イケメンVSワンコ

 8月最初の金曜、午後イチ。

 小さなミーティングルームに、広報部と営業部双方からのパンフレット制作スタッフが集まった。


 テーブルを挟んで向かいに座っているのは、聞きしに勝るキラキラオーラを放つイケメンと、サポート業務要員の地味な男子社員だ。


 小宮山係長は、いつもと変わらぬ美しく冷静な表情で目の前に資料を並べる。さすがデキる女の佇まいは違う。

 それに引き換え、俺は内心姿勢を低くして唸りを上げる警戒心全開の犬状態だった。

 だってそうだろう。彼女の元カレであり、彼女を苦しめ、今なお彼女を解放しようとしない傲慢男だ。いくら顔が良くて優秀でも、俺に言わせれば最低のクズである。



 それぞれ準備が整い、改めてお互いを紹介し合う。

 さあ兵藤、一体どんなやつだ。


「広報部係長の小宮山と、サポート担当の篠田です。よろしくお願いします」


「営業第1課係長の兵藤と、こちらは平野です。どうぞよろしく。

……っていうことで、早速始めますか。

じゃ平野、あちらのサポーターくんと一緒に休憩室でコーヒーでも飲んでこいよ」



「……………………」


 開口一番発せられた兵藤の提案に、俺たちは固まった。


「……ちょっ……どういう意味の発言ですか」

 小宮山係長は、必死に冷静を保ちつつも内心の動揺を見え隠れさせながら、兵藤をぐっと睨む。

「え、そのままの意味ですよ。このくらいの打ち合わせ、俺と君で充分でしょう。無駄に部下を置いとく必要もないかな、と。

それにほら、そうすれば二人きりだし」


 兵藤は、この上なく爽やかな笑顔でさらりとそう言ってのける。



 …………なにこいつ。

 なにこいつなにこいつーーーーーーー!!!!!???


「なんて。冗談です。なんかみんな緊張してるみたいだから……気分解れました?

ところで小宮山さん、今日は可愛い部下をお連れですね。ん?よく見るとウーウー唸ってるワンコみたいだな。……篠田くん、だったよね?君なんでそんな警戒してるの?」

「ワンコじゃないし唸ってません!!」

 こいつ、ほっといたらマジで「お手」とか言い出しそうだ。手出してみろ、本当に噛むからな。

 そんな兵藤に、小宮山係長は苦い表情で低く訴える。

「兵藤さん、そういう失礼なこと言うのやめてください。……真面目に仕事進める気がないなら、その旨上司に相談しますけど」

「ははっ。だからそんな真に受けないでくださいって。……じゃそろそろ本気出していきますか」

 兵藤はますます楽しげにそう言うと、何とも自然に空気を切り替える。

 くっそおお、ほんとにこいつに惚れてたのか小宮山さん!?あー、なんだこのムカムカはっっ!!??


「じゃ、こちらから渡した資料の1ページ目を見てください。これは前年度の調理家電の売り上げ状況をまとめたデータです。

見ていただくとわかるように、購入している年齢層は主に20〜50代。女性客か、または女性が一緒に店に来て、最終的には女性の意見で選んでいく形がほとんどだ。

今回の新製品は、技術面でもハイレベルなものを取り入れているため、鍋という道具にしては価格も相当に高めだ。その辺が消費者の心理にどう影響するか……とりあえずは、気軽に手に取ってみたいと思わせる工夫なりが必要かと」


 それを受け、小宮山係長も手元のパンフレット数種類を示して答える。

「こちらからの資料は、前年度までの新製品発売の際に作成したパンフレットです。今回の無加水調理鍋については、手に取ってみたいイメージを意識すると同時に、値段にふさわしい便利さをまず全面に強く出すべきかと考えています……」


 熱が入り始めれば、能力ある社員同士の切れ味の良いやりとりは聞いていて心地よい。

 俺は、重要と思われる部分を必死にメモし、資料の数字を真剣に追った。




✳︎




 約1時間後、第1回のミーティングは終了した。

「じゃ小宮山さん、次回は3週間後ですね。どんな案が見られるか、楽しみにしてます」

 そう言いながら憎らしいほどにキラキラな微笑みを見せ、兵藤は部下を引き連れて爽やかに営業部へ戻って行った。


 俺は、カップに残った冷えたコーヒーを呷り、今のミーティングで得た情報を脳内で整理していた。

 ……仕事関連よりも、まずは兵藤関連についてだが。


 今の様子からは、やはり予想通り、兵藤は彼女をまだ諦めていないようだ。

 モテる男特有の獲物を見るギラギラ感が、明らかにプンプンと臭っていた。



「…………はぁ……」

 小宮山係長は、机にどっと体重をかけるように両肘をつき、一つ大きなため息をつく。

 彼女も、今の1時間で相当に神経を張り詰めていたようだった。


「……あの、係長……」

「あっっ……ごめんなさい!ちょっと緊張して疲れただけだから、心配しないで」

 うっかり内心を外に漏らしたことにハッと気づき、彼女は慌てて姿勢を元に戻し、半ば無理やりに微笑む。


「——いえ。

なんか、疲れましたね。

……それに……今のミーティング……なんだかちょっと変な空気だったような……」


「え?」

「いや、あの……

兵藤係長って、どういう人なのかなって……何となく思ったので。

すごいイケメンだし、優秀でバリバリな人っぽいことはよくわかるんですが……なんか、俺たちに対して空気がトゲトゲしてるっていうか、挑戦的っていうのか……そんな気がして」


