第2話 ちびでないエルフもそれなりに大変だった

「そっかー進路かー」ノムちゃんは、ブレダが座る階段の2段下に腰を下ろして、そうでもしないと顔の高さが合わないからだったが、ブレダの悩みを聞いた後、空を見上げながら言った。


 結構コメントに困る問題だった。

 エルフ族は、とにかく高貴で優雅な存在であるべきだったので、現在の我々が考える「コンプライアンス」に似た概念を持ち、それを頓首することを必要以上に気にするという性質があった。

 別に間違えたからと言って、SNSが炎上するわけではなかったが、うっかり不用意な発言をすることは「恥」であると考える文化だったのだ。

 この場合、ブレダが進路に悩んでいるのはその背の低さに起因しており、これについてどんなコメントをしようとも「不穏当」な発言になるような気がした。それでノムちゃんは慎重に言葉を選ぼうとしていたのだ。

 誰も聞いていないであろう友達同士の会話でもこんなことを考える。それが一般的なエルフの姿だった。


「でも……」とノムちゃんは考える。「ちっちゃいエルフの女の子ってすっごいかわいいじゃない……それだけで充分じゃない?ちがう?」

 そう考えるとまた心臓が高鳴り始めるのをノムちゃんは感じた。

 基本的に、少なくとも表向きはリベラル寄りの思想を持つエルフ族には同性愛についての禁忌は存在していなかったが、ノムちゃんには、このブレダに対する感情が「恋」なのかどうかも、まだ判然としなかった。そのへんももどかしい。


 いや、まぁ確かに?いますぐにでも抱き上げて抱きしめて頬ずりしたいし?ああでもなんて言うのかな、こんな「子供」や「小動物」に対するような感情を、仮にも同年代の立派な娘さんに抱くっていうのは、ものすごい失礼なことなんじゃないかしら……ああ、でもほんとにかわいくて……すりすり、ああほっぺにすりすりしたい!きっとすべすべでとってもきもちいいだろうな……ああ、ああああ、どうすればいいのなんだか突然盛り上がっちゃったこの気持ち!


 現代の我々であれば「それは萌えだよ!」と教えてあげることができるのだが、残念なことに、この時代のエルフ族に、この概念は存在しない。仮に似たような概念が存在していたとしても、そんなものを表明することはエルフの美学には反していただろう。というか、とても言えない。

 とまあ、悶々とするノムちゃんであったが、幸か不幸かこうした内なる葛藤について、少々ガサツなところのあるブレダにはいままでばれることはなかった。


「ノムちゃんはもう進路決めたの?」とブレダに切り出された時点で、すでにくんずほぐれずに近いところまで妄想をバーニングさせていたノムちゃんは、勝手に不意を突かれて飛び上がった。

「はうあっ!……え?えええ?ええっと……ち、治癒魔法師?コース?にしようかなと……」

「なんですと?」

 ブレダの目つきが変わったのも無理はない。治癒魔法師……略して治魔師とは、エルフの、とくに女性にとっては憧れ中の憧れの職業だったのだ。


 司祭が医者を兼ねることがあるのはすでに述べた。もちろんエルフは医術にも魔法を使うのだが、医術と治癒魔法には大きな隔たりがあった。というか隔たりがあると強く考えられていた。

 考えても見てほしい。仲間たちの絶対的なピンチに颯爽と現れて、強力な治癒魔法で状況を華麗に逆転させる……これこそがエルフというものではないだろうか。エルフに言わせればそうに違いないらしい。

 この滅多にあるとは思えない絶好の見せ場を、さらに最高のものにするために、エルフの治癒魔法は研究され、磨き上げられていった。そして例によって磨かれすぎてしまった。

 結果、「ちょっと風邪を引いた」くらいに使うには初等の治癒魔法でも強力になりすぎ、仕方がないので司祭が医者を兼ねだしたという経緯があったのである。わざわざ「医術」を治癒魔法とは別系統の体系であるということにして。

