5.


 昔から、夜の闇が好きだった。


 闇が深ければ深い方がいい。


「『月も星も消えちまえ この闇の中で眠りましょ 坊やとスヤスヤ夢の中』」


 何もかも、隠されただけで変わらずそこにあるというのに、それに気付かず踊り狂う人間が、闇が深ければ深いほど、見通しが効かなければ効かないほど増えるから。


「『坊やが目覚めるその前に 坊やをそのまま殺しましょ』」


 月も星もない夜空を見上げ、赤菊せきひは即興で作った子守唄を口ずさんでいた。


 リコリス本庁の屋上でだらしなく両足を投げ出して座り込む赤菊の周囲に人の気配はない。昼間でもそもそも人の立ち入りがほとんどない場所だ。日が落ちて周囲が闇で満たされるようなこんな刻限に、好き好んでこんな場所にやってくる人間など赤菊くらいしかいない。


 リコリス本庁に詰める人間は、策謀を巡らせることに忙しいか、人間の首を落とすことに忙しいかのどちらかで、外の空気を吸ってこようなどという余裕を持つ人間などほとんどいない。赤菊を『宗主様』と崇め奉る連中も、まさかこんな場所に赤菊がいるとは夢にも思っていないだろう。


「『坊やの目覚めは朝を呼ぶ 呼ばれる前に殺しましょ 朝は嫌いさ 大嫌い』」


 そもそも、連中と会ったことなど、一度もありはしないが。


 強い風が吹き荒れる中、赤菊は子守唄を紡ぎながらリコリスで『掃除人狩り』と呼ばれるようになった一連の動きのことを思う。


 ――まぁ、いい暇潰しにはなったかな?


「『朝が来たれば夢消える 夢が消えたら何残る 汚いうつつと血の赤と』……」


 不満をくすぶらせる連中をちょっとつついてやっただけで、極上の獲物が自分の前に転がり込んできてくれたのだから。


「……『白華飾った死神さん』……。ちょっと字余りだったかな?」


 風に髪を遊ばせたまま、赤菊は背後を振り返る。ずっと顔に浮かんでいた笑みが、その動きにつられてゆるゆると深まっていった。


 今まで人の気配がなかった……今も特に気配を感じない屋上に、いつの間にか赤菊以外の人間が立っている。その人物を見止めて、赤菊はゆっくりと唇を開いた。


「久しぶりだね。椿」


 闇を纏った青年は、赤菊の視線を追うかのように夜空を見上げていた。吹き荒れる風が青年の纏う衣服や髪を揺らしていく。同じ風の中に身を置いているはずなのに、彼が纏う風の方が赤菊よりも重苦しく感じるのはなぜなのだろうか。


「赤菊」


 不意に風が止む。


 重力に従って服や髪が元の位置へ戻っていく中、強い光を宿した瞳が赤菊へ向けられた。


「お前を、狩りに来た」


 その視線と言葉を正面から受け止めて、赤菊はそっと笑みの種類をすり替えた。




 兄弟子がいるのだと聞かされたのは、一体いつのことだっただろう。


 恐らく、自分がそこそこに人殺しの技術を身に付けてからのことだったと思う。そうでなければ、龍樹はあっという間に兄弟子に殺されていたはずだから。


「連中に師匠の本名をリークしたのは、黒幕が自分だとあえてアピールするためか?」


 龍樹が黒羽に拾われた時、龍樹の兄弟子はすでに黒羽の元から独り立ちしていた。だから師を同じくする兄弟弟子と言っても、龍樹には赤菊と修行を共にした記憶は一切ない。時々フラリと屋敷にやってきては気まぐれに龍樹に向かって刃を振るう男が兄弟子であるということは話に聞いて知っていたが、龍樹と赤菊の接点と言えばそれだけだった。


 赤菊が振るう刃は黒羽と同じく『稽古』などと呼べるような生やさしいものではなく、赤菊のせいで死線を彷徨ったことも何度かある。だから龍樹にとって赤菊は、初めて顔を合わせた時から今までずっと『できれば顔を合わせたくない人物』という分類にいる人間だった。


 赤菊も元々は黒羽の養子として屋敷に引き取られ、内弟子として仕込まれたのだということは黒羽から直接聞いていたから知っている。黒羽の元から改めて養子に出された龍樹とは違い、赤菊は独り立ちを機に黒羽の元から籍を抜いたらしい。だから同じ養子の内弟子、さらに兄弟弟子ではあっても、龍樹と赤菊には『家族』という繋がりはなかった。そのことを聞いた時に自分がどれほど安堵したことか、いまだに龍樹は鮮明に覚えている。


