本気
そんな、小宮山係長と夢のような時間を過ごした翌週、月曜の朝。
金曜の夜の色々をものすごく意識しすぎてどぎまぎしている俺に対し、彼女はものすごく平常モードだった。
「篠田くん、おはよう」
「…………あっ……おっおおはようございまつっ……」
俺的にはもう、朝一の挨拶から噛んでいる。
「金曜は、ありがとう。すごく気持ちが楽になった。
プロジェクト、また気合入れて頑張りましょう!」
「…………あ、っはいそうですね……」
彼女は誰の目を憚ることもなく、普段の会話と全く変わらぬボリュームであの夜のことを話題にする。
そんなまっさらな爽やかモードに、俺はどこか肩透かしをくらったような感覚を覚えた。
「あれ?係長、篠田くんとなんかあったんですかー?」
そんな会話を聞いた女子が、軽〜く話に加わってくる。
「うん、そうなの。営業部門とのミーティングがちょっと厄介でね、もーイラついたし悔しくって。彼に思い切りグチ聞いてもらっちゃった、うふふ」
「え、そうなんですか?
あー、そういえば篠田くんって何となく癒しオーラ出てる感じする〜。なんかこう、膝に乗せてなでなでしながら日々のグチを聞いてほしい的な……篠田くん、今度私の話も聞いてよお〜」
「佐々木さん、それは言い過ぎよ。彼は猫じゃないんだから」
「あ、そうですよね〜ごめんっ♪」
「…………ええ、まあ別に…………」
そうね。ネコじゃなくてワンコですよね。
んーーーーー。
つまり、この話の流れ的に……
彼女の中では、あの夜のことは、どうやら特別でも何でもないこと……になっているようだ。
なんでも話せる女友達と飲んでグチ聞いてもらった……そんな程度の。
あの夜、帰宅してからふわふわと幸せすぎて……何だかすっかり秘め事風に、あのひと時を心に抱きしめていたのは、俺だけだった……
ということか。
——まあ、そうだよな。
当然といえば当然というか、ものすごくがっかりした、というか…………。
……でも。
彼女が、俺の肩を頼りにしてくれた——少なくとも、そのことは間違いない。
彼女に、そういう風に認めてもらえた。
それで充分だ。今は。
それに。
俺には今、やらなきゃならないことがある。
自分のできる限りの力を使って。
まだ楽しげに会話を続けている彼女たちに軽く礼をし、自席へ着いて腕まくりをする。
「うおっしゃあ〜〜〜!!やるぜっっ!!!」
「…………おいおい。
小宮山、篠田くんの背中ガン見じゃねーの……」
「おはようございます。
……え、今なんか言いました五十嵐さん?」
「いやー、なんも」
俺の向かいで頰杖をつきながら思い切りニヤニヤしている五十嵐さんの独り言は、俺には全く聞こえなかった。
✳︎
それからの俺は、社会人生活始まって史上最もやる気に満ちていた。
昼休みやちょっとした休憩時間も、俺はパンフレット原案を形にすることだけにひたすら力を注いだ。
そして、そんな俺に、一つアイデアが浮かんでいた。
脳みそっていうのは、回転させるほど何か面白いものを引き寄せる力が増すようだ。
「篠田くん、最近忙しそうだなー。月曜だってのにすげーやる気……前に比べると数段男としてレベル上げた感があるぞ。俺にもそのやる気を分けてくれ」
週明けの朝、始業後まだ10分も経っていないのに五十嵐さんはいかにも怠そうに俺にそう声をかける。
しかし、そんなぼやき的なものにしっかり対応する余裕も、今の俺にはちょっとないのである。
「あ、そうですか?それはどうも。
そんなことより五十嵐さん。月曜の朝イチから大変申し訳ないんですが。
あなたに一つお願いがあるんです」
「ん?……お願い?」
「ええ。もし仕事の方に不都合なければ……これから少し、付き合ってもらえますか?」
「え、それはまあ大丈夫だけど……なんだよ?」
俺の唐突な話にちょっと驚いたような五十嵐さんを連れて、俺はある場所へと向かった。
五十嵐さんを伴ってやってきたのは、社内で最も日当たりがよく明るい給湯室である。
ここ数日をかけて、社内の全給湯室をチェックして比較検討をした結果選んだ場所だ。
部屋に入ると、俺は入り口のドアをガチャリと閉めた。
「うん、やっぱりいいな。綺麗だし、明るさもちょうどいい。——早めに済ませなきゃ」
「……ってか、用事って一体なんだよ?」
不思議そうな五十嵐さんの問いかけに、俺はくるりと振り返る。
「五十嵐さん。
ネクタイ、外してもらえませんか」
「…………は???」
「ネクタイ取ったら、ワイシャツのボタンも外してください」
そんな俺の言葉に、彼は一瞬固まり……そして何やら激しく赤面して大きく飛び退いた。
「ちょちょちょちょっっっ……待てここで何する気だよ!!??」
「うあ、五十嵐さんの赤面、初めて見た……すっげえやばいっすね……」
「やばいって……何が!!?
