六章 理想
「じゃあ、行ってくるね」
玄関で靴を履いた後、理真が凛々しく振り返って恵に告げた。
白のワンピースに赤のライダースジャケットを羽織った、気合に満ちた姿だった。
「うん。行ってらっしゃい」
その姿に、恵は落ち着いた声音で返した。
「晩御飯、何がいい?」
恵の問いに、理真はふと思い出して、冗談めかした笑みで答える。
「決まってるじゃない。お赤飯よ」
「ふふ、そう。分かった。……理真」
恵が理真に歩み寄ると、その頬に口付けをした。瞳を見て、愛おしいそれを、優しく抱きしめる。
「ちゃんと、帰って来てね」
「うん」
答えを聞くと、恵は理真から体を離した。
理真は恵を背にしてドアを開ける。
外に出てドアを閉める時、最後に、軽い調子で手を振った。
恵は困り顔で振りかえした。
薄暗い冬の空に足を踏み出す。一歩一歩に、思いを新たにした。
朝の学校から恵の車で家に帰った後、理真は恵に全てを話した。
恋人のこと、友達のこと、使徒のこと、覚者のこと、事件との繋がり、そこで起きたこと、そして今日、朝学校に行った理由と午後に何をしに行くか。
恵は黙って聞いていた。突飛な内容にも、恵は混乱や動揺を見せなかった。
「恋人に関して、お母さんとお父さんがどう思うか分からない。彼の考えていることも、私の常識と違う部分は多いと思う。でも、私は彼と付き合ってきて、彼の中に愛を感じた。私はそれを尊く思う。彼を知った今、別の人の子どもをつくるなんて考えられない。彼を手に入れないと、気が済まない。だから、今日行くんだけど、彼とのことをできればお母さんにも認めて欲しい」
午後外に出る理由を説明し、最後に願いを付けた。
人とは言い切れないものとの恋だ。そこに理解を求めることにも、壁があった。
「認めません」
母はツンとして言った。
「……嫌?」
予想はしていたが、芳しくない答えに気落ちする。
親としては不確定要素の多いものに娘を預けるのは心配かもしれない。それこそ、今回の事件を起こした存在と同類でもあった。受け入れられなくとも仕方のないことだった。
素直に受け取った理真に、母は笑って、
「まだ会ったこともないのよ? 公認はそれからじゃない?」
軽い調子で言った。
「お母さん……」
恵の肯定的な保留に、理真はほっとして顔を輝かせた。
親に話した。お赤飯も頼んだ。失敗なんて格好悪い。全部、思い通りにするために、理真は自分が突きつける言葉と意志を確認した。
***
午後五時、清嗣が指定された勾当公園を訪れた。
広さ三ヘクタールほどの公園だった。茶色になった一面の芝生に白いタイル敷きの歩道が横断している。足元を照らす街灯が一定間隔で並び、中央付近で広がった歩道の中に噴水があった。公園の端の方には木々が点在していて縁取りになっている。
老若男女が使用する市民の憩いの場だった。平常時は日の落ちた後でも人の姿がまばらに見られる公園だったが、風の覚者が事件を起こした翌日である今、人の姿は一人だけだった。
その人物は街灯近くの噴水の縁に座っていた。足を投げ出し、手を組んで俯いていた。
無粋な白熱灯の下でも有機的な色を放つモノトーンの男性だった。人型をしながら、人とはどこか隔絶している印象がある。
「こんばんは。待たせたか?」
近くまで来て、清嗣が声をかけた。
玉世はそのままの姿勢で口だけ動かす。
「待ったと言えば、待ったかな。今日はずっとここにいたから」
玉世はそう答えた後、ゆっくりと立ち上がった。清嗣の方へ体を向け、歓迎の微笑みを浮かべた。
「待ち合わせは五時だろう?」
「君が理真を焚き付けて来させるかもしれないから」
「なら、俺と理真が関わることは想定済みじゃないか」
清嗣は携帯に送られていた、『理真とこれからも関わるつもりなら』という一文に対して、文句を言った。
「そうだね。覚者ってそういうものでしょ?」
玉世のその発言は、これからの流れをおおよそ決めた。
「……理真は後からくる。俺が貴方と話があるから、五時半ぐらいに来るよう言った」
「そう」
玉世は嬉しそうに目を閉じた。
そこには人らしい愛が見て取れた。清嗣の知る覚者からは外れた姿だった。
清嗣が早速質問する。
「理真を覚者にしないためだけに、風の覚者を殺したのか?」
「うん」
