第4話 ちっちゃいは最高であること

 ノムちゃんはその後、どうやって馬車に乗り込んだかの記憶が、後になってもどうしても思い出せなかった。


 気が付けば、座席でのびていた。どうもまた熱暴走をおこしたようだが、ブレダが出発を延期してまで地方神殿に連れていくほどのことはおきなかったようだ。偉いぞ私。

 馬車はからころぽくぽくと軽快な車輪と馬蹄の音を響かせて、砂利で舗装された街道を順調に走っているらしい。

 起き上がると額から何かが落ちた。拾い上げると、見覚えのあるブレダのハンカチだった。おそらく水筒の水かなにかで湿らせてある。

「とすると、どうせすぐ回復するって高をくくられてしまったのかしら」とかなんとか、ぼんやりした頭で考えていたが、突然はっとなった。

 乗合馬車は満席に近く、空席はノムちゃんの隣の席だけだった。

 ノムちゃんたちと同じように、進路相談所に向かうらしい若いエルフたちの他、通過する村に所用があるらしい大人のエルフや、立派な旅装束に身を固めたドワーフの行商人など、様々な種族が乗っている。

 どこまでも意識の高いエルフ族は、本当に思っているところはともかく、公共交通機関を「エルフ専用」とかにするのははしたないと考えていたので、こうして他種族と同乗するのは当たり前の光景である。

 だが……

「ブレダちゃんがいない!」

 ぎゅんぎゅんと首を振りながら何度も乗客の顔を確認するが、ブレダの顔はない。ちっちゃすぎて座席から落っこちてしまったのかも?と座席の下まで確認し始めたところで、聞き覚えのある笑い声が聞こえてきた。

 ブレダの笑い声だが、馬車の外、前の方から聞こえてくる。ノムちゃんは馬車の前方へとダッシュし、客席と御者台を仕切っている窓ガラスに顔を押し付けた。

 ブレダがいた。御者であるドワーフのおっさんと並んで御者台にちょこんと座りながら、どうしたわけか手綱を握っておっさんと談笑していた。


「そうそう、なかなか筋がいいぞ?そうすれば馬は自分の速度で走り続ける。引っ張れば速度は緩む。速度を上げたい場合は軽く手綱で馬のおけつをたたいてやる」

「へええ面白い」

「俺らは手綱を通して馬と語るわけだな。信頼関係だ。エルフの乗り手の中には魔法で馬をあやつるって手を使うのもいるらしいが、俺は感心しねえ。馬の負担が大きすぎる」

 とかなんとか普通におっさんと話しているだけなのだが、その光景はノムちゃんにはある種の衝撃を与えた。


 下賤の種族とここまで打ち解けて話すエルフをノムちゃんは見たことがなかった。大した用事があるわけでもないのにである。

 慣れない手綱を握ってはしゃぐブレダは、それはそれはかわいかったけれども、かわいいのだけれども、いやほんとうにかわいいのだけれど、これは放置していい状況なのかしら?どうなのかしら?とノムちゃんは混乱した。

 ノムちゃんは、風が入ることでほかの乗客に迷惑かもしれないというエルフらしい気遣いまでもかなぐり捨て、たまらなくなって窓の掛け金をはずすと思い切り引き下ろし、顔を出した。

