掃除人と夢で見た空
1.
時々、夢を見る。
どこまでも美しくて、残酷な夢を。
白は嫌いだ。
力のない色のくせに、こんなにも人を不安にさせる。すぐにどんな色にでも染まって汚れてしまうから、汚すことが怖くて身動きが取れなくなってしまう。
その色に塗りつぶされた部屋の中で、
「……たっちゃんみたいな言い回しになっちゃった」
今は隣にいない相方であり幼馴染である青年を思い浮かべて、綾は微かに苦笑した。
こんな抽象的で難しいことを考えるのは、
「……お母さん、どう思う?」
ベッドの中で身じろぎ一つせず眠る
この真っ白な部屋の中で唯一白以外の色を纏った彼女は、綾の言葉にも反応を示さずに眠り続けている。
その様に綾はほろ苦く笑った。
先の少子高齢化時代に取られた政策の反動で、この国の人口は爆発的に増加した。そんな中で義母のような人間が生かされている事例は極めて珍しい。
世に無益と判断された人間は
それはまだ義母に、世間に益を出す何かがあるという証でもあった。
「…………」
美しい横顔を見つめたまま目を細め、綾はわずかに瞳を伏せる。
義母は、
義父はかつて、稀代の掃除人と呼ばれた屈指の殺し屋だった。『血濡れの彼岸花』と言えば掃除人でさえ恐怖を抱かずにはいられない存在だったと聞く。
だがそんな義父はある日、唐突に消息を絶ち、表社会からも裏社会からも姿を消した。
「……二人で逃げるのは、大変だっただろうに………」
リコリスから出奔した『血濡れの彼岸花』は、ある女性の手を取っていた。稀代の掃除人はその女性の手を取るために、血濡れた刃を捨てたのだ。
その女性こそが、今綾の目の前にいる義母である。
「それほどのことをするくらい、お父さんは、お母さんのこと……」
役目を解かれた掃除人の先に待っているのは死のみ。
国の暗部を知りすぎた掃除人に安息の場など与えられない。政府に繋がれた血濡れた鎖がほどかれるのは、口がきけない屍となった時。
それを承知の上で、義父は国に背いた。
失踪してから三年、義父の行方は誰にも掴めなかった。だがそんな、危険と隣り合わせながらも穏やかな生活は、長くは続かなかった。
義母は、生来体の弱い人だった。病院に頼らず生きていくことなど、生まれた時からできない人だった。
義母の受診歴から潜伏地を割り出されたことを悟った義父はその地を離れようとしたようだが、運悪くそのタイミングで義母が大病に倒れた。背に腹は代えられず、義父は義母を病院に抱え込んだが、そこに待っていたのは義父のかつての同僚達だった。義母はその場で強制的に病院に収容され、義母の命をたてに取られた義父は裏の世界へ戻ることを余儀なくされた。
そんな二人を監視するために派遣されたのが綾だ。
「…………ごめんなさい」
綾の実の両親は、綾が小学校五年生の時に唐突に死んだ。ショックが大きかったせいか詳しいことは覚えていないのだが、父と母が搭乗した飛行機が事故にあったのだということだけは覚えている。
綾はその時熱を出して家で寝込んでいて、搭乗する予定だったその飛行機には乗っていなかった。だから綾はその事実を、当時義理の兄妹であった龍樹から聞いた。綾の看病をするために共に予定をキャンセルしていなかったら、龍樹も恐らく生きてはいなかっただろう。
幼い子供といえども、役割を背負っていない人間は排除される。今まで親の庇護を受けて、ただの『子供』という役割を背負っていればよかった綾は、一気に片付け者という烙印を押されることになった。
だから綾は掃除人になった。自分が死にたくなかったから、人の命を刈り取る者になった。自らの役割を背負うために、国家人口管理局リコリス直属の殺し屋になった。
ただ漫然と時間を消費していることは許されない。明確に世間様の役に立っていると認められなければ、己に流れる時間は強制的に止められる。そんな浪費を許していられるほど、今のこの国には余裕などないのだから。
かつて世界一治安の良い国だと言われていたこの国は、今や世界で一番生きていくことが難しい国となった。
