トライアングル

 扉を開けて外に飛び出す!


 ウェルトゥの騎士、シミズ・ヒロト見参!

 どんな奴だ⁉ 敵は……って、あれ?


 ここ、どこ?


 広間は? アベさんたちは?

 薄いグリーンの壁の、殺風景な部屋。

 中央にベッドが一つ。誰か寝てる。

 ベッドの傍には点滴スタンドと心電計。

 心電計のぺ・ぺ・ぺ……という規則正しくもどこか間抜けな電子音だけがこだまする異様に静かな……。


 ……病室。


 俺の世界の……?

 ウィンドウ! 何をしたっ⁉


 振り向いても通った筈の扉がない。

 アルミサッシにクレセント錠のついた事務的な窓があるだけ。


 まさか、そんな……そうなのか?


 ここが旅の終着点で、ここが俺の世界の病室なら……。

 あのベッドに寝てる包帯だらけの誰かは……。

 ここまで来て……結局そう、なのか?異世界も、アベさんも、ファムも、俺の……!


 息が苦しい。

 気が遠くなる。

 思わずふらっ、一歩後ずさる。

「ヒロ! だいじょうぶ?」

──ファム……ああ。


 最初から疑ってた。

 ファムが現れた辺りで確信するべきだった。


「電車事故で死にかけてICUで長い夢見てる説」‼


 くそぅ……こんだけ色々やらせといて夢オチなのか?

 おかしいとは思ったんだよ。

 ウルトティマンになれたり光の騎士になれたり。普通に考えてあるわけ……。

 涙が溢れる。


「ヒロ……どしたん?」


 心配そうなファム。

 お前も……幻なのか?

 俺は彼女の背中に手を回すと、力一杯抱き締めた。


「あん……ちょ、ヒロ! くるし……」

──すまんファム、ちょっとだけ……このままでいさせてくれ。


 ウィンドウが言ってた。正解のない選択。それは、多分……現実世界で意識不明のままこの世界に留まるか、意識を取り戻してこの世界に別れを告げるか……どちらかを選ばなければならない、ってことだろう。


 誰でもない、この俺が。

 俺自身が。


 なら……ファムはどうなる?

 アベさんたちは?

 俺が目を覚ましたら……この世界はどうなるんだ?


 …………。


 帰れない。


 父ちゃん母ちゃん、ゴメン。

 ダイチ、ミナモ、フウタ……父ちゃん母ちゃんを頼む。

 兄ちゃんは、死んだんだ。

 夢でも、妄想でもファムたちを……この世界の人たちを……もう、どうでもいいとは思えない。


──ファム……好きだ。ファム……。


「泣かないで。……清水君」


 ……⁉︎


──……ファム、今の、君か?


 確かにファムの口から。でも彼女こそ驚いてるようだった。


「ちが……うち、」


 彼女は自分の口を押さえ、二、三歩後ずさる。そんな彼女の口から、また。


「違うの。そのベッドで生死の境を彷徨ってるのはあなたじゃない。あたし、なのよ。清水君」


 この声! このトーン!

 まさか……まさかそんな……なんであなたが……!


──先輩、ですね? サキモリ……モナミ先輩。

「そう。久しぶりね、清水君」


 ファムは泣きそうな顔で、俺の初恋の先輩の言葉を語る。


「……ヒ……ロ!」


 苦しそうに俺の名を呼ぶ彼女。


──先輩! やめて下さい! この子から出て‼


 次の瞬間、薄い光の塊が彼女から抜け出した。

 むせ返って膝をつくファム。

──大丈夫か?


 寄り添って背中をさする。息が荒い。怖かったんだろう。


──先輩。


『ごめんなさい……こんな姿を、あなたに見られたくなくて』


 光の塊は緩やかに上下に伸びるとぼんやりとした人型になった。目鼻はない。アバンギャルドなマネキンのようだ。しかも、透けてる。……先輩。先輩の……幽霊。


 光の娘は端々に綻びを作りながら頼りなげに漂うと、ベッドのへりに腰掛け、そこに寝る包帯だらけの人物を眺めた。


「飛び降りたの。彼のマンションから。あたし……バカだった。あんな男に、なにもかも……」


 お金持ちの、背の高い彼氏?

 あんなに……幸せそうだったのに?


「地面が近づいて来て、死ぬ、と思った瞬間、時間が止まったみたいになった。その時、ふと浮かんだの。あなたの顔が」

──……俺の?

「あなたが、私を好きなのはずっと前から知ってた。あなたは自分で思ってるより、ずっと分かりやすい人よ。そして、いい人」

──嬉しくないです。

「あたしはあなたの気持ちに気づきながら、気づいてないふりをしていた。あなたをかわいいと思いながら。ずっと。いい先輩の顔をして。……ひどい女でしょ?」

──昔の、ことです。

「バチが当たったのね……あたし。夢も希望も無くして、汚れきって。死のうって最期の時に浮かんだのが……結局、あなただった。清水、火炉人君」

 光の娘……先輩はベッドから立つと窓際に漂って窓を開けた。そのまま窓辺に寄りかかる。

「あたしは思った。あなたと何処か遠くの世界へ行けたら……って。穢れない巫女のあたし。勇者のあなた。胸のすくような冒険をして……それが伝説となれば……」


 彼女は振り返る。


「それをウェルトゥは聞き届けた。命懸けの、あたしの願い。最期に見る……夢。

 でもそれも……もうすぐ終わる。あとには物語が残る。あっちの世界でも、こっちの世界でも。これがあたしの望んだ結末。……見て」


 先輩は自分の胸に手を差し込むような動作をした。その体の中心から、何か取り出す。


 光る……短い棒? 綺麗だな……。


 サイズ的にはアイスの棒くらい。

 複雑なパターンで光の模様が変化し、明滅する。棒自体の周囲にも揺らめく沢山の光の粒子を纏って。それは先輩の手をふわりと離れると、俺たちの真ん中に浮いた。


 これが……つまり。


「……ウェルトゥよ」


 小さいんだな、思ったより。


「……もしくは端末なのかも。リモコンか、受話器みたいな。

 窓の外、あれは星じゃないわ」


 言われて外を見る。

 暗い、がらんとした世界。

 夜空みたいな。

 でも星じゃ……ない?

