二章 ロック&バナナ
帰りのホームルームが終わり、理真は自分の机を教室の後ろに運んだ。
皆が部活や自宅に向かう中、理真は窓の方へ行き、冷暖房装置が組み込まれてできた棚に自分の鞄とコートを置く。
理真は今週の掃除当番だった。掃除道具ロッカーへ行き、箒を手に取った。
総勢五人で取り掛かった。教室の前半分を掃き、後ろから水拭きが追従する。終わると、机を前方に運び、後ろ半分を掃いて水拭きする。一人が塵取りを準備していて、集めたごみを取る。ゴミ箱に捨てると流れでゴミ袋を縛って持って行った。机を元の位置に戻して掃除が終わる。「おつかれー」誰かが言って解散となった。
理真が教室を出ると、隣のクラスは前半分を掃除し終わったところだった。その場には、気だるさと笑顔がある。その隣も、その隣も。
別に、いいんだけれど。
早く帰れるし。
心の中で呟きながら、理真は眉根を寄せた。
一年生の教室は二階にあった。部活に所属していない理真は帰宅するため階段へ向かっていた。すると前方から、少し熱を帯びた女生徒の声が聞こえてきた。友達同士の会話の感じではなくて、理真はそちらへ視線を向けた。
階段の隣の教室前に小さな人だかりができていた。男女混合で入り乱れる中、その中央に顔が一つ飛び出ていた。それで、人だかりの理由が分かる。
そこにいたのは、生徒会長の
炎が流れるような癖の強い赤毛。彫りの深い顔立ち。長身痩躯で、人に馴染まない圧倒的なオーラがあった。
誰より優秀であると自負する理真が、この人にだけは何で競っても勝てないだろうと思わせる超人だった。
理真は清嗣を取り囲む集団からすぐに視線を外す。その後、清嗣と話し終えて集団から離れた二人の少女が嬉しそうに話す姿に目が留まる。反射的なもので、すぐに視線を前方に据えた。
清嗣に対して、理真は関わろうという気がない。むしろ避けていた。そのまま集団の横を通り過ぎる。しかし――
「――そこの美少女」
誰の声かはすぐに分かる。魂を揺すりながら響く印象的な声だ。この学校にいて、聞き間違える者はいない。そして、この空間の中で比較した時、理真を置いて美少女と言われる資格のある人間はいなかった。
無視はできず、振り返る。呼んでおきながら、清嗣は理真の後に振り返った。
「生徒会室に来い」
有無を言わさぬ命令口調。誰にでもそういう口を利くが、それ以外の言葉が似合わない。彼に意見する者は一人もいなかった。理真は清嗣の目を見て答える。
「嫌です」
気負いの無い、あっさりとした声音だった。理真の思いがけぬ返答に、その場の空気が屈曲する。清嗣と理真が凛と佇む中、それ以外が困惑して不安に心をすり減らした。清嗣の命令を聞くのは当たり前のことで、特別な理由でもない限り、従わない選択をした人は過去にいない。『人間嫌い』で人と距離を置こうとする理真であっても清嗣の言葉には耳を貸すだろうと誰もが思っていた。しかし、そうならなかった。断り方も率直で、理由の説明もなかった。
「
「はい」
清嗣が呼ぶと、答える女性の声があった。理真から姿は見えないが、明るく歯切れのいい声だった。
「連れていけ」
「了解です!」
集団に埋もれて見えなかった女生徒の姿が人垣を割って露わになる。栗色の髪のミディアムショートで、活力に溢れた瞳をしている。身長は平均的で運動神経は良さそうに見えた。
現生徒会の副会長だ。理真も入学式で見た記憶がある。
理真はその少女の姿を確認した。瞬間、走り出した。
「あ、逃げるな!」
背後から制止の声が飛ぶ。が、従う義理はない。はっきり嫌だと告げたはずだ。全力で逃げる。
校舎内は階段と曲がり角も多い。理真は小回り勝負なら運動部にだって負ける気はしなかった。
二階から一階へとすぐに階段を駆け下りる。上から「本気じゃん!」と呑気な声が聞こえてきた。これなら捕まることもないだろうと思う。状況を見つつだが、諦めればそのまま下足箱へ行ってしまおうと考えた。長い直線の廊下を疾走する。これほど明確な拒絶の意志を示す人間を追ってはこないだろうと、精神的な面から考えても安心した。しかし、
「ひゃあ!」
理真から素っ頓狂な声が飛び出た。突然背中に衝撃が走ったかと思うと視界は反転して元来た道を収める。五メートルほど滑走し、停止した。
「掴まえたぁ」
明るく楽しげな声が耳元で聞こえて、理真は背中側へ振り向いた。そこにあった顔は、先ほど清嗣に命じられて追ってきた少女のものだった。少女は陽気な笑顔を浮かべながら理真の体をしっかりと抱きしめていた。
「君えげつなく綺麗な顔してるね」
驚く理真の顔を間近で見て、少女も驚く。
今なにが起こったのか、理真が分析を試みる。飛び付かれて五メートル程滑走した。それほどのスピードで走ってきたということだろうか。それとも滑走距離は幻覚か。どちらにしても、階段を降りる時間のハンデがあって追い抜かれることは信じがたいことだった。
考察する理真に対して少女の切り替えは早く、再び人懐っこい笑みを浮かべた。
「私の名前は
「……獅子堂理真です。一年です」
