南越谷なう。

 南越谷なう。


 あれから五日が過ぎた。


 何もする気が起きない。


 俺が降り立ったのは、駅のホームからは少しずれて、南越谷駅と新越谷駅が交差する高架橋の下だった。通りすがりの人々にヒソヒソなにか言われ写メとか撮られながら、改札を通り、来る電車来る電車乗り降りしてみたが、二度と異世界へは行けなかった。


 自転車のカギは通学カバンのジーンズのポケット。装備類をカゴに入れ、走り出すとぽつり、と雨が降り出し、そのまま本降りになった。

 雨の中、泣きながらアパートに向かった。

 アパートのドアの郵便物を丸無視し、全て脱ぎ棄て、シャワーを浴びながらまた泣く。

 ジャージに着替えテレビ付けて、泣いた。

 テレビの方は向いてるが全く見ていない。

 頭は先輩とファム、二人のことで一杯だ。


 やっぱり……どちらかが。

 そしてまた泣く。


 恐ろしいのは……それを望んだのが他でもない、俺自身かもしれない、ということだ。

 口では命を捧げるような台詞を言いながら、心のどこかで、誰かを犠牲にしてでも生きてここに帰りたいと望んだんじゃないか?

 それをあの、ウェルトゥが聞き届けたんじゃないか?


 それに思い至った時、気持ち悪くなって吐いた。泣きながら。


 せめて結末が……誰がどうなったのかが分かれば。罪を負うことも悲しむこともできる。分かってるのは俺が帰れて生きてるということ。


 あとは空白。


 それもただの空白じゃない。

 無言で、しかし圧倒的な力で俺の心を魂を蝕む、真っ白な闇。思い出しては泣き、吐く。吐く為に食べて。


 俺が心のどこかで望んだのだろうか?

 自分だけ助かって帰りたい、と。

 どちらかが死んで、俺が帰れればいい、と。

 そうだとはっきり分かるなら、いっそ自ら命を断ちもするかも知れない。そんな俺、生きてちゃいけない。

 けど分かんねえんだよ!

 何が起きてどうなったのか!

 ……気持ち悪い。


 死ぬ、とはこういうことなのかも知れない。

 ウェルトゥは見抜いたのか?

 俺が身勝手な自己陶酔の末、安易に事を納めようとしてる……と?

 だから死ぬよりもつらい、こんな結末を用意したのか?

 だとしたら大したもんだ。俺は生きながら確かに、殺されている。

 完全に、死んで……。


 その時、パソコンの前に立て掛けてある剣が目に入った。


 アベさんから貰ったソルトブレード。


 なんとなく鞘から抜き、なめてみた。


 しょっぱい。当たり前だけど。

 けど口の中に塩気が拡がったその瞬間、光の間での出来事の記憶が稲妻のように俺を撃った。


 俺なんて書いた? あの砂漠に。

 HOPE! だ。

 でっかく書いて、ファムになんて語った?

 必要なんだ。花に水が必要なように。体に食べ物が必要なように。俺たちの心には、希望が!

 アベさんになんて誓った?

 この真っ白な刃に。

 黒き瞳に優しさを湛え、言葉は希望と夢を語り。

 そうだ!

 剣は護るべき者の為にのみ振るうことを誓う!

 ……は今あんま関係ないけど。

 この剣のしょっぱさは思い出させてくれた。

 あの塔で何度もあきらめかけた命、俺はまだ失わずに持っている!

 何を五日も吐いちゃ泣き、泣いちゃ吐きしてたんだ?

 泣くのは終わりだ!

 今の俺にできることを探そう!

 この剣に誓って!


***


 南越谷なう。

 今日は六時に起きた。

 顔洗って着替えて、公園で剣の素振り。その後軽くジョギングしたが、キツイ。

 この五日、完全に病人みたいだったからな。

 帰ってシャワー浴びると腹ペコ。吉牛で大盛りに玉子と味噌汁。俺はつゆだくにはしない。その足でそのまま床屋へ。さっぱりした。

 食いもん飲みもんを買って帰り、部屋を片付け、溜まってる洗濯物を処理する。

 あんま見てはないが、アメトークやしゃべくりを流しっぱなしにして。

 そんな風に過ごすうちになんだかんだで昼前だ。

 洗濯機が回る間、卒業アルバムを引っ張り出し、高校の友人知人に電話掛けまくる。

 

 なんで気づかなかった?

 異世界の人々はともかく、先輩の消息は追えるじゃん。

 現役の頃、一度だけ先輩の家にだって行ったことある。さっき掛けたら「使われておりません」だったが。

 先輩が生きてれば……あの様子だがら時間は掛かるかもしれないが、あの部屋で何があったか分かるかもじゃん。

 少なくとも分からないことを嘆いてウジウジ過ごすよりよっぽど建設的だ。同時にネットでニュース検索。俺が異世界へ飛ばされた日、あの日が先輩が飛び降りた日だと仮定して。地元新聞とかで扱いがあれば入院先の病院が判るかも知れない。

 ……なんだよ。ちゃんと考えて見ればやれることだらけだな。


***


今日は残念だが収穫ゼロだった。

 高校のツレたちは先輩の身にそんな事件があったこと自体知らないヤツばかり。

 ニュースの方もダメ。うーん、こういう痴話喧嘩の末、彼氏のマンションから……みたいなのは報道されないのかな? プライバシーとか彼氏の生活とかもあるからか? 先輩は彼氏のマンションから飛び降りた、と言ってた。現場が千葉じゃないのかも?


 ココイチでカツカレーの大盛りにゆで卵つけて。旨い。焼きたてのクマゴリに勝るとも劣らず。明日は……地元に乗り込もう。先輩の実家訪ねて見て、空振りなら近隣の目ぼしい病院をしらみつぶしだ。それくらいしなきゃならない責任が、俺にはある。先輩、無事でいて下さい!