この世界は歪んでいる。誰もが世間の役に立つ人間という立場を持ち、何かの役割を果たさなければ生きていくことさえ許されない。優良な人間を生かすために不良な人間は片付けられていく。不良な人間が消費していたもろもろの物資を優良な人間に回すことで、何とか国は均衡を保とうとしている。
人口数、出生数、死亡者数、人口増加率。
必要数より減ってしまえば増やし、必要数より増えてしまえば減らすだけ。
国の上層部にとって、
誰もが思っていて、でも誰もがそのことを口には出せない。
口に出してしまえば、片付け者という烙印を押されて、片付けられてしまうから。それこそ、清掃業者がほうきとちりとりでそこらに転がる紙くずを掃き取っていくような気やすさで。
綾の心の奥にもその思いは巣食っていた。やり切れない感情は掃除人になって片付け者を処理していくたびにかさを増していくばかりで。
はち切れそうな、あるいは潰されそうな思いを抱えて、綾は血濡れた刃を振るい続けた。思えばあの頃の自分が、一番危うかったと思う。
そんな時だった。義父と義母の元に派遣されたのは。
「ごめんなさい……」
二人にとって綾は邪魔者以外の何者でもなかっただろう。だが二人がそんな感情を綾に向けたことは一度もなかった。綾は二人に、血のつながった本物の娘であるかのように大切に慈しまれて育った。
独りぼっちになって、己が死ぬか人を殺すかという選択をいきなり迫られて。今まで知らずにいられた世間の闇を一気に見せつけられた綾にとって、その温もりは何よりも嬉しいものだった。でも同時に申し訳なくって、不思議でもあった。
どうして。
ずっと思っているのに、綾はその一言を口に出すことができない。
口に出した瞬間に、全てが崩れていくのが怖いから。
「…………綾ちゃん?」
その時、小さな声が綾を呼んだ。
はっと顔を上げる。
その先に久しぶりに見る義母の瞳があった。
「お母さん……」
「来てくれてたのね。ごめんね。お母さん、なかなか起きていられなくて」
細くて、弱い声。
記憶の中にある声はどれも生気に欠けているが、それに比べても今の義母の声は一段と弱々しかった。だがそれでも、柔らかさと優しさに満ちた声は美しく綾の耳に響く。
「ううん、いいの。私が勝手に顔を見に来てるんだもん。……気分はどう? どこか痛かったり、しない?」
その弱さが、刻々と減っていく義母の時間を示しているような気がした。伸ばされた細い手をそっと取った綾は、その冷たさにわずかに瞳を震わせる。
そんな綾の心中を知っているのかいないのか、義母は優しく笑って首を横へ振った。
「お母さんね、幸せな夢を見ていたのよ、綾ちゃん」
そして唐突に、義母は言葉を紡ぐ。
「蒼い海と青い空がどこまでも続いていく中をね、お母さん、ずっと飛んでいくのよ。……綺麗だったなぁ………」
寝たきりになって久しい義母は、この数年海など見たこともないはずだ。空も、この病室の小さな窓から見える景色では小さすぎる。ずっと飛んでいけるほどの空なんて、どれだけ大きかったのだろうか。
「あんな景色を、もう一度、見てみたいわ……」
義母が望むことはみんなちっぽけでささやかな願いだけで。大好きな義母の願いは全部叶えてあげたいのに、結局何一つできない自分が、綾は悔しかった。
せめて義母の前では、義母が安心してくれるように笑っていたい。その一心で綾は視線を上げて微笑しようとする。
だがそこで綾は義母の表情がいつもと違うことに気付いた。
「……でもお母さん、なんだか悲しそうな顔してる……」
義母はいつものように笑っている。そういえば、記憶の中にいる義母はいつも、その美しい顔に優しい微笑みを湛えていた。
だが今、その笑みの中にはわずかな悲しみが宿っていた。幸せな夢、と義母は言ったのに。
「こんなことを言っちゃったら、いい歳して何言ってるのって言われてしまいそうだけど……」
綾の問いに、義母は恥ずかしそうにはにかんだ。