「ブレダちゃん!」

「あ、ノムちゃん!」

「おお!気が付いたかお嬢さん。そうだよな?ちっちゃいってのは……」

「最高だ!」とブレダとおっさんにユニゾンで言われ、ノムちゃんは「ぎにゃああああああ」と顔をまた真っ赤にしながら、気を失うまいと踏ん張った。


「おーれは気に入ったぜこのちっちゃいお嬢さん」

「なによお!たいして背の高さ違わないじゃない」

「種族が違うわ。俺だってドワーフの中じゃ普通よりはちょっとでかいんだぜ?」

「うっそだあ」

 とか言いあいながら、げらげら笑いあう二人を見ているうちに、がんばっても気が遠くなっていくのをノムちゃんは感じていた。

 いいや、ブレダちゃん楽しそうだし。

「わ、私はもうちょっと座席で休んでますね」

「うーん!私も少ししたら戻るよ!」

「まだ顔色が悪いぞ?馬車の後ろのほうに飲み物が用意してあるから飲むといい。毛布もあるぞ」

 御者の忠告にお礼を言いしっかりと窓を閉めた後、ふらふらと座席に戻りながら、ノムちゃんはもう何にも考えられなくなっていた。いいやもう寝よう。



 ノムちゃんが再び目を覚ますともう夕刻に近づいていた。魔力電池で光るランタンが、乗合箱馬車の客席を柔らかく照らし始めている。


 顔を上げると、隣の席にブレダが戻っているのがわかった。

「ノムちゃんおはよう!大丈夫?」

「うん、もうすっかり大丈夫」

 そういいながら、ノムちゃんは目をこすった。変な夢を見ていた。いやちがう、あれは夢じゃない。夢じゃなかった。

 安心したらしいブレダは「お馬はいいねえ……」と、つぶやいた。

「そうなんだ」

 農業にまで魔法を駆使するエルフ族の村には農耕馬すらおらず、近所で見かける馬と言えば旅人が乗ってくるものや、遠目で見る馬車馬だけだったので、そういえば馬をこれほど間近で見たのはノムちゃんも初めてだった。

「私はちょっと怖いかも」

「えー?かわいいよう!それに綺麗だし。そしてなにより……」

 ブレダはノムちゃんの顔をのぞき込み、にっこりと笑って言った。

「でっかい!」

 はっとした。

 考えてみると、気を遣い、なるべく触れないようにすることばかりを考え、そしてノムちゃんの場合はバーニングもしたが、ブレダが本当のところ自分の体格についてどう思っているのか聞いたことはなかったかもしれない。

「ブレダちゃんはさあ」

「うん」

「どう思っているの?その……あの……」

「ちっちゃいってことを?」

 ノムちゃんは毛布を鼻の上まで引き上げてもじもじとしながら、小さな声で「う、うん」とやっと言った。

「そうだなあ……」と言いながら、うーんっとブレダはのびをした。

 こういうしぐさの一つ一つがやっぱかわええなあ……とか、ノムちゃんは寝起きのぼんやりとした頭で考えた。

「私だって、そこまで鈍感じゃないから、気が付いてはいるよ?その、ノムちゃんの気持ちとか」

 え?ええええ?そうなの?まじかそれ!

「あと周りの人も。一生懸命私がちっちゃいことで気に病まないように、気を遣ってくれてるじゃない」

 あ、ああ、そっちですかー。そうだよね。そりゃそうだ。ほっとしたようながっかりしたような気持になりながら、急激に血圧が上下したことで、すっかり目が覚めていくのをノムちゃんは感じていた。

「でもね、私はそこまで特別なことだとは思わないなあ。今日だってちっちゃいってことでドワーフのおじさんと仲良くなれたし。場合によってはこれは逆に有利かも?とかも思ってる」

 寝起きで低下していたエルフとしての倫理観が戻ってきつつあったノムちゃんはこのまま話を続けていいのか迷ったが、この場はただ黙ってうなづいた。

「お母さんとかも心配してさぁ、身長が伸びるっていう山岳山羊のミルクとか取り寄せてくれたりしたんだけど、知ってる?あれ苦くてすっごくおいしくないの!」

「あはは、そうなんだ」

「あんなの飲むくらいだったら、わたしちっちゃいままでいいなあ」

「……」

「あとね、これは身長の件じゃなくて、わたしががさつすぎるって問題になった時の話なんだけど」

 そういえばそんなこともありましたねえ、と、ノムちゃんは思った。

「先生が言ってくれたんだ。あるがままに、って。この子はあるがままにいればよいって。諦められちゃったのかなあってその時は思ったけど、後で考えたら、これはちょっと素敵な言葉だなあって」

