Ⅶ.
「長谷久那くんに会いたいんだけど、このクラスだったかな?」
敵が動いたのは久那の予測通り、朝のショートホームルームの後だった。
「いちいち白々しいんじゃないですか? 鈴見先輩。俺がここにいることは、当然知らされていたんでしょう?」
見知らぬ女子生徒の襲来に、クラスメイトが一瞬ざわつく。だが久那がそんなクラスを一瞥すると、ざわめきはすぐに納まった。ひそひそと何事かを言いかわす声は消えないが、何を言われていようとも今は気にするだけの余裕がない。
「ここじゃ目立つから、ちょっと外に出ようか?」
「その誘いに、俺が乗るとでも?」
掃除人は、人目がある所では仕事をしない。
あの二人は、ここへは本当にたまたま通っているだけだと言っていた。その言葉を鵜呑みにするわけではないが、頭から否定するだけの証拠もない。だが仮に二人の言葉を真実だとするのであれば、彼らはここではごくごく一般的な生徒として振る舞っているということになる。つまり学校側は二人が掃除人であることを把握していないということだ。学校側に掛け合って事実を隠蔽するという手段が取れない以上、二人は学校関係者の視線にさらされている間は久那達に手を出せない。
だから久那と沙希は、今日もあえていつも通りに学校に来ている。久那の推測が正しければ、授業に出ている間は少なくとも安全であるはずだ。
もちろん、向こう側がそんな状況にいつまでも足踏みしていてくれるとは思っていなかったが。
「そんなに警戒することかな? ここには私一人しか来ていない。私一人に、君がどうこうできるとでも?」
「挑発にも乗りませんよ。……あなたの経歴は、調べさせてもらいました。あなただって一般人の俺から見れば十分脅威です。自殺行為は、したくありません」
「調べたとか、随分軽く言ってくれるんだね」
鈴見綾は、久那の言葉に苦笑した。教室の中から見たら、とてもじゃないが生死の駆け引きに繋がる話をしているようには思えないだろう。
「それに、一般人? 情報屋一族、長谷の筆頭に名を連ねる君が?」
「掃除人であるあなたには、言われたくありません」
久那はすげなく言い放つと、会話はこれで打ち切りとばかりに教室の中へ身を翻した。もうそろそろ一限の授業が始まる。タイムリミットだ。
目立つ行為を避けなければならない以上、鈴見綾も一度はこの場から離れる。とりあえず次の休み時間まで安全を確保することができるはずだ。
「ねぇ、長谷久那くん」
チャイムが鳴り、廊下の角から教師が姿を現す。その中にそっと忍び込ませるように、鈴見綾は囁いた。
「もしかして、私が君を殺すためにここへ来たとでも思っているの?」
振り返るよりも、鈴見綾が久那の手首を取る方が早かった。
その瞬間、バツンッと全身に、文字通り電撃が走る。
「っぁっ!?」
「大丈夫っ!? 久那くんっ!!」
久那の体が言うことを利かずにくず折れる。鈴見綾が白々しく悲鳴を上げた。その瞬間、謀ったかのように教師が戸口をくぐって教室に足を踏み入れ、倒れ込んだ久那とその傍らに膝をつく鈴見綾を見て目を瞠る。
「おい、どうした長谷っ!?」
「朝から気分がすぐれなかったみたいで心配していたんですけれど……。無理して、倒れちゃったみたいで……。私、今から保健室に連れて行きますっ!!」
「君は? このクラスの生徒じゃないよな?」
「私、三年二組の鈴見です。久那くんとはイトコで家も近所なんです。久那くんのお母さんから気をつけておいてほしいと連絡をもらって、とりあえず今、様子を見に来たんですけれど……」
鈴見綾はすらすらと嘘を並べたてると、久那の片腕を肩に上げて引っ張り上げるように立ち上がる。鈴見綾の体付きは華奢なのに、男子高校生として平均的な体付きである久那の体は信じられないくらい軽々しく持ち上がった。掃除人として武器を振るうために鍛えてあるのかもしれない。
「そ……そうなのか。じゃあ、とりあえず、よろしく頼む」
だがそんな事情を先生は知らない。傍から見れば、久那は鈴見綾に支えられながら自力で立っているように見えるのだろう。イトコ云々のくだりも、今ここで確認できることではない。そもそもこの場面でそんな嘘をつく理由を思いつかないはずだ。
「はい! 任せてください!!」
鈴見綾は二コリと笑顔を見せると、教室を後にした。体がまだビクビクと痙攣している久那に抵抗する手段はない。
「掃除人は指令が下された人間しか殺せない。無秩序に殺せば大義名分が立たなくなるから」
知らなかったの? 長谷家の筆頭さん、と鈴見綾は涼やかに笑う。久那の腕を取った鈴見綾の手の袖元には、チラリとスタンガンの先端が覗いていた。
「私は過去にスタンガンを使ったことなんてない。だからあなたは、こんなことをされるなんて読めなかった。他の掃除人も、スタンガンなんていうまどろっこしい物は使わないし」
久那は過去から未来を見る。不測の事態を予測するために幅広いデータを集めるように心掛けてはいるが、今回は相手の方が一枚上手だったようだ。
久那は調べがつくだけ他の掃除人の武器と攻撃パターンも調べたが、確かにスタンガンの使用事例はなかった。だからこんな風に、生かさず殺さず攻撃されるとは予測していなかった。
「ま、さっきの脚本も今の説明も、全部たっちゃんの受け売りなんだけどね」
保健室に行くには階段を下りなくてはいけない。保健室に行く気など毛頭ないはずなのに、鈴見綾は階段へ向かって廊下を折れた。一限目が始まった今、階段を使おうとする人間は一人もいない。
「学年首席の頭脳って、本当に侮れないよね。ね? たっちゃん」
授業中にだけ存在するエアポケット。そこに立っていたのは、あの面倒臭がり屋な掃除人だった。
「交代だ、綾。ご苦労さん」
肩に二人分の鞄をかけた遠宮龍樹は、背を預けていた壁から一歩踏み出しながらヒラリと鈴見綾に手を振る。
「大根役者なお前がやって上手くいくかと心配していたんだが。何とかなったみたいだな」
「だったらたっちゃんが出向けば良かったのに」
「俺が行ったら、こいつは戸口にさえ出てこないぞ」
「たっちゃんがそう言うならそうなんだろうけどさぁ」
「まぁ、先読みは長谷の専売特許じゃないってことだ」
鈴見綾の前に立った遠宮龍樹が優雅に久那の方へ手を伸ばし、その傍らにある鈴見綾の袖口からスルリとスタンガンを抜き取る。
「残念だったな、『未来を見る少年』」
再び走った衝撃とともに、久那の意識は完全に落ちた。
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