反撃
9月最後の金曜。
第3回ミーティングが開かれた。
俺たちの力を注いだ原案を、兵藤たち営業部員がチェックしていく。
互いに何の言葉も交わさない、静まり返った時間が流れる。
小宮山係長は、静かな表情の中にピリピリとした緊張を漂わせ、向かい側の兵藤の様子をじっと見つめる。
俺は、そんな彼女の真剣な横顔を、何気ないそぶりで窺った。
9月も、残り数日。
今回、OKが出なければ……スケジュール通りに9月末までに原案を次の段階に上げるのは、ほぼ不可能だ。
彼が、この原案に、どのような判断をするか。
間もなく示される兵藤の反応に、彼女の意識がキリキリと向けられていることがありありと感じられる。
兵藤が、今回どんな言動を取るか。
彼が、係長を土壇場まで追い込む行動に出るかもしれない……そんな俺の不安は、単なる杞憂で済むのか。
俺も、その答えが出る時をじりじりと待っていた。
不意に、兵藤が明るい声を出す。
「へえ、五十嵐、よく撮れてますね〜。モデル以上じゃないですか。商品の魅力をしっかり演出できてるし……この画像、サンプルじゃなくってこのまま使ったらどうですか?まあ、そういうの苦手なあいつが同意するかどうかわからないけど」
「ええ、私たちもそう思います」
係長は、落ち着いた口調でそう答える。
「……前回こちらが指摘した部分も予想以上にうまくアピールできてますね。完成したら非常に魅力的なパンフレットになりそうだ。いろんな意味で、消費者の目を引くでしょうねこれは」
「————」
彼のその評価に、彼女と俺は微かに視線を合わせた。
……それは。
OK、と言っているのか?
そう捉えていいのか……?
「……それは、つまり……」
小宮山さんが言いかけたその言葉を、兵藤は鋭く遮った。
「——でも、残念だな」
「————」
彼女の表情が、ぐっと固まる。
俺は、思わず彼を見据えた。
「入ってるかなと期待してたんですけどねー。……『エコ』っていうキーワードが。
これは無加水調理鍋だ。従来のように大量の水を加えなくても、カレーなどの煮込み料理が完成する。——つまり、使用する水が節約できるというメリットがある。
従来の鍋と新製品とで、同じ料理をする際の水の量をざっと比較してみたんだ。どの料理をどの程度の頻度で作るかにもよるが、ミネラルウォーターなどを使用する家庭ならばなおさら、水の値段に換算すると結構な額が節約できる。
……この部分のアピールが含まれないとなると、こちらとしてはなあ……」
「…………」
黙り込む俺たちに、兵藤は自分の手元の資料を楽しげにヒラッと持ち上げた。
「——ここに、新製品を使うことでどの程度の水が節約になるか試算したデータがある。
この資料があれば……残りの数日で、何とか原案を完成させることができるかもしれないな。
——欲しくないか?」
小宮山さんが、ぐっと唇を噛んだ。
「とりあえず、今回のこちらからの要望は伝えたよ。
あとは——そちらの答え待ちだ。
平野、こっちの資料をまとめて先に戻ってくれるか。
篠田くんも、もう戻っていいぞ?」
「——わかりました」
平野は慌てるように資料をビジネスバッグへ詰め込むと、足早に部屋を出て行く。
「————俺は戻りません」
「へえ、そう?
なら、それでもいいけど。
……小宮山さん。このデータが必要なら、ここに書いてある店で待ってるから」
兵藤は、小さなメモ用紙を係長へ差し出す。
「————」
彼女は、震える指をその紙へ伸ばした。
「待ってください」
その指を軽く押し留め、俺は兵藤の前に歩み寄る。
「…………兵藤さん。
あなたに渡すものがあります」
ひたすら大人しかったはずの俺の態度の変化に、彼は気分を害したようだ。
険しい表情で俺に乱暴な声を投げる。
「おいお前、なんだ…………
…………」
俺の差し出したメモを受け取り、内容を読んだ瞬間——彼の表情が引きつった。
「——おい……
これは……何だ」
「営業部長からの伝言です。
もし、今回のミーティングで原案が通過しなければ、あなたに渡すようにと」
「——篠田くん。
何なの?」
不安げな彼女の問いかけに、俺は、部長が書いた伝言のコピーを彼女にも見せる。
「これです」
『兵藤君
パンフレット原案の内容は私が確認した。
君の指摘により、原案は当初に比べ大きく充実した。感謝する。
私の確認した段階で、この原案の内容は充分合格に値すると判断した。
もし、これ以外に指摘や要望があれば、今後は直接私まで申し出なさい。
尚、君の言動に万一公私混同が見られた場合は、君の評価に大きく影響することを忘れないように。 岸本』
「——あの……。
さっき、あなたが係長に渡そうとしたメモは——営業部長にお渡しいただけますか」
兵藤はかっと顔を紅潮させ、凄まじい勢いで怒鳴る。
「ふざけるなっっ!!…………お前、一体何をした!!」
「ふざけてはいませんし、特に何もしていません。
数日前のランチタイムに、偶然部長にお会いして、その際お見せした原案を大変気に入っていただいた……それだけです。
公私混同についても——あなたに心当たりがなければ、それで済む話ですよね?」
返す言葉を失い、彼は思わず息を飲み込んだ。
そして、もはや追い詰められたように係長へぐっと歩み寄ると、焦燥をにじませて呟く。
「——麗奈。
もう一度、ちゃんと話をしたいんだ。
今度は、君の話をちゃんと聞くから。——頼む」
「————」
彼女は、ざわざわと複雑な色の混じり合う瞳で兵藤をじっと見据える。
俺は、小さく俯いた。
——これは、仕事の話ではない。
彼と彼女の間の話だ。
どんなに引き止めたくても——
これは、俺が口を挟めることじゃない。
彼女が決めることだ。
——そして、俺のような部外者が立ち会っていい場面でもない。
「…………係長。
俺、先戻ってます」
俺は、自分の書類を手早くカバンにまとめる。
そして、何か言いたげな彼女の眼差しに気づかないふりをして、ミーティングルームを後にした。
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