第5話 宿命たる再会

 長い長い話を聴き終えて、ウノは自分が酷く動揺しているのに気がついた。

 無口で、ちょっとぶっきら棒なところがあるだけの普通の青年だと思っていたアイザックが、自分の想像をはるかに超えた激動の人生を歩んできていたことに、軽くショックを受けていたのだ。


「――おれは呪われている。おれの傍にいると、マリアのように残酷な死を迎えることになる。ウノ、お前を死なせたくない」


 アイザックは、冷えた手を外套の中へしまうと、ウノに背を向けて、深まる森の一点を見つめた。


 ウノは何も言わない。否、何も言えない。あたりまえだ。このような現実味に欠けた話に、どういった感想を述べたら良いのか。


 別に、彼の話を信じてないわけではなかった。出会って一日も経っていない間柄でも、アイザックがこのような趣味の悪い冗談を言うような人間でないことくらいわかる。

 だからこそ、彼の吐露した壮絶な過去について言及することが出来なかったのだ。


 ――その時。アイザックはどこからか強い視線のようなものを感じて、肌がざわめくのを覚えた。右側からだ。


 首の後ろがじりじりと炙られる気分。アイザックは喉が干上がってゆく様な不快感を呑み込み、ゆっくりとそちらの方を向いた。

 そこに存在した違和感に、彼はすぐ気が付いた。青々とした若草が芽吹く一角に、ぽっかりと黒い穴のようなものが開いているではないか。いや、それは穴と言うより、黒い水溜りのような質感で、眼を凝らしてみると、風に揺られた水面のように動いているのがわかる。


 アイザックは全身の毛が逆立つような、言い知れぬ恐怖を味わった。

 黒い水溜りから目を逸らすことができずにいると、早朝の光を反射した水面が一際大きく揺らめいた。どろりとした質感がまるで生き物のように見えた。

 ぎょっとして息を呑むと、小さな泡がぶくぶくと浮き上がり、水面が上へ引っ張られているかのように持ち上がった。

 それは地面に対して半円型になるまでの高さで止まると、黒い水は重力に従って下へするすると降りてゆく。


 アイザックは薄く開いた唇から声にならない声を漏らした。


 水溜りから覗いた二つの目が、こちらをじっと見つめていた。

 アイザックと同じ、黒い瞳。

 水溜りから、鼻から上だけを覗かせて、挑むような視線でアイザックを見ている。


 彼は悟った。

 あの人物こそが、奇怪な欲望のために息子を殺そうとした父、アリスター・オルコットであると。


 互いに顔は知らなかったが、父子おやこの血が互いをそれであると確信させる。


 今、両者はこの場所で、宿命の再会を遂げたのだった。


  己の中でだけ時が止まったような気がした。

 時の流れという摂理から自分だけが逸脱している。


 薄く開いた口が、何か言葉を呟こうとするがそこから洩れ聴こえるのは、震える呼吸音だけだ。


 アイザックは確信していたのだ。、四年間という時間を犠牲にして捜し求めた復讐すべき相手だと!


 こちらを覗いた目が、笑ったように歪んだ。ぞっとするその眼差しに、胸が苦しい程に脈打った。

 あれが、悪魔に身を堕とした者の眼差しか。なんと不気味な光を湛えた双眸であろう。


 次の瞬間、地面から突き出た顔部分が、徐々に地中へと沈んで行く。


「待ッ……」


 アイザックは手を伸ばして走り出した。だがアリスター・オルコットは、水溜りの中に姿を眩ますと、地に広がった暗黒ごとすっかり消え失せてしまった。


「ちくしょう!」


 アイザックは、だだっこのように地面を踏み鳴らした。

 後ろから追いかけてきたウノが、不安そうに「どうしたの?」と訊ねる。


「いや……」


 ほんの少し冷静になり、


「何でもない」


 アイザックは囁くようにそう言いながら、来た道を引き返し始めた。

 あわてて隣へ着いて行ったウノは、静かで声を荒げることのないアイザックが、あのように激情を露にしたことを意外に思っていた。……少し、恐怖すら感じていた。


 もう一度訊ねたかった。「どうしたの?」という単純な一言を。でも、彼の抱えている問題は、そんな単純なことではないのだろう。だから、何も言えなかった。


 家に着くまで、二人は終始無言であった。

 ただ、ウノの胸中には嵐のような感情が、様々な言葉となって渦を巻いていた。


 ――アイザック……あなたは一体、何者なの? どうして、あなたの瞳は、そんなにも暗く翳ってしまっているの? すぐ目の前を歩く背中は、手を伸ばせば容易に届く距離にあるのに、心の距離はどんどん離れていってしまう。

 勝手にだなんて思っていた私が恥ずかしい。きっとアイザックは、私のことをそんな風には思っていないし、その心を埋め尽くす憎しみを取り除くこと以外に余念がないのだわ。自分が入る隙間なんて何処にもないのだわ。アイザックは私の中でどんどん大きな存在になってゆくと言うのに、あなたは孤独ひとり、憎悪の先を見つめている。

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