「知ってる!」
自ら聞いておきながら、知美はにこやかにそう言った。
お互いに初対面だった。しかし、片や学校一の美人。片や生徒会副会長。互いにその存在は認知していた。
「で、何で逃げたの?」
「……なんとなくです」
「なんとなくで清嗣さんの命令突っぱねる人初めて見たよ」
知美は可笑しそうに笑った。
「じゃあ全力で逃げてたとこ悪いけれど、生徒会室に来てもらうね」
そこは有無を言わさぬ様子で、知美はそのまま歩き出す。
「ちょ、ちょっと、歩けますから下ろしてください」
知美は理真を抱きかかえたままだった。絵的に恥ずかしい。
「大丈夫だよ。理真軽いし。私力持ちだから」
問題点を履き違えながら知美が諭した。顔を見る限り本気で言っている。
「そうかもしれませんが見た目が良くないです」
「見た目良いよ。理真お人形さんみたいだし、ゴスロリっぽくなって可愛く見えるかも」
「うはー」と頬を押さえて、知美は何かしら妄想に耽っていた。
「私が恥ずかしいんです。止めてください」
会話ではずれていきそうなため、理真は語気を強めにして怒った。知美もそれは感じ取り、テンションを落とす。
「じゃあ、うん。分かったよ。あ、逃げないでよ!?」
「逃げるわけないじゃないですか」
心の中で舌打ちする。
「なんか怪しいな。手繋がせてもらうよ」
こちらの反応に思うところがあったのか、知美は半眼で理真を見て言った。
「それも、なんか付き合ってるみたいで嫌ですね」
「じゃあなんだったらいいのさ」
理真は逃げることを諦め、ため息を吐き提案する。
「腕ならいいですよ」
手を拳にして右手を差し出す。
「ああ、そうだね。それでいこう。…………なにさその顔止めてよ。私すっごい悪物みたいじゃん! あ、親指の爪噛むな!」
力に逆らえない非力な少女を演じると知美は狼狽して怒った。
「おんぶするよ! そうする。決めた!」
「いや待って下さい。冗談ですってわぁ!」
担がれて投げられ、背中でキャッチされる。『乗れよ!』じゃなくて乗せられる。
「はあ、落ち着いた。いくよー」
「……」
おんぶされたまま運ばれる。生徒会室は校舎四階の端にあった。道中教室の前を通る。そこにはまだ生徒たちがそれなりにいて、二人は注目を集めていた。人間嫌いの理真が副会長に背負われているという構図は、これ以上ないほど人の興味を惹いた。
観衆の様子を見て、この状況の何かが理真の癇に障った。突然背筋を伸ばし、人差し指をビッと前方に差す。
「いっけー知美号! 生徒会を叩くぞー!」
「おーまーえー!」
***
「お疲れ様でーす」
「お邪魔します」
理真は知美に背負われたまま生徒会室に入った。
理真は生徒会室に来るのが初めてだった。中は入り口前に長机が四つ置かれ、奥に会長席がある。入って右側は休憩所のようになっていた。窓側にテーブルと二人掛けソファーが二つ置いてあり、角にある流しにはポッドもある。テーブルの対角側には書棚があり、一般的な書籍や活動資料と思われるチューブファイルもあった。全体の清掃も行き届いており、布団を持って来れば住めそうなほど環境が整っていた。
室内には会長席に座る清嗣の他、長机に一人、少女がいた。長い黒髪をポニーテールで纏めた、綺麗な少女だった。『目安箱』と書かれた箱の横で中に入っていたと思しき書類を整理している。彼女は理真を見て、視線が合うと会釈した。理真も同じ動作で返す。
「遅かったな」
清嗣が立ち上がって声をかけた。悠然と支配者を示すように歩き、長机の方に移動する。
「この子なかなか手ごわくて」
知美は苦笑して言った。
「そうか。座ってくれ」
清嗣は気にした様子もなく理真に着席を促し、自らも椅子に座った。
知美は理真を下ろすと清嗣の正面の椅子を引いて押し込めるように座らせた。その後、知美は理真の右側に座る。ポニーテールの少女はがいるのは理真の左側、二つ席を開けた所だった。
理真が不満げな視線で知美を見遣った後、清嗣が口を開く。
「俺の名前は鳳清嗣。君の名は?」
「獅子堂理真です」
理真ははっきりと答えた。それから、理真は清嗣の顔を改めて見る。
意志の強そうな、を通り越して完結してしまった瞳。生命を感じさせる炎のような赤毛。堀の深い顔立ちで、支配者にして賢者、両方の風格を備えた印象をもった。
「俺たち生徒会は悩める学生に手を差し伸べ、解決するための助力を行っている」
「知っています」
理真は暗い瞳で答える。なんで連れてこられたか、理真はなんとなく察していた。
理真は類稀なる優秀な人間だ。人の悩みを解決する人材としては、申し分ないだろう。もしくは、理真に興味を持つ人間が理真と接点を持ちたいと悩んでいたのかもしれない。だが、どちらにしても理真が忌避することだった。初めから打算的な関係であっても、友情は芽生える。後は上下関係を意識した交流が生まれるのだ。
「君の悩みを解決するために連れてきた」
予想外の言葉に、理真は視線を緩める。瞳で『何のこと?』と問いを投げた。清嗣はその視線の意味を汲み取ったのかどうか、傍からは分からない無表情で答える。