「夢の中に
義父の名前に、綾ははっと目を瞠った。
「いつもいつも、文也さんは私の隣にいてくれたから……。夢を見ていると分かっていても、隣にいてくれないというのが、とても不思議で、悲しくて……」
すうっと義母の視線が天井に引き寄せられる。まるで天井を見透かして、その先にある青空を見つめるかのように。
「馬鹿な望みだと分かっていても、迎えに来てほしいと、思ったの……」
綾は一度瞳を伏せた。
義母は、決して我が儘など言わない。我が儘どころか、己の望みや意見を口に出すことすら稀な人だった。病室に差し入れする飲物のリクエストだっていつもろくにしてくれない。その根本には己を質に取られていることに対する遠慮や罪悪感というものもあるのだろうが、元からあまり主義主張を持たない人間だったのではないだろうかと綾は思っている。
そんな義母が、初めて発した、望み。
だが綾は、その望みを叶えることはできない。
その現実と義母の言葉を噛みしめて、綾は数秒で全ての感情を押し隠す。
「迎えに来てくれるよ、きっと。お母さんがどこにいても」
全てを隠して、選んだ仮面は微笑。
少しでも安らぎを与えられるようにやわらかい声音で、言葉だけは嘘偽りのない本物を紡ぐ。
「だってお父さんはお母さんが大好きだもん。きっとお父さん、お母さんがいなかったら生きていけないよ?」
だから、早く元気になろうよと綾は笑いかけた。そんな綾に義母は道化じみた仕草で首を傾げてみせる。
「そうかしら? お母さんがいなくなってすぐに新しい女連れてきたら、綾ちゃんはどうする?」
――文也さん、イケメンだもの。今までだってどうして他の女になびかなかったのか不思議なくらい。女の方からじゃんじゃん寄ってくるんだもの。お母さんがいなくなってお荷物がなくなったら、きっとすぐに新しい女連れてくるわよ~? 私の四十九日が終わるより早くにね。
義母は本心なのか冗談なのか、柔らかい微笑みを浮かべたまま、細いながらも軽快な声で戯れるように言葉を続ける。
「もうっ、そんなことあるわけないでしょっ!!」
今度は表情を取り繕う余裕もなかった。怒り四割呆れ五割、その他一割という微妙な表情が表に出てしまう。
綾は握っていた義母の手をベッドに戻してから両手を腰にあて、義母の方へ身を乗り出した。
「お父さんがお母さん以外の女になびくはずがないじゃないっ!! お父さん以上に一途な男なんてそうそういやしないんだからっ!! 信じらんないくらいの美人が色目使ってお父さんに迫っても、きっと『鬱陶しい』の一言でバッサリ切り捨てるよっ!! 絶対っ!! 私の保証付きっ!!」
口調こそ義母に合わせて冗談めかせたが、口から出た言葉は全て本心だった。
それくらい想っていなければ、国を敵に回した喧嘩など売れるはずがない。そして情に流されることのない掃除人の心をここまで動かすことのできる人間もそう簡単に現れるはずがない。掃除人とは本来、人間としての心を持たないモノが最後に流れ着く、寄せ場のようなものなのだから。
義父がどんな経緯で掃除人になったのか、綾は知らない。だが今の義父がとても人間味にあふれた真人間であることを、綾は知っている。それこそ、掃除人などという身分に似つかないくらいに。
ここまで義父の心を豊かにしたのは、義母以外の何者でもないだろう。そうでなければ自分がリコリスから教えられた義父の姿と今の義父の姿がイコールで繋がらない。
それに加えて、義父が掃除人としてリコリスにいまだ恭順を示していることが、何よりも義母への想いの深さを物語っていると綾は思う。
ひとたび自由の身となった義父にとって、再び鎖につながれることは苦痛以外の何物でもなかったはずだ。だが義父はその苦痛を再び背負ってでも、義母のことを助けたかった。ただの文也と春日では受けられない最先端医療を、掃除人とその人質になれば無料かつ即時受けることができたから。
