第2回作戦会議

「……なるほどな」


 前回と同じ、隠れ家めいた小さな居酒屋。

 知った顔に会うこともなく、戦略を練るには最適の場所である。

 冷えた生ビールとつくねに手も付けず俺の話を聞いていた五十嵐さんは、そこでやっとジョッキのビールを啜った。


「もしかしたら、今彼女すごい精神的にダメージきてるんじゃないかなって……それなのに、ますます自分自身を追い込むみたいに、毎日あれだけキリキリフル回転して。

 愚痴を聞いてもらえるのが嬉しいって……毎日あんなに明るい笑顔をしながら、心の中はどれだけいろいろなことを我慢してるのか……

彼女と話した時から俺、そんなことばかり考えちゃって」


 一緒にランチを取ったあの日のことを思い出しながら話す俺に、彼も表情を曇らせて呟く。

「営業部門での彼女のことは、俺も多少は知ってる。

 人間関係が色々とうまくいかなくなった……ってのもあったみたいだしな」


「人間関係……?」

「ああ。まあ、社会人に人間関係のトラブル云々は付き物だけどな。美人で優秀で目立つから、余計に拗れるっていうのかなあ彼女の場合。

 ……彼女さ、営業に付き合ってるやつがいたんだよ」


「え……!?」


「俺たちの同期で、兵藤ってやつなんだけどさ。

 こいつも優秀で、営業成績は常にトップを争い、頭脳だけでなくスポーツで鍛えた長身と白い歯が眩しいそれこそガチの男前」


 五十嵐さんからの思わぬ情報に、俺の顔は引き攣った。

「なっっ……なんですかそのチート級の男前は……!!?

 そっそのひとと彼女、一体どうなったんですか……っ!!」


「んー。付き合い始めた頃はそれこそラブラブだったようだけどな……

 そのうち彼女の成績がめきめき上がり出すと、どうやら兵藤のやつ、彼女を自分の下にコントロールしたくなったらしい。なんだかんだで、彼女にブレーキ……というか、変な圧力をかけるようになったようだ。

 小宮山は次第にそれが苦痛になり、当然そのやり方にも納得がいかなかったんだろう。別れたいと何度も彼に伝えているのに、彼が同意してくれずに悩んでいる……同期の女子から、そんな話をちょっと聞いた。