「友達が欲しいのだろう?」
理真は息を呑んだ。なぜ、そこに思い至ったのか、間近で顔を合わせたのは今日が初めてだ。だというのに、確信した口調で理真の求めるものを言い当てた。知美は『何故そんな悩みを?』といった様子で理真を見る。清嗣の言葉を絶対的に信頼している証だった。
「なぜ、そう思ったんです?」
「さっき仲良く話す女生徒に目を留めただろう。その時の様子で分かったよ」
それだけで、分かるものだろうか。
「……分かりました。話を聞きます。具体的に、何をしてくれるんですか?」
理真の口調が僅かに挑発的な物になる。自分自身で悩み抜き、上手くいかないことを解決すると言うのだ。いくら清嗣とはいえ、さっき会って悩みを知ったばかりの相手に納得のいく回答を与えられるとは思えなかった。
「友達をやる」
「友達はやるものではなくなるものです」
落胆を込めて吐きだす。清嗣程の権力があれば、そこら辺の人を掴まえて『友達になってやれ』とでも言えば友達を作ってやれるだろう。でも、そういう友達なら自分でいくらでも作れる。それが悩みになることもなかった。
「友達は選びます。誰でもいいわけじゃない」
「強いものが正義となる。お前はそれが嫌なのだろう?」
「っ!?」
理真は目を剥いて清嗣を見た。それは本当に、核の部分だった。一見して看破できることではない。今のクラスメイトと三年間過ごしたところで、理真のそれに気付く者はいないだろう。清嗣は態度を変えず、淡々と言葉を続ける。
「お前はまだ諦めきれないでいる。いつか、友達になってくれる人が現れることを。だから、今まで生徒会にも関わらなかった。ここは信仰の対象だから」
その通りだった。生徒会の人々は優秀な人間が多いと聞く。だから、友達になれる可能性が最も高い人たちではあった。しかし、それでもなお、理真が生徒会を避けていた理由、それは生徒会が生徒たちの信仰対象だからだ。理真が日頃向けられている視線が、生徒会と関わることでより強いものへと変わる。それは、理真にとって一般生徒と友達になれる可能性を遠ざけることだった。
理真は目眩がした。自分を規定していくものが、つまびらかにされている。自己がおぼつかない。まるで清嗣に存在の支配権を握られてしまったかのようだった。
「そうです。それで、なんですか。友達をやる、ですか? いりません」
理真は言葉を発して自己を律した。
内面はばれているが、清嗣の手法では結局解決には至らない。気持ちのない人間を連れてきて『はい、どうぞ』と言われても、『よろしくお願いします』とは言えない。
「知美、彼女の印象はどうだ?」
「え、私ですか?」
突然清嗣から話を振られ、知美は驚いたあと考える。
「うーん。めちゃくちゃかわいい!」
「後は?」
「あと? あとは……あとは大胆。反応が良くて思考から行動への流れが速いです」
「後?」
「あと……あ、」
知美が思い出してムッとする。
「先輩に対する敬意が足りないです!」
知美は怒って言った。
清嗣と話す知美には理真が見えていない。理真の顔は赤くなっていた。
知美は怒りを治めて「フッ」と笑う。
「でも、面白い子ですよ?」
知美は他意のない笑顔で言葉を加えた。
「なーんで友達いないって悩んでるんだろ? さっきの話もよく分からなかったし、ね、なんで? ってどしたの!?」
知美が理真を見て驚く。理真は顔を真っ赤にして胸を押さえていた。
「大丈夫なの、清嗣さん?」
「問題ない。……どうだ、理真」
清嗣が俯いている理真に言う。
「欲しいなら、やるぞ? 友達」
清嗣は優しげな微笑を浮かべた。理真は俯いたままで言う。
「貴方のではないでしょう」
「俺のだよ」
傲慢なことを言う清嗣を無視して、理真は知美の方を向く。
「あの……」
「ん?」
理真は座ったまま、不思議そうにしている知美を見上げた。
「友達になって、くれませんか……?」
潤んだ瞳、上気した頬で理真は提案する。
「か、かわっ……!」
思わず赤くなってしまった知美は咳払いして気を取り直した。
「いいよ、別に。私でいいなら」
「っ……ありがとうございますっ」
理真は満面の笑みを浮かべた。
「うわぁ! 眩しいー」
知美は顔を押さえて跳び回った。その様子に理真は可笑しくてまた笑う。
「
清嗣がポニーテールの少女も巻き込む。
「え、私ですか? 私に関しては清嗣さんの物じゃないですよ」
「俺の物じゃなくてもいいだろう。友達になるだけだ。嫌か?」
「嫌ではないですが……」
逡巡する灯と呼ばれた少女を、
「じゃ、灯も友達ね!」
「うわっ!」
知美が引っ張って理真の前に突きだした。
理真と視線が合い、その少女は少し気恥ずかしそうに目を逸らす。
「……二年の
灯の様子に理真は破顔する。
「はい。一年の獅子堂理真です。よろしくお願いします」
一度視線を合わせてお互いの意思を確認すると、灯は自分の席へ戻ろうとした。知美がその手をまた引っ張る。
