村でも口を滑らそうものなら、大変なことになっちゃうだろうな。

 と、やにわに、「だがなあ!ちっせえオークはもっと大変なんだよ!わかるか?お前?」とアグスタはジョッキをだん!と机にたたきつけると、ノムちゃんをまっすぐ見据えて言った。

 いきなり話を振られて、まだ咀嚼してない肉の塊をのどに詰まらせそうになり、ノムちゃんは目を白黒させたが、何とか飲み込むと、「わ、わかるような……気が?」と小さな声で答えようとした。

「いいいいいやっ!なんもわかってないね!」

 おそらくはどんな返答をしても返されたであろうこの怒鳴り声に続いて、アグスタの苦労話がはじまった。



 アグスタの両親は、有名な戦士を何人も輩出した名門の家系同士の結婚であり、当然この夫婦から生まれる子供もさぞかし、立派な戦士になるであろうことが期待された。

 だが、なかなか子宝に恵まれず、オークの神に祈ったり、オーク族に伝わる怪しげな民間伝承などをいろいろ試したりし、やっと授かったのがアグスタだった。

 腕っぷしだけで立派に切り盛りしている女家長も少なくないオーク族のことだったので、女性であったことは問題とされなかった。

 だが、女性であることを考慮に入れても、あまりに早いうちに成長が止まってしまったことは、一族を少なからず失望させることとなった。

「体が貧弱なオークがどんなふうに扱われるかわかるか?いじめられるとかじゃないぜ?無視だよ無視。価値のないゴミ扱いさ」

 父親はことさらに失望し、やがてほかに女を作って家に帰らなくなってしまった。


 だが、父親よりも高名な戦士であった母親はあきらめなかった。彼女は、オークならではの愛情を溢れんばかりにアグスタに注ぎ込んだ。

 つまり、特訓に次ぐ特訓である。

「何度逃げ出そうと思ったか知れない。っていうかさ、後で聞いたら並のオークがやるものの数倍きつい訓練だったらしいんだわ。むしろ良く死ななかったもんだよ」

 このきっつい母の愛のおかげで、やがてアグスタは腕力でも剣技でも、同年代の男オークにすら劣らない実力を示し始めた。

 だが、母の愛はこれだけでは終わらなかった。

 様々な犬種……もとい種族がいることで有名なコボルドだが、その中でも小さいことで有名なチワワン族の高名な剣士を、家庭教師として呼び寄せたのだ。


 小さなアグスタと比べても頭一つ小さいその老剣士は、だが、最初の練習試合でアグスタに剣同士が触れ合うことすら許さず、圧勝した。その技術にすぐに心酔したアグスタは、オークらしく、心から師を尊敬し、教えを乞うた。

 老剣士もまた、教え甲斐のある優秀で弟子を持ったことを喜び、小さな体でこそなしえるその秘伝の数々を、惜しむことなくアグスタに伝授した。

 それはそれは筆舌に尽くしがたい、過酷な修行の日々が続いたが、小さいとはいえ屈強なオークであるアグスタはそれによく耐えた。やはり、もともとの才能もあったのかもしれない。


 やがて、老剣士が免許皆伝を言い渡した時、アグスタは押しも押されぬ立派な、最強のオーク戦士となっていた。

 オークの武闘会にでれば優勝を総なめし、戦場でも抜群の働きをした。

 このうわさを聞き付けた父親が、母に復縁を申し込み、ぼこぼこにされて追い出されたというのはまあ、余計な話である。



 ブレダは、この話にいろいろ思うところもあって、すっかり感心してしまった。

 ブレダだけではない、その場にいた一同はみなおし黙ってしまった。この話をもうすっかり知っているであろう仲間のオークの中にも涙をぬぐっている者がいる。

 しかし、最も感動し、大粒の涙をぼろぼろとこぼしているのはノムちゃんであった。

「なんでおめえが泣いてるんだよ!」と、アグスタは笑いながらノムちゃんをからかったが、ノムちゃんはあわてて首を振り「いや……えっと……そうじゃなくて……アグスタさん、すっごいがんばったんだなぁって……すごいなあって思って……それで」