「んー……まぁ、そんな所だよ」


『赤』一番席、赤菊。


 黒羽の後を継ぎ、リコリス実働部隊最高峰の座を継承した男。


 唯一の同門とも言える兄弟子を前に、龍樹はついっと瞳を細めた。


「何のためにわざわざこんな真似をした? なぜリコリスを壊すような真似をする? ……革命だのなんだの、そんな壮大な理想を掲げるようなタイプじゃないだろ、あんたは」


 赤菊と龍樹が交わすのはいつも刃の応酬ばかりで、こんな風にゆったりと言葉を交わしたことは数えるほどしかない。だがその数少ない経験だけで龍樹は赤菊が自分の苦手とするタイプだということをしっかりと学んでいた。それがあったから、余計に赤人の接触を避けてきたのかもしれない。


「何のためだと思う?」


 案の定、赤菊は龍樹が嫌う類の切り返しを仕掛けてきた。口元に浮かべる笑みはどことなく黒羽に似ている。


「俺はあんたと問答しに来たんじゃない」

「分かっているよ? 君は、『白華』としてここに来たんだろう?」


 赤菊の視線がスッと龍樹の胸元に落ちる。龍樹の黒衣のボタンホールに添えられているのは、白い彼岸花。本来赤い花が飾られるはずの場所に、今は無垢な色の花が陣取っている。


 その意味を知らぬ赤菊ではない。


「そうか、君が僕を狩るか」

「最初からそう言っている」


 まとわりつくような問答に呑まれれば場の支配権を赤菊に奪われる。


 赤菊の常套手段を思い出しながら、龍樹は己の立ち位置を見失わないように己の思考をしっかりと立て直した。赤菊の言葉を一々追いかけていてはならない。振り回されれば戻れなくなる。赤菊の言葉遊びは、それ自体が一種の武器だ。こんな所まで兄弟子は師匠に似ていて、思い出すたびに本当に嫌になる。


「そう。突っつき回した甲斐があったな」

「動機はやはり暇潰しか」

「そもそも、『赤』の仕事はリコリスの切り札であることであり、内部の異端分子をあらかじめ潰しておくことである。そうは思わないかい? 椿」


 赤菊は龍樹の言葉に答えながらやる気のない態度で立ち上がった。フラリと揺れた頭は、少し傾いだ状態で動きを止める。


「僕は、その役目を果たしただけさ。ちょっと情報を与えて、やるべきことの方に首を向けさせてやったら、烏合の衆が流れを持って動き始めただろう? 動き始めさえすれば、動いているやつらを摘み取るだけだ。僕は不穏分子を洗い出してあげたんだよ」

「内部異端分子の処分は『白華』が負うべき仕事であり、『赤』の仕事ではないはずだ」

「でもその『白華』は『赤』の中から選ばれるものじゃないか。だったら『赤』である僕がその役目を遂行してもおかしくも何ともないじゃない」


 赤菊はおどけるように両腕を広げるとけだるげな笑みをわずかに深めた。その動きに同意を示すかのように赤菊の腰にある日本刀が微かに音を立てる。緋姫は龍樹に継承されたから、赤菊の腰にある日本刀はもちろん緋姫ではない。だが独り立ちの時に黒羽から下賜されたという刀は、緋姫に負けずとも劣らない名工の逸品だと一目見ただけで分かる代物だった。


「椿。僕の弟弟子である君に『白華』の任がこなせるなら、君を上回る僕にだって『白華』の任はこなせる」


 その言葉に龍樹は特に反応を示さなかった。それをどう思ったのか、赤菊は広げていた腕をパタリと降ろし、顔中に浮かべていた笑みを消す。


「だから、まぁ、……明らかに邪魔である彼らを使って、それを証明してやろうと思ったのさ」

「……結局はあんたの暇潰し、ってことでいいか?」


 赤菊が何を言いたいのかは分かっている。だが龍樹はあえてそれに触れることなく赤菊の戯言たわごとを切り捨てた。


「……気に入らなかったんだよね、椿。君が拾われたって聞いた時から」


 ゆらりと、赤菊の周囲の空気が揺れる。だが実際に赤菊がしたことは、右手を日本刀の使に被せるというわずかな動きだけだった。


「お師匠様は、僕に何を継承させるわけでもなくお屋敷から追い出したっていうのに。僕には継げなかったモノを負わせるために連れてきた相手っていうのが、殺しの刃を取ったことさえなかったガキだったなんて、気に入るはずがないじゃないか」