 彼女がこっちへ異動になって以降、二人がどうなってるのかはよく知らないがな」


 その瞬間——ある映像が、俺の頭に蘇った。


 一緒にランチをした時にかかってきた、あの電話の主……

 あれは、その兵藤ってやつだったんじゃないだろうか。


 彼女の、一瞬固まったような表情と、暗く波立った瞳。

 着信を無視し続けた、あの対応。


 今の話と繋ぎ合わせれば、ピタリとはまってしまうのだ——どんなにそれを否定したくても。


「……その兵藤って人……まだ彼女を諦めてない……んじゃないかと思います」

「その可能性は高いよな。彼女も営業部を離れ、今はもう成績を争う必要はなくなったんだし……兵藤も今年度は営業1課の係長に昇進して、すっかり上機嫌なはずだ。

 そう来れば、小宮山みたいな魅力的な恋人をそう簡単に手放したくはないだろう。全く身勝手で傲慢極まりないヤツだ」


 傲慢。その通りだ。

 全てに優れたチート級のイケメン。持って生まれたその能力と魅力で、どんなことも自分の意のままにしてきた男なのだろう。

 そうやって、大切な人の心までも、力ずくで自分の腕の中に縛りつけるつもりなのか。


 ——クズだろ。明らかに。



「——五十嵐さん。

 俺、彼女の役に立ちたいです。……少しでも、彼女の心を楽にしてあげられたら……

 何か、俺にやれることってないのかな……」


「ほー。

 ってことは、とうとう『白馬の王子さま属性』で攻める気になったのかな篠田くん?」

 横目でニヤニヤする彼に、俺はキッと鋭い視線を向ける。

「まさか。そんなキラキラな属性なんか選びませんよ間違っても」


「はははっっ。ほんっっと面白い。

 けど——今言った『彼女の役に立ちたい』って気持ちは……本気なのか?」

「もちろん本気です」


「ふうん…………」

 真っ直ぐに顔を上げた俺に、五十嵐さんは顎を指で擦るようにじっと何事かを考えていたが……ふと顔を上げた。


「ならば、ひとつ案がある。

 今年の冬に、うちのメーカーが発売する新製品の無加水調理鍋、知ってるよな?」

「はい」

「あの商品の消費者向けパンフレットの制作が、うちの部門でも近いうちに始まるはずだ。

その原案を作るプロセスは、うちと営業部門の係長レベルが協力して行うことになるんだが——その企画に参加してみるか、篠田くん?」


「……え……」

「仕事の上での経験になるのはもちろん、恐らくこの恋を前に動かすための絶好のチャンスだ。

 うちからは小宮山が、営業からは兵藤が出て一緒に原案を練ることになるんだからな。彼女にとっては相当なストレスに違いない。

 その際に、業務のサポート役を一人つけることになるはずだから、俺が君をその枠に推薦しよう。——この仕事は、以前に俺も経験してる。いざという時は、君のバックアップも多少してやれるしな。

 彼女の仕事と、彼女の心を、君なりのやり方で支えてやれ。

 ——ただし、君にやる気があればの話だが」


 予想もしていなかった五十嵐さんの提案に、俺は一瞬度肝を抜かれ……次の瞬間、力一杯彼に頭を下げていた。

「やります。やりたいです!!……俺にやらせてもらえるなら、全力でやります。お願いしますっっ!!!」

「あー頭上げろって。ほんと暑苦しいくらいの勢いだな。

 ——まあ、その本気があればとりあえずは無敵じゃないか?」


 五十嵐さんは、そこで急速に力の抜けた皮肉交じりの言葉を零し、クッと口元を引き上げてやたら美しい微笑を見せる。


 俺に言わせれば、この人だって十分面白い。

 他人の恋のためにこんなにも熱くなって……そうかと思えば波が引くように淡麗クールな彼へ戻っていく。

 ——もしかしたら、普段漂わせているこのどこかニヒルな空気も、実は彼なりの照れ隠しなのかもしれない。


「——五十嵐さん。ありがとうございます、本当に。

 ……嬉しいです」

「やっと俺にキュンときたか? じゃそろそろ俺の嫁になる決心を……」

「するわけないからっっ!!!!」



 そんなこんなで、俺は思いもよらず飛び込んできた重要な任務を遂行すべく、ぷよぷよとたるみ気味だったやる気をグイグイ引き締めにかかったのだった。





✳︎





 それから2週間ほど経った、7月下旬の金曜。

 ミーティングの中で、例のパンフレット原案作成の件が課長から話された。


「今回の無加水調理鍋は、我が社の技術者たちが力を注いだ自信作だ。当然パンフレットも、それなりに気合いを入れたものにしたいと考えているところだ。

 原案作成に向けたうちの部門と営業合同の打ち合わせを、早速来月から開始したい。小宮山係長、営業の兵藤係長とスケジュールの調整をしておいてくれ」

「わかりました」

 小宮山係長は、表情を変えることなく淡々とそう返事をする。


「そして、そのサポート業務担当を一人決めたいと思うが……」

「篠田くんがやりたいそーです課長」

 課長の言葉が終わるか終わらないかのうちに、五十嵐さんが何気に右の掌を顔の横へヒラッと上げ、そう伝えた。


 営業との擦り合わせのやりずらさに微妙に尻込みするメンバーが多い中、その推薦はいろんな意味でものすごく目立っていた。

 周囲の視線が、ぎゅっと俺に集まる。


「あっ、あーーー、えっと、はい。俺、やりたいです…………」

 にわかに注目を浴びた俺は、ギクシャクとしながらも何とかそう答えた。


「彼、うちの部門の仕事内容をより深く理解するための経験として是非やってみたいんだそうです。俺もこの仕事は経験ありますし、必要な時は俺もちょこちょこ手伝いますんで」

 五十嵐さんの何ともスムーズな話運びに、部門全体が「おお〜……」とどよめく。

「おお、篠田くん、君そんなにやる気あったのか!! 気づかなかったよ、いや素晴らしい!

それに五十嵐くんの手助けがあるならなんの心配もなさそうだ」

 今まで向けられたことのない課長の満面の笑みが、満足げにこちらを向く。


「……はあ……」

 なんというか、やる気というか、半分は恋のため、っていうのか……すみません課長。

 そんな心の声を押し殺し、俺は部門メンバーのなんだか暖かい眼差しを変にむず痒い気分で受け止めた。


「じゃ、君に任せるぞ篠田くん。小宮山くんのサポート、しっかり頼むな!」

「篠田くん、これからよろしくね。……営業と二人三脚、結構大変だと思うけど」

 小宮山係長も、後半を少し囁くようにしながらそう微笑んだ。


 そんな彼女の微笑の裏側に微かにざわつく不安を、俺はその時ありありと感じ取っていた。


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