「うん」

「わたしはわたし。あるがままに。わたしはちっちゃいエルフである自分は嫌いじゃないかな」

「そっかあ」


 ノムちゃんはこっそり涙をぬぐうと毛布を顔からおろして座りなおした。

「ごめんね?変なこと聞いちゃって」

「ん?いや、むしろうれしかったかな。なぜだかこんな話聞いてくれる人少なかったし。それに……」

 ブレダはノムちゃんに顔を寄せるとにぱっと笑って言った。

「ちっちゃいってことはさ」

「うん、最高だよね?」


 くすくす笑いあうふたりに、こっそりと長い耳をさらに長くして聞き耳を立てていたほかのエルフたちも、ほっとして、もとの「何にも聞いてはいませんよ」という態度に戻った。

 ドワーフの行商人はサービスのワインをしこたまのんでずっと眠りこけていた。

 馬車は道中経由する最初の町に入っていこうとしているところであった。



 その町は、エルフ領の中にあったが、エルフだけの町ではなかった。

 交通の要衝にあり、エルフ領に用事があったり、ただ通過するだけのものも含め、様々な種族が立ち寄り、住み着くものも少なくない。

 そもそも、小さな村ではなく、ある程度の都市となれば、インフラを維持するために、下々の仕事をする他種族が雇われ、暮らしていることはエルフ領では普通のことだった。

 しかし、生まれた村からほとんど出たことのないブレダとノムちゃんにはただただひどく新鮮であり、完全におのぼりさんモードへと突入していた。


「すっごいよ!でっかいよ!いろんな種族ひとがいるよ!」と夜の街に繰り出してすっかり興奮したブレダは、当たり前のことをぴょんぴょん飛びながら指摘した。

「すごいね!でっかいね!いろんな人がいるね!」とノムちゃんも返す。ああ、ぴょんぴょんだ……ぴょんぴょんかわえええ……とかも思いながら。

「ノムちゃん!」

「はいっ?」

「もっと見て回ろうよ!」

「でも、明日の出発も早いし、ご飯だけ食べて早く宿に戻った方がよくない?」

 ブレダは腕組みしていぶかしげにノムちゃんを見据えて聞いた。

「あんだけ寝てたのにまだ眠れるの?」

 言われてみればその通りで、少しも眠くはないし、このまま床にはいっても今日あったいろんなことを反芻して悶々とするだけなのは明白だった。

「うん、わかった!見て回ろう!」

「わーい!」

 喜んで駆け出していくブレダを追いながら、ノムちゃんは「わーい!」いただきましたあっと心の中でガッツポーズしていた。


 たまたまであるが、この町は夜市で有名であり、遅くまで様々な露店が並び、人通りも絶えなかった。

 というか、むしろ混雑しており、はぐれないよう、ブレダはノムちゃんの手を握っていた。手を握っちゃってる!ちっこくてやらかい!うはあああ……とか、ややバーニングモードのノムちゃんであったが、ブレダは見る物珍しくてそれどころではなく、ふわふわノムちゃんを引っ張って走り回った。

「見て!ノムちゃん!」

「はいっ!」

「なんて種族か知らないけど、あの人エルフよりおっきいよ!」

「ほんとだ!おっきいね!」

「私よりちっちゃな大人もいるよ!ほら!」

「ほんとだね!ちっちゃいね!」


 と、「誰がちっちゃいってぇええ?」とどすの利いた声が背後から響いてきた。

 恐る恐るノムちゃんが振り向くと、そこには緑色のたくましい巨体をもつ一団が立っていた。見るのは初めてだったが、うわさには知っていた。彼らはオークだ。

「いや、あの……その……」

「ああん?誰が今言ったんだ?」

 他のオークたちを押しのけて、一人の女性オークが進み出てきた。まだ若いが、目つきは鋭く、オークらしく露出の高い服装のためよく見える、体に残るいくつもの傷跡が、彼女が数々の修羅場を潜り抜けて来たであろうことを物語っていた。

 そして……


「ちっちゃい……」

 そのちっちゃい女オークは当然、烈火のごとく怒りだした。

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