三章 友達

『お昼、一緒に食べませんか?』

 送信。朝の電車に揺られながら理真は知美にメッセージを飛ばす。返信はすぐに来た。

『OK』と書かれた猫のスタンプの後『生徒会室でいいかな?』と飛んでくる。

『はい』『灯さんも来ますか?』

『来るよ』

『ではお昼。一緒に』

 最後にそう送信して、携帯をしまった。



「おじゃましまーす」

 昼になって、理真は弁当を片手に生徒会室の戸を開いた。

「やあ理真。十九時間ぶり~」

 知美が満面の笑顔で変な挨拶をする。変わったことを言うために事前に計算している姿が頭に浮かんだ。

「こんにちは」

 理真も笑顔で返答した。次に奥の会長席に座る清嗣に向く。

「こんにちは。お邪魔します」

「こんにちは。遠慮せず自由に使ってくれ」

「はい」

 理真は嬉しそうに笑って答えた。最後に知美の対面に座る灯の方へ目を向ける。

「こんにちは」

「……こんにちは」

 笑顔で挨拶すると、そっけない声で返ってきた。物静かな人だけれど、昨日とは質感が違う。不機嫌なのだろうか、と理真は思った。

 理真は知美の隣に行って着席する。ふと、知美の手元に目が行った。

「ごはん食べるの待っててくれたんですか?」

「うん。一緒に食べたいじゃない」

 理真の問いに知美は破顔して答えた。理真も温かな気持ちになって微笑む。

「ありがとうございます。後輩なのに、待たせてすみません」

「いいよ。そんなの。教室からの距離の問題なんだから」

 理真に思わぬところで喜んでもらえて、知美は嬉しそうに言った。

「灯さんも。ありがとうございます」

 灯も手元の弁当に手を付けていなかった。理真が感謝を述べると、灯は理真の言葉のペースに合わせず、自分の間を置いてから答えた。

「……いいわ。何分も待ってない」

 感情の通わないやり取りに、灯はやはり不機嫌なのだろうと理真は思った。

「清嗣さんは……ああ、食べてるんですね」

 先に食べていることは何も悪い事ではないけれど、他の二人から落差があって非難めいた感じになる。清嗣は気にせず手元の弁当を食べ続けた。覚者の設定に即した態度ではあった。

 そしてふと、疑問に思う。

「覚者でも、ごはんは食べるんですか?」

 覚者は不老不死であると清嗣は言った。今更疑うわけではないが、生きるために行う食事という行為を覚者がするのは矛盾しているように思った。

 清嗣はペースを乱さずに咀嚼し、嚥下してから答える。

「覚者も血肉は人と同じものだ。食事は人体を維持する自然な方法だから行っている」

「なら、食べなければ餓死はあり得るんですか?」

「栄養は命を貰わなくても供給できる。だから餓死はしない。仮に心臓が止まっても、その体で動くことはできるし再生も可能だ」

 死してなお生き、再生も可能。話しを掘り下げていくほど、人間の常識からは逸脱した存在だった。

「なら、殺生をして栄養を取らなくてもいいんじゃないですか?」

「火を冠する性質上、食事による生命の流転に抵抗はない。水の覚者はどうしているか分からないが」

 清嗣が視線で灯に解答権を移譲する。理真も灯に視線を向けた。

「あまり食べません。飲食の場で人といる時ぐらいです」

 灯は無表情ながらはきはきと答えた。機嫌の悪い様子は引っ込んで、水の覚者の話ができることが誇らしいといった様子だった。

「っていうか理真は凄いこと気にするね。私、清嗣さんが食べてる姿に疑問もったことなんて一度もなかったよ」

 知美が感心した様子で理真に言った。理真は意図的に瞳を澄ませて答える。

「友達のことなので、気にして見てはいます」

「ほ、ほぉ」

 理真は言外に知美と灯のことも含めて言った。知美は自分も含まれているであろうことを察知し、もぞもぞと体を揺すった。理真はその横で灯に意味深な目を向ける。理真の視線に気付いた灯は嬉しさと悲しさを内包した様子で目線を逸らした。