 だがその動きに龍樹は瞬時に反応する。赤菊が右手を動かした時には、龍樹の左手は緋姫の鞘を握り、親指で鍔を弾いて緋姫の鯉口を切っている。


「でも、まぁ、許してあげるよ」


 それでも赤菊に対しての行動としては遅すぎた。頭は瞬時にそのことを理解するのに、体がその思考についていけない。


「今この場で、僕の暇を潰すために踊ってくれるなら」


 初撃は左からの斬撃。かろうじて緋姫を抜くことに成功した龍樹はいまだ抜刀しきれていない緋姫で斬撃を受け流す。


 二撃目は頭上からの振り落とし。それまでに何とか緋姫を抜き終えた龍樹は二撃目も緋姫でいなして赤菊の銅を薙ぐように前へ踏み込む。だが緋姫は何も捉えることなく空を裂いた。踏み込みの勢いを殺すことなく回転に変え、緋姫を体の前で構える。そこに叩き込まれる赤菊の刃。三撃目からはどこからどう攻撃されているのか、知覚が追いついていかない。


「そういえば椿。僕のことを『宗主様』なんて言って崇めていたあいつらが、とても面白いことを言っていたんだ」


 目にも留まらぬ刃の応酬を繰り広げながら、赤菊は先程と寸毫も変わらない気だるさを含んだ声で龍樹に語りかけてきた。


「宿命っていうのは、一体どういうものだと思う?」


 その言葉ごと龍樹は赤菊の刃を押し流す。時折自分も攻撃に転じているはずなのに、まったく攻めている感覚が伝わってこない。一人前の掃除人として刃を握るようになってから、ここまで自身の無力を感じる一戦はなかった。


「どこまでが言い訳で、どこからが宿命なんだと思う?」


 かつて自分と赤菊との間にあった力量の差が、まったく縮まっていないことを否応なく突き付けられたような気がした。同じ『赤』の名を持ち、同じように刃を振るう掃除人になったはずなのに、命をもてあそばれていたあの頃の関係から自分達の立ち位置は何一つとして変わっていない。


「そもそも、ただの人間が己の存在理由について論じている時点でおこがましいじゃないか」


 龍樹はやっとの思いで自身に絡みつく赤菊の刃を弾くと間合いを開けた。だが赤菊はその反動を利用して左手に隠し持っていた投げナイフを打ってくる。


「これが正解だという普遍的存在理由を提示することなんて、誰にもできっこないって言うのに。ねぇ?」


 二本までは払い落すことができた。だがその二本を目隠しに使った三本目のナイフが容赦なく龍樹の右腕をえぐっていく。


「つまり『誰にも提示できない存在理由』を使い、人の命を裁く国家人口管理局は……すなわち、俺達掃除人は、ものすごい理不尽の具現というわけさ。矛盾の証拠であり皮肉の象徴。言ってしまえば、そんな所がリコリスの存在理由になるんじゃないかと思うんだけども」


 カシャンと寒々しい音とともに緋姫は龍樹の手から滑り落ちた。龍樹の腕から滴り落ちる鮮血が澄んだ刃を汚していく。


「椿。君はどう思う?」

「……理不尽であろうが矛盾していようが皮肉だろうが、俺達が掃除人であることに変わりはない。それ以上の言葉は、俺には必要ない」


 頬を伝っていく汗は、決して冷や汗などではないと信じたかった。


 ざっくり裂かれた二の腕を押さえながら赤菊を睨みつける。虚勢であると見抜かれているかもしれないが、折れるよりはマシだと己を奮い立たせながら。


 龍樹の右腕を潰した赤菊は、今追撃をかければ即座に龍樹を殺すことができるというのに仕掛けようとはしてこない。龍樹が開けた間合いをそのまま残して己を睨み付けてくる龍樹を面白そうに眺めている。


 ――これだけの強さを見せておきながら、まだ俺で遊んでんのか、こいつ……っ!!