義父は、いつだって義母を見捨てれば自由になることができた。リコリスから逃亡生活をしている間も、義母を病院に運び込んだ時も、そして今も。義父の技量を以ってすれば、出奔し、この世界に埋没して周囲に気付かせないことくらい、訳もなくできるはずなのだ。義母というお荷物さえ放り出してしまえば。
それでも義父は、決して義母を見放さない。義母が檻の中に閉じ込められなければいけないならば、喜んでその檻に共に入ってしまう人だから。義父はその檻をたやすく破壊できてしまう人だというのに。
「私とお父さんを信じられないっていうのっ!?」
その情が、綾には眩しくて、羨ましくて、同時に苦しい。
そんな深い情を、誰かが自分に向けてくれる時が来るのだろうかと渇望するのと同時に、自分にはそんな情を向けてもらう資格なんてないとも思う。
だって自分はいわば、義父と義母の間のその情を、断ち切るためにここにいるようなものなのだから。
「冗談よ、綾ちゃん」
その現実を義母に分かってもらいたくて、同時に胸を占める矛盾した苦しみを吐き出したくて、ひたすら必死になって言い募る。そんな綾に、義母は小さく笑みをこぼした。
「文也さんが私を失ったら生きていけないということは、本当はお母さん、きちんと分かっているの。だって、浮雲だった文也さんを地上に引きずり落として、もう二度と空には戻れないように『私』という鎖で地上に縛り付けたのは、他でもないお母さんですもの。……空を忘れた浮雲はね、もう空には帰れないのよ」
夢の続きを望むかのようにそっと瞳を閉じて、義母は常にない不穏な言葉を、常のような静かな声で紡ぐ。
「お母さん、我が儘だから……。文也さんの自由を奪うことになると分かっていても、自分から死ぬことなんて、できなかった。それが唯一、文也さんを解放する道だと知っていても。……どんな形でも、お母さんはね、自分から文也さんとの別れを選ぶことなんて、できなかったのよ」
お母さんの人生最大の我が儘はね、綾ちゃん。
文也さんと生きることを、選んだこと。何もかもを捨てて。
そして文也さんの全てを奪ったこと。
……文也さん自身は、自分の選択だと言うかもしれない。でもね、お母さんとさえ出会わなければ、文也さんはこんな人生を歩むことはなかった。
リコリス実動部隊最高位『赤』の称号を持つ掃除人。その栄光を、『血濡れの彼岸花』と呼ばれたその畏怖を、地に堕とすことなんてなかった。
孤高の最凶を、ここまで弱くすることなんて、なかった。
「だから私は、もうこれ以上は望まない。どんな小さなことでも。……ずっと、そう思っていた。……でも、そんなお母さんに、さらに綾ちゃんは、希望をくれるのね」
「……え?」
「気付いていないと……、隠せていると、思っていたの? お母さん、知っているのよ。……お母さんが死んで、平静でいられないのは、何も文也さんだけじゃないってこと。……綾ちゃんが、お母さんに死んでほしくないと、本心で思っていること」
その言葉にはっと綾は表情をこわばらせた。思わず義母を凝視すれば、弱々しく閉じられていた瞼が開いて、静謐な瞳がやわらかな笑みをもって綾のことを見つめる。
否定、しなくては。
その瞳を前にして真っ白になった頭の中で、綾は必死にそれだけを思う。
今の言葉をリコリスの人間に聞かれていたら大変なことになる。綾は監視官であって、決して二人に入れ込んではいけないということになっているのだから。本心で二人を慕っていても、公の場では冷酷に刃を振り下ろす掃除人でいなければならないのだから。
それができなければ、二人はその場で殺されてしまう。
いつどこで誰がリコリスとして動いているのかは分からない。綾が『子供』という形で常に二人に張り付いているから二人の自由と命は保証されている。つまり綾に『役目』を遂行する能力がなければ、二人の自由と命は保証されない。
否定しなくては。
いつどこで誰に聞かれているのか分からないのだから。
「何を、言ってるの……」
でも、言いたくない。