 その後、話で手を止めていた三人は各々弁当の包みを開いた。

「いっただっきまーす」

 知美が食べ始め、理真と灯も続く。

 知美が理真の弁当を一瞥して話しかける。

「理真のお弁当って誰作ってるの?」

「母です」

「だよね。家もそう。理真は料理できるの?」

「できますよ。ある程度は」

「凄いね。私はからっきしだー」

 知美は嘆くように言った。

「覚えたら上手くなるんじゃないですか? 火の扱いは得意でしょうし」

「確かに。将来の働き口は中華料理店かなっ」

「ふふっ、いいんじゃないですか?」

「よし。頑張ろう!」

 知美は思いつきで夢を持って瞳を輝かせた。

 その間に、理真は灯を盗み見る。美味しくなさそうにご飯を食べていた。理由はなんとなく分かったけれど、どうしたものかと考える。すると、

「知美。昼食を終えたら目安箱の回収に行く。付いて来い」

「あ、は、はい!」

 清嗣に言われ、知美は急いで残りの弁当を平らげた。理真が清嗣を見る。清嗣は無表情で正面を向いていて、目を合わせなかった。でも、確信する。理真は密かに微笑を浮かべた。

「じゃ、ちょっと行ってくる。あとでね!」

 知美はそう言い残すと、数歩先を歩んでいた清嗣の後に付いて生徒会室を出て行った。

 生徒会室は理真と灯の二人だけになった。

 途端に静かになって、暖房の音が表に出てくる。無機的な音だけが聞こえる空間で、理真の元に灯の張り詰めた意識が伝わっていた。声を掛けたいような、掛けたくないようなそんな逡巡が見て取れた。

「灯さん」

 理真が声をかけると、灯は体を固くして理真を見た。

「さっきも言いましたが、気にしてます。どうしたんですか?」

 理真は柔らかくも張りのある声で聞いた。

「なんでもないわ。人に言うようなことじゃないから」

 灯は気落ちした様子で目を伏せながら答えた。

「どうにもできなくても、気になるので言ってほしいです。昨日会ったばかりの人に言えないというのなら、身を引きますが」

「そんなことないわっ」

 灯が焦ったように言う。そしてハッとした。理真は首を横に倒して、強かに微笑む。灯は言わざるを得なくなった。

「……私、よく物静かって言われる。そういう性格、汚点にされがちだけど、私自身は嫌いじゃない。それで不快な気持ちになったことないから。でも私が人に何かを求める時、その人から見た私はつまらない人間なんだって知った。それでちょっと、悲しくなった」

 灯は伏し目がちに告白した。理真は穏やかに目を閉じて言う。

「私は、そんなことないと思いますよ」

 灯の顔に、影が差した。

「いいのよ。気を遣わなくて」

 心の扉を閉めようとする灯に、理真はバールを突っ込む。

「さっき、私が知美さんと楽しそうに話をしていたことですか?」

 灯は目を剥いて固まった。羞恥がせり上がる前に、理真は再び言葉を紡ぐ。

「灯さんと過ごすのだって、好きですよ。私」

 理真は昨日築いた関係を思い出させるように、親愛の瞳を向ける。

 灯はその姿に瞳を一瞬揺らし、それから意識して拒むように、下唇を噛んで目を逸らした。いくら言葉が魅力的でも、結果は現実に出ている。

 灯の頑なな様子を見て、理真は続ける。

「知美さんは明るくて、一緒にいると楽しいです」

「……うん」

「でも上がるばっかりで、ふとした瞬間、空虚な感じも抱きます」

言葉が悪いかなと思いつつ、ありのまま話す。灯にはその方がいいと、理真は判断した。

「灯さんは物静かで、あまり喋りません」

 灯の顔を見ると、現実と繋がる評価に心を痛めた様子だった。

「でも、一緒にいて居心地がいいです。空虚さがなくて落ち着きます」

 その言葉で、灯から緊張の色が抜けた。理真は二人の魅力が発揮される場所が違うことを明らかにした。

 灯はまだ、笑顔までは見せない。しかし、灯が閉じようとしていた扉は壊れた。立ち上がることは未だに拒んで、瞳を揺らしていた。

「でも、私と知美なら、知美の方が好きよね」

 纏うものの無さに耐えかねて、灯は言葉を吐いた。そのつい出してしまったものは、一番守らなければならないものだった。言った後に、何を言ってしまったのか気付いた。羞恥の段階を一足飛びに越え、瞳をじわりと黒くする。年上という立場を笠に着て自虐に耐える。

