Ⅳ.


 沙希が視た未来は、変わらない。


 今までずっと、そうだった。


「な……ん、で……」


 それしか言うことができなかった。


「何で、沙希が、掃除人に……」


 リコリスの掃除人。


 それが何者なのかは、今やこの国の人間ならば幼い子供までもが知っている。


 国家人口管理局『リコリス』。掃除人とは、国家機関の名の下に集められた、対人間処分のスペシャリスト。つまり、国家の名を背負った殺し屋だ。


 先の少子高齢化時代に取られた政策の反動で、今やこの国は養いきれる以上の国民を抱えている。その国民の中からより優良な人間を優先して生かし、より不良な人間を消し去るために作られたのが国家人口管理局、通称『リコリス』だ。


 かつて世界一治安の良い国だと言われたこの国は、今や世界で一番生きていくのが難しい国となった。


 ここで生きていくには、明確な存在理由が必要とされる。社会に大義名分の立つ、誰もが認める存在理由が。


 存在理由がない者、存在理由が世間一般に通用しない者、誰にも必要とされなくなった者は、容赦なく片付けられていく。まるでいらなくなったゴミを片付けていくかのように。


 それだけ斬り捨てていかなければ、今この国は回っていかない。だから世間の人々は、掃除人という存在に対して見て見ないフリをする。自分が生きていくためにはそのシステムが必要なのだと、頭のどこかでは理解しているから。


 だから公然の秘密とされるリコリスを、誰もが声に出しては弾劾しない。声に出した瞬間、掃除人に片付けられるという現実もそこにはあるのだろうが。


 だがそれを理解していても、沙希が片付けられる理由が分からない。久那の情報と情報処理回路を以ってしてでも。


「私の未来視が、リコリスには邪魔みたい」


 自分の死について語っているはずなのに、沙希の声は奇妙なほどに凪いでいた。


 昔から、ずっとそうだ。


 沙希はどんな未来を告げる時も、そこに感情を混ぜたりしない。


「明日の夕方、私は殺される。ビルから突き落とされた上で、頭に銃弾を受けて死ぬの」

「……そのイメージが、視えるのか?」


 久那の言葉に沙希は小さく頭を横に振った。


「私の未来視は、私の視点でしか未来を視ることができない。私に関わる未来しか私には視えない。……だから私は、私が死ぬと分かったの」


 フェンスに頭を押し付けたまま、沙希は首を横へ振り続ける。まるで駄々をこねる幼子のようだ。サラリと風に揺れていた髪が次第にフェンスに囚われていく。


「今の私には、明日の夕方以降の未来が視えない。私に視えるのは、遠ざかっていくビルの屋上と、そこから放たれる弾丸だけ。その後は、ブラックアウトしたテレビを前にしているみたいに、何も視えない」


 沙希の未来視は、大体一週間先まで未来を視ることができる。できる、というよりも、意識する、しないとに関わらず、勝手に視えてしまうものらしい。そこに音が加わるか否かはその時々によるという話だが、視えなくなったということは久那が把握している内では一度もない。


 だから沙希は、銃弾が着弾する自分が視えなくても分かったのだろう。


 未来が視えないということは、未来の自分がそこにいないということ。


 つまり、未来が視えなくなった時点で、自分は死ぬのだろうと。


「……それで、どうしてそれが俺を遠ざける理由になるんだ?」

「最後の景色の中に、久那くんもいたの。落ちていく視界の中で、ずっと私の傍にいた」


 沙希の未来視は、外れない。外れるはずがない。沙希の未来視は、本物だから。


 だというのに久那の声には動揺の欠片もなかった。おそらく瞳が揺れることさえなかっただろう。


 幼馴染で本物の未来予知能力者が、久那の死を予言したというのに。


「私と一緒に、久那くんは落ちていた」


 沙希の首の動きが、ゆっくりと止まる。


「私と一緒に、死のうとしていた」


 その代わりに、声が揺れた。


 未来を告げる沙希の声が、初めて感情を映した。


「私は、久那くんを、殺したくない」


 久那が瞳を揺らさない代わりに、沙希の瞳が震えている。未来を告げる沙希はいつも黒曜石をはめ込んだような感情のない瞳をしていたのに、今の沙希の瞳にははっきりと恐怖が浮き出ていた。その瞳に映る久那は、睫の一本さえ震わせていないというのに。