 そしてノムちゃんは両こぶしをぎゅっとにぎりしめ、言った。

「やっぱり、ちっちゃいは最高なんです!」

「んだそら?」

「わかんない。ノムちゃんが急に言い出したの。でも私もそう思うかも」と、まだぷるぷるしてノムちゃんの代わりにブレダが答えた。

 アグスタは杯をあおると「まあ、わるかねえか」とつぶやき、ジョッキを高くつき上げた。

「よおし!おまえら!ちっちゃいに乾杯だ!」

 オークどもは「おう!」と応えてそれぞれのジョッキを掲げた。



 さて、夜も更けたので宿に帰ろうという話になり、店を出たところで、アグスタは店の裏にブレダたちをいざなった。

「まあ、奥義ってわけにはいかねえが、ちっこいなりの戦い方のコツを特別サービスで、ちょっと教えてやるよ」

 人通りのない裏路地に着くとアグスタは言った。

「誰か相手してくれ」

 オークたちの一人が「へい」と返事して進み出た。抜刀する。

 アグスタも抜刀してそれに相対したが、大きな「並みの」オークに比べ、身長は半分ほどしかない。

「これだけの体格差があったら、いくら腕っぷしに自信があっても打ち合おうなんて考えちゃいけねえ。ちょっと振ってみろ」

 相手オークは剣を振り上げて、えいっと振り下ろした。アグスタも横に並んで、同じように剣を振り下ろした。

「わかるか?今だいたい同じタイミングで剣を振ったが、剣の先端のスピードは全然違うだろ?」

 確かに、相手オークの剣の先端は「ひゅっ」と風を切る音まで立てていたが、アグスタの剣はそんな音は立てなかった。

 つまり腕と剣の長さを半径として円を描いた場合、その円周は体格の大きい方が長くなるという理屈だ。同じ調子で剣を振った場合、先端のスピードは当然円周が長い方が速くなる。そして剣先のスピードは一撃が持つエネルギーに直結した。

「それだけでも打ち合いは不利になるが、それだけじゃない。こっちは打ち上げ、あっちは打ち下ろしになるから、相手には剣の重さも味方する。結果、たとえ筋力で上回っていてもいつか必ず打ち負けちまう」


 アグスタは相手オークに向かって剣を構えなおした。

「じゃあ、どうするかというと、打ち合いにならないように工夫する。基本は間合いだ。ちっこいわたしらは、こういうでかぶつと比べて得意とする間合いが違う。構えてみろ」

 オークは普通に剣を前に構えた。アグスタはオークが剣を振り下ろしたら直撃するであろうあたりに立った。

「流派にもよるが、このへんが相手の得意距離だ。まあ剣術だから、剣の刃が届く範囲で最大の攻撃ができるように普通は訓練するわな。じゃあ、同じ理屈で、ちっこいわたしらの得意距離がどのへんかというと」

 アグスタは剣を構えたままじりじりとオークに近づいて行った。

「こんなものだな」

 剣が振り下ろされたらオークの体に当たりそうになるまで間合いを詰めた結果、アグスタの体は剣を構えるオークの両こぶしと、その体の間にすっぽり収まってしまっていた。

「見ろ。こうなるとこっちの得意距離ってだけじゃなく、相手にとってはやっかいなことになる。剣の刃は届かないし、そもそも自分の腕が邪魔で見えずらい。できることはかなり限られてしまう。それに対して、こっちはぞんぶんに剣が振るえるわけだ」


 アグスタは構えをとくと、てくてくと歩いて部下オークとの間合いを取った。

「つまり、さっきの間合いに一刻も早く飛び込めればこっちが断然有利になる。一瞬の隙を突き、一気に懐に飛び込む。この訓練は絶対に必要だ。おい!防いでみせろ!」

「おう!」

 挑発されたオークは、本気で剣を構えなおす。

 アグスタは剣を肩に担ぐと、準備運動でもするようにぴょんぴょん跳ねて見せた。次の瞬間……

「!」

 ノムちゃんにはアグスタが一瞬で消えたように見えたが、ブレダはなんとかその動きを追っていた。

 アグスタはぴょんぴょんの「ぴょんぴょ」くらいのタイミングで、その体勢からは普通考えられないような跳躍を行い、一気にオークとの間合いを詰めていた。

 オークはそれに合わせ構えを変える。これに合わせて斬り伏せようとか考えてはいけないことは、何度も訓練でアグスタと手合わせしていたこのオークは思い知っていた。その剣は素早いアグスタには避けられてしまうし、振り下ろした隙をついて、この姐さんは数倍の攻撃を返してくる。