 俺は、彼女と兵藤の過去など一切知らないふりを装いつつそんな話を向け、彼女の表情を窺った。


「…………

きっと、私の態度が気に入らないんでしょう。

——彼とは、営業部でまあ……いろいろあってね。

やんわりと見せかけて結構強引。自分の意思を押し通したいタイプね、彼……私も人のこと言えないけど。

私の感情も、今ダダ漏れだったでしょ?兵藤さんのこと、嫌いだって。

……そういうところがムカつくんだと思うわ」


 係長は、疲れたような視線を投げやりに宙に放り、ふっと微笑んだ。


 小宮山さんの方は——もはや、彼を嫌がっている。相当に、あからさまに。



 仕事に個人的な感情を持ち込むのは論外。

 社会人になれば、いずれ誰もがそう学ぶ。

 けれど——

 気づいたら複雑にもつれてしまっていたこういう感情を、仕事中だけは一切持ち込まずにやり過ごすなんて……ちょっと考えただけで、気詰まりでため息が出る。

 実際兵藤も、彼女への感情が完全に漏れ出していた。



……あまり、穏やかにはいかない気がする。今回のプロジェクト。




「——俺が、守りますから」




 え。


 な、なに今の……

 俺のような属性には絶対存在しないタイプの台詞……っつーか間違っても口にしちゃいけないキラキラ度No.1ワードじゃんかコレ!?


 無意識に漏れた自分自身の呟きに、俺は大いに取り乱す。




「…………え?」


「あっあっ、いえなんでもないんですっっ!

なんつーか、兵藤さんにもワンコ呼ばわりされちゃって、困ったわん!……なんつって」



 俺の呟きに驚いたように振り返った彼女の眼差しを、俺は全力で誤魔化した。





✳︎





 広報部のフロアへ戻って自席に着くなり、向かい側から小さくクスクスいう声がする。


「————なんでしょうか、五十嵐さん」


「いや……

篠田くん、なんか怒ってるよね??」


「えっっ……

漏れてます??漏れちゃってます!!??」

「うん。俺から見れば、相当にね」


 ああー。すっかり見破られている。変に高ぶった感情をちゃんと隠して戻ってきたつもりなのに……!!


「ミーティング、なんか微妙に不穏な空気だったみたいだね、その様子からすると」

 クスクス笑いを引っ込め、五十嵐さんは改まった眼差しで俺の表情を見る。

「ええ、なんかイヤな空気でしたねすごく……ってか、兵藤って人、むっっちゃヤな奴だったんですけど……!!」

「まあ、元々癖があるけどな。特に敵視してる奴に対してはあからさまだよ、あいつは。

君のことだから、着席した瞬間からあいつを睨んでウーウー唸ってたんだろ。小宮山にくっついてる忠犬みたいに見えたんじゃないのか」


「————!!」


 図星である。とにかくモテ男ってのは鋭くてイヤだ。……と思いつつも一言も言い返せないのが情けない。



「…………」

 力なく俯く俺に、彼は微妙に同情するように浅く微笑む。

「まあ、大体そうなるよな。恋する相手の元カレで、優秀でイケメンだもんな。

……ただ、ムカつく相手を目の前にしている時ほど、それを相手に感じさせない顔でいる方が効果的だぞ」


「…………

そうなんですか?」


「ああ、大抵はな。

本気で何か事を起こすところへくるまでは、自分の手の内は明かさないほうがどう考えても有利だろ。——内心を読まれては、相手がアドバンテージを取るヒントを与えてるようなものだ。考えてる事をダダ漏れにするのは得策じゃない」

 メガネの奥を鋭く光らせ、彼は迷いのない口調でそう話す。


「……そうだ。

今回のプロジェクトで君がなり切るべき属性は……

例えば、『嘘つき』はどうだ?」


 すいと俺の耳元へ顔を寄せてそんな事を囁き、五十嵐さんはどこか腹黒く美しい微笑を湛える。

 ——コワいんですけど。すごく。



「————」

「ははっ。そんなタチの悪い嘘をつけって言ってるんじゃないさ、もちろん。

自分自身を有利にする手段として、周囲に不利益が出ないレベルで偽る。

これは、うまく問題をクリアするためには必要だと思うが?」



「…………

うまくできるのかわかりませんが……やってみます」

「うん……君にできるのか、俺もいささか不安だ。うまくできなさそうなら早めに諦めろ」


「…………」



 なんとも心許ない五十嵐さんの応援に縋るような思いで、俺はぐっと拳を握った。



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