玉世は気負いのない返答をした。
「理真が覚者になると、どのような影響がある?」
「俺が傷つく」
悪びれもせずに、玉世は言った。一人の人間のために覚者を殺すことは価値の釣り合わない大罪だった。そのことを清嗣は覚者らしく、糾弾せずに謎を問う。
「俺にも人の記憶がある。人が人を思う気持ちは分かる。だが、覚者の視点を得た今は個人に対する生命の重さを感じられない。たとえ空の覚者が人のように価値を創出できる存在であったとしても、その価値の行方が一人の人間に向けられることが理解できない。貴方はどういう感覚で理真を求める?」
清嗣の透明な問いに、玉世は瞼を閉じる動作で色を付ける。口調は淀みなく、淡々として語る。
「君たちは世界が空であることを見た。そして、縁起を織れるようになった。だがそこで止まった」
「どういうことだ?」
玉世は瞼を開いて清嗣を見据えた。その瞳には温かさと威厳があった。
「現象の世界に目を戻さなかった。物と物とが融通する世界を見なかった。俺はそこに来て、改めて人の体を取っていることを受け入れた。人の体が生み出す心に身を任せた。だから個人を思える」
玉世は続ける。
「人である俺の目に、理真は魅力的に映った。俺と理真が融通した世界を紡ぎたいと思った。理真への想いは純粋な恋心だよ」
玉世は自分の語った心を笑顔で飾った。
清嗣は玉世の語る世界を理解できなかった。理性で理解できる話ではなかった。しかし、玉世がでたらめを言っているわけでないことは察することができた。そして空の覚者として存在している以上、その世界はあるのだと受け入れた。
「貴方から見て、人と覚者はそれぞれどのような価値をもつ? 覚者は人類を導く者。導き手を殺すことは人の世にも大きな影響を与える。存在に貴賤はなくとも、命の重みに関しては覚者の方が大きいはずだ」
「そうだね。その通りだよ。だから風の覚者を殺した時は心が痛かった。でも、人の身を受け入れた俺は理真が覚者になることの方をより嫌った」
「人の心に準ずることが、それほど尊いことなのか?」
清嗣の言葉に、玉世が瞳の色をするっと変える。清嗣の瞳から入り込んで、脳への道を押し拡げる。
「君たちは人々の為にある。空を知り、人の行くべき道を見出して縁起を整える。それがすべてだ。だから心の無い君たちはありのままでいればいい。君たちが価値を語るのは人への冒涜だ。物の間に心を映さない者が、世の変化を嘆くべきではない。ただ今ある世のため働いてよ」
「そうか。分かった。俺たちが世を導く中で、貴方はイレギュラーな存在として闊歩する。貴方が動いて世が変わるのなら、その都度俺たちが舵取りをして人の行くべき道を調整する。ということだな?」
「そうだよ」
「なら、俺たちが最良の世を導くために最も効率的な方法は、貴方を殺すことになる」
「覚者殺しだよ?」
「それすらも小事だ」
「乱暴だね」
玉世は穏やかに笑った。
「何を言う。貴方もそのつもりで呼んだのだろう。二度と理真と関わらせないために」
「ノーコメント」
玉世は確信犯の笑みで答えた。
それで、話は終わった。代わりに始まるのは、殺し合いだ。
「最後に、理真と会う前に死ぬやるせなさを世に刻め」
玉世の語る世界にかけて、清嗣が言った。
言下に、清嗣は周囲のタイルや街灯を鋭利な円錐に丸め込み、玉世へ放った。その速度は光の速度で、かつ自壊はせずに玉世を襲う。玉世はそれの軌道を変えて避けた。
覚者にのみ可能な奇跡――定義の変換。
清嗣は動きの定義を変換できる。最速が光という物質界の限界をも変換する。一定範囲内において、その気になれば全世界に対して、可能だった。
対する玉世はこの世の全ての定義を変換できる。しかし、動きの定義変換に関しては清嗣の方が優勢である。空の覚者が戦うことになれば、全ての覚者に優位に立てるが、代わりに属性相性による絶対もない。
円錐の創作物に続き、清嗣が玉世の元へ飛び出した。拳を放つ。光の速さを越えて時を遡行し、先ほど避けられた円錐の創作物と同時に攻撃する。遡行を幾度も繰り返し、一度に何百発もの拳を放った。玉世はそれを水の覚者がもつ適応の力で呑みこみ、加速の力を削ぎ落とす。加えて防ぎきれない分を地の覚者が持つ堅固の力で肉体を強化し、弾き返した。