「そんなことないです」

 理真は率直に答えた。

「嘘よ」

「知美さんにだけ、連絡したことですか?」

 理真が確信を持った調子で問うと、灯は目を剥いて固くなった。真実も、嘘も、選べない。答えられない。

「灯さんではなく知美さんに連絡したのは、話が速そうだからです。清嗣さんの直属ということと、二人に連絡を通すとき、灯さんから知美さんへするより、知美さんから灯さんへの方が容易なイメージがあったからです。親密度で決めていたわけではありません」

 灯の瞳が、はっきりと揺れた。理真の瞳を覗きこんで、本当を探す。

「……席は?」

 灯の声が少し甘くなっていた。

「灯さんが不機嫌そうに見えたので避けました」

「そ、そうなの? ……不機嫌そうだった?」

「はい」

「そう」

 灯はそこで、知らぬ間に入っていた全身の緊張を解いた。その言葉は証明にはならないけれど、本当を感じた。

 理真は灯の様子に問題解消を見取って息を吐く。

「よく、分かったね」

 灯が最初、昼に集まる連絡が知美にだけ来て、二番目扱いをされているようで不機嫌だったこと。知美と話している姿を見て、理真も知美のような明るい人が好きなのだと落ち込んでいたこと。理真の言葉はそれらの灯の想いを理解していなければ言えない言葉だった。

 灯の言葉に、理真は立場を変えて理解を求める。

「全部分かります。気にかけているんですよ」

俯いて、吐露する。

「大切なんです。だから、距離を置かないでください。寂しい」

「そ、そう。ごめんなさい。ありがとう」

 灯は慌てて理真を取り成した。

 取り成しついでに、今二人でいることを利用して、灯は理真に提案する。

「あの、理真? 理真はこの生徒会の人間関係、どう思う?」

「どう、とは……?」

 純粋な疑問を浮かべる理真に、灯は少し悪いことをしているような後ろめたさを持って続ける。

「清嗣さんと知美と私でしょ? 清嗣さんは覚者だから別。知美には仕える清嗣さんがいる。私一人、関係性が薄いの」

 理真の目を見ることができず、不安を募らせながら、灯は続ける。

「前にも言った通り、仲が悪いってわけではないの。知美とは普通に話せるし。ただあっちには清嗣さんがいるから私より環境良いなって。だから少しだけ、理真は私に寄った方が全体としての均整がとれると思うの」

 罪悪感を滲ませながら語った灯に、理真はくすくすと笑った。

「分かりました。条件がイーブンの場合は、灯さんの味方をしましょう」

「そ、そう? ありがとう」

 灯は抑えきれず、童女のように笑った。

 間もなくして、目安箱を回収してきた清嗣と知美が戻ってきた。

「やあやあやあ」

「お疲れ様です」

 手を挙げて言う知美に理真は挨拶を返した。清嗣は会長席に直行し、知美は目安箱を長机の入り口側の端に置いてから席に戻った。それから壁掛け時計に目を向けて時間を確認する。