「わぁ!?」「仲良くなろうね。みんな」
知美が灯と理真を一緒に抱きしめる。
「ちょ、ちょっと」
「はははっ」
抗議する灯と朗らかに笑う知美に囲まれ、理真は口に手を当てて笑った。
知美の腕が二人から離れると、理真は清嗣の方に向いた。
「清嗣さんも」
理真が手を差し出す。
「私の友達になりませんか?」
知美と灯は目を剥いた。清嗣の反応を恐る恐る伺う。
清嗣は微笑み、手を伸ばす。
「いいぞ。友達になろう」
理真の手を力強く握った。
「よろしくお願いしますね」
理真は満面の笑顔で答えた。
***
「君に俺たちの話をしておく」
引き続き生徒会室にて、清嗣がそんなことを言いだす。首を傾げる理真に対し、知美と灯は慌てた。
「いいんですか!? 教えちゃって」
知美の言葉に理真が顔をしかめる。友達だから全てを共有しないといけないとは思わないけれど、この場にいてみんな友達なのに、一人だけ線引きされていることが気に障った。
「問題ない。理真はそういう人間だ」
こっちはこっちで気に入らない。今日会ったばかりなのに、全部知ったような口をきく。
「えー、でもー」
「いいからっ、教えてください」
ぐずる知美に被せて、理真が苛立たしげに言う。知美は黙った。
清嗣は頷き、話し出す。
「まずはバナナ型神話の話をしよう」
「っ……」
突拍子のない導入で、理真は突っ込みを入れそうになるも自重する。求めておきながら、話を止める資格は無いと思った。
「エデンの園の話は知っているか?」
「詳しくは、分かりません」
理真が答えると、清嗣は説明を始めた。
「神はアダムとイヴをエデンの園に置き、園の中央には『生命の樹』と『善悪の知識の樹』を置いた。神はアダムとイヴに知識の樹から果実を取って食べることを禁じ、食べれば必ず死ぬと言った。しかしイヴは蛇の誘いに乗ってアダムと共に知識の樹から果実を食べた。それを知った神は善悪を知る者となった二人が生命の樹からも果実を食べることがないように、アダムとイヴをエデンの園から追放した」
理真も聞いたことがある話だった。旧約聖書の創世記に書かれている。
「この話では生命の樹と知識の樹が対になっている。二者択一で知識の樹の果実を選んだことを機に人は短命な存在になったとされている。この類の人の長命と短命の話は多くあって、そのうち長命の象徴に岩を、短命の象徴にバナナを用いて選択を行う神話からバナナ型神話と呼ばれている」
話についてきているか、清嗣が理真の様子を確認する。視線に気付いて、理真は頷いた。
「人は『知識の樹の果実を選んだ者』として存在しているが、様々な条件が重なることで『生命の樹の果実を選んだ者』に転生することがある」
清嗣は微塵の躊躇いも見せずに同じ調子で続ける。
「それがこの俺だ」
清嗣が超人であることは理真も認めるが、さすがに懐疑的な目を向けた。
「具体的に、どう違うんですか?」
「『生命の樹の果実を選んだ者』は不老不死となる。その変わり、心がない」
清嗣は視線に怯む様子もなく淡々と答えた。対して理真は一層胡乱な目を強める。
「『生命の樹の果実を選んだ者』は一言で表すなら絶対者だ。人の価値意識の最上に立ち、向かうべき世の中へ人々を導く。死ぬときは自らが世界に不要と悟った時のみ。その存在は世界のルールに等しい。心が無いことは論理的に考えて見れば分かる。精神活動のすべては生きるために成される。欲も知恵も感情も生きるために備わった機能だ。よって、不死である『生命の樹の果実を選んだ者』に心は無い」
理真は論理の破綻が無いことを確認して黙って聞く。清嗣は続けて人の話をした。
「対にして『知識の樹の果実を選んだ者』を表すなら、短命で脆弱。不完全な存在であるために不足を補おうとする欲をもち、価値を創造して生きる。善悪を規定することや生死そのものに意義を見出すことができる存在。となる」
二つの存在定義を聞き終えて、話の筋は通っていると思った。だがそれは、『生命の樹の果実を選んだ者』が存在する証明にはならない。受け入れられるかどうかは別問題だった。
清嗣は説明を続ける。
「『知識の樹の果実を選んだ者』が“人間”と呼ばれるのに対し、『生命の樹の果実を選んだ者』は“覚者”と呼ばれている。そして人の身でありながら覚者に素質を見出され、覚者の思想を体現するものを“使徒”と呼ぶ」
清嗣が知美と灯を手のひらで指す。
「彼女たちがその使徒だ」
知美が誇らしさと不安を混ぜた顔で頷き、灯は大事な点を補足する。
「私は使徒だけれど、清嗣さんの使徒ではないわよ?」
灯の発言を清嗣が拾う。
「覚者が誕生する頻度は一時代に一人と言われているが、現在は俺の他にもう一人、覚者がいる。灯はその覚者の使徒だ」
灯はその説明に満足げに頷いた。
清嗣が知美を自分の物だと言ったこと、灯が理真と友達になるよう言われた時、清嗣の物ではないと否定したことがそこで繋がる。清嗣が話を続ける。
