実験的属性その3:おバカな子
実験的属性その3:おバカな子
8月最後の金曜、午後イチ。
第2回の営業部との合同ミーティングの日がやってきた。
お盆休みを挟んだこの3週間の間に、係長と俺は営業部から得たデータや技術部からの資料などをもとに、パンフレットに載せるべき大まかな内容を検討した。使い勝手の良さや便利さ等、新製品の魅力をわかりやすく消費者にアピールするポイントは盛り込めていると思う。
これで営業サイドの方から特に要望や指摘等なければ、このプロジェクトは次の段階へ進む。うちと営業の係長レベルの打ち合わせは終了だ。
「スムーズにまとまるといいですね、係長」
「…………ええ、そうね」
俺の言葉に、彼女は微妙な間を空けて小さく微笑む。
その答えからは、ただ重たい不安しか感じられず……俺は、手がうっすらと汗ばむような不快感を覚えた。
「じゃ、今日もよろしくお願いします。
早速、案を見せてもらいますねー」
席に着いた兵藤と平野は、目の前に準備された原案資料をしばらく無言でめくった。
「…………すごくいいと思います」
最後までチェックを終えて顔を上げた兵藤の微笑みに、俺たちは思わず檻から自由になったような開放感を味わった。
が——次の瞬間、その喜びはあっけなく打ち消された。
「でも……これ、結局ひたすら女性目線ですね」
「——え?」
小宮山さんが、意表を突かれたように聞き返す。
「普段料理をするのは当然女性、そしてこれはそんな女性のための商品……という雰囲気で固められてますよね、これ。
この内容見ると、普段料理をやっている人じゃないとうまく使えない、みたいなイメージになっちゃうと思うんですよ」
「……でも、前回、兵藤さんも商品の購入は女性がメインだと……」
小宮山さんが、わずかな困惑を漂わせつつそう返す。
彼女のそんな言葉を遮り、兵藤はずけずけと言葉を続けた。
「そうじゃなくて。『誰にでも使える』という視点が必要じゃないか、と言ってるんです。
今の世の中、料理は女性だけの仕事じゃない。男性だってやれなきゃ生活が回らない、そんなシーンもリアルに増えているはずだ。
——実際、女性なのに料理が全くダメな方もいることだし。……ねえ小宮山さん、違いますか?」
そんな言葉とともに、兵藤がくっと薄い笑みを浮かべる。
その表情に、彼女は思わず言葉を詰まらせた。
————これは、彼女への当てつけだ。
明らかに。
「なあ平野、お前も鍋選ぶとき、男にも使いやすいやつが欲しいよなー?
あー、鍋以前に、なるべくちゃんと料理できる女選べよーははっ」
「……あ、え……はあ……」
兵藤の横で黙って座っていた平野も、やむなく相槌を打ちながら申し訳なさそうにこちらを見ている。
「……………………」
向かい側からの残酷な視線を受け——返す言葉が見つからないかのように、彼女は俺の横で俯いた。
おい俺。とにかく今は、耐えてくれ。
ここで何の考えもなくブチ切れても、相手の立場がますます有利になるだけだ——
事を動かすのにもっといい機会が、必ずあるはずだ。
この前の五十嵐さんの言葉をひたすら脳内に繰り返しつつ、俺は膝にぐっと拳を握りしめて必死に無表情を装った。
✳︎
そんな、地獄のような第2回ミーティングが、ようやく終了した。
「じゃ、そろそろ戻らなきゃ。お疲れ様」
立ち上がった兵藤はゆったりとした大股で、固まったように着席したままの小宮山係長に歩み寄る。
そして、すいと身を屈めると、小さく呟いた。
「——こんな調子じゃ、この先の打ち合わせももたつきそうだな。
原案段階の進捗が思わしくないなんて、そちらの部門のスケジュール的にまずいんじゃないのか?
君の都合が良ければ、食事でもしながら続きを話さないか。必要なことは、そこで教えるから」
「————」
そんな言葉に、彼女は反発と動揺の混在した瞳でぐっと兵藤を見据えた。
彼女の隣で資料を片付けつつ、そんな微かな会話など聞こえていないそぶりをしながら、俺は全身の神経をそばだてて彼女の反応を感じ取った。
兵藤を見上げるその視線の中に——迷いが生まれたのが感じられる。
彼の言う通りにすれば、この業務がスムーズに進むかもしれない……そういう、危うい迷いが。
「あー! じゃ俺も一緒に行きま〜すっ♪」
その瞬間、思ってもいない言葉が、俺の口から飛び出していた。
「……おい、なんのつもりだ」
明らかに見下すように向けられた兵藤の視線を、俺は上目遣いで思い切りかわいく受け止める。
「えーだってえ、俺は小宮山さんのワンコですから〜。
兵藤さん、この前も今日もなんかすっごい怖いじゃないですか、なのに二人きりとかになっちゃったらヤバいんじゃないかなーって。ご主人様守るのがワンコの仕事なんでー。俺バカだから、『ハウス!』とか言われても無理ですよ? で、今日はどこ行きます〜? 焼肉とかだとオレ嬉しいなっ♡」
そんな言葉を一気に並べ、きゅるんっと首を傾げた俺に、彼はどこか嘲笑うような微笑を浮かべた。
「……大変ですね小宮山さん、こんな部下が一緒で。
躾もできてないアホな犬、連れてく気ないからさ。……あーあ、原案完成はいつになるんだろうね、ほんと心配だ……まあそっちで好きなだけ悩んだらいいよ。じゃお疲れ様」
呆れたように出て行った兵藤を無言で見送り——静かになった部屋で、彼女は大きな呼吸を一つついた。
「…………はぁーーーー…………
疲れたなぁ〜……」
そして、静かに顔を上げると、ゆっくりと俺の方へ向き直り、呟いた。
「——嫌だったでしょ、今の」
「……いえ、別に」
「でも——
どうやらこれで、彼の誘いもなくなったし。
……今日は、これから私と付き合ってくれる?篠田くん」
「————……」
彼女のまっすぐで真剣な眼差しを、俺はただアホのように受け止めるだけだった。
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