「ああ、もうすぐお昼休み終わるね」

 知美は残念そうにぼやいた。

「そうですね」

 不完全燃焼の様子で知美が唸る。その途中、「あ」と明るい声を上げた。

「ねぇ。今日学校終わったら遊びに行かない?」

 理真と灯を交互に見て言う。

「良いわよ」

 灯は笑顔で答えた。その様子に、知美が少し驚いて目を向ける。

「あれ、今日機嫌悪いかと思ったけどそうでもなかった?」

「え、そんなことないわよ?」

 灯は少し焦った様子で答えた。

「? そう。まあ、いいけど。理真も来れるよね?」

 知美と灯が確信している笑顔を向けた。

「ごめんなさい。行きたかったですが、今日はダメです」

「え、ダメ? 用事あった?」

 目に見えて、二人が肩を落とす。

「はい、恋人とデートの予定があるので」

 申し訳なさそうに言う理真に、二人は固まった。

「はあぁ!?」

 知美が目を剥いて叫ぶ。

「友達いないって言って恋人いるの!? おかしくない!? 友達いらないじゃん!」

「いりますよ! 友達は大事です。ああ。私にとって友達がどれほど大切なものか、お話しするべきでしたね! でも時間が無い」

「それより恋人の話! いやもう聞く時間ないけど。先に言ってよ! 気になるじゃん。これ明日の昼までお預けなの!?」

「そうですね。明日また、お話ししましょう」

 知美が叫びながら頭を抱え、灯が好奇をグッと我慢して瞳に溜める。理真は平然と荷物を持って立ち上がる。

「行きますよ」

 理真に促され、皆が生徒会室を出る。心ここにあらずの二人をよそに、清嗣が生徒会室を施錠した。


 ***


「恋人いるって言ったら驚かれた」

「だろうね」

 理真が話すと、玉世は笑って答えた。

 放課後、理真は玉世と会ってカフェに来ていた。理真が今日の昼の一幕を話していたところだ。

「友達いらないじゃんって言われたわ。そういう問題じゃないのにね」

「人から見たらそう見えるよ。理真は特殊だから」

「まあ、自覚はある」

 理真は苦笑して答えた。

「でも、友達もそう言ったってことは、友達もそう思ってるってことだよ。恋人がいる理真にとって自分の必要性が薄いと思ってる」

「あ、そうか」

 理真は気付かされて目を剥いた。玉世は悔いる様子で続ける。

「誘いにも乗るべきだったね。俺もうっかりしてた。昨日の時点で誘われる可能性が高いことは、容易に想像がついたのに」

「いいわよ。玉世がそんなに気にしなくても。それに昨日の約束に後悔はないわ。翌日誘われるかもしれないって考えが頭にあっても、あの場では約束したと思う」

 友達は大切だが、一番は玉世だ。それは昨日の会話で自覚した。

「それはダメだよ。今は俺より友達を優先するべきだ」

 玉世はそう言って拒絶した。確かに、友達になったばかりである。仲を深めている途中の段階で、玉世との関係よりは明らかに脆いだろう。知美が、恋人がいれば友達はいらないと思っているということもある。しかし、友達とは学校で会うことができる。学校にいる間友達を大事にして、放課後は玉世を優先した方が、バランスがいいと思った。

「私は基本先約を優先するつもりでいるけれど、両方から誘われてどちらを選ぶか聞かれたら、玉世を選ぶわ」

 玉世は首を横に振る。

「嬉しいけれど、やめた方がいい。理真が友達をちゃんと持ちたいと思うなら、特に最初は大事にしないといけない」

「それじゃあ、玉世とあまり会えなくなるわ」

 理真の声に、切なさが帯びた。

 玉世と出会ったのは半年前。恋人になって半年は、まだそういう時期だ。

 早朝の浜辺のような理真の様子に、玉世は優しく言い含める。

「もし理真が俺と一緒にいたせいで友達を失ってしまったら、俺は理真の落ち込んだ顔を作る原因になる。それだったら、理真が友達といる時、この関係が続いているのは俺が引いたからかもしれないって、ふとした時に思ってくれた方が、俺は嬉しい」

「……うん」

 理真は口をすぼめて答えた。納得はしたけれど、受け入れたくなかった。

「俺は理真のことが好きだけど、愛してもいる」

「……どう違うの?」

 理真が玉世を見る。玉世はことさら優しく言った。

「俺のものでなくても、幸せであってほしい」

 玉世は笑顔で続けた。

「二人でいることが幸せなことではなく、幸せなことが二人でいることにしたい」

 それは、とても自由で、綺麗な言葉だった。

 幸せのために、一緒にいたいと思っていても我慢する。玉世に直接関係ない、理真と友達とのことなのに、玉世は進んでそう言ってくれる。理真の幸せを自分の幸せとする。それはこれ以上ないほど適切な、愛だった。

「俺は理真とずっと一緒にいるつもりでいる。だから、俺とのことは後回しでもいいよ。今が重要なものを大切にして」

 玉世は安心させるように優しく言った。

「分かった。そうする」

 理真は温かい笑みで受け入れた。

 愛に浸って安定した理真は次が欲しくなった。

 玉世の言葉を受け入れるなら今この瞬間の意味も、大きくなる。顔を合わせる機会が少なくなるのなら、顔を見て話したいことは、その都度言わなければならないだろう。そういうことにして、理真は深い思慮に稚気を張った笑みを浮かべた。