覚者が過去に対して知覚し、干渉できるのは『空』の理解に理由がある。
この空とは玉世の冠する
この考えを適用して考えると、時間は『物からは離れた一方向に流れているもの』から、『物の移り変わるさま』に変化する。覚者の力は世界の定義を変えること、つまり縁起――物と物との関係性を変える力を持っていた。覚者から見れば過去への遡行も未来への進行も現在からの変化として等しい。故に、覚者は時の変化に捉われず知覚し、干渉することができた。
防戦状態にあった玉世だが、次第に清嗣の加速の力を侵食し、清嗣自身をも呑みこもうと手を伸ばす。清嗣はすぐに手を引いた。清嗣は火の力で攻める以上、接敵の瞬間は玉世に勝るが、水と地の力で体勢を整えられると突破はできなかった。人と異なり、運やミスがないためそれは絶対のものとなる。
玉世が一度余波を治める。光の速さを越えての攻防で生まれた衝撃波は放って置けば街が飛ぶ破壊力を秘めていた。決着が着いた後に勝者が時間を巻き戻して直すことも可能だが、玉世としては一時でも理真を殺すことは避けたかった。それもまた、清嗣にはない考え方だった。
清嗣が再び突撃する。玉世は水の力を発動させつつ、風の力で後ろに逸れた。
清嗣の腕が一度空をきる。玉世は水の力を使いつつ空振りした清嗣の体を掴みに行く。清嗣は体を真横に飛ばしてそれを避けた。しかし、距離を取った筈の清嗣の前に、玉世が出現する。
清嗣は瞠目した。玉世の出現に断続的な空間の繋がりが見えない。覚者の認識からすらも外れていた。
清嗣は迫る玉世の腕から再び加速の力で逃げる。火の性質を持っている以上、逃げに徹する清嗣を追えるものはいない筈だった。しかしまた、移動した先に玉世はピタリとついてくる。清嗣の認識を越えて。
「なぜ、ついて、来れる!?」
「空の覚者だよ? 空間の支配権は俺にある」
清嗣の問いに、玉世は隠さずに答えた。
その言葉に清嗣は納得した。
空の覚者は地水火風全ての能力を使える。しかし、属性を単品で使うことが空の業ではない。空の力の本質は、全てを縒り合わせて行う世界の創造、及び支配だった。
動くのではなく、自分の居場所を規定する。だから清嗣の認識外から出没する。
清嗣は防戦一方になることを嫌って止まる。空間転移ができると言っても、出現と同時に知覚はできる。待ち構えていれば対応の仕様はあった。早速背後に現れた玉世に清嗣は回転して拳を振るう。玉世は風の力で上体を下げてそれを躱した。
清嗣はそこから突き出した腕の動きを変換する。体ごと回転させ、斜め下にいる玉世に拳を放つ。玉世は再び風の力で自分の位置を調整し、回避した。
清嗣はそのまま足を伸ばして踵落しを放る。玉世は真横に避けると水の力を展開して清嗣の火の力を無効化しにかかった。清嗣はそれを知るとすぐに飛び退く。
十分に発動した玉世の水の力とでも清嗣の火の力は拮抗する。しかし、まともに組み合おうとすれば、地の力を同時に使われると押し負ける。有利に運ぶのならば、深追いはせずに待ち構え、カウンターを狙うのが得策だった。相手依存になる戦い方だが、玉世の目的もまた清嗣を殺すことであれば攻め入ってくる筈だった。
清嗣は足を止めて再び玉世の出現に備える。今いる玉世を視界に納めると、その手に黄金の光を溜めていた。玉世はそれを指先に送って手をピストルのように構える。同時、清嗣は横に飛び退った。
細い光線。雷のようなものが清嗣のいた所を走り抜けた。清嗣は辛うじて回避したが、回避した先にも、同じものが放たれる。
清嗣は歯噛みする。その力は、四属性を混合した空の力によるものだった。触れれば一瞬で全身が分解される。
清嗣はカウンターを諦めた。接近戦で力比べをした方が幾分勝算は上がると判断する。
清嗣が加速し、玉世に肉薄する。自身の体も、地面も、空気も、ありとあらゆるものを玉世に叩きつける。術はなく、純粋な力押し。玉世は水の力でそれを受けた。水が世界を侵食し、火が無理やり切り開く。火の力が、僅かに優勢だった。
「止まったね」
玉世が呟いた。気付けば右腕に黄金の光を溜めている。
清嗣は引けない。後退する力を使えば、水の力で瞬く間に呑まれることは必至だった。現在の優位性にかけて、押し切る選択をする。