「強くなったよね。椿」


 赤菊が龍樹をナメてかかっているなら、そこに付け入るスキは必ずある。


 そう己に言い聞かせながらネクタイを引き抜き、右腕を縛り上げて止血を施す。そんな龍樹を相変わらず面白そうに眺めながら、赤菊はどこか感慨深げに呟いた。


「昔はここまでで三回は死んでいたよ。一応、緋姫を継ぐに足る技量は身に付けたってことかな」


 きつく締め上げても、出血は完全には止まらなかった。漆黒がじんわりと鮮血に染め上げられていく様を無言で見つめた龍樹は、その腕で緋姫を取り上げようと腕を伸ばす。


 だが緋姫はほんの数ミリ持ち上がっただけで、龍樹の指の間をすり抜けていってしまった。筋をやられたのか、今の右腕では緋姫を握って支えるほどの力が出ないらしい。


 その様を見た龍樹は眉をひそめると、仕方なく左手を伸ばして緋姫の柄を握りしめた。


「でも俺にとってはやっぱり不満だよ。……椿。どうしてお師匠様は、俺じゃなくて椿に緋姫を継がせたんだと思う? お前が屋敷に引き取られた時から、緋姫はいずれお前に継承されることが決まっていた。赤蓉はお前が緋姫を握れるようになるまで持たせる、いわばスペアみたいなものだったんだよ。……僕はこんなにお前を圧倒する強さがあるというのに、僕はお前が素人だった時点でお前に劣るという判断をされていたということだ。……どういうことなんだい?」


 赤菊が纏う空気が、またゆらりと揺れる。口元に漂っていた笑みが再び消された。赤菊の問答は、もうそろそろ終わる。


 龍樹は一度瞳を閉じると、赤菊の言葉に答えることなく緋姫を鞘に納めた。そしてそのまま、左腕一本で鞘ごと緋姫を腰から抜く。


「俺とお前、何が違う? お前は何者なんだい? 椿」


 無言のまま緋姫を腰から外した龍樹は、流れるような動作で緋姫を右腰へ差し直した。普段納まる腰とは反対側にスルリと入った緋姫は、まるで最初からそこが居場所であったかのように違和感なく龍樹の右腰に納まる。


「お師匠様は、一体何を考えてお前を掃除人にしたんだい?」


 目を、開く。


 それと同時に龍樹は赤菊の懐に飛び込んだ。赤菊にその動きは予想外であっただろうに、赤菊は自身の思考が反応するよりも早く龍樹に向かって刃を繰り出している。打ち合いに応じれば間違いなく先程までと同じ応酬が始まるし、応じなければ龍樹が死ぬ。そんな鋭さを秘めた一撃が龍樹を迎え撃とうと繰り出される。


「一の型」


 それが分かっていながら、龍樹は回避行動を取らなかった。


 受け身を捨て、その分赤菊の懐奥深くに飛び込む。柄に被せた左手が、ためらいなく緋姫を抜いた。


白華びゃっか


 左腕によって繰り出された居合抜きは、赤菊の刃よりも早かった。今まで届かなかった刃が、初めて赤菊の体を捉える。


 だが赤菊はわき腹を薙がれながらも決してひるまなかった。龍樹に向かって繰り出された赤菊の刃は龍樹の胸板を裂いていく。


「師匠が考えていることなんて、昔から今まで分かったことなんぞ一度もない」


 それどころか、赤菊は隠し持っていたナイフを龍樹に向かって振り下ろす余裕さえ秘めていた。対する龍樹は衝撃によろめきながら緋姫の切っ先を赤菊に向け直す。


「だが、師匠が俺に何を求めたかだけは知っている。『赤』となり、『白華』となること。それが俺に与えられた存在理由だ」


 赤菊のナイフが龍樹の左肩に突き立てられるのと、刺突の構えを取った龍樹が赤菊の腹に緋姫を突き立てるのはほぼ同時。受けたダメージは龍樹の方が大きい。


 それでも龍樹は、口を動かすことをやめない。


「緋姫の所有者……『白華』を決めるのは、緋姫自身だ。だから……」


 龍樹の足元が追撃に耐え切れずによろめく。それを見た赤菊は勝利を確信して最後の一振りのために日本刀を構え直す。


「なぜ俺を選んだのか、理由は緋姫自身に訊け」


 だがその笑みは、龍樹の言葉を前に凍り付いた。


「待たせたな、緋姫。……食事だ。存分に食らえっ!!」


 腹に突き立てられ、龍樹の手から離れた緋姫は、赤菊の体を貫通しているがすべての内臓をすり抜けて貫通したのだということは感触で分かっていた。だからこそ赤菊は己の勝利を確信したのだと言ってもいい。