理性は納得しても、心が悲鳴を上げる。唇が震えて、言葉が出ない。
「私は……あなたのことなんて……」
大好き、だから。
「いいの。言わないで」
そっと、義母の人差し指が綾の唇に乗せられていた。
どこにそんな体力が残っていたのか、義母はいつの間にかベッドに身を起して綾の方に乗り出してきている。義母の娘になってからずっと低かった義母の目線が、初めて綾と同じ高さに並んだ。
「言ったでしょう? もう、これ以上はどんな小さなことだって望まないって」
初めて間近で見る義母の瞳は、わずかに緑がかっていた。まるで深い森の色のようだと綾は思う。
「綾ちゃんの立場は、文也さんに聞いて知っているわ。だからね、お母さんが……、私が、あなたに思っているだけのことを、返してもらえなくてもいいの。口に出してくれなくて、いいの。……だから、もしそれが私の勘違いなのだとしても、勘違いしたままにしておいて。そう錯覚できるだけで、私は綾ちゃんに幸せにしてもらっているのよ。その錯覚さえもがすでに我が儘なのだということは、分かっているのだけれど」
義母はやわらかく、でもどこか悲しげに笑った。
「私ね、ずっと娘が欲しかったの。でも、私の体では、絶対に文也さんとの間に子供はできないって分かっていた。だからね、綾ちゃんが私達の子供として来てくれた時、とっても嬉しかったのよ」
その言葉に綾はこれ以上ないほど目を見開いた。
「たとえそれが私達を監視するためなのだとしても、ここにいるだけでこんなにも可愛らしい娘が私を見舞いに来てくれる。……お母さんって、呼んでくれる」
――ずっと、不思議だったのでしょう?
義母は、幼子のように澄んだ瞳で綾を見上げた。
「私達があなたに憎しみをぶつけない訳が。……だって、憎めなかったんだもの。私も、文也さんも。私は、娘ができて嬉しかった。文也さんはあなたに同情していた。こんな小さな子が掃除人にさせられるなんてって」
これ以上、何も望まないと決めていた。
一番欲しかった文也を、自分は手に入れた。だから、他はいらないのだと。
だというのに、それ以上に自分の望みはかなえられた。白い小さな監獄で、自分は絶対に手に入れられないと思っていた望みを叶えることができた。
天は自分を、どれだけ我が儘にしたら気が済むのだろうと、あの時確かに思ったのだ。
「あぁ……私は、幸せね」
するりと、義母の細い腕が綾の肩に回る。
そのまま抱き寄せられて、綾は義母の腕の中に納まった。義母の体温は綾よりずっと低いのに、その腕の中はとても温かい。
――どうしてこんなタイミングでそんなことを言って、どうしてこんなタイミングでこんなことをするの……
唐突に視界が歪んだ。見開いたままだった瞳からぽろぽろと雫がこぼれ落ちていく。
問いの答えは、もう分かっていた。
相方は、何も教えてくれない。上官も、義父も、医師も。
義母自身も、周囲には何も聞かされてはいないはずだ。人質に自身の未来を伝える義務など、リコリスにはないのだから。義父は義母を気遣って、何も言えないに違いない。
それでも、分かってしまうことがある。明確な数値や情報がなくても、自分の感覚と勘で、読めてしまう未来が、確かにある。
義母はもちろん、綾にだって。
「だからね、信じているの。愚かだと嘲笑われても、それも我が儘ではないかと罵られてもいい。それでも、言わせてちょうだい。……初めからあなたのことを疑ったことなんて一度もないのよ、綾ちゃん。あなたは、私の最期の我が儘を叶えてくれた、私の大切な娘だもの」
たとえ最期の瞬間に目に映るものが、自分に引き金を引く綾の姿だったとしても、母として、自分の娘を愛する気持ちは変わらない。我が儘を叶えてくれたという事実は消えない。
「だから、自分が傷つくようなことをわざと言ったりしないで。……ね?」
私の人生は、とても幸せで満ち足りたものだったのだから。
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