消える心、消えない思い

 どんっ!


 全てを諦めかけたまさにその時、誰かに突き飛ばされた俺はおもっきし横倒しに転んだ。


 ってぇ。口に入った砂、しょっぱ! 誰⁉


 そこにいたのは、肩で息をし、すごく真剣な表情の……ファタリ! 馬鹿おまっ! 何して……!

 彼女の胸に虹色の光が輝く。身を起こす間もなく、閃光が視界を埋めた。


 全てがスローになり、世界から音が消える。

 まばゆい光の矢に撃たれるファタリ。彼女の名を叫ぶが、喉からはどんな音も出ない。

 糸の切れた人形のように倒れる彼女。

 もつれる足を歯痒く思いながら這いずるように彼女の元へ。

 抱きかかえて、隠れる筈だった塩の像の影へ。


「ヒロ……無事やった?」

──馬鹿っ! 何してんだ!

「ヒロが危ないおもたら、体が勝手に動いとった……つっころばして、ごめんな……」

──ファタリが……! 君がやられてどーすんだ! 俺なんかかばって……逆だろ⁉

「へへ……ほんまやなぁ。つい咄嗟に……神儀も任務も忘れて。うち、巫女失格やね……」

──んなことあるか! お前は最高の巫女だっ! 俺が保証する! だから……だから塩になんかなるな!

「……この力、やっぱ神様の力やわ。太陽神は月や木より高位やねん。……うちの力では、どないももでけへん」

──そんな……なんで! なんでファタリが!


 彼女の足がみるみる……白い結晶に。


「ヒロ……」

──…………。

「泣いとるん?」

──……ああ。

「泣き虫やなぁヒロは」

──……ああ。


 太陽モドキの子機がこっちに近づいてくるのがなんとなく分かる。だが今の俺にはどうでもよかった。


「ヒロ……」

──ん?

「一つ、頼んでもええ?」

──ああ、なんでも言って見ろ。

「……ファムナって、呼んで」


 そう言った彼女はすでに腰の辺りまで塩の塊と化している。


──……ヒロトだ。

「え?」

──俺の名前はヒロト。シミズ ヒロトだ。……ファムナ。

「ヒロト。シミズ……ヒロト」

──……ああ。彼女は力無く笑った。

「ヘンな名前……」

──うるせ。向こうじゃ普通の名前だ。

「ヒロトは自分の事、すぐ普通だ普通だって言うやろ?」

──……ああ。

「誰かにとってはそうかも知れん。……けどな、うちにとっては……特別や」

──…………。

「特別な一人。無数にある宇宙の中に、たった一人。……ヒロト」

──ファムナ。


 俺は彼女を抱きしめた。

 俺の後ろに迫った子機が来たのが光源の移動で分かる。

 もういい。さあ撃ってくれ。

 フラッシュ。意外に軽い衝撃。

 足首、膝と感覚ぎなくなって行く。

 このまま、二人、ここで……永遠に。


 ぱきぃん!


 乾いた破裂音。

 首を巡らせて振り向くと真っ二つに割れた子機。ぱしっと火花を散らすとガラスのように粉々に砕け散った。きらきらと宙を舞う破片の向こうに、斬った後のフォロースルーのアベさん。返す刀で太陽モドキに対して剣を構える、が次の瞬間、奔った閃光にその手の剣が弾け飛ぶ。


 くるくると飛んで行った先で、ざくっ、と地面に刺さった主なき剣は、既に塩の塊と化していた。

 アベさんは、太陽モドキを見上げ、息を一つつくと、普通に俺の方に歩いて来る。その足に虹色の光。アベさんは俺の隣に膝をつくと、ぽん、と俺の肩を叩いて微笑んだ。

 ここまで、よく頑張ったな。

 そんなアベさんを、閃光が撃った。


 その時、塩の領域が胸に差し掛かろうとしていた俺の意識に、強烈な揺さぶりが掛かった。


 ぐわぁぁっ……ッッッ⁉︎

 これ! 物理……攻撃じゃないっ!

 強力……な精神攻撃!

 光に、俺の意志が……記憶が……心が……焼かれる……消え……る……こんなの、かないっこな、い………攻撃、光……?


 違う……!


 これは、多分、神の……心!

 そんなもんに触れて、人の心が形、保てるわけ……ない!


