Lycoris ー掃除人がいる風景ー
安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!
掃除人と彼岸花
1.
『事件に新たな動きです』
テレビからこぼれてきた声に
『○○区××で起きた連続殺人事件の新たな容疑者が浮上しました。新たな容疑者は本日、警察に身柄を確保されたということです。警察は捜査を進めるとともに……』
硬い表情でニュースを読み上げるキャスターの映像はすぐに連行される容疑者の映像に切り替えられた。容疑者の名前は報道されなかったが、恐らく次の時間帯に流れるニュースにはしっかりテロップで名前がさらされることだろう。日本のマスコミは、そういう点だけでは優秀だ。
「この事件……」
ひとしきり綾はニュースを見入る。だがニュースは残忍な犯行内容と真犯人確保の二点を強調した後、すぐにスポーツニュースに切り替わってしまった。そのことに綾は思わず眉をひそめる。
この事件はすでに一度犯人の逮捕が報道されている。一人目の時は逮捕の時点で大々的に顔も名前もさらされた。つまり一度犯人とされた人間は盛大に冤罪を押し付けられているのだ。そのことにニュースは一切触れなかった。冤罪を仕立て上げた一旦は、少なからず報道陣にあるというのに。
「……世間的に、冤罪を晴らす必要性がもうないからだろ」
思わずこぼれた言葉で綾の内心を正確にくみ取った
「何せあいつは、もう片付けられている」
その言葉に綾はキュッと眉間のシワを深めた。それに構わず龍樹はテレビに視線を戻す。
「やたらリストに載るのも執行されるのも早いとは思っていたが……。ハメられて売られたクチだな」
独白のような言葉に自分の予想を裏付けされてしまった綾は、努めて表情を排すと代わりに強く腕を組んだ。もうスポーツニュースさえ終わってしまったテレビを無表情を装って眺めたが、一度脳裏にフラッシュバックしてしまった赤色の光景はそんなことでは消えてくれない。
「……たっちゃんは………」
その光景をかき消したくて、彩は唇を開いた。
「悔いていないの? 間違った仕事をしたこと……」
「俺達がした仕事自体は間違っていない。命令通りに出向き、命令通りに片付けた。間違っていたのは俺達ではなくもっと上だ。……ただ」
龍樹は一度言葉を切るとテーブルの上に放り出されたリモコンを手に取った。プツリと音を立ててテレビが切られ、一瞬痛いほどの静寂が綾の耳を襲う。
「その『上』にとって、人の命なんてものは数字でしかない。減れば増やし、増えれば減らす。……そんなやつらにとって、これしきのことは『間違い』に入らねぇだろうな」
先の少子高齢化時代に取られた政策の反動で、今やこの国は養いきれる以上の国民を抱えている。政治的にも、物量的にもキャパシティーを越えたこの国はその窮屈さにあえぎ、政府は自分達の想像を超える現象にただただ驚くばかりで有効な施策を打ち出すことができなかった。
だから当時の政府は、こんな方針をあっさりと決定したのかもしれない。
――増えたならば、より優秀なモノを残して間引けばいいのだと。
犯罪者、末期の病人、自殺志願者、他周囲に『明らかに不要』とされた存在理由のない者達。それらの人間をリストにまとめ、優先的に『片付け』始めた。専門機関として国家人口管理局、通称『リコリス』を創設し、『
かつて世界で一番治安が良いと言われた国は、今や世界で一番生きづらい国となった。
ここで生きていくには理由がいる。誰もが認める、公明正大で普遍的な存在理由が。
それがなければ、世間が認めてくれなければ、その命は簡単に国家お抱えの殺し屋たる掃除人に刈り取られてしまうから。
道端に落ちるゴミを掃除していくかのように、簡単に、あっさりと。
「……分かってんだろ、綾。こういう世界なんだって」
リコリスと掃除人は必要悪。少なくとも自分達が平穏無事に生きている裏側にはこのシステムの存在がある。
誰もがそう思っているから、リコリスの存在は国民に暗黙の了解として受け入れられている。しょせん人間は自分とその周囲のごくわずかな人間の身が可愛いのだ。どこかで日々片付けられている命は遠いもので、その刃が自分に向かうことなど夢にも考えずに享楽的に生きている。リコリスを動かしている上層部でさえ、消されていく命は数字としか見ていない。
だが現場で刃を取る掃除人とっては……少なくとも綾や龍樹にとっては、消されていく命は決して数字などではなかった。
「……分かってる」
キュッと腕に力を込める。こういう時に震えでもできれば可愛いものだと思うのに、綾の体はしんと静まり返って小揺るぎさえしなかった。
「ここでは命なんて空気よりも軽い。そして私は、そんな空気よりも軽い自分の命が、『人を殺していけない』という倫理なんかよりもずっと大切だった」
そんな綾を、龍樹は相変わらず気だるげな表情で見つめる。ただその瞳だけが、気だるさの中にわずかな鋭さと静謐さを宿した。
「私はあの時の選択を……倫理よりも命を取ったことを、後悔しない。後悔できないなら……選んだ過去を覆す気がないならば、逃げちゃいけない。分かってる……分かってるんだ。でも……」
綾は腕を解くと龍樹に向き直った。龍樹の瞳の中に映り込む綾は、力のない顔で笑っている。
「でもね、割り切れないよ。私は片付け者を、数字にできない」
その言葉と表情に龍樹は静かに瞳を閉じる。ふぅ、と微かにこぼれた吐息にどんな感情が込められていたかは、長い付き合いのある綾にもよく分からなかった。
そんな龍樹が、瞳を閉じたまま不意に立ち上がる。
「お前は、それでいい」
そのまま一歩綾の方へ踏み出した龍樹はツインテールに結われた綾の頭に片手を乗せた。ポン、ポン、と軽く綾の頭に手を置いた龍樹は、いつも通り気だるげな無表情で綾を見下ろす。
「お前は、そのままでいろ」
その言葉に綾は瞳を伏せた。そんな綾の傍らをすり抜け、龍樹はドアをくぐり抜ける。
「綾、支度しろ。最後の仕事が残ってる」
振り返って龍樹を見やれば、すでにドアの向こうに消えたかと思っていた龍樹はまだ戸口にいて、顔だけを振り向かせて綾に視線を送っていた。
「俺達が片付けた命をただの数字としないために、最後に残された仕事があるだろ」
「……うん」
小さく首肯を返せば、龍樹はようやくドアの向こうへ姿を消す。
そんな龍樹を見送り、綾はダイニングテーブルへ視線を向ける。そこには周囲の空気を切り裂くほど鮮烈な色を宿した
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