しかし、玉世の準備は既に終わっていた。無慈悲に、その輝く右腕を突き出す。
水の力も、火の力も、全てがその手に割かれる。
何者からも抵抗を受けることなく、清嗣の胸に触れた。
「 さよなら 」
言下に、清嗣の姿は忽然と消えた。
玉世が戦いの余波を均す。
「……はぁ」
玉世は薄く息を吐いた。静寂が降りる。形の変わった物も元に戻して、噴水の縁に再び腰掛けた。
「早く来て……理真……」
狂気を孕んだガラス玉のような声で、玉世は漏らした。
***
――十七時二十五分。
理真は携帯で時刻を確認し、ポケットへしまった。正面へ、目を向ける。
理真は公園の入り口前に来ていた。目の前に自動車の侵入を防止する円柱型のオブジェがある。その先から公園の敷地内だ。意を決して、足を踏み出す。
公園内は静かだった。人気が無く、枝しかない木からは葉の擦れる音もしない。空白を詰めたような空間が広がっていて、それぞれの姿がありのままに映った。
玉世の姿はすぐに見つけられた。
美しい獣。誰もいない公園の中央で、噴水の縁に腰かけていた。その姿を見て、理真の胸に温かい感情が湧いた。それは愛着だった。
昨日までと今日とで、玉世に対する見え方が変わっていた。それは人を超越した者だと知ったから。普通は遠くに感じそうなものだけれど、実際にその姿を見た今、逆に身近に感じた。
変だと思う。だが、謎めいた部分が明らかになったからなのだろう。抵抗を感じず、愛着だけが自然と湧いたことに、想いを伝える意味を強くする。
理真が見つけてからすぐ、玉世も理真に目を向けた。玉世は体を振って立ち上がり、待ちわびていたことを表現した。
理真はふと気付く。清嗣の姿がどこにもなかった。疑問を呑みこんで、その答えも持つ玉世に近づく。恋人の距離から一歩引いたぐらいのところで足を止めた。
「こんばんは。玉世」
「こんばんは。理真」
理真は静かな挨拶をした。様々な思いを通して生まれた、透明で重い音だった。対する玉世はいつも通りの柔和な挨拶を返した。
「清嗣さんは?」
理真は状況に対する疑問を、一先ず投げかける。
「もういないよ」
玉世は率直に答えた。説明の全てだとする態度が、この世にはいないことと、それが揺るぎない真実であることを示した。
「嘘ね」
「ほんとだよ」
きっぱりと言い切る理真に対し、玉世は言葉に感情の色をつけて伝えた。
「まあいいわ。後でどうせ会えるから」
「いや、もう会うことはないけど」
態度の変わらない理真に玉世は苦笑交じりで否定した。
理真は無駄な会話を切り上げて、用件を伝える。透明で仮止めするような瞳が、玉世の瞳を打った。
「私、貴方に想いを伝えに来た」
「うん」
「私は、貴方が好き。一生一緒にいてもらいたい」
「うん。その言葉、欲しかった」
前提を固めるための、過不足なく染み渡るような理真の告白に、玉世は一人、祝福を受けたように喜んだ。理真はその姿に気を払うことなく、続ける。
「でも、友達も選ぶ。清嗣さんとも、知美さんと灯さんとも、友達を続ける。そして、きっとこれから出会うだろう使徒とも、友達になる」
理真の宣告に、玉世は困ったように笑う。どうにもならないことを教えるように口を挟む。
「理真。もう無理だよ。俺は火の覚者を殺した。水の覚者も後で殺す。使徒の皆は、敬愛する覚者を殺した俺を恨むだろう。その恋人である理真を、使徒は恨まないと思う? もう俺が理真のために覚者を殺していることは、使徒の全員が知っているんだよ? 知美ちゃんと灯ちゃんだって、理真のこと、嫌いになるよ?」
玉世は現実を克明に語る。それは、容易に想定される未来だった。しかし、
「仮定の話はいらないわ」
理真は淀みない調子で返答した。玉世の言葉を相手にしなかった。
「もうやっちゃったことなんだけど」
どうすれば分かってくれるのか、考えるような様子で玉世が答えた。
理真がその玉世の様子に、強さを設定した怒りを乗せて話す。
「玉世。バカにしないで。友達を殺したって言ったら動揺すると思った? 判断を誤ると思った? 玉世が凄い存在だと知ったから、人とは違う価値観でやりかねないと思うと思った?」
理真は胸を張る。声を荒げず、大きくして放つ。
