3.


「おや? おやおや?」


 いきなり黒服の集団に囲まれた黒羽は、軽く首を傾げながら侵入者の数を確認した。


 全部で十数人。


 さすがの黒羽も、ここまで大人数の掃除人に囲まれたことはない。そもそも掃除人がこんなに大人数で行動すること自体が稀だ。


「一体何の用だね? 花を取りに来ることくらい、一人でもできるだろう? 女子中学生でもあるまいし」

「『赤』一番席、篠田しのだ源左衛門げんざえもんだな?」

「誰のことだい? 随分センスのない名前じゃないか」


 サラリとかわしたつもりだったが、相手も黒羽の反応をある程度予測していたのだろう。黒羽の本名を知っている人間は、大抵それとセットで黒羽が本名を嫌っていることを知っているのだから。


「篠田源左衛門。リコリス創立当初からその腕を振るったとされる、初代緋姫所有者とは、あなたのことだな?」

「君達は人の話を聞くべきだね。ほら、良く見たまえ」


 国家人口管理局『リコリス』には、大きく分けて二つの部署が存在する。


 一つは実働部隊。実際に現場に赴き、仕事を遂行する掃除人達のことだ。『赤』を最高実力者とする彼らは、漆黒の仕事服に身を包んで任に出る。一般的に『リコリス』と聞いて真っ先に思い出されるのは彼らの方だろう。


 対して黒羽が所属しているのは『黒』と呼ばれる事務方だ。情報取集をはじめ事務仕事を一手に担う『黒』は表に出てこない分、一般人の周知は低い。そんなリコリスの『黒』側の人間は、深紅を仕事服として纏う。


「僕が纏っているのは、赤なんだよ?」


 黒羽は顎下まである詰襟の白シャツの上に黒のイブニングコートを纏い、さらにその上に深紅の振袖を重ねている。左の上衣が肘の辺りまで滑り落ち、その代わりに右下の衣の丈が以上に短くなるというでたらめにも程がある着付けがされた振袖は、柄も絞りもなく、禍々しいほどに赤い。無言でありながら声高に主張する仕事服を見た人間は、黒羽の実態を知っている人間も知らない人間も、まず間違いなく黒羽の所属を疑うことはない。


「そもそも、リコリス創建当初から在籍していたら、僕は今一体いくつになるっていうんだい? 現役を創建から今まで続けているのだとしたら、大した化け物……」

「訂正しよう。元『赤』一番席、赤桜せきおう、篠田源左衛門」


 だが黒羽を取り囲んだ男は、その赤に否を突き付けた。発言を断ち切って放たれた言葉に黒羽は無言をもって答える。顔に垂れかかったシルクハットのリボンがかすかに揺れ、淡く笑みを刻んだ黒羽の表情がその陰に隠された。


「とにかく呼び名などどうでもいい。あなたが死んでくれればそれで」


 掃除人達の動きは迅速だった。一人が言い終わるのと同時に、取り囲んだ掃除人達が一斉に凶刃を振るっている。


「随分な物言いだねぇ」


 だがその刃のどれもが、黒羽を捉えることができない。


 シルクハットを押さえたままふわりとすべての刃をかいくぐった黒羽は、わずかな隙間をすり抜けて包囲網の外へ出る。その動きを目で追った何人かがすかさず拳銃を抜き、追撃の弾丸を見舞わせた。


「どうやらいい人材が揃っているらしい」


 だがその弾丸さえをも黒羽はサラリと回避する。


 軽やかな音とともに石畳にステップを刻んでいたブーツのかかとが、不意にガッと鋭い音を立てた。


「こんなことになってしまうとは残念だねぇ」


 最後の銃弾を前に、黒羽の手がシルクハットから離れる。振り抜かれた腕は、バシンッと空気を裂いた。腕先から走った閃光が銃弾をはじき返し、あらぬ場所の地面がえぐられる。


 その音を合図にしたかのように、風に流される柳のように身を流していた黒羽が鋭く地面を踏み込んだ。掃除人達の視界から一瞬黒羽の姿が消え、最前線にいた掃除人の胸板から鮮血が帯となって飛び散る。


「っ!?」


 予告なく起こった殺戮に、さしもの掃除人達にも動揺が走った。金気臭い赤い花を咲かせながらくず折れる仲間の姿を見た掃除人は瞬時に得物を構えて警戒態勢を取るが、動揺が抑えきれていないのかその構えはどこか浮ついているようにも見える。


「僕は本名が嫌いでね」


 声がした方へ、掃除人達が一斉に構える。季節を問わずあかい花を咲かせ続ける花園を背後に従えて立った黒羽は、どこから取り出したのか手の中で鞭を弄んでいた。その光景を見てようやく掃除人達は先ほど黒羽の腕から走った閃光の正体がその鞭であったことを知る。


 右手で柄を、左手で鞭を。口元に微笑みを湛えて立つ黒羽は、気がふれた猛獣使いのようにも見えた。


「その名前で呼ばれると、僕だけが時の流れに取り残されていることがよく分かるような気がするじゃないか」


 不意に黒羽の左手が鞭から離れた。右腕が体の前に円を描くように動き、その指先に握られた鞭が空気を裂く鋭い音が辺りに響く。その音に満足したかのように笑み深めた黒羽は、ついっとシルクハットの位置を直した。


「さて、ゲームの始まりだよ?」


 そこに殺意というものはない。殺気というものも、一切流れていない。


 だが、だからこそ掃除人達は恐ろしかった。


 その恐怖を受けて、血濡れた色の瞳が笑みを刻む。


「It`s a showtime!!」


 踵の高いブーツが高く音を鳴らす。


 その余韻が完全に空気に溶けて消えた時、彼岸花の花園に立っていたのは黒羽だけだった。


「やっぱり、龍樹や文也のようには踊ってくれないものだね」


 パシンッと不満を表すかのように、鞭が軽く音を鳴らす。ふうっと軽く息をついた黒羽は、鞭を束ねると右前で大きく蝶結びにされた帯に挟み込むようにしてしまい込んだ。


 黒羽はシルクハットをかぶり直すと、ただの物質と成り下がった者達に笑みを含んだ視線を向けた。身元が割れたらここの花壇に埋めてしまおう。きっと死人花リコリスを咲かせるいい肥料になる。


 カツ、カツ、と高らかに踵を鳴らしながら黒羽は己の花園を後にする。


 元『赤』一番席・赤桜。彼らが口にした懐かしい名前は、確かに黒羽の古い肩書きだ。リコリス創建当初から緋姫を振るっていたことも、確かな事実。だが今の黒羽の身分は『黒』一番であり、主な仕事はこの彼岸花の園の管理だ。『赤』の名からも『黒』の名からも半ば隠居している自分をこんな争いごとに巻き込もうとするのはいったいどこのどいつなのか。


「……あーあー…、僕はこの花園の手入れという仕事を存外気に入っているというのに。今日はもうこれ以上、手をかけてやることは難しそうだね」


 そうぼやきながらも黒羽の脳内ではめまぐるしく情報が整理されていく。おそらく今一番関連があるのは、最近流行っているという掃除人狩りの一件だろう。あの情報を最初に掴んだのは沙烏であっただろうか。


「まあ、どのみち沙烏殿にはご助力いただこう。その方が事が早く進むだろうからね」


 シルクハットを深くかぶり直し、黒羽は改めて口元に笑みを刷く。


 そんな黒羽の姿を、静かな花園だけが見送った。





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