 まあ、もともと魔力が高い種族なんだから、べつに強力な攻撃魔法を使うエルフがかっこいいでもいいのだが、それは「何か違う」とたいていのエルフは思っていた。

 もちろんエルフなので、職業に貴賤や優劣があるとは口が裂けても言わないが、「当代きっての治癒魔法師」というのはエルフであるならば誰もが一度は夢想する栄光だったのである。

 そういうわけで、当然、治魔師コースの受講を望む子供たちは多く、立身出世を目指すエリートコースをはるかに超える最難関となっていたのだった。


「すっごいよ!ノムちゃん!私応援するよ!」とブレダに両手をぎゅっとして言われてしまったノムちゃんは、慌てた。


 ち、ちがうのよブレダちゃん!ここで応援するのは私の方のはずなの!っていうかそういうシーンじゃんこれ!なんかほら、こう含蓄のあるアドバイスかなんかを私がしてさあ!それを聞いてブレダちゃんが頑張る!っていうのをにっこり笑って応援するのよ私が!私がだからね?逆じゃん!これ逆じゃない!大体においてね?治魔師コースとか、つい口から出ちゃっただけで、本気じゃないかもしれないから!でもあれじゃない?ほかならぬブレダちゃんに応援されちゃったら頑張るしかないんじゃないかしらとか思わないでもないんだけど、私はほら、主人公の最初の親友ポジにすぎないし、そんな優等生ってわけじゃないしい?言っちゃうとモブ?でも、でも、こうなったら頑張るしかないのかしら?ああ、そんな目で見ないで!!ああ手をギュッとしたままうなずかないで!うん……そ、そうだね!もうわかった!私頑張る!


 とまあ、後半ややメタってはいるが、大意はこんな感じの思考をエルフ語で高速に行った後、ノムちゃんは「頑張るよ!」とだけ言ってそこに頽れた。

「だいじょぶ?ノムちゃん」

「だ、だだだだだだだいじょうぶだから!頑張るから!」

 ブレダはノムちゃんの額に小さな手を押し当てた。それに反応してか、ノムちゃんの顔色は透過光付きで下からワイプで赤くなっていき、湯気か煙までが立ち上るようだった。

「やっぱすごい熱……時々こうなるよね?ノムちゃん……」

「ああああ、ごめんね!ごめんね!」

 ちいさなブレダに手を引かれ、地方神殿に連れていかれながらノムちゃんは、ずっとなんだか謝り続けていた。



 一方そのころ。

 穏やかないい天気だったエルフ村とは大違いな、分厚い黒雲に覆われ、雷が鳴りひびく漆黒の荒れ地を、一人の魔物がいずこかへ急いでいた。


「魔物」というのは一方的な呼称に過ぎない。彼だって生き物であるし、親もいる。いずれ家庭を持って子もなすかもしれない。彼らには彼らなりの生活と、そして幸福があった。

 単に、一方の種族からしてみれば相いれない、まったく違う生理、習慣をもつ生物であるというだけだ。属する生態系や、ことによっては巣食う次元すらも違う場合もある。

 本来なら関わることすら滅多にないであろうはずなのに、こういうまったくの異種族同士が利害で対立することはままあり、それは大体において悲劇となった。

 なにしろ、文化どころか生き物としての質がそもそも大違いなため、話し合いで解決するには土台とする常識が違いすぎ、しばしば話し合うこと自体すら困難だった。

 こうして望むと望まさざるに関わらず、血で血を洗う壮絶な戦いが何度も起き、少数派であったがゆえに負けた方が「魔物」「魔王軍」などと呼ばれることになっただけだったかもしれない。


 意外なことだが、このような戦いは相互理解に関しては劇的な進展をもたらした。

 戦うためににはそのルールを制定する必要があり、その点については双方利害が一致したため、何度も行われたそのための交渉は、ほかの議題に比べればスムーズに進行したからである。

