水底に沈めた華

Ⅰ.


 忘れられない、思い出がある。


 そう、あれは俺がまだ幼稚園に通っていた頃のこと。


「ねえ」


 今と変わらない、サラリと揺れる長い黒髪。大きくて、相手の全てを呑み込んでしまいそうな瞳。


 いつの間にか俺の背後に立っていたのは、俺と同じ年頃の少女だった。


「このあたりに、どうぶつのおいしゃさんがいないか、しらない?」


 少女の両手には、今にも死んでしまいそうな小鳥が乗せられていた。大きな獣にでも襲われたのだろう。美しい羽根が飛び散り、血がにじんでいる。だが少女はそれに怯むことなく、小鳥を優しくそのたなごころに乗せていた。


「……見つけても、意味がない」


 俺の言葉に少女は大きな瞳をわずかに震えさせた。その瞳の中に、当時すでに表情をなくしていた俺の冷たい顔が浮かんでいたのを覚えている。


「その小鳥は、五分以内に死ぬ。もう手の施しようがない」


 誰もが見て分かる事実。だが俺がその言葉を口にすると重みが違った。


先見さきみの子』『禍罪まがつみの子』『鬼子』


 誰が最初に言ったのかは知らないが、全部当時の俺のあだ名だ。おそらく親の誰かがそう言っていたのだろう。幼稚園児が思いつくにはいささか難しすぎる言葉ばかりだ。


 俺が告げる未来は、全て現実になる。まるで未来が見えているかのように、将来のことを当然起きることとして口にする。そしてその言葉は決して外れない。


 未来を見る幼子。


 そう恐れられ、敬われ、子供と言わずその親にまで、俺は顔と名前を知られていた。当然、周囲の子供達が近付いてくるはずもない。恐れが強すぎたのか虐められることはなかったが、こんな風に声をかけられることはとても珍しかった。


 もしかしたらこの少女は自分のことを知らないのだろうか、とも思った。


 だから俺は少女の方へ向き直るともう一度口を開いた。


「俺が何って呼ばれているのか、知っているだろ? ……諦めろ」


 そしてそのまま、少女の横を通り過ぎる。


「……あきらめないよ」


 だがその足は、妙に凪いだ声に引きとめられた。


 振り返ると少女は、声と同じくらい凪いだ顔で俺のことを見つめていた。


「たしかに、このことりさんは、あと三分二十七秒後にしんでしまう。でも、わたしは、あきらめない」

「……お前、もしかして、本当に俺のこと知らないのか?」


 少女は俺の言葉にフルフルと首を横へ振った。


 癖のない、新月の夜空のような色の髪がサラサラと音を立てる。


「ひさなくん。しってるよ。わたしとおんなじってこと。でも……」


 静かな瞳に静かに意志を宿らせて、その少女は静かに言葉を紡ぐ。


「わたしがあきらめずにがんばったら、みらいはかわるかもしれないもの」


 人の命が空気よりも軽く扱われるこの時代の中で、彼女は小さな小鳥のために未来を変えることを諦めないと言い放った。


 今から思えば、少女の方が俺よりよほど子供らしくなかった。


 あの静けさも、意志の強さも、言葉そのものも。


「だからわたしは、あきらめない」


 実際に、少女はあの年で子供であることをやめていた。


 思い返せば無邪気なように見えて、無邪気な所なんてひと欠片もなかったような気がする。少女は出会った時から、今とまったく変わらなかった。



 未来は変えられないと思っていた、不完全な未来を見る偽物の未来視少年。


 その少年の根底をひっくり返した、完全な未来を視る本物の未来視少女。


 だから俺は、忘れない。たとえ彼女がこの出会いを忘れてしまっても。


 あの時叩き付けられた言葉が、俺の全てを支えているのだから。






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