「ねぇ玉世」

 玉世が理真を見る。目線があったところで、理真は少しだけ体を前に倒した。

「結婚について、考えない?」

「まだ早いんじゃない?」

 玉世は動じずに答えた。

「今すぐにってわけじゃないわ。人生設計みたいなもの。というかもう……」

 理真はもう一度、面白がるように悪戯っぽく笑う。

「私、十六だよ?」

「今はダメ」

 玉世は柔らかくも頑として言った。もちろん理真にもその気はない。求められたら検討しようかな、程度には思っていたけれど。理真は茶目っ気を取り除いて、幸せの求めるままに言う。

「私たちあまり会えなくなるわけでしょ? まあ、電話はできるし、毎日友達と遊びに行くわけじゃないけど。指標が欲しいじゃない。会っていなくても、将来の二人のために歩んでいけるように。言葉だけでも、作っておきたい」

「分かった。じゃあちょっと、考えてみる?」

 それから、二人で色々な話をした。結婚の意義。何歳でするか。学校はどうするか。友達はどうするか。両親はどう思うか。子どもはどうするか。どこで住むか……。どの話でも玉世の言葉は理真への思いやりで溢れていた。言葉を重ねるたび、理真は幸せになれた。

「玉世」

 ふと、想いが口を割って名前を呼んだ。言うことは考えていなかった。玉世が理真を見て、何か言わなくてはならなくなる。

「私を見つけてくれて、ありがとう」

 口をついて出た言葉に、理真は満足して笑った。


 ***


「おじゃましまーす」

 昼休み。生徒会室の扉を開ける。開けてすぐの所に、知美が仁王立ちで立っていた。

「昨日のデートはどうでしたかー」

「最高でしたよ」

 棒読みで言う知美に、理真は『できる女』風に後ろ髪を掻き上げて、その横を通り抜けた。知美は「ふがぁ!?」と言って体を仰け反らせた。

 理真は灯の席の方へ歩く。灯と目が合ってウィンクした。灯は頬を赤らめて前を向いた。

「知美さんは彼氏いないんですか?」

「いないよう」

 知美は敗北感を出しながら答えた。理真が椅子に座って隣に聞く。

「灯さんは?」

「いない」

 灯は首を横に振った。

「そうですか。私はね。いるんですよ?」

「わかっとらぁ!」

 知美は語気荒く突っ込んで自分の席に戻った。理真はその姿に笑い、ふと会長席を見て疑問を持つ。

「清嗣さんは今日来てないんですか?」

 知美がピクッと反応して背筋を伸ばした。

「学校にはいるんじゃないかな。昼は絶対ここってわけではないし」

 清嗣の話になると、知美も感情的な言葉遣いは控えて誠実に答えた。

「昨日の話を聞いて空けてくれたのかも。ほら、女子会になると思って。自分がいたら楽しみきれないと思ったんじゃないかな?」

「ああ。そういうことですか」

 昨日も、理真と灯を二人きりにしてくれた。気遣いは誰よりもできる人だ。知美の考えが正解だと、理真も思った。偉い人を払っているみたいになるが、覚者としては、人が楽しんでいる方がいいのかもしれない。

