Ⅷ.


 なるべく人の多い所にいろ。絶対に一人になるな。俺が迎えに行くまで絶対に。


 それが登校中に久那が口にした注意だった。


 久那によると、授業中は絶対に安全であるらしい。相手が仕掛けてくるならば、休み時間か放課後。だから絶対に友人と行動すること。人目があればあるほど相手は動きづらくなるから、というのが久那の言葉だった。


「沙希、あたし達、部活行くけどどうする? 長谷君、今日迎えに来るの?」

「あ。私も部活、ついていってもいい?」

「いいけど、今日は大会のミーティングがあるから終わるの遅いよ? 沙希っていつも長谷君と帰ってるんでしょ? 待たせちゃったら悪くない?」

「終わるのって何時?」

「うーん、八時くらい? 終わる頃にはもう周り真っ暗なのは確実」


 幸いなことに沙希の友人は多く、久那の注意を守ることはそんなに難しいことではなかった。いまも吹奏楽部の練習に行こうとしている友人四人に囲まれている。久那が迎えに来るまでの暇つぶしを兼ねて練習を見学しに行くことが多い沙希にとって、日暮までの時間を友人に囲まれて過ごすことは特に珍しいことではない。


「久那くんにはメールしとく。だから、私も行っていい?」

「もっちろん!」

「新曲を聞かせてあげるよ!」

「本当に? 嬉しい!!」


 沙希はいつものようにはしゃいだ声を上げると席を立った。その瞬間、まるでそれを見計らったかのように机の上に置いた沙希の端末が震える。


 表示を見ると、着信だった。名前は、長谷久那。


 その名前に、ドクンッと心臓が騒ぐのが分かった。


 死期が近いせいか、最近の沙希の未来視は安定していない。三日前に自分の死を視た時から、自分が今いつの光景を視ているのか分かり辛くなっていた。今この瞬間の光景も視たことがあるような気がするし、ないような気もする。


 そもそも沙希の未来視は久那が思っているほど万能ではない。確かに沙希が未来を視る頻度は高いが、全ての未来を視知っているわけではないのだ。


「ごめん……ちょっと、電話」


 沙希は友人に断ると、端末を掴んで教室の隅に移動した。


「もしかして、ダーリンからのお電話?」

「ヒューヒュー!」


 友人の冷やかしに苦笑で答えてから、窓辺に体を向け、通話ボタンを押す。苦笑は、端末が耳に触れた瞬間に消えた。


「……久那くん?」

『長谷久那は預かった』


 端末のスピーカーからこぼれてきた声は、久那のものではなかった。


「遠宮先輩、久那くんは、無事ですよね?」

『掃除人は、指令が下された人間しか殺せない。だが、その他の殺しも、それを避ける道がなかったと判断されれば、黙殺される』


 沙希の声は、震えなかった。久那はよく『自分の声は機械音声だから』と冗談のように口にするが、おそらく今の沙希の声は、そんな久那の声よりも機械音声に近いと思う。


『今、この国で一番軽いものはなんだと思う? 赤谷沙希』

「脅さなくても、私が死ぬ未来は変わりませんよ」

『長谷家筆頭でも、そこに大差はないと思え』


 すれ違いの会話は、一方的に途切れた。場所は指定しなくても、視て知っていると判断されたのだろう。具体的な指示は一切なかった。


 沙希は端末から耳を離すと、目の前の窓から外を眺めた。いくつも伸びるビルが、沙希の視界をさえぎるかのように乱立している。


「沙希ぃ~、何だった? 誰だった?」


 友人の声に振り返ると、沙希はいつものように無邪気な笑みを貼りつけた。


「久那くんからだった。今日の委員会、なくなったんだって。玄関まで来てほしいっていう電話だった」

「え~、じゃあ、部活見学には来ないの?」

「残念だわ」

「ごめんね。また今度、誘って?」

「しゃあないなぁ」

「いつでも来ていいんだからね?」


 沙希は鞄を掴んで友人達に手を振ると、教室を後にした。階段は下りずに、適当な空き教室に入る。


 鞄の中には、教科書に紛れて見慣れないファイルが入っている。沙希からの言葉を元に沙希の死地を予測した久那が、それらしい物件の情報をプリントアウトして渡してくれた物だ。


 日付が変わるまでは絶対にこの周囲には近付くな、という言葉とともに渡されたそれを、沙希は丁寧にめくっていく。


 特に注意して見るのは、周辺地図と外観写真。説明文は最初から読まない。


「……あった」


 沙希が視たビルは、最後のページに印刷されていた。


 空に向かって伸びる、スパイラルビル。建物の隣にはこの地方で一番名が知れた大河が流れている。


「……ごめんね、久那くん」


 久那はこんな風に自分の情報を使われるとは夢にも思っていなかっただろう。万が一久那が人質に取られた時も、絶対に応じるな、掃除人は必要以上の殺しをしないのだから、と言い含められている。


「でも私、久那くんを放って一人で逃げることなんて、……できないよ」


 沙希はそのページを引き抜き、丁寧に折り畳んで胸ポケットに入れると、教室を後にした。


 初秋の日差しは、まだ暮れない。





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