 だがその確信が、龍樹の言葉と、その言葉を受けて鳴動する緋姫を前に崩れていく。


「あ……?」


 血液の流れが変わる。緋姫によって、勝手に変えられていく。体を巡るように動いていたはずである血流が、気脈が、強制的に緋姫に集められるルートへ変えられていく。


 赤菊は呆けた声を上げながら、腹に突き立てられた緋姫を見遣った。


 その刀身は、赤く染め上げられていた。外側から鮮血で濡らされた色ではなく、内側から鋼そのものが染まったとしか思えない深紅。赤菊の体に突き立てられるまで確かに鋼色をしていたはずの刀身が、緋姫という名にふさわしい色へ姿を変えている。


「な………っ!?」


 リコリスに伝わる血濡れの宝刀、緋姫。


 無機物なのに『緋』の名を冠された存在。


 赤菊は昔、不思議に思って黒羽に訊ねたことがあった。なぜこの刀は『緋』の血濡れ名を持ち、黒羽はこの刀を示して『彼女』という代名詞を使うのかと。


 黒羽は、もったいぶることなく答えてくれた。歳の分からないその顔に、喰えない笑みを浮かべて。


『彼女は生きているのさ。血と気を食らい、人を殺して生きる殺戮姫だからね』


 ――だから彼女に嫌われる様な真似をしてはいけない。緋色の女王は残酷だ。一度嫌われたらもう二度とその力を振るわせてはくれない。それどころか、使っているこっちが彼女に喰い殺されかねのだから。


「俺は緋姫に選ばれた。選ばれたから、俺は掃除人になった。……あんた達とは、根本的に順序が逆なんだ。掃除人の中から、適任者として選ばれたんじゃない。俺は、『白華』になるためだけに、緋姫の遣い手となるためだけに、掃除人になったんだから」


 記憶の中にある声の向こうから、龍樹の声が赤菊の耳に響く。


 その間も緋姫は貪欲に赤菊を吸い上げていた。まるで時を早送りにしていくかのように自身の体が干からびていくのが分かってしまう。この流れに抗えないことを、本能が強制的に理解させられてしまう。


「劣る、劣らないの話じゃねぇんだ。……緋姫に選ばれたから、俺の存在は許された。だから緋姫は、あんたじゃなく俺に継承されたんだ」


 そんな状況下でも、赤菊は龍樹の言葉に耳を傾けていた。その証拠に赤菊は龍樹の言葉にきょとんと目を瞬かせると、今まで見せたことのない類の笑みを龍樹に向ける。穏やかでありながら、どこか哀れみや同情といった顔をのぞかせるような笑みを。


「随分とまあ、因果な存在理由じゃないか」


 緋姫に殺される人間は、たいてい苦悶の表情を浮かべて恐怖の絶叫を上げながら絶命していく。


 だが赤菊は静かに微笑んでいた。憐憫を含むその表情もその身にまとう空気も、龍樹の前に現れる時は必ず龍樹の命を脅かしていった赤菊にしては静かすぎる代物だった。


「緋姫に呪われた結果が、自身の存在理由であるなんて」


 赤菊の言葉に、龍樹は赤菊と出会ってからこの方初めて、赤菊に向かって笑みを向けた。


「ああ、そうだな」


 それを聞いた赤菊はやるせなさそうに笑みを返す。


 赤菊の最期の表情は、その笑みとなった。


「国家人口管理局『リコリス』対内部異端分子処分官『白華』内一人、赤椿」


 全てを吸い取られて砂粒と化した赤菊が風に溶けるように消えていく。赤菊に突き立てられていた緋姫が、満足そうな音を立てながらリコリス本庁の屋上に転がり落ちる寒々しい音が龍樹の耳を叩いた。


 その音に一度耳を傾けてから、龍樹はボタンホールを飾っていた白い彼岸花を引き抜いた。玉串を捧げるように手のひらの上で回転された白い花は、ふわりと何もない屋上に向かって落ちていく。


「その名において片付けられし者よ。その罪の下、永久とわ に眠れ」


 わずかな鎮魂の祈りと、散っていくことが許されている者への羨望の念が混じった言葉は、誰に聞かれることもなく夜の闇に消えていった。





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