彼らは、ただ生きていくために理由がいる。



 養いきれる以上の人口を抱えたこの国で、存在していることを許してもらえるだけの理由が。


 どうしてこんな事態になってしまったのか、文也は詳しい経緯を知らない。ただ漠然と、何十年か前にあった少子高齢化社会時代に政府が取った政策の反動が今なお収まっていないのだと理解している。人口爆発が起きて、それが収まらない。こんなに狭い国土に不釣り合いなくらいに人口は膨らんでいる。


 だから政府は考えた。いたってシンプルに、増えたモノは減らせばいいと。いらないモノは捨てて、いるモノだけ残せばいいと。世間の役に立たない者は殺して、世間の役に立つ者は生かせばいいと。


 犯罪者、浮浪者、末期の病人。そんな片付けモノを始末するために生まれたのが掃除人。その掃除人を総括するために作り出されたのが国家人口管理局リコリス。

すなわち国家お抱えの殺し屋集団だ。


「そう、僕達は、蓋を開けてみればただの殺し屋集団だ。世間では『死神』なんて大層な名で呼ばれることもあるらしいけれど、僕達は決してそんな御大層なものではないのだよ」


 礼服と呼ぶには重苦しく、喪服と呼ぶには豪奢な漆黒の衣に身を包み、彼岸に咲くという死人花リコリスとともに人の命を片付けていく国家お抱えの殺し屋達。その現場に残されるあかい花は、世間が事件に介入することを拒む証。怒りの声を上げることは許されず、後にはただ人々のすすり泣く声だけが響く。


「まぁでも、キミは『死神』と呼ばれてもいい存在かもしれないね。何せ、その殺し屋集団の中で、殺し屋を殺す人を背負った、特殊な殺し屋として存在しているのだから」


 季節を知らずに咲き乱れる曼珠沙華の花園の中に、赤色の影が舞っている。


 その影が歌うように紡ぐ言葉に、文也は耳を傾けていた。


「『赤』二番席、当代白華しらはな赤蓉せきよう鈴見すずみ文也。ついた呼び名が『血濡れの彼岸花』だ。白彼岸さえ赤く染まる、とね」


 顎下まである白の詰襟の上に黒のイブニングコートを重ね、さらにその上に深紅の振袖を纏った彼岸花の管理人は、いつものように笑みを含んだ死線を文也に向けてきた。


「キミは掃除人の中の異端者。だがキミは周囲にそれを悟られないようにして生きてきた。ごくごく普通の掃除人であろうと、不審な行動は一切慎んでいるように見える。まるで任をこなすためだけに作られたロボットのように」


 右肩の衣を肘まで滑り落とし、代わりに左肩の衣を首元ぎりぎりまで引き上げる。そんなでたらめな合わせ方のまま帯を結ばれた振袖がその言葉とともにヒラヒラと踊る。目深に被せられたシルクハットから垂れる深紅のリボンとはまた違った軌跡を描きながら。


「だがそれは違う。キミは任以外のことはしないのではない。できない。キミには『自己』というものが一切ない」


 その無音の舞踏の中に踵の高いブーツが鋭くテンポを刻む。ゆったりとしているのに、鮮烈に。


「キミは『掃除人』というテンプレートそのものだ。『赤』二番として任をこなし、白華として任をこなす。感情がそこにないから任をしくじることもない。躊躇うこともない。野心もないから不要なこともしない」


 まるで気が狂った道化師のようだと、彼を見るたびに文也は思う。


「……問いに対する答えになっていませんよ、黒羽くろう さん」

「そうかい? キミが『優良な人間と不良な人間の判定基準はどこにある』なんていうから、僕なりに答えを返したつもりだったんだけどね」


 黒羽が前髪とシルクハットの下からのぞいている唇を笑みの形に吊り上げた。


 今文也は、黒羽が管理する彼岸花の花園の中に立っていた。温室の中で季節を問わずに咲き乱れる深紅の花園は、なぜかいつも文也が訪れる時は森閑として人の気配がない。自分は勝手に入ってこられるが、もしかしたら黒羽が入れてもいい人間を選別しているのかもしれないなと文也はどこかで思った。