 だが、アグスタ自身を「剣の一撃」としてとらえ、これに合わせることは、自分にもできるのではないか。それが、前回ぼこぼこにされてからずっと考えてきた彼のアグスタ攻略法だった。

 アグスタは跳躍から着地し、合わせられた剣をさけて今度は右に軌道を変更する。

「だが、これはフェイントだ!」オークはぎりぎりのタイミングで、思った通り、素早く左側にさらに軌道変更してきたアグスタに剣を合わせた。

 だが、そこから先は、このオークにもブレダにも目でとらえることができなかった。

 うまく合わせられたと思った剣の向こうからアグスタの姿は掻き消えていた。

「残像??」オークはあわてて視線を彷徨させ、アグスタの姿を探す。

「ここだ」

 恐る恐る視線を下ろすと、アグスタはオークの懐にもうすっぽりと収まっていた。


 この400字詰め原稿用紙1枚強におよぶ攻防は、だが、実時間にすると0.5秒もかかっていなかった。だいたい1文字0.001秒の換算である。

「すごい」とブレダは思った。

 ブレダはエルフ族としては俊敏であったが、そもそもエルフ族の日常の動きは比較的緩慢である。自分がこれから厳しい訓練を積んだとしても、あの動きに少しでも近づくことができるのだろうか。種族差があることも考え合わせると、今のブレダにはその自信は全くなかった。


「ここから気をつけなきゃいけないのは、まず剣の柄で殴られること。これはかなり痛い。そして掴んで投げられてしまうことだが、いずれも対処法はなくもない。というか」

 アグスタはオークの体をぐいと押した。

「9割以上の敵は間合いを詰められたことにびびって、身を引いて間をとりなおそうとする。こうなっちまえばしめたもんだ。こっちは相手の腕と体の間にいるんだから、敵は満足に防御もできない。こっちは急所を狙い放題って寸法さ」

 アグスタはぱちん、と剣を鞘に納めた。完全に負けを悟ったオークは「はあ」とため息をついて剣を下ろした。

「どうも姐さんとやると、距離の目測が狂うんだよなあ」とか負け惜しみをつぶやく。

「んだとごるああああ!おめえの修行がたりねえんだよ!これから町の外周を10周してこい!」


 蹴っ飛ばされたオークが走り去った後、アグスタはブレダに近寄り、その肩に手を置いて言った。

「もし剣士になりたいっていうなら、わたしが指導してもいいぜ。師匠に話を通してもいい。そうでなくても、なんかあったら連絡しな。力にならないでもないぜ」

 アグスタは名刺のようなものをブレダに渡した。ブレダは知らなかったが、そこに書いてある連絡先は、オーク族でも一流の傭兵団のものだった。

「まあ無料ってわけにはいかねえが、割引してやる。なにしろわたしらは」といって右手を握って突き出した。

「ちっちゃい同士だからな」

「うん、よろしく!」ブレダはにこっと笑うと、自分もこぶしを握って、アグスタのこぶしにあてた。



 さて、ところ変わって。

 ここ魔王領のとある場所では、アルガスがとある「新兵器」を検分していた。

 その両脇にひっついて、異常に熱心に「それ」について解説していたのは、あのブロームとフォスの兄弟だった。


「なるほど」とアルガスは思った。こんな兵器はいままでの魔王軍には置き場所がない。彼らが疎んじられていたのも無理はなかった。

 しかし、今回の作戦には渡りに船と言えた。この兄弟が生き残ったのは、新魔王ヒルデには幸運だったとも言える。

 彼女には君主として必要なもあるのかもしれない。


「そしてここが一番の売りのひとつだ。座席はかんぜんに覆われ、密閉することができる。これの利点は……」

「しかし」とアルガスは自慢げに二人が指し示すそれを見て言った。

「ずいぶんとまた、ちいちゃいな」

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