 もしや、この無数の光、一つ一つが……!


「そう、その小さな光の一つ一つが一つの世界。世界は無数にあるの」


 先輩はかららら、と窓を閉める。


「……可能性の数だけね。ウェルトゥはあたしの願いの条件に合う世界を探し、あたしの意識をその世界のあたしそっくりの巫女に飛ばし、あなたを、その世界に導いた。後は……知っての通りよ」


 …………。


「……ごめんなさいね、こんなことに、巻き込んで」


──アベさんたちは?


「無事よ。今頃一階に着いてる筈。広間に魔物なんて出なかった。管理人の……ウィンドウのトラップなの。あの場面で鍵だらけの扉を選べば待っているのは死、だった。ウィンドウは全てお見通しだったみたい。彼女の中の、あたしのことも」


 ……最後の最後まで、性悪女め。


 ファムがぎゅっと寄り沿って来る。

 そういやなんか言われてたなウィンドウに。俺を取られる、か。彼女自身に。


「……さ、そろそろ潮時ね。ありがとう。清水君。バカな女のお伽話に付き合ってくれて。あなたとファタリさんは……あなたの世界に送り届けてあげる。その後、ウェルトゥも止まる。最期の夢の主役に選んだのが、あなたで良かった。あなたの言葉に、表情に、背中に……人の……美しさを見た。あたしはそれを抱いて……」

──……死んでゆける?

「……中に居て解った。その子の、あなたへの想いは本物よ。大事にしてあげて。」


 俺はファムを見る。そしてその手を振り解いた。


「ヒロ……?」

──……すまん、ファム! 元気で。


 俺は光の棒に歩み寄ると右手でそれをぐっと掴んだ。叫ぶ。


──聞き届けるものウェルトゥよ! 我が名はシミズ・ヒロト! ウェルトゥの騎士にして試練を乗り越えし者! 我が願いを聞き届けよ! サキモリ・モナミを元の世界へ! 巫女ファムナを大阪へ!


 光の娘が慌てて駆け寄る。

「駄目よ! 清水君!」

 構わず俺は続ける。

──二人を無事に送りし後! 今通じるあらゆる道を閉ざし! その活動を止めよ! 願わくば、永遠に!

「やめてぇっ! ヒロッ!」

 ファムが泣き叫ぶ。

 ……わりぃ。こんな先輩、ほっとけねぇわ。さよなら。


──代償の、我が命をもって‼


 手の中の光が一層強く輝いた。


 先輩の幽霊は光を放つ俺の手を握り叫んだ。

「今のは無効よ、ウェルトゥ! 扉を開いたのはあたし! 崎守もなみがあなたを起こした! あたしの言葉を聞き届けなさい! 二人を清水君の世界へ! その後、道を閉じて止まりなさい! あたしの、命を吸って‼」「あかん! 二人とも! それは……うちの仕事や‼ 」

 ファムはベッドに駆け寄るとカオルの鍵を首から外し、包帯だらけの先輩の胸元に置いた。

「ごめんな、カオル……」

 ファムの手が光娘の手を更に掴む。

「スルイラァフ・ウェルトゥ! 」

 彼女の手が、彼女自身が、淡く光った。

 神聖語? 旋律とも現地語とも違う。「

「ン・ゼルーヘ! シーケッハ! トゥーソンレクフゥ! ムリド! プフォ! ル・ファムナ=ファタリ‼」


 巫女さんとしての本領発揮か。

 でももう遅い。先輩も。

 俺が願った時点で輝き出してたでしょ?この光るアイスの棒。

 叶うのは俺の願い。消えるのは俺の命。

 意識が遠のいて行く。苦痛はない。


 へへ。意外にモテるんだなぁ俺。

 二人の女の子が、命懸けで俺を助けようとしてくれてるのか。

 いや。俺たち三人とも、お互いが他の二人の命を……こんな三角関係もあるのね。

 充分だ。この世界で暮らした期間は長くはなかったけど、普通に埼玉で生きる一生分以上のことを経験した。

 そして最期に……人がお互いを想う、究極の姿を見ることができた。

 その輪の中で、好きになった人に囲まれて人生を終えるなら、こんな俺でも生きた意味があったと思える。


 さよなら、父ちゃん母ちゃん。兄弟たち。

 さよなら、先輩。

 ごめんな、ファム……お前を幸せにしてやれなくて。そばにいて、やれなくて。


 あ、だめだ……。


 もう、消える……   俺







 次の瞬間、唐突に街の喧騒が俺を包んだ。


 人々のざわめき、車のクラクション、発車ベルと次発電車の案内。

 え⁉ っと目を開く。


 駅⁉ …ここ。南越谷駅なう⁉


 ちょっと待て! なんで俺、生きてるんだ? なんで俺、元の世界にいるんだ? 俺が生きてるなら、ウェルトゥは……


 こんなのだめだっ! 認めない! だって願ったの俺が一番だったじゃん! 応える感じで光ってたじゃん! 先輩、ファム………どっちかが死んだってのか? 俺が生きてて? どっちだろうと納得行くか! やり直せ! 応えろ! ウェルトゥッ! 

うわあぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ‼


 夜の南越谷に、俺の叫びが虚しくこだました。

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