「覚者の在り方は四つある。それぞれの指針から地水火風の属性で表される。俺は火の覚者。もう一人は水の覚者だ。属性が異なれば導き方も違う。そこで互いの行動を把握できるよう互いの使徒を相手の覚者の元に送っている。そこで俺の元に送られてきたのが灯だ。説明は以上。何か疑問はあるか?」
清嗣がざっくりと話し終えて理真を見た。
「話に矛盾点はなかったと思います。でも私の常識からはとても受け入れられません。言葉を重ねられるほどに、胡散臭く聞こえます」
理真は率直な意見を述べる。それを受けて、清嗣は知美に視線を送った。知美の肩がビクッと跳ねる。
「力を使って見せろ」
「……理真に怖がられないですか?」
知美が遠慮がちに清嗣に問う。
「怖がらない。安心しろ」
「力ってなんですか?」
問う理真に、清嗣が答える。
「超能力だ」
「そんなばかな」
「先ほど君が逃げた時、明らかに出遅れた知美が君を掴まえられただろう」
言われて、理真は知美から逃げていた時のことを思い出す。階段一階分の優位性をもちながら追いつかれ、抱き着かれた後五メートルほど滑走した記憶。あながち、嘘ではないかもしれない。息を呑んで、知美を見た。
「じゃあ、空中で三回転します」
理真が想像していたワードと違うものが出る。だが、この教室内では空中で三回転する高さもなく、そもそも踏み台なしで天井まで跳躍することも常人では不可能だ。知美は助走をつけるでもなく、その場で飛ぶ。
「ふっ……はい!」
宙に浮いた知美は半回転したところであからさまに不自然な急速回転をした。しっかり三回転して、最後は体操選手のように両手を広げて着地した。
常軌を逸した光景に驚き、取りあえず理真は拍手を送る。「あぁー、ははぁー」と、知美は低姿勢で頭を掻いた。
「火の使徒は動きを加速させることや人の心を昂らせたりすることができる。他には属性の示す通り、火を自在に操れる。知美。好きに燃やしてみろ」
清嗣が再び知美に命令する。知美はまた渋い顔をした。
「後で怒らないですよね?」
「俺が直す。心配するな」
清嗣の確認を取り、尚も不承不承と言った様子で知美が従う。
「じゃあ、火、出します」
直後、長机が一つ、盛大に燃え始めた。蝋燭に灯すような火かと思えばキャンプファイヤーのような業炎だった。理真は驚いて半歩後ずさる。メラメラと燃えて炭へと変わっていった。
「…………消さないんですか?」
「あ、灯!」
「なんで私なのよっ」
知美に呼ばれ、仕方なく灯が応じた。慌てる様子もなく歩いて、燃える長机に手を入れる。すると、机に触れた瞬間に鎮火した。
「灯の持つ水の能力は流動的な性質を操る適応の力だ。火のような状態の偏向に作用し、沈静化させることができる。人の心に対しては、火とは逆に昂った心を鎮める力がある」
清嗣は理真を見て説明を続ける。
「風なら物を成長させる力、宙を自由に飛びまわる力、人の心に欲望を生み出す力がある。地なら堅固の性質で外界の影響を無効化する力、人の心に対しては欲を閉鎖する力がある。そして……」
清嗣が片手で炭化した長机を指す。理真が目線でそれを追った瞬間、元通りに直った。
「覚者は使徒の持ちうるすべての属性の力を使える。加えて、己が冠する属性の定義に干渉することができる。知美」
呆気にとられる暇もなく、清嗣が次の段階に入る。知美がさっきまでの躊躇いとは違い、緊張した面持ちで前に出た。灯の顔も緊張に彩られていた。
「歩け」
「はい」
言われるがまま、知美は前進する。しかし、途中で前進する動きのまま真横にスライドした。次は上へ、次いで横へ、下へ行って後退し元の位置に戻る。
「いいぞ」
清嗣から声がかかり、知美は止まって大きく息を吐いた。
「このように、元来前進する動きを任意の方向へ移動することに書き換えることができる」
「めちゃくちゃですね」
この世の法則など、言葉通りあったものではない。
清嗣に動かされていた時の知美の様子に思うところがあって、理真は知美に声をかける。
「怖かったですか?」
知美は理真を見ると、苦笑して答えた。
「いや、怖くはないんだ。覚者はミスとかないし、悪意もない。ただ使徒にとって、覚者の“奇跡”というのは厳かなものなんだよ」
理真には分からない感覚だった。覚者と使徒という主従関係があってこそ、それは分かることなのだろう。
「以上で我々の紹介は終わりだ」
清嗣はそう言って締めくくった。
創世記の話に始まり異能の力を目の当たりにした。理真は生徒会の人間が凄い人たちだとは見聞きしていたが、さすがに異能という方向に行っているとは思わなかった。信じがたいことだが、見せつけられては否定できない。
「理真」
知美の心配そうな声に振り返る。
「私たちのこと、友達って思える?」
「なぜですか?」
理真の質問に、知美は言い淀む。決心は早く、口を開いた。
「私たちは、異能者だ。普通の人間じゃない」
知美はそう言うと、覚悟を決めたような顔をした。灯も、視線を床に向けている。清嗣が自分たちの事を話すと言った時も、能力を使って見せる時も、渋っていた理由はそこにあったのだろう。
その思いに、理真は無垢な笑顔で答えた。