おっお前先輩をおちょくってんのか!!?」
「あ、違うんです。
実は、ここでパンフレット用サンプルイメージの写真を撮りたいなーと思って。……びっくりさせちゃいました?すみませんちょっと説明不足で」
「思い切り説明不足だろーがっ!!マジ焦ったじゃんか!!」
彼は仰け反り気味に後ろへ引いていた姿勢をやっと元に戻し、ずり落ちそうなメガネをぐっと定位置に押し戻した。
「……ってか。
なんで俺がサンプルイメージに必要なんだよ?鍋のパンフなのに。
それに、イメージ画像はいつも業者に任せてるだろ?なんで俺がカメラの前で脱がなきゃなんねーんだよっ」
「あああ、そういうんじゃなくってですね。今回は、原案段階で相当完成度を上げとかないと、営業側の指摘が厳しくて通過が難しいんですよ。できるだけアピール力のある原案を作りたいと思って」
「…………指摘が厳しい?
兵藤か。原因は」
「ええ、まあ。
前回のミーティングで、彼から言われたんです。女性だけの商品という捉え方をせず、男性でも親しみやすいイメージも必要じゃないかって。
彼の言い方は思い切りムカつきましたけど……指摘そのものは正論ですし、その辺をうまくアピールすれば、商品はより注目されるんじゃないかって思って……ね、ちょっと面白くないですか?
そこで、あなたが必要なんです。
ほら、何気に素敵なカレシとか旦那様とかに見えるじゃないですか、五十嵐さんて。そんなあなたが楽しげに鍋と触れ合う画像が欲しいんです」
「……鍋と楽しげに触れ合う……?」
「ええ。休日に、リラックスした感じでキッチンに立ち、製品を手にする。そんな感じの。
だから、ネクタイ外して、ボタンも上二つくらい外してもらえれば、と。あー、ワイシャツの裾も出したほうがいいのかなー……」
「——そういうことなら、ちょっと待ってろ」
何を思いついたのか、五十嵐さんはすっとメガネを押し上げると、スタスタと給湯室を出て行った。
そして約5分後、戻ってきた。
シワ一つない、眩しい白のワイシャツに着替えて。
「……っ五十嵐さん、それ……どしたんですか……」
「職場に置いてる予備のワイシャツだ。汗かいたり万一汚したりしたら、そのままじゃ仕事にならんだろ。君も替えくらい置いておけ」
控えめにデザインの入った白いワイシャツを無造作に着こなしたその姿は、その辺のモデルじゃ及びもつかない上質な美しさを醸している。
この人、いっつも本気出してない感じのくせにいちいちすごい。
「……ってか、眩しいですね……欲しいイメージにぴったりです。
んー、ちょっと腕まくりとかしてみましょうか……あ、いいですすごく」
「そうか、じゃさっさと撮るぞ」
「あっはい、商品借りてきてあるんで……じゃ、これを何気なく手にするように、ここに立ってみて……
ん、こんな感じですかね……それでなんとなく俯き気味に、ちょっとだけ微笑むみたいな……
あーー、いいですね……。綺麗です……すごく」
「なあーーーー!!そういうのいーから早く撮れ!!!!」
「あっはいっすみませんっっ!!」
そんなこんなで、俺の目論んだパンフレット用サンプルイメージの撮影は、予想以上に完成度の高い出来栄えになったのだった。
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