Ⅴ.
「……随分と感動的な場面に水を差して恐縮だが……」
だがそんな気持ちは、次の瞬間氷水を浴びせかけられたかのように消えてしまった。
久那の胸にどこからともなく忍び込んでいた温かさが霧散する。沙希が体を強張らせながらも、声の方を振り返った。
「俺達も、仕事だからな」
「もうちょっと待っても良かったと思うけど……」
「残業代なんて支給されないだろうが」
恐怖に体が強張るなどという、常人らしい反応はできなかった。恐らく声の方へ向けられた顔には、一切何の表情も表れていなかっただろう。
「俺達、掃除人には」
久那達が下りてきた階段を反対方向から上って現れたのは、沙希の未来視に姿を現した二人の掃除人だった。二人とも今までごく普通の生徒として授業を受けていたのだろう。掃除人が纏う漆黒の仕事服ではなく、久那達と同じ制服を纏っている。
「……わざわざ、沙希を殺すために年単位で潜入捜査をしていたんですか? 遠宮先輩」
名乗る前に名前を言い当てられたというのに、遠宮龍樹の顔に動揺はなかった。無表情に近い面倒臭そうな顔で久那と沙希を眺め、表情より雄弁に『面倒だ』と告げる声で久那の問いに答える。
「たまたまだ。そこまで手の込んだことをするほど、
「たまたま、掃除人がこの学校に二人もいたと言うんですか?」
久那は確認するように、遠宮龍樹の背後に立つ鈴見
遠宮龍樹が唯一傍にいることを許す、かつて同じ家で生活していた幼馴染。
遠宮龍樹がいつから掃除人をしているのかは分からないが、鈴見綾がリコリスに所属している所から察するに、もしかしたら遠宮龍樹が鈴見綾の実父の所に養子に入った経緯には、その辺りのことが関係しているのかもしれない。
通りで常人とはかけ離れた遠宮龍樹が鈴見綾の存在を許しているはずだ。掃除人で相方関係にあるのだから、遠ざける理由がない。
「そうだよ。私達がここにいたのは、本当にたまたま。私なんて指令が来るまで、あなた達の顔も名前も知らなかったんだから」
栗色の髪をツインテールにして長く垂らした鈴見綾は、ごく普通の女子高生のように久那に微笑みかけた。
だがその手には、しっかりと拳銃が握られている。
そもそも掃除人が高校生などという年若いケースは珍しいはずなのだが、鈴見綾も遠宮龍樹も妙に場慣れした雰囲気を醸し出している。
「重要人物でないのであれば、片付け者リストの最後に回しておいてもらっても結構なんですけど」
恐らく二人とも掃除人になってから相当な場数を踏んでいる。自分と同年代でも、新人ではない。
そのことを心に留めながら、久那は慎重に言葉を繰る。この場で殺されるつもりなど毛頭ない。
「重要人物ではないが、ほっとくと面倒だって話らしい」
「わ……私、リコリスの邪魔なんて、しません」
久那を庇うように前に出た沙希が、震える声を張り上げて遠宮龍樹を睨みつける。自分が死ぬ未来に諦めの姿勢を見せていても、今ここで殺されるつもりは沙希にもないらしい。
遠宮龍樹は、沙希の声を受けて初めて、沙希の方へ視線を投げた。沙希を殺すために現れたはずなのに、遠宮龍樹は『お前、いたのか?』とでも言い出しそうな目で沙希を見ている。
「私の未来視は、私に関することしか視えません。先輩達が危惧するようなことなんて何も……」
「悪いが、ここで何を言われても困る」
態度はどこまでも投げやりなのに、沙希の言葉を撥ね退ける声はどこまでも冷酷だった。
「俺達は上の決定に従って動くしかない、一掃除人にすぎない。だから、俺に何を言われても困る」
「そうでしょうか?」
だが沙希がそれに怯むことはない。
「私に、視えていないとでも?」
沙希は、この未来を視知っているのだから。
沙希の言葉に、ほんの一瞬だが遠宮龍樹の瞳が揺れる。それを見逃す久那ではない。沙希が意味もなくカマをかけるはずがないと知っていた久那は、沙希の手を取ると廊下の奥へ身を翻した。
「綾っ!!」
遠宮龍樹の叫びを引き裂くように銃声が轟くが、弾丸は久那達には当たらない。久那の隣を走る沙希が久那を誘導しているおかげだ。
「この奥は突き当たりだ。落ち着いて狙え。お前なら一発で仕留めれる!」
遠宮龍樹の言葉に嘘はない。ここは校舎の四階で、この奥は突き当たりだ。窓から飛ぶ以外に逃げ道はないが、窓から飛べば命はない。奇跡を願うには高さがありすぎる。
「久那くん」
だから、久那は奇跡を願わない。
だが、命を諦めるつもりはもっとない。
沙希の声にわずかに顎を引いて答えた久那は、突き当たりの窓の前に設置された大きな白い箱に手をかけた。その間に沙希が窓に飛びついて大きくガラス窓を開く。
「……っ、たっちゃんっ!!」
鈴見綾が遠宮龍樹の名を叫んだ時、すでに久那と沙希は窓から外に向かって身を躍らせていた。緊急避難用の簡易滑り台の中を通り抜け、いささか乱暴にグランドに着地する。白い布から這い出すと、下校途中だった生徒達がポカンと足を止めて久那達を見つめていた。
「沙希」
「うん、大丈夫」
久那は沙希の手を取ると、真っ直ぐに校門へ向かって走り出す。途中で一度校舎の方を振り返ると、四階の窓から鈴見綾が身を乗り出して拳銃を構えているのが見えた。だが隣に並んだ遠宮龍樹がすぐにその拳銃を下げさせる。
この距離を小さな拳銃で埋めることはできないし、そもそも掃除人は表だって行動することができない。掃除人は任務で人を殺しても法で裁かれることはないが、その任務は極秘裏に遂行されなければならないという暗黙の了解があるらしい。それを知っていたから、久那は遮蔽物のないグランドを真っ直ぐに駆け抜けるというルートを選択したのだ。
掃除人二人を残して校舎は茜色に染まっていく。
それは同時に沙希が殺される未来がやってくるまでに、あと二十四時間しかないことを久那達に突きつけていた。
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