 唐突に理解した。

 以前ファムナが言ってた「世界は音とか曲とかの、響き」って言葉。

 神様の心はコンサートホールで聴くフルオーケストラ。俺の心なんて柄付きタワシかなんかに釣り糸張って作ったインチキ楽器。

 幾ら一生懸命ぺんぺん鳴らしてもかき消されるのみ。

 抗おうとする心そのものが白い光に消えて行く。小さい頃から順に思い出も。もう中学、高校の友達も思い出せない……家族も……。

 思い出せるのは、この数週間、異世界での日々だけ。

 目玉ヘドロ、怖かったなぁ、初めて見た時。アベさんが助けてくれなきゃ、来てすぐ死んでたよ、俺。

 カッタいジャーキー。高熱を出して倒れたアベさん。街への買い出し。カマキリにびびって、クマゴリ倒して……でファムナ達が現れて。カマキリ倒して……ファムナの設定のあり得なさに改めて正気を疑い。ウェルトゥの探索へ。

 無茶ぶりの人、アンパンマンの歌、クマゴリの群。

 ファムナがさらわれて。助けに走って。サシでクマゴリと戦って……必死だったな、あの時の俺。死にかけながらなんとかなって。ファムナの魔法、気持ちよかった。ほんと。ウェルトゥの階段、ナゾナゾの間、キムタク王の間……キムタク強かった。絵の秘密に気付けてよかった。

 キムタク王の間ではファムナにおもっくそビンタされたっけ。こんなことになるなら、「絶対一緒に大阪に行こうぜ!」くらい言ってやればよかったな……。あの時点では、どっちみちどうなるか分からなかったんだから。ごめんな、ファムナ。

 もめたまま挑んだ闇の間。ニセファムナ。ドラゴン。ウルトラマンへの変身。

 なんであの時、ファムナの機嫌直ったんだ?

 ニコニコして。次の扉へもダッシュだったし。あれか、俺に繰り返させた……「不安は消せる。夢と希望で」。

 ……そうか、彼女も不安、だったんだ。

 それを我慢して……隠してたんだ。

 そうだよな。

 なんで気付いてやれなかったんだろ?

 死ぬかもしれない任務に身を投じる女の子に、もっと優しくなれなかったんだろう?

 近づきすぎないように、一定の距離を置くように振舞っちゃったよ、俺。大人ぶって。バカだな。なんで、そんな風になっちゃったんだ……?


 そうか。


 ほんと筋金入りのバカだな。俺。自分が嫌になる。自分が。

 俺、ファムナの事、好きだったんだ。

 とっくに惚れてたんだ。

 なのに常識人ぶって。

 理性の言葉だけを聞いて。感情を我儘だともみ消して。

 ……今頃気付いても、何もかも遅い。

 あ、異世界の記憶も消え始めた……。


 火にくべられた写真が、


 焼けて消炭になるように


 俺の全てが  の  えよ  と





           ………ファムナ。


 腕に抱く重みは確かにそこにある。


 ファムナ。


 初めて顔を見た時の、言葉を聞いた時の驚き。


 ファムナ。


 一緒に写真を撮った。アンパンマンの歌を訳した。崖に落ちる俺を、泣きながら助けてくれた。


 ファムナ。


 傷を癒してくれた。俺が魔法を持ってると笑った。


 ファムナ……ファムナ!


 そうとも!

 俺が全て消えたとしても、俺の中のこの想いは消えない!

 俺の言葉に涙目でビンタするファムナ!

 俺の手を引いて、走り出すファムナ!

 少し鼻にかかる声も、時々見せる気の強い眼差しも!

 関西弁も!

 甘い髪の匂いも!

 お前にまつわる何もかも!

 一つ残らず! 全部!


 好きだっ! ファムナ・ファタリ!

 俺は君を、愛してるっっ……ッッ!


 心で叫ぶ。いや、心が叫ぶ。


 その瞬間、俺という小さな楽器が奏でる音色が変わった。

 ぺんぺんと安い音から、優しく伸びのある柔らかな音色に。

 俺は彼女への想いのリミッターを外し全力でその想いをかき鳴らした。神のオーケストラに合わせて。


 そうか……そうだったんだ。

 神と人との共通のリズム。

 通じ合うテンポ。

 俺の音色はやがてオーケストラの一部となりあまねく世界に響き渡る。

 世界に満ちる繋がりの根源。

 連綿と受け継がれて来た命の一番先端にいる俺たちの、背中を推す力。

 神の旋律に抗う必要なんかなかった。

 自分の中心にあるメロディを、大事に奏でれば良かったんだ。


 その時、ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけだけど、神様の気持ちの端っこが分かった。


 不本意?

 太陽の神さまも、この塔の仕掛けに迷惑してるんだ。


 え? ……マジですか?

 力を…………貸す?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る