「関係ありません。異能の力は私の求める友達の条件に引っかかりません」
「……理真」
優しさと受け取ったのか、垢抜けない感謝の笑みを浮かべる知美に、理真は続ける。
「そもそもクラスメイトにとって異能者みたいな私が『友達が欲しい』と嘆いていたんです。皆さんが異能者であることを理由に、私が友達になれないって言ったら、おかしいじゃないですか」
理真は明朗に言ってのけた。
「うぅ。理真ぁ」
今度は思いが届いたようで、知美が涙を滲ませながら理真に抱き着いた。理真は倒れそうになる体を何とか維持する。
こういう反応をするということは、覚者と使徒の話は関係者以外の誰ともしていないのだろう。そう思うと、特別を共有しているようで嬉しくなった。
それが狙いだったのかな、と、清嗣の方を見る。清嗣は視線を返すが、その表情からは考えを読み取れない。
取りあえず、自分の閉塞した世界を切り開いてくれたことに感謝を込めて、理真は微笑みを浮かべた。
***
帰りは生徒会室を四人で出た。
知美はバス。理真、清嗣、灯が電車で、理真と灯は利用する線路も一緒だった。
校門を抜けてからすぐに知美と別れ、駅に着いてから清嗣とも別れた。理真と灯の二人になって今、ホームで電車を待っていた。
理真が空を見上げると、遠くの方で日が沈みかけていた。真上に視線を移すと、色はすでに藍色になっている。そこから視線だけ左横に落として、灯を見た。静かに佇む姿に、理真は薄い微笑を浮かべる。
二人になってから理真と灯は話していない。しかし、そこに気まずさは感じなかった。逆にその沈黙は居心地がいい。
皆でいる時も、灯は口数が少なかった。それは一緒にいる人が嫌いというわけでもなく、口下手というわけでもない。単に物静かな性格だった。知美と対比で見ると、属性の違いが性格にも現れているように思えた。
理真は灯に対して気になっていることがあった。それをすっと口に出す。
「灯さんは知美さんと仲良かったんですか?」
問われた灯は理真を見て、一度視線を上げて考えてから答えた。
「悪くはないわよ? 友達と呼べる程かは分からないけれど。属性が違うからね」
その回答に、理真は自分が二人を見て感じたものが的外れでないことを確認した。
理真は知美と灯が会話する様子にぎこちなさを見て取った。知美が灯と話すときは、笑顔を浮かべていてもどこか表面的な印象を受けた。
「属性が違うと、基本的に仲は悪くなるんですか?」
「そうね。使徒は自分の覚者を絶対的に信奉するから、自分と異なる考え方で人を導く使徒には反感を覚えるわ」
「なら、辛くないですか? 他の覚者の所にいるの」
飾らない理真の問いに灯は苦笑する。
「まあ、いい気はしないけれど。それも水の覚者の意思と思えば、誇りに変わるわ」
灯は実際に誇らしげな様子で言った。
理真は改めて、覚者と使徒の繋がりの深さを知る。
「知美さんは、私たちみんな仲良くなろうねと言ってくれましたが、灯さんには迷惑でしたか?」
理真は真っ直ぐな瞳で問う。申し訳なく思うでもなく、ましてや器の小ささを非難するわけでもない。自らが台風の目であることを自覚し、相手の人格を尊重する姿勢だった。
灯は首を横に振り、笑顔で返答する。
「いいえ。さっきも言った通り、知美とは仲が悪いわけではないの。属性が合わないと言っても、使徒であることを明かして気さくに接することができるのは、結局同じ使徒だけだから」
そう言うと、灯は人差し指を顎に当てて、女性らしい、色のある瞳で理真を見た。
「今日はそこに一人、使徒のことを知って友達と言ってくれる人ができたわけだけど」
灯は品のある優しい微笑みを浮かべて続ける。
「貴女が受け入れてくれたこと、本当に嬉しいわ」
灯の言葉に、理真は少しだけ目を見開く。目を閉じて、灯の温かい想いを胸に溶かした。目を開き、貰った気持ちを表情にして答えとした。
灯は理真の想いに頬を緩ませた。灯には珍しい高揚感が、気付いた時には唇を割っていた。当人が名付けしようとも思わないその自然な高揚感は、親密になりたいという想いだった。
「実は今、私が最初に言った言葉、ちょっと気にしてるの。仲良くなれるか分からないって。言い直させて?」
灯は居住まいを正して理真を見る。
「私、あなたと仲良くなりたい」
灯が理真に、右手を差し出す。
「私と、友達になって?」
首を小さく横に倒して、灯が言った。求めていたものが自ら近寄って来てくれたことに、理真は嬉しくて笑う。
「末永く、よろしくお願いします」
理真は差し出されたその手を握った。お互いの視線が合うと、ふと笑みが零れる。余った思いが胸で遊んで、くすぐったい余韻にからかわれる。
少し恥ずかしい思いで見つめ合うと、電車がホームへ入って来た。
***
「ただいまー」
「おかえりー」
理真が玄関から帰宅を告げると、奥の方から返答があった。
理真は靴を脱いで家に上がると、そのまま二階へ上る。足を止めたのは自室の前。扉を開けて中に入った。