「貴方は私が好きなんでしょう? 愛しているんでしょう? なら、私の大切なものを無くすなんてありえない。私の想いを大切にできない人が、私の恋人になることはありえないのよ!」
理真の言葉が朗々と夜闇に響いた。周りに人がいれば、きっと誰もが足を止めて見たに違いない。人を惹き付ける、魂魄を揺さぶる声だった。
玉世は悲しそうに視線を落とす。理真の想いを、輝きを、穢すような状況を作ってしまったことを、悔いるような姿勢だった。
「ごめんね。本当なんだ。だから受け入れて、一緒にいて欲しい」
玉世が理真を見る。理真の様子に変化がないことを見取って、続けた。
「理真はさっき、俺とはもう一生合わないって言ったけど、その気になれば、俺は理真を傀儡にすることだってできるんだよ? どうしても嫌だというなら、そうやって隣に置いても良いと、俺は思ってる」
玉世はあくまで優しく、理真に選択を迫る。人の言葉と感情で、人の倫理から外れたことを、人を越えた立場で言った。人である身に、選択肢はなかった。
「価値を見出す人間の心を覚者の力を使って満たすの? 信じがたいわ。やれるものならやってみなさいよ」
理真は全く引かなかった。動揺すらしなかった。言質をとって、玉世を追い詰める。玉世は閉口した。
「そのくらい、私にだって分かるわ。貴方にだって分かってるはず、だから貴方は私の大切な人を殺せない」
理真はそう言って、話題を結んだ。そして、瞳を閉じる。強さを抜いて、感情を体に映した。
「私の考え、聞いてくれる?」
たおやかな表情で、玉世に問いかける。玉世は黙したまま、肯定も否定もしなかった。
理真は瞳を閉じて静かに話し出した。
「私は誰がなんと言おうと止まらないくらい、貴方のことが好き。貴方は、私が覚者になることを恐れて、他の覚者を殺しちゃうほど、私のことが好き」
瞳を開けて、玉世を映す。理真は愛し合っていることを言葉で確認して、繋げた瞳から自身の存在を玉世と共有する。
「でも、私の幸せの中には、貴方以外にも、友達の存在が不可欠なの。幸せの形がちゃんと見えているのに、それを諦めて片方だけ取るなんて、私はしない。両方ちゃんと取って、幸せになる」
理真の想いを玉世の中に投影する。理真の想いが玉世の想いとなるように。
理真は次に、悲しげな顔を浮かべた。玉世に想いを渡した分、玉世の想いを貰った。
「そうすると、玉世が今度、困っちゃうんだよね。私がうっかり覚者になっちゃったら、私と恋人ではいられなくなるから」
そして、二人になった理真は笑った。
「でもさ、玉世がもし人だったら、そうもいかないんだよ? コントロールなんてできない。玉世はどうとでもできる力を持っちゃったから、そんな風に悩んでいるけど。大切な人を手元に留めておけない場面なんて、世界中見たらいっぱいある」
静かに、理真は一人に戻る。
「だからさ。人になって?」
お願いした後、少女になる。若く瑞々しい保護対象になって、続ける。
「貴方は私が友達と話している時、どきどきするの。私が覚者になっちゃうんじゃないかって。そしたら、今の私のこと、もっと大切に思えるでしょ? 今よりずっと、好きになれるでしょ? 日常が、輝くでしょ? でも、状況だけで貴方をどきどきさせはしないわ。私も、貴方にいっぱい色んなことしてあげる。貴方の喜ぶこと、なんでもしてあげる」
弱さを自覚して、強かに、お願いする。
「覚者になったこと、私を好きになったこと、人に戻ること、全部、良かったって思わせてあげる。狂おしいほど、私を愛おしくさせてあげる。だから、私の言うこと、聞いて?」
理真は生まれたての蝶のように、艶然と微笑んだ。
玉世は、
「――はぁ」
諦めたような、清々しい苦笑を浮かべた。
「理真にはかなわないなぁ」
玉世の解答に、理真は嬉しそうに笑った。ポンッと玉世の目の前に飛んで、体をぶつける。跳ね返って、見上げた。愛に怖れる、男の顔があった。
玉世は右手を理真の顎にあてがい、上に引く。
「貴女の幸せを願い、貴女の幸せに尽くすことを誓います」
複雑な思いを抱く玉世に対し、理真は無垢な笑顔を浮かべた。
「私も、貴方を幸せにします」
瞳を閉じる。玉世は理真を包むように背中を丸めて、唇を重ねた。
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