***


 総武本線西千葉駅なう。


 何年振りかなぁ。高校時代は毎日乗り降りしてたもんだが。

 あ、改札周りちょっと変わってる?

 おお、西千葉だ。当たり前だが。


 おっと、こっちじゃないや……ついKY学園の方に足が向いて、なんとなく当時の通学路を歩いちゃった。

 あ、しまった。先輩の家なら稲毛駅のがちけえや……。


 タクシーで72号を北上。

 カラオケボックス「シダックス」の前で降りる。ここ何かの打ち上げで仲間と一度来て。その後みんなで先輩んちに雪崩れ込んだんだ。こっからの道のりは憶えてる。神社の近くなんだよな。先輩の家自体、元々神職のお家で。あ、そうか、先輩も巫女の末裔なのか。

 ……見えて来た。


 え……リフォーム中?

 工事中だが、工事自体は今日はしてない。

 看板……邸宅の持ち主、名前が違う。

 先輩の一家、引き払って家売ったのか。狭い街だからな。住みづらくなったんだろう。電話も繋がらないわけだ。

 うわタクシー引き留めとくんだった。

 まあでも持ち金もそんなないんだが。


 72号線をとぼとぼ歩く。

 えほっ。車多くて廃ガス臭い。埃っぽい。


 向こうは空気きれいだったなあ……水も食い物も旨かった。

 セブンイレブンのATMで非常用の郵便口座を切り崩す。

 やむを得まい。今使わずにいつ使うと言うのだ!

 検索で調べた稲毛タクシーにTEL。次は総合病院だ。


***


 タクシーで移動中なう。


 千葉市にある四つの総合病院を南から順に。

 コンビニで買ったカレーパンとたまごサンドを食う……のは遠慮しとくか。


 あの時。ウェルトゥの最後の部屋。

 じっと観察した訳じゃないが、あの部屋で見た先輩は面会謝絶クラスの重体だったように見えた。地域の小さな外科医院、ではあるまい。


***


 一つ目の病院。

 なんか緊張するな。

 運ちゃんに待っててくれるよう頼む。

 ホール広い。床ピカピカ。近代的な総合受付。


──あの、崎守もなみさんのお見舞いに来たのですが……。

「少々お待ち下さい」

 端末を叩く若い看護士さん。ぽよんと端末が鳴る。

「そういった患者さんはいらっしゃいませんね」

──過去にもいなかったですか? ここ一ヶ月以内で。

「申し訳ありません、そう言ったことはお教えできないんです」

──そうですか。お手数掛けました。


 ……ハズレか。タクシーに戻る。

──あ、すんません。パンだけ食ったらまたお願いするんで、もう五分だけ待ってもらえます?


「いいから乗んな。パン食うぐらい遠慮すんなよ、兄ちゃん。」

──はあ、じゃあ。

「……人探しかい? ワケありだね?」


──んー、ワケありかそうでないかで言えば、これ以上ないくらいワケありです。頂きます。もぐもぐ。


「女だろ?」

──げほっ!

「図星か」

──えおっ! ごくん! あ、はい。

「惚れた女か?」


 ……ぐいぐいくるな。


──昔、ちょっと……。

「よかったら話てくんなよ、兄ちゃん」

──最初から話すとものすごく長くなるので。要点だけ。初恋の先輩が自殺未遂で重体らしいんですが、入院先が分からず……。

「病院は千葉? まだ……その入院してんの?」

──ハッキリしないんです。

「なるほどねぇ。見つかるといいな、そのべっぴんの先輩さんがよ」

──ありがとうございます。すみません、変な乗り方して。

「いや、いいさ。仲間にしゃべる面白いネタができる。悲恋でけなげな兄ちゃんを乗せたってな。みんなそういうイイ話に飢えてんだ」


 ……むう。嬉しいような恥ずかしいような。


「見事二人は再会できて貰い泣きしたぜ、なんてオチならまとまりがいいんだがな。ほら、着いたぜ。二件目。千葉西」

──はい。ちょっと行って来ます。


***


 結果は同じ。そんな患者はいない。来院歴は教えられない。

「ダメだったか?」

──はい。次、お願いします。

「亀田だな、はいよ」


***


 亀田総合附属病院なう。


 ……ここにもいない。

「じゃ、次が最後か。千葉大附属な。そんな顔すんない。次がアタリさ」


 ハリウッド映画に出てくるようなチョコバー食べながら患者管理システムをクラックしてくれるアニメTシャツ着た太目の友人でもいればなぁ。


「なあ、兄ちゃん。もしその先輩さんに会えたら、なんて言うんだ?」


 ……え?


──多分、何も言わないです。先輩が何か言うまでは。

「……そうだな。そりゃそうか。向こうが欲しいのも、言葉じゃねぇだろうしな。な、今日先輩が見つかんなくても落ち込むな。俺ぁ知ってるぜ。兄ちゃんが本気で先輩を想ってるってことをよ。今日び珍しいやな。兄ちゃんみたいな一途な恋はな。色んな客が乗るが、みんな薄情で裏表のあるヤツばかり。ニコニコ手ぇ振って、ドアがバタンの途端、別の男に電話すんのさ。そういうの見ると、心がどろっとしていけねえ。どろが溜まるとこんな仕事と辞めたくもなるが……辞めずに続けてられるのは……時たま兄ちゃんみたいのが乗るからだ。誰かの為の、真っ直ぐな用事。それを運んだってちっちぇえ誇りが俺たちタクシードライバーのエンジンオイルなのさ……なんてな」


 運ちゃんはバックミラーごしにウインクした。


「さあ着いたぜ。四件目。千葉大附属病院。行って来い!」

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