2.


 白と黒の幕が張り巡らされた中に、隠しても隠しきれない囁きが充満してく。


「息子さん、掃除人に片付けられたんじゃないかね……」

「シッ! 滅多なことを言うんじゃないよっ!!」

「だって殺人犯だったって話じゃないか。このタイミングで葬式なんて、きっと片付けられたに違いないよ!」

「親父さん、最後まで葬式挙げるのを拒否していたみたいよ。その理由って……」

「でも、あれは新しい犯人が捕まったって話じゃなかったっけ?」

「どちらにせよ、怪しいから捕まって、黒に近かったから片付けられたんだろ? そうじゃなけりゃ掃除人が動くもんか……」

「彼岸花が舞ったのかねぇ……」

「あぁ、掃除人が片付けた死体の傍らに残していくっていうアレかい?」

「恐ろしいねぇ……」


 その言葉に慶二けいじは膝に乗せた手を強く握り込んだ。


 息子は、どうしようもない馬鹿だった。


 妻を早くに亡くした慶二は男手ひとつで必死に息子を育てたが、息子がその苦労を分かっていたかどうかなんて分からない。苦労して行かせた高校で暴力沙汰を起こして退学処分、結局最終学歴は中学卒業のまま日雇いの土方として働き続け、最近になってようやくまともな会社勤めを始めた。そこでも日々トラブルを起こしていたという。果てはこのザマだ。連続殺人犯として掃除人に片付けられ、葬儀の席でさえ出席者に後ろ指を指されている。


 そう、息子は、掃除人に片付けられたのだ。


 周囲の人間はあくまで憶測で語っているが、死体の確認をした慶二は遺留品の中に真っ赤な彼岸花があったことを知っている。


 その花を指して、立ち合った刑事は言っていた。


『リコリスが関与している以上、自分達はこの事件を捜査することは許されません。これは介入無用の証として、掃除人が片付け者の傍らに残していく物品です。息子さんは、亡くなった。ただその事実のみを御承知下さい』


 そう告げて去っていった刑事は、お悔やみ申し上げますという一言さえ残していかなかった。


「このっ……馬鹿息子が……っ!!」


 ギリッと奥歯が鳴る。早く葬儀を終わらせて、さっさと出棺させてしまいたい。そうすればこれ以上、こんな空気にさらされなくて済むというのに。


「え、なに……?」

「何なんだい、なんか騒がしい……」


 不意に、周囲を取り巻いていた囁きの種類が変わった。


 それと同時に会場の入口が荒々しく開かれ、スタッフの戸惑いの声とともに新たな人物が中へ踏み込んでくる。


 慶二は奥歯を噛みしめたまま顔だけを振り返らせて入口を見る。だがその険しい表情は乱入者の姿を見留めた瞬間スッと消えていった。


 乱入してきたのは一組の男女だった。歳は恐らく二十歳を回っていないだろう。黒髪の男はハッと目が覚めるほど整った顔をしているのに、全身にまとわりつく気だるげな雰囲気と冷めた表情が周囲の全てと関わりあうことを拒否している。隣を歩くだけで息苦しいだろうに、付き従う女はそれに慣れているのか静かに栗色のツインテールを揺らしながら男の傍らに従っていた。陰気な空気が充満するこの空間の中で二人が纏う空気だけがキンと冷えている。


「……何の用だ」


 だが慶二の視線を引き付けたのは、男の整った顔でも、女の揺れる毛先でも、二人が纏う冷たい空気でもなかった。


「掃除人が、こんな所に何の用だ」


 礼服と呼ぶには重苦しく、喪服と呼ぶには豪奢な黒服。それだけでも二人の身分は知れるというのに、男のジャケットのボタンホールと女のツインテールの根元には御丁寧に真っ赤な彼岸花が飾られている。


「既に片付けられた人間の元まで押しかけて、今以上に私達を辱めるつもりか……っ!!」


 慶二の言葉に会場の空気がサワリと揺れる。


 普段、掃除人が人前に姿を現すことは滅多にない。彼らはいわば国の暗部。国家という大義名分を負ってはいても、結局やっていることは人殺しに他ならない。彼らは決して表に出てきてはいけない存在なのだ。