「だから、久那くんを私から引き離したかった。久那くんが死ぬという現実を、変えたかったから」


 その久那が、ゆっくりと瞼を閉じていく。


 久那の視界から、恐怖に震える沙希の姿も、沙希の瞳に映る人形のような自分も消えていく。


「たとえ私が死ぬという未来が変えられなくても、久那くんは……」


 だが姿が消えても、胸にわだかまった不愉快な感情は消えなかった。


 ガシャンッと、唐突に響いた金属音が沙希の声をかき消す。


「諦めないって言ったのは、沙希の方だろう?」


 瞼を押し上げると、沙希が恐怖に身をすくませていた。


 沙希の顔の横に視線を向けると、沙希が背を預けたフェンスがわずかに形を変えていた。その中心には、久那の手がある。久那が手を引き抜くと、フェンスは元の姿に戻ろうとわずかに身を軋ませた。だがどれだけ元に戻ろうとしても、完璧な姿にはもう二度と戻らないだろう。


「なのに、どうして今は諦めてるんだ? 冷めた顔をさらす俺の前で、未来は変えられるっていつも孤軍奮闘していたのは、沙希の方だったじゃないか」


 久那は鋭く沙希を見据えたまま左手を引き戻す。再び軋みを上げたフェンスに沙希がさらに体を強張らせた。


「俺は、そんな未来、認めない。沙希を殺させなんかしない」


 そんな沙希の体を久那は無理矢理引き寄せる。とっさのことに抵抗できなかった沙希は、足を縺れさせながらも一歩久那の方へ踏み出した。それを確認した久那は沙希を引きずるようにして歩きだす。


「俺の未来視で否定してやる」

「未来は、変えられないよ……っ!!」


 自分から引き離そうとした久那が、自分の傍にいる。さらにこれから何をしようとしているのか気付いた沙希は、校舎の中に引きずり込まれながらようやく反論を口にした。


「私が視る未来は変わらないの……っ!! 久那くんだっていつも見てきたから知っているでしょっ!? だからもう離してっ!! 放っておいてっ!! 明日の夕方になったら、これどころの怪我じゃ済まないんだよっ!?」

「未来が変わらないなら、俺が沙希と一緒に落ちていく未来だって変わらない。変わらないなら、一緒にいてもいなくても同じだ。そうだろ?」

「私から久那くんが離れたら変わるかもしれないものっ!!」

「沙希、さっきから自分が矛盾したことばかり口にしているっていう自覚、あるか?」

「そんなの……っ!!」

「諦めろ」


 暴れる沙希を抱えて何とか一階分階段を下りた久那は、廊下の壁に背を預けながら沙希の体を解放した。捕まえていた腕を離しても、沙希は久那を睨みつけたまま逃げようとはしない。


 自分からは『近付くな』と言うくせに、自分から積極的に逃げようとはしない。この矛盾に、沙希自身は気付いているのだろうか。


「俺は、沙希の死ごと未来を変えることを諦めない。だから沙希、俺から離れることを諦めろ」


 久那は沙希の瞳を真っ直ぐに見据えた。どんな時でも久那の視線から逃げなかった沙希が、初めてひるんだように視線をそらす。


「それとも沙希は、俺から離れたいのか?」


 そして続く言葉には、細い肩が震える。


「これを契機に、潔く、綺麗な形で俺から離れていきたいのか? 心の底では俺のことを疎ましく……」

「そんなこと、あるはずないじゃないっ!!」


 だがその震えは長くは続かなかった。


 震えが弾けたかのように沙希が勢いよく顔を上げる。再び久那の視線の前にさらされた瞳は怒りに燃えていた。


「私がどんな思いであの電話をしたと思ってるのっ!? 私がどれだけ、自分勝手な願いで苦しんだと思ってるのっ!? あのまま電話をしないで、ただ明日の夕方を待つこともできたっ!! 久那くんと人生の最期の瞬間を一緒にできるなら悪くないって……っ!! でも、でも……っ、私には、久那くんはとっても大切な人だから……っ!!」


 沙希は久那がさっきの言葉を口にする所を視ていなかったのだろうか。視て知っていたのであれば、ここまで感情的になることもないだろうに。


「でもっ、久那くんには、生きていてもらいたかったから……っ!! 大切だからこそ、生きていて欲しかったからっ、だから……っ!!」


 そんなことを思いながら、久那は沙希へ手を伸ばす。


 ここでぼんやりしている暇なんてないはずなのに、なぜか今は、沙希の言葉に耳を澄ませていたかった。沙希の言葉の先を読むことができるはずなのに、妙に頭がぼんやりしていて思考が上手く回らない。


 今だけは、自分で未来を読まずに、沙希の言葉を聞いていたい。


 なぜか久那は、場違いにもそんなことを思っていた。


「嫌いなわけないじゃない。離れたいわけなんて……。私は、久那くんのことが……」






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