白を基調とした十畳ほどの部屋だった。左奥にベッドがあり、対角に学習机がある。学習机の手前がクローゼットになっていた。
理真は学習机に鞄を置いて私服に着替える。パンツを履き、シャツを被って着た後、後ろの髪を掻き上げて散らした。姿見を見て、髪を手櫛で簡単に整える。最後に回って、乱れがないことを確認した。
姿見から離れ、理真は学習机の上に置いた鞄から弁当箱を取り出す。それを持って部屋を出る。階段を下りて廊下を渡り、突き当たりの扉を開ける。そこはキッチンだ。
母がいて、料理の最中だった。
「おかえりー」
顔を見せた理真に、母はもう一度言った。
名前は獅子堂
理真は「ただいま」と簡単に答えながら弁当箱の包みを解いて流しに置いた。
「なんかいいことあった?」
隣でフライパンを扱う恵が声だけで聞く。理真は少し驚いて恵を見た。
「どうして?」
「足音、機嫌良さそうだったから」
恵はさらっとそう答えた。理真は感心する。足音に反映されているとも足音で気付かれるとも思わなかった。
「あったよ」
「何?」
一瞬言いよどんで、普通のことだからと理解し、努めて平静に話す。
「……友達ができました」
なぜか分からないけれど敬語になった。
なんだか少し、こそばゆい。
その言葉を聞いた恵は調理していた手を止め、驚いた顔で理真を見た。
視界にその姿が映って、理真は横目で恵を見上げる。恵は嬉しそうに笑っていた。
恵は一度視線を戻してフライパンの火を止める。再度、責めるような表情に変えて理真を見た。
「早く言いなさいよ」
「なんで?」
「お祝い準備してない」
「大げさだよ。友達くらいみんないる」
「あなたにはいなかったでしょう? 欲しいって、いつだったかぼやいてたじゃない」
「うん。まあ。そうだけど」
理真はこみ上げる嬉しさにフィルターをかけて、あまり顔に出ないようにする。代わりに足を交差させたり、半円を描くように動かしたりした。
恵はそのまま料理を中断し、エプロンを外した。丸めて台に置いてキッチンを出ようとする。
「どうしたの?」
恵の背に、理真が問いかけた。
「買い物行ってくる」
「え、まさか、お祝い?」
「そうよ」
「いいってば。そんな」
理真は気恥ずかしさに顔を赤くして言った。
「だめよ。もうそういう気分だし。スイッチ入っちゃった」
「……なら、良いけど……」
相手がやりたいと言ってくれているのを無理に止めるのもおかしいと思って、理真は渋々了承した。
楽しそうな笑顔を浮かべながら出かける準備を着々と進める恵に、理真はもう一度問いかける。
「何買うの?」
「お赤飯」
「やりすぎ! あと美味しくない!」
抗弁する理真に、恵は顔だけ振り返りながら指を立てて答える。
「美味しい美味しくないの問題じゃないわ。おめでたいことは儀式的に祝った方が幸せになれるの」
そう得意げに語る恵は幸せそうで、理真はもう否定の言葉をしまった。代わりに、
「お母さん」
「何?」
「ケーキを所望します」
理真は演技がかった口調で乗っかった。
「はーい」
クスッと笑って、恵は答えた。
***
夕食を食べ、リビングで家族とケーキを食べながら過ごし、父と母に十分いじられてから、理真は自室に入った。時刻は二十時。閉めた扉に背を預け、電話をかける。
コールが三回鳴って、相手が出た。
「――もしもし」
その声を聞いて、理真は何も話していないのに嬉しくなる。優しい、思いを寄せてくれている声だった。
「こんばんは。玉世。電話、大丈夫だった?」
「うん。問題ないよ」
付き合い始めて半年。一応聞いてはおくけれど、電話をかけて今忙しいと断られることはなかった。
理真はベッドに上がって腰を落とした。壁に背中を預けて、体を弛緩させる。
「玉世は今日何してた?」
「散歩」
「一日中?」
「うん」
「おじいちゃんみたい」
理真は可笑しくなって笑った。
「散歩好きなの?」
「うん。人を見るのが好き」
「女の子?」
「みんな。老若男女問わず見るよ」
「可愛い子いた?」
「そういう目で見てないよ。女の子を異性として見ても、理真ってかわいいなぁって確認できるだけだし」
「そう? 良かった。普通に肯定していたら今すぐ電話を切るところだったわ」
「おお。危ない」
玉世がおどけて言うと、二人で笑った。
「玉世って働いてるの?」
いつでも電話に出るから気になっていた。
「いいや」
「学生でもないんでしょ?」
「うん」
「一人暮らし?」
「そうだよ」
「どうやって生活しているの?」
「昔溜めたお金を切り崩してる」
「危うい生き方してるのね」
理真は苦笑して感想を漏らした。それから表情に、少し挑発的な毒を入れた。
「もし私と一緒になる気なら、経済面もしっかりしてもらわないとだめよ?」
「大丈夫だよ。お金ぐらいいつでも用意できる」
「用意できるじゃなくて、定期的に入れてもらわないと。子どもはサッカーチームができるくらいが目標だからね」
「ずいぶん頑張るんだね」
玉世は笑って返した。
「実は、ね」
理真が壁から背中を離し、神妙な口ぶりで切り出す。