 そんな掃除人が、あえて葬儀の場に姿を見せている。


 慶二は椅子から立ち上がると掃除人達を睨みつけた。だが当人達はこの場の雰囲気を何とも思っていないのか、感情の宿らない雰囲気と表情のまま静かに慶二の前へ進み出る。


井原いはら慶二、井原智晴ともはるの最期の言葉がお前に宛てたものだった。ゆえにそれを伝えに来た」


 慶二と数歩の間合いを残して対峙した男は、纏う空気そのままの静けさで口を開いた。


「最期って……。なぜお前がそれを知っている? まさかお前が……っ!!」

「『ありがとう』、だそうだ」


 胸の内であふれ返った激情が口を突いて飛び出す。


 だがその全てが、男から発された言葉にかき消された。


「『苦労して育ててもらったのに、こんな最後で申し訳ない。でも』……」

「……言うな」

「『唯一親父だけが俺の無実を疑ってなかった。それがとても嬉しかった』」

「言うな……っ!!」

「『たくさんのものを与えてもらったのに、それを何一つ返すことができないまま死ぬことになって申し訳ない』」

「言うなっ!! 言うなと言って……っ!!」

「『ごめんなさい。ありがとう。さようなら』」

「……っ!!」


 息子は、どうしようもない馬鹿だった。


 誰に似たのかお人好しで、感情豊かで、直情的で。体も力も馬鹿みたいに強かったから、直情的な性格と相まってどうしようもない喧嘩野郎のように思われることもあった。でも喧嘩の理由を問えばいつだって理由は他人のためで。退学処分になった喧嘩も、父子家庭を馬鹿にされ、父親を嘲笑されたことが発端だった。


『義務教育を終えてまで親父に迷惑はかけらんねぇよ』なんて一丁前なことを言い張り、日雇いの仕事で働いて生活費を稼ぎながら、高等学校卒業程度認定試験をやっとの思いで合格し、最近になってようやく普通の会社に就職できたところだった。不器用さと直情のせいで周囲と揉めることも多くあったようだが、それでも本人は必死に働いていた。『仕事に慣れてなくて、親父のトコに顔出す暇が中々できねぇんだ。悪ぃ』なんて生意気なことを言うから、死ぬ気で働いてこいと発破をかけたこともあった。


 決して殺人なんて犯すような馬鹿じゃない。馬鹿息子の『馬鹿』は、そんな方向の馬鹿じゃない。


 報道で息子の名前が出た瞬間、慶二は取る物取らずにとにかく息子の元へ走った。警察相手にひたすら粘ってこぎつけた面会が、最後に息子に会った時だった。


『大丈夫だよ、親父。俺は何もやってないんだから。冤罪だってすぐに分かるさ』


 せっかく入った会社は、冤罪でもクビになるかもしれねぇけど……。大丈夫、またやり直せるさ。親父にはまた迷惑かけちまって悪ぃな。


 そう言って息子は笑っていた。昔から変わらない、屈託のない、お人好しな顔で。


「……何で、俺の息子が片付けられなきゃいけなかったんだ……」


 葬儀をしたくなかったのは、せめて静かに息子を送り出してやりたかったから。最初から最後まで棺桶の蓋を閉めっぱなしにしたのは、下衆な出席者達に息子の顔を見せたくなかったから。さっさと出棺させたかったのは、こんな空気の中に一分一秒たりとも長く息子を置いておきたくなかったから。


「こいつは何も悪くなかった。ごく普通に生きていただけなのに……っ!!」


 誰にも言えなかった、こんな感情。


 だって息子は世間的には冤罪といえども殺人犯で。その父が息子を擁護する言葉を吐けば、全ての謗りは息子に向く。


「返せよ……っ!! 息子を返せ……っ!!」


 そんな心の奥底に押し込んだ感情が、掃除人を前にして、もたらされた言葉を前にして、恥も醜聞もなく飛び出していた。


「俺のたった一人の息子を……っ!! たった一人の家族を返せ……っ!!」


 男の胸倉を掴もうとした手はスルリと気配なくかわされた。踏み留まれなかった慶二はそのまま床へ膝をつく。パタパタと己の目から涙が散っていることを自覚した瞬間、立ち上がる気力はなくなっていた。


「返せよぉ……っ!!」


 一度漏れ出た嗚咽を噛み殺すことはできなかった。ひたすら激情に任せて泣き叫びながら床を拳で叩く。誰かが名前を呼んで体に手を添えてくれたような気がしたが、慶二はその全てを振り払って泣いた。


 狂ったように響く慟哭は会場に凝っていた陰気なざわめきを切り裂いて消していく。


 会場が哀悼の意に染まった頃、片付けられた息子の最期の言葉を伝えに来た掃除人は忽然と姿を消していた。




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