「で、」

「で?」

「どんな人なのさ」

 知美が茶化すような半眼で理真を詰問した。

 どんな人か。理真は考える。色々浮かぶけれど、多分何も知らない人が気にするところを挙げて言う。

「容姿も能力も私が見てきた中では一番です」

「理真より?」

「はい」

「うへぇ」

「歳は?」

 今度は灯から質問が飛んだ。

「二十代前半です」

「お、大人だぁ……!」

 知美がはしゃぎ、灯は口元を押さえて顔を赤くした。

「ジョブは!? 金は!?」

「無職みたいです。お金はあるそうですが切り崩していく日々を送っているみたいですね」

「……あれ?」

「でも、愛は深いですよ」

「うわぁぁあああぁあぁぁ!!」

 知美の邪気が攻撃を受け、けたたましい叫び声を上げた。

「……キスは?」

 灯からの質問。知美が静まる。

「ありますが」

 理真は平然と言ってやる。生々しい答えに二人は顔を真っ赤にした。年上のはずだが、初心すぎないだろうか。

「付き合ってどれくらいなの?」

「半年ぐらいですね」

 理真が答えると、灯が少しもじもじした後、理真の制服の裾を引っ張った。理真が振り向こうとしたところで、耳元に手が添えられる。理真が耳を貸すと、灯が囁いた。

「……もうした?」

 聞いて、灯が下がる。真っ赤な顔を見てやると、顔を覆って正面を向いた。

したかとは、アレのことだろう。

「乙女です」

 理真は風の吹きそうな清涼さで言った。

「ぉ、おお! だよな。それはダメだな」

「……うん。良かった」

 二人がホッとして友好的な笑みを浮かべた。年上としての威厳は、辛うじて守られたようだ。

「お二人は一度も付き合ったことないんですか?」

「中学の時あるよ。二週間で終わったけど」

 知美が言い辛そうに答えた。灯を見ると、首を横に振る。

「使徒はそういうのダメってルールがあるとか?」

「ないよ。少なくともうちは」

「私の所もない」

 知美が答えて、灯も答えた。

「今好きな人は?」

「いないなぁ。……ああ。でも清嗣さんがいるからかも」

 知美がはたと気付いた様子で言った。理真が興味深げに聞く。

「清嗣さんに恋を?」

「いや、異性としてってわけじゃないけど、使徒は覚者にぞっこんだから」

「そうね」

 知美の言葉に、灯も同意した。

「恋愛に興味はあるんだけど、使徒の使命感が強いから、特定の相手にそういう気持ちは持ち辛いかも」

「なるほど」

「それでも、少女漫画見てキュンキュンしたりはするよ?」

「うん。昂った時は家で毛布を丸めてキスしたりしてる」

 理真が笑って灯を見る。目が合うと、灯は何か思い出したように顔を背けた。その反応に理真もしばし固まる。触れてはいけない気がして、話題を変える。

「そういえば、二人の覚者はいつ覚者になったんですか?」

 清嗣には人から転生すると聞いていたものの、いつなったかは聞いていなかった。

「清嗣さんは中三の時って言ってた」

「水の覚者は大学一年生の時だと聞いてるわ。二年前ね」

「そうですか。一時代に一人って頻度なのに一年しか差がないんですね」

「そうだね」

「偶然でしょうけど」

 知美と灯は気にする様子もなく答えた。理真は覚者がどういう条件で成るのか聞いていなかった。今度清嗣に聞いてみようと、頭の隅に保存した。

「ちなみにお二人はいつ使徒に?」

「私は中三」

「私は去年よ」

「お二人とも覚者が生まれてから一年後の使徒なんですね」

「うん」

「そうね」

 理真はまた一つ気になる。覚者には会っているのに使徒はまだ二人しか見ていない。

「使徒って何人ぐらいいるんですか?」

「両方十二」

「理由は分からないけれど、最大十二人って決まりがあるみたい」

 勢力的には拮抗していることになる。しかし、十二人の使徒がいて、覚者である清嗣の学校に火の使徒が知美しかいないことに違和感を覚えた。もしくは他の使徒は大人なのか。理真は知美に問う。

「火の使徒は知美さん以外どこにいるんですか?」

「散らばってる。少なくともうちの学校には私だけだね。覚者は別にお供とかいらないし」

 知美の言葉で、理真は納得した。覚者は補完する要素がない。使徒を何人付けようが、清嗣にとって意味はないのだろう。

 覚者の絶対性を思って、理真は一つ疑問を投げる。

「覚者って二人いるんですよね? どっちが強いんですか?」

 理真が二人に問うと、一瞬にして空気が張り詰めた。

「同じぐらいだな」

「水の覚者よ」

 二人が同時に違う解答をした。知美が剣呑な表情で、灯は訝しげな表情で顔を見合わせる。

「覚者はそれぞれの極限だ。同じ強さだろう」

「水の覚者が火の覚者に負けるわけがないじゃない」

「属性相性だろ。それ言ったら水だって地には勝てないじゃないか」

「いない覚者の話をする意味はないわ。理真は二人のどっちが強いのかを聞いているのよ?」

 その言葉で知美の顔が歪む。

「そもそも覚者同士は戦わないだろぉ……!」

「そうね。でも戦ったら水の覚者が勝つわ」

「属性相性とはどういうことですか?」

 今にも殴り合いの喧嘩が始まりそうな空気に、理真が平静な口調で熱を冷ますように割って入った。

 二人への質問に対して、珍しく灯が回答する。

「地水火風にはそれぞれ苦手な属性と得意な属性があるの。火は風に強く、水は火に強く、地は水に強く、風は地に強い。使徒が力を使う分には才能とか技巧とかの個人の能力が入る余地があるから有利不利になるけれど、覚者に関してはそれぞれが極限だから相性差は絶対になるのよ」