「私のことを語られただけで、具体的な答えはなかったと思いますが」

繰舟くりふね春日ならば、そう間を置かずに片付けられる」


 急な言葉は、文也がここへ入ってすぐに投げた問いに答えるものでも、ましてや文也の苦言に対する答えでもなかった。


 一瞬、息が詰まった。だが文也の表情は動かない。穏やかな表情のまま、変わらない口調で文也は黒羽に答える言葉を用意した。


「なぜ、私にそんなことを?」

「言っただろう。キミは掃除人としてのテンプレートですべてが構成されている。そんなキミが、自主的にそんな疑問を用意するとは思えない。ならば誰かからの入れ知恵だ。キミが最近繰舟の屋敷に出入りしていることは把握している。あの屋敷の中でキミが誰かに接触しているとしたら、相手はご令嬢の繰舟春日だ。それ以外の人間と接触したならば、とうの昔にリストに予定されていない彼岸花リコリスが舞っている」


 知られていることに驚きはなかった。


『黒』一番席・黒羽。彼は卓抜した情報処理官であると同時に、文也に緋姫を授けて『白華』の任に就けた当事者だ。文也が掃除人になる以前からこの花園で彼岸花を咲かせていた黒羽は、文也自身よりもよほど文也のことを理解している。


「春日嬢に問われたものなのだろう? 先程私に投げてきた問いは」


 その問いに、文也は答える言葉を持っていなかった。


 是と答えれば、自分は片付け者リストに載っている人間と不用意に接触していたことを認めることになる。掃除人としてあるべき文也にとって、その言葉は口にすべきものではない。だが表面で否定してみたところで黒羽に対しては何の意味もない。事務方最高峰に座す黒羽がリコリス内で知り得ない情報などありはしないのだから。


「文也」


 模範的な掃除人として、ここでは何と考えることが妥当なのか。


 無意識のうちに考える文也を、黒羽は表情が掻き消えた瞳で見つめている。


「今のキミは空っぽだ。ただの『掃除人』という名のテンプレート。キミの全ては、掃除人としての任に都合のいいようにしかできていない。自我はあるが、その自我さえテンプレートだ」


 シルクハットと前髪の隙間からのぞく黒羽の瞳は、あか色の花園の中に立っているせいか赤みがかって見えた。その瞳を見据える自分は穏やかな笑みを浮かべているというのに、瞳の中は恐らく黒羽よりもずっと空っぽなのだろう。


 不意に文也は、そんなことを思った。


「人間として考えれば、それは大問題なのだろう。優良か不良かで言えば、間違いなく欠陥品として不良扱いだ。だが掃除人としては全く問題がない。……それどころか、キミは掃除人として理想の姿にある。優良素材だ。だからこそ、僕はキミに緋姫を託した」


 歌うように紡がれる言葉は、文也が発した問いに答えるものだった。だが答えをもらっても、空っぽな文也の心にはその言葉が染み込んでいかない。放り投げられた言葉が空洞の中に転がってカランカランと音を立てる。


「キミの問いに対する答えは以上だ。……さて、赤蓉。キミへの指令書は入口扉の脇に用意しておいた。花も一緒に。行き給え」


 その言葉を最後に、黒羽の意識から文也は弾き出される。まるで文也など存在していないかのように彼岸花の手入れを始めた黒羽に一礼を向け、文也は入口扉へ向かって踵を返す。


 そうだ。元々ここへは、新たな指令書を受け取りに来たのだ。問いを投げたのはそのついで。黒羽が任を命ずるならば、自分がここに居座っている理由はない。掃除人とは、そうあるべきなのだから。


 文也は入口まで戻ると傍らに置かれた椅子に視線を投げた。いつの間にかそこには書類と瑞々しい一凛の彼岸花が置かれている。いつもの光景に特に何も思うことなく書類と鼻を手にした文也は、彼岸花を仕事服のボタンホールに通しながら何気なく書類に視線を落とす。


 その瞬間、時の流れが止まったかと思った。


『繰舟春日ならば、そう間を置かずに片付けられる』


 ついさっき聞いた言葉が、脳内をリフレインする。


 そんな文也を嘲笑うかのように、腰に納まった緋姫がカチャリと微かに音を立てた。





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