「戦争とは最も効率的な文化交流である」と時の偉い人が言って顰蹙を買いまくったという話だが、今となってはそれがだれの言葉であったかはワカッテ=イナーイ。

 相互理解が進んだ結果、魔王、魔物、魔族などという呼称には多分にマイナスな意味合いがあることが、この時点で「魔」側とされた種族たちにも周知されはじめていたが、彼らの反応は「おおむね好評」という意外なものであった。

 対立種族を惑わし、害をなすものというのは、彼らにしても望んでいることであり、別に何の問題もなかった。それだけではなく、「なんかかっこいい」という反応まであったことが記録に残されている。

 これについては、エルフや「意識の高い」人間たちは「これだから魔族とは分かり合うことができない、異種族なのだ」と眉をひそめたという。


 兎にも角にも、この物語のこの時点で、魔王軍とされたうちの一族に属する以上、彼は魔物であった。

 彼のいる荒れ地は名の通り、荒れ果てており、草木一本生えてはいない。常に分厚い雲が覆っており、雷鳴がとどろいている。

「その割に雨はほとんど降らないんだよな」と若き魔物はぼんやり考えながら、航空力学では説明のできない方法で、背中に生えた小さな翼を使って飛んでいた。


 先の大きな戦いで、魔王軍は大敗し、このような荒れ地に追い込まれていたが、偶然にも彼らにとってここはそれほど住みにくい場所ではなかったので、みなそこそこ満足していた。

 領地紛争から始まった戦いではあったが、皮肉にも負けたことにより、理想の領地を手に入れたとも言える。このへんの割り切りもエルフや人間には理解ができないところだった。

 今となっては、先の戦いで戦死した魔王の復讐を叫ぶ一派が継戦を主張しているくらいで、戦火はひと段落してしまっていた。

 この辺で一度派手な戦闘シーンがほしい作者にとっては由々しき事態であったが、仕方がないことである。


 この若い魔族の一家は代々魔王に側近として仕えていたが、彼個人は戦いに関しては、もういいかな?くらいに考えていた。

 父親は、人間エルフ連合軍の猛攻撃によって、魔王とその閣僚、幕僚たちとともに消し飛んでしまったが、それへの復讐心というのもそれほど沸いてこない。

「くそおやじだったからかなあ……」とかぼんやり考える。懐かしさがないと言ったら嘘になるが、必要以上に厳しかった父親がいなくなったことへの喜びがないかと言えば、それもまた嘘になる。

 また、「くそおやじタヒってラッキー!」とか表明してもよい自由も、「コンプライアンス」なんて聞いたら蕁麻疹じんましんを出しかねない種族である彼は有していた。なにしろ魔族なのだから。なおタヒるとは魔族方言で……(略

 しかし、そんな彼が、こうしていまだ「魔王の側近」として、先代を継いだ新魔王が待つ城に向かっているというのは、矛盾しているかもしれない。

 なぜならば、新魔王は先代の復讐を叫んで新たなる戦いを声高に主張する、継戦派の急先鋒であったからである。

 しかし、それには別の理由があった。


 一見すると禍々しささえ漂わす立派な構えではあるが、実際にはここに封じられてまだ間がないため、大半はただの張りぼてに近い、急造りの魔王城が見えてきた。

 急造りと言えど、対空兵装がないわけではないため、彼は魔法通信をおこなって、着陸許可を求めた。

 魔王城のグランドコントロールは城の上部にある「三番着陸所」へ誘導を行う。魔物は軽く旋回しながら、「三番」に向かった。


 彼が吹きっさらしの「三番」に着陸すると、それを待っていたかのように扉があき、新魔王がその姿を現した。ご立腹の様子である。

「何をしていたのだ!アルガス!作戦会議開始の時間はとうに過ぎておるぞ!」

「申し訳ございません、雑事がなかなか片付きませんで……」

 アルガスという名前らしいこの魔物は、ひざまずき、首を垂れて許しを願った。


「ああ……」アルガスは思った。

「魔王様ちっちゃくてすっごいかわいい……」

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