「…………できちゃった」
「…………なにが?」
玉世の声が固くなる。
何とは言わないけれど、玉世としたことはない。
「……相手はね、背の高い、赤髪の綺麗な先輩なの」
理真は大切なものを語るように言った。玉世から返事はない。玉世は今どんな想像をしているのだろう。話しの流れがいい感じに嵌っている。想像している内容を想像して、沈黙の間、だんだん可哀相になってきた。
「……友達ができたの?」
自分の解が正解だと確信しつつ、憔悴した様子で玉世が聞いた。
「そうなの。今どんな気分?」
「最悪」
玉世の声が今まで聞いたことがないようなテンションの下がり具合だった。理真は目を輝かせて聞く。
「私、玉世が何想像してたか全然分からないんだけれど、もし玉世が想像してた内容が実際に起こってたら、どうしてた?」
言葉の端々を跳ねさせながら、理真は白々しく聞いた。
「……動物の中にはメスの連れてる子を殺して自分の子を産ませるってオスが結構いるらしい」
「あわわわわ!」
玉世の冷え切った言葉に理真は言ってはいけないことを学んだ。
「ごめんね?」
「いいよ。よくないけど。今度からやめてね、そういうの」
「は、はい。ごめんなさい」
玉世に珍しく怒られる。それに、理真のためではなく、玉世自身の気持ちで怒られるのは初めてだった。友達ができて舞い上がっていた事もあるだろう。嫉妬されたくてからかった部分もあるだろう。しかし、ノリで超えてはいけないラインだった。深く、反省する。
「それで、友達ができたの?」
玉世が軽く、優しい調子で理真の言葉を促す。話したかったこと、祝福してほしいことだと玉世は察してくれていた。理真はその気持ちに感謝しつつ、明るく話す。
「そう、そうなの!」
「さっき言ってた赤毛の人?」
「そう。あと二人。そっちは女性で一個上の先輩」
「へえ。三人もできたんだ」
「うん。実はみんな生徒会の人」
「そういえば、生徒会の人たちは優秀だって言ってたね。避けてるって言ってたけど、友達になれたんだ」
「うん。みんな、私が友達になれる人だった」
理真の言葉の後、玉世は一拍の間を置いて言う。
「水を差すようだけれど、一個忠告しておく。一つの物に対しても、人の想いは一つじゃない。理真が拒絶している人たちにも理真が求める心はある。ただ理真への尊敬が強いだけ。同じように誰の心にも尊敬の気持ちはきっとある。だから、理真が本気を出すと、理真の望まない関係に変わってしまうかもしれない。そうならないように、尊敬よりも先に確固とした友情を築くんだよ」
「うん。ありがとう。心に留めておく」
理真は柔らかい微笑みを湛えて返した。玉世が理真と玉世の関係以外の所に口を挟んでくれたことに、深い愛を感じた。
尊敬の念に関しては、知美と灯は理真に持たないような気がする。今日見た限り、覚者の存在は使徒にとってかなり大きい。二人の生き様が理真で変わるようには思わなかった。しかし、玉世に覚者や使徒の話をする必要はないだろう。自分が証明できないものを語るのもおかしいと思った。
その後も理真は玉世と色々な話をした。学校のこと、楽しかったこと、学問的なこと、嫌なこと、昔のこと。理真の話も、玉世の話もした。充足の内に、かれこれ二時間ぐらい経つ。時計を見れば、二十二時を回っていた。
「じゃあ、そろそろ切るね」
「もう? 寂しいな」
「いつでも会えるわ。……ねぇ、明日合わない?」
「うん。会おう。会いたい」
「じゃ、約束ね。いつもの場所、一七時でいいかな?」
「うん」
「じゃあ、また明日」
「うん。おやすみ。理真」
「おやすみ」
自分の声の後、三秒ぐらい待って理真は電話を切った。ベッドへ横に倒れて、滑るように仰向けになる。携帯を持った手を胸に置き、天井を眺めた。白い色が思考を広げた。
友達という大切な存在を手に入れた。そして、気付いたことがある。
私は玉世が大好きだ。
携帯の下で発熱する丸い何かがあって、それを抱え込むように、理真は身を捩った。
***
月の綺麗な夜だった。
吹き荒ぶ風の中、ビルの屋上で一人の男性が月を眺めていた。
シルクのような白髪が雑に伸びている。月の光を浴びて、その色を転写していた。痩せた体にワイシャツ一枚をラフに着て、黒のレザーパンツを履いている。顔立ちは二十代後半ぐらいに見えるが、纏う雰囲気を合わせると十代のようにも見えた。
青年が振り返る。そこには十二名の人の姿があった。年齢も性別も様々。整列するでもなく散らばっている。しかしその全員が、青年の一挙手一投足に注目していた。
「数日後に動く」
強風に消えることのない、それでいて大きいわけでもない声が全員に届いた。大人らしい低音でありながら、若い瑞々しさをもつ不思議な声音だった。
「行動するときは連絡するから。その後は自由に」
少年の言葉が途切れて、すぐに続く。
「解散」
重みのないその言葉が、世界変革の狼煙となった。
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