 優位な立場にあるからか、灯はいつになく饒舌に語った。理真も何度か見ている光景だが、使徒が覚者を語るときの人の変わりように驚く。

「なら、灯さんと知美さんなら灯さんの方が強い?」

「そうね」

「やったことないだろー」

 頬杖を突き、ブスッとした様子で知美が口を挟んだ。

「そもそも私らの力は戦うためのものじゃない。まあ、うちに関しては戦いの要素も入るけど。でも火と水の使徒が直接対決するなんてことは今までない」

 知美が背を伸ばして、続きを語る。

「私たちはやくざみたいに勢力争いをしているわけじゃない。あくまで覚者は人を導く者で使徒は覚者の意思を人の身で体現する者だ。人に行動を起こさせる精神の根幹が欲だとして、風は欲の生成を、火は欲の使い方を、水は欲の制御を、地は欲の根絶を使徒たちは体現して見せる。もし戦うことでそれらを示せるっていうならそうするけど、平和な現代で、それも使徒同士の争いを見せることでそれを示せるような場は無いさ。それがあるとすれば覚者が人類を導く時。まあ今はまだ、どちらの覚者も動き出してはいないけれどね」

「もし清嗣さんが動きだした時、水の覚者はどうするんですか? 覚者は戦わないって言ってましたけど、火の思想は水と反するんですよね?」

 理真の質問に、灯が答える。

「覚者の導きは偏向した世界情勢をあるべき状態に戻すことなの。それは言わば個人の意思ではなく世界の意思。だから思想が反していても、覚者自ら他の覚者の導きを止めることはないわ」

 灯の言葉から知美が引き継いで言う。

「ちなみに、覚者が人類を導くために動き出した場合でも、使徒は属性に関係なく各自の判断で動くことを許されている。使徒の性質は基本的に人。欲を持って、己の属性の力を存分に発揮していい」

「それなら、知美さんの行動を灯さんが阻むこともできるってことですか? 水の使徒全員が動いたら、相性面で火は負けてしまうのでは?」

「導きを行っている覚者の使徒は力が跳ねあがる。どのくらいかは分からないけれど、多分相性差があっても、一対一なら優勢になるぐらいだと思う。それに、水に関してはそういう直接的な方法に打って出るかは分からないよ」

 知美が灯に視線で問う。

「多分。『こっちの方がみんな幸せになれるのよ』って勧誘するのが主な仕事ね」

「それだけ聞くと悪徳宗教みたいですね」

「そ、そんなこと言わないでよ。内容は素敵だわ」

 変な風に思われては困ると怒る灯に知美が苦笑して補足する。

「灯を擁護する訳じゃないけれど、結局のところ使徒の行動はそういうものだ。自分の覚者が導くことになった時、それをスムーズに行うための礎を築く役割もある」

知美の言葉に、理真は納得して頷いた。

 覚者と使徒の話を聞き終えて、理真は笑顔を零す。

「でも、良かったです。お二人は争う必要がないんですね」

 理真の笑顔と予想外の心配に、二人が固まる。そして、二人はすぐに笑みを浮かべた。

「そう。大丈夫」

「みんな、友達よ」

 灯の言葉に、知美が驚いた様子で見る。灯は知美と目を合わせると、親愛の笑顔を浮かべた。知美もつられて同様の笑みを浮かべる。知美は二人を抱きしめようと思い立つも机が邪魔で、結局座ったまま、両手を理真と灯へそれぞれ伸ばした。

 理真が意図を理解しその手をすぐに取る。もう片方の手を灯へ伸ばした。灯も理解して、少し恥ずかしそうに二人の手を取った。

「友達!」

 知美が二人の手を握り締め、緩く振る。

「何それ」

 可笑しそうに灯が笑い、理真は嬉しくて笑った。

 心の繋がりはずっと強くなって、理真はその手が離れた